くノ一その一今のうち
怪しいと言えば何もかもが怪しい。
甲府城とちがって、大阪城は何度も戦火に遭っている。
単に破壊と再建が繰り返されたというだけではなくて、戦いの度に堀も石垣も姿を変え、その上に載っている建物も建て替わっている。当然、そのたびに大勢の人たちが傷つき無念の最後を遂げている。
いまの天守閣は昭和になって再建された鉄筋コンクリートだし、そもそもは徳川の天守。秀吉の天守は、すぐ東隣の貯水施設の位置にあった。西の丸には、秀吉の死後、主のように居ついた家康が作った天守もあった。
天守の直ぐ南には商業施設ミライザ大阪城。クラシックな中世のお城の形をしているけど、元々は旧陸軍の師団本部。
ミライザの前は本丸広場だけれど、かつては紀州御殿があった。名前の通り紀州の和歌山城から移築された本格的な御殿だったけど、戦後大阪城を接収した米軍がタバコの火の不始末で全焼させてしまった。発火直後、大阪中の消防車が大手門の前に駆けつけたけど、米軍が入城を拒み、消防士たちも市民も唇を噛んだ。御殿の焼ける炎と煙は市内のどこからでも見えたという。
東には市民の森、記念樹の森、市民球場、大阪城ホールが穏やかに並んでいる。だけど、元は大阪砲兵工廠の巨大な工場が並んでいた。むろん米軍の戦略爆撃で完膚なきまでに破壊しつくされ、戦後は、赤茶けた鉄骨の廃墟のまま長く放置されていたという。
他には、これだけ広大な城址公園なので、数カ所で工事や手入れが行われている。
現存する櫓や建造物はいずれも重要文化財なので不思議はない。大きな工事は大手門の多門櫓のようで、天守閣からでも遠望できるけど、工事は白壁の塗り直しが主で、それに合わせて内部の公開をやっている。怪しいところはない。
『ちょっと、やっかいですねぇ……』
大阪城のあれこれを調べてくれていたえいちゃんが、通学カバンの中でため息をついた。えいちゃんは、カバンの中の手鏡みたいなのがスマホだと知ると、直ぐに操作方法を憶えて調べてくれる。
「あのレンガ造りの校舎みたいなのは?」
大阪城ホールから西の方角に、ひっそりうらぶれたレンガ造りが気になった。
『あれは……旧砲兵工廠の化学分析場ですね。行ってみます?』
「うん、ちょっと気になる!」
セイ!
『あ、ちょっと……キャー!』
気にかかると後先の無い性格なので、天守閣の展望からそのまま飛び出す。
三層目と一層目の屋根に足をついただけで、地上に降り、そのまま石垣をジャンプして山里丸。
本丸の堀にかかる極楽橋を二秒で駆け、左に折れ、10秒後にはレンガ造りの前に立った。
『すごいです! 普通に行ったら20分かかりますよ!』
「きっと、なにかあるわね」
まずは全景を見る。
敷地全体が工事用のフェンスで囲まれ、フェンスと建物の間は、ひび割れた舗装部分を除いては草ぼうぼう。
建物の窓は、全てコンパネや鉄板で塞がれ、その上を封印するように蔦が絡みついている。
『入りますか?』
「もちろん」
フェンスを飛び越え、建物に沿って一周。
焦って飛び込むのは下策。まずは外観と、そこから発せられる気を窺う。
『厳重ですね、センサーや監視カメラもありますし』
「よし、屋上だ」
二回ジャンプで屋上に。
換気塔と階段室がある。
『屋上からの侵入は想定していないようですね』
「うん、階段室は……中からの施錠だけのようだ」
『調べてきます』
「ああ、頼む」
えいちゃんは元々はポスターのイラスト。厚みが無いから、ドアの隙間から簡単に入ってしまう。
カチャリ
――開きました――
「ありがとう」
えいちゃんのくぐもった声にお礼を言って中に入る。
『最後は自衛隊の地方連絡部が入っていたようで、比較的きれいな状態です』
「なるほどね……」
ここからは忍者の領分。
神経を研ぎ澄まして――比較的きれい――を精査する。
どの廊下、どの部屋も埃が積もり、ペンキが剥げ、一部の天井にはシミが浮き出している。
ガラスも所どころ割れたり抜けたりしているけど、保全の為に板でていねいに塞がれて、雨漏りや雨の吹きこみはほとんど伺えない。
『ミライザみたいに再利用を考えて保全されているんですね』
「さて、どうだろうねえ……」
『わ、暗いですね』
階段を降りると、一階は二階よりも戸締りが厳重で、ほとんど日が差し込まない。
でも、かまわずに進んで行く。
『え、見えてるんですか?』
「片目つぶって闇に慣れさせてあるの、忍者のイロハ」
『なるほど』
埃の積もり具合、風化の具合に微妙な違和感がある。
「ごく最近まで人が使っていたようね……」
『そうなんですか?』
「微妙な不自然さがある……撮影所のセットにウェザリングをかけたような……」
少しは分かる。
百地芸能事務所の仕事の半分は道具制作の下請けだったしね。
『でも、ふつうにかび臭いですよ。セットのウェザリングって、ペンキや接着剤の臭いがしますからね』
「忍びの擬装は、本物のカビや埃を使うからね……ほら、埃の粒子にムラがある」
『え……あ、ほんと』
「それに、ここには地下がある。微妙に空気が流れている……」
甲斐善光寺の戒壇巡りを思い出す。
あの真っ暗な中、三村紘一こと課長代理は僅かな空気の流れから秘密の出入り口を発見した。
それに比べれば、ここの擬装などは初歩的と言える。
空気の流れに沿って廊下を曲がる。
『行き止まりですよ』
確かに廊下は行き止まりになって、廊下の突き当りには自然な埃が積もっていて出入りの形跡がない。
空気の流れもほとんど淀んでいて、他の隙間から出入りしている流れの方を強く感じる。
しかし、なにかある。
空気は流れずとも、気が流れた気配がする。
曰く言い難しだけれど、数日前、ひょっとしたら昨日あたりまで出入りがあったような。
『昨日のように邪魔も入りませんねぇ』
「そうね……」
空堀の地下道では、多田さんたちの手の込んだ妨害に遭った。
今日、大阪城に来てからは、まったく妨害にあっていない。
当たり前なら、見込み違いと諦めても不思議の無い状況。
しかし、なにも無さ過ぎる。
それが神経を集中させた。
壁の下の巾木。巾木と床板の間には違和感のない汚れと埃が積もっている……指で擦ってみると、あっさり取れた。
ただのウェザリングだ!
巾木の下に爪を引っかけて手前に引くと、あっさり持ち上がった。
そうか、巾木の裏に埃を仕込んでおいて、持ち上げて散布した後に戻したんだ。
埃を拭いきると、とたんに空気が流れ始めた!
『わたしが見に行きます!』
言うが早いか、えいちゃんは壁と床板の隙間に潜り込んだ……。
☆彡 主な登場人物
- 風間 その 高校三年生 世襲名・そのいち
- 風間 その子 風間そのの祖母(下忍)
- 百地三太夫 百地芸能事務所社長(上忍) 社員=力持ち・嫁持ち・金持ち
- 鈴木 まあや アイドル女優 豊臣家の末裔鈴木家の姫
- 忍冬堂 百地と関係の深い古本屋 おやじとおばちゃん
- 徳川社長 徳川物産社長 等々力百人同心頭の末裔
- 服部課長代理 服部半三(中忍) 脚本家・三村紘一
- 十五代目猿飛佐助 もう一つの豊臣家末裔、木下家に仕える忍者
- 多田さん 照明技師で猿飛佐助の手下
- 杵間さん 帝国キネマ撮影所所長
- えいちゃん 長瀬映子 帝国キネマでの付き人兼助手
- 豊臣秀長 豊国神社に祀られている秀吉の弟