ライトノベルベスト
『その人が通る』
わたしは、午前4時に起きてその人を待った。もう、これが最後になるから……。
午前5時に、その人が起動したシグナルがした。
シグナルは、この日この時のために選んだAKB結成50周年記念の曲『MAM』だ。
お祖母ちゃんが好きだった『SO LONG』でもいいかなと思ったんだけど、やっぱ、最後の日ぐらいは自分の趣味を通したかった。
その人が、三つ向こうの角を曲がったことを、スマホのナビが教えてくれた。
ここから駆け出せば、ちょうど三つ目の角で出くわし、上手くいけば公園のベンチに座って話ぐらいできるかもしれない。
不自然にならないように、最初の角までは全力疾走した。角を曲がったら適度に汗が噴き出し、心臓もドキドキしてきた。
「こんにちは」
で、躓いてしまった……て、こけたわけじゃない。予定では「おはようございます」のはずだった。
でも、その人は「こんにちは」と返してくれた。少し動揺したけど、ジョギングの息の乱れでごまかせた。
「まだ、ジョギング始めて間がないんでしょ?」
「え、ええ、やっと三日目。ちょっと、その公園で休んでいきます」
脇腹を抱えて、わたしはベンチに腰掛けた。
「わたしも、ちょっと座っていこうかな。始発電車には間があるから」
その人が横に座った。まぶしくて、悲しくて、まともには見られなかった。前を向き、チラ見するのがやっとだった。
とても若くて、きれいだった。
そっとスマホをアナライザーモードにして、ナニゲにみたら「推定年齢22歳、身長158……」から始まっていろいろ出てくる。グッと胸がせきあがってくるばかりなんで、すぐに切った。
「オネエサンは、この町の人?」
「その……仕事上、ね、言えないの。でも好きよ、この町」
「な、名前聞いていいですか?」
「友香。渡辺友香。あなたは?」
「杉本アヤ。名前は片仮名」
「そう、素敵ね。片仮名だったら、大人になっていろんな意味が載せられるわね」
「怪しいのアヤとか」
「まあ、アハハハ」
「アハハハ……」
いっしょに笑えるとは思わなかった。最後に笑えた、いっしょに笑えた。わたしは、それで満足だった。たとえ渡辺友香が、次の仕事に就くまでの仮名だとしても、満足……。
ううん、満足なんかじゃない。でも、これが、わたしの限界だった。でもいい、夕べは笑えなかったんだから。
「さあ、じゃ、そろそろ行くわ。ジョギングがんばってね」
「うん、ありがとう、友香さん!」
「じゃ、アヤちゃん!」
その人のドットは、駅の改札前で消えた。正確にはスマホの遠隔操作でアンインストールした。
位置情報を発信しているアンドロイドは、駅でチェックされる。で、いろいろ調べられてアンドロイドだと分かれば物扱いで、リース会社に送り返される。わたしが仕込んだ位置情報アプリなんかすぐにばれてしまう。
あの人は、12年間わたしを育ててくれた、わたしのお母さん。
わたしが13歳になる前日までの契約だった。
わたしが生まれたとき、生んだお母さんは23歳だった。まだ仕事一本で行きたかったお母さんは、代理母のアンドロイドを雇い、この歳まで、ほったらかしておいた。
わたしが気づいたのは8歳の時。生んだお母さんが妹を妊娠した。その間だけ生んだお母さんが戻ってきた。あたしは、なんとなく違和感があった。
お父さんが点けっぱなしにしていたPCで、全部分かっちゃった。でも、わたしは知らんふりした。
だって、わたしにとってお母さんは、例えアンドロイドでも、あの人だから。
アンドロイドのお母さん、中身は機械だけど、皮膚は生体組織で、雇い主の年齢に合わせて歳もとっていく。夕べまでの、あの人は35歳だった。今は、次の契約者に合わせて22歳になった。そして今までのお母さんとしての記憶は消去されてしまった。
そのときスマホが鳴った。
わたしの胸は、瞬間訳も分からない期待が突き上げてきた。奇跡がおこったんじゃないかって!
少しは当たっていた。5歳の妹がオマセな言い方で言った。
「お姉ちゃん、どこ行ってるのよ。早く帰ってこないと、お父さんもお母さんも起きちゃうよ!」
「分かった、すぐ帰る……」
声で、すぐに分かった。やっぱり妹は、夕べ発育促進処理されて、10歳程度に飛躍させられている。法律で定められた限界を超えている。もともとザル法だけど。あの人を雇い続けるよりは安くつく。でも、妹の5歳から9歳の時間は無くなってしまった。
「急いで帰らなくっちゃ」
わたしは、家に帰るまで、その人がお母さんとして戻ってきてくれる幻想を持ちながら……走った。
トモコパラドクス・56
『友子の夏休み 東京・1』
三十年前、友子が生む娘が極東戦争を起こすという説が有力になったん…未来。そこから来た特殊部隊によって、女子高生の友子は一度殺された。しかしこれに反対する勢力により義体として一命を取り留める。しかし、未来世界の内紛や、資材不足により、義体化できたのは三十年先の現代。やむなく友子は弟一郎の娘として社会に適応する「え、お姉ちゃんが、オレの娘!?」そう、友子は十六歳。女子高生としてのパラドクスに満ちた生活が再開された! 娘である栞との決着もすみ、久々に女子高生として、マッタリ過ごすはずであったが……いよいよ夏休み。王さんの別荘に来ている。
古風な眼鏡を掛けた梨花のお爺さん王貞勇は、友子が持ってきた絵を見るなり、言葉を失ってしまった。
「芳子さん、このお嬢さんと二人きりにしてくださらんか」
かろうじて、秘書の川島芳子にそう言うと、黙り込んでしまった。
アイスティーの氷がコトリとでんぐり返ったのを合図であったかのように、お爺さんは口を開いた。
「この絵が残っていたなんて……いや、感謝のしようもありません」
「いえ、わたしにもよく分からないんです。別荘を出る朝に『あの絵を持ち出さなきゃ』それだけ思って、あとは、気が付いたら、ここにお邪魔していたって感じなんです」
「ほんとうですか……」
「はい」
「やはり、この絵の伝説は本物だったんだなあ……」
「本物……ですか?」
「これは、わたしの爺さんの孫悟なんです。孫文先生に心酔していましてね。苗字まで孫にしちまった。もっとも、オヤジの代で帰化したときに、もとの王にもどしましたがね」
「あの、どこも傷んでいませんか。そんな大事な絵とは知らずに運んでしまったもので」
「いや、大丈夫。大切に扱ってくださった」
その言いきりかたは、単に友子への気遣いだけとは思えなかったので、友子はお爺ちゃんの心を覗いてしまった。
どうやら、眼鏡に秘密があるらしく、サインのところを見ると、書かれていない中華の二文字が浮かび上がり、その真贋が分かる仕組みになっているようだ。そして、この絵は、精巧なダミーが作られていて、ダミーの方は銀行の貸金庫の中に隠されフェイクになっている。中国の秘密組織は、そこまでつきとめて別荘を襲撃したようだ。
でも、なぜ自分が、それを予測して、この絵を持ち出したかは思い出せなかった。ただ、お爺ちゃんの思念の中に、この絵自身ではなく、絵の中に隠された暗号のようなものこそが重要であることが分かった。しかし、その暗号が、どのように重要なのかまでは、お爺ちゃんにも分からないようだった。
「梨花は、少しは変わりましたかね?」
お爺ちゃんの、もう一つの心配は、直接口をついて出てきた。
「はい、眠くなると、人前でもアクビができる程度には」
「おお、それは大進歩だ。小さなころから行儀作法は仕込んだが、年頃に相応しい感情表現が苦手な子になってしまったようで、貴女たちお友だちに期待しておったんですよ」
友子は、旅行中の梨花のほどよい、リラックスしたシャメを見せた。
「おお、この無防備な大あくびが良い。わたしのスマホに送ってくださらんか。いいや、本人には見せやしません。孫の成長を陰ながら見られればいいんです。もっとも、本人が、これを見ても笑って済ませられるぐらいに成長したら……そうだ、結婚式のスライドにしてやろう!」
「ハハ、それまで、梨花のこと、もっと鍛えておきます」
「あなた方なら安心だ。ぜひよろしく」
「ところで、お爺様。この絵と同じサイズの絵があったら、頂けません?」
「かまわんが、どうしてかね?」
「敵は、どこかで、あたしが、この絵を、ここに持ち込んだことに気づいていると思うんです……」
「囮になるつもりなのかね!?」
「任せてください、鬼ごっこには自信がありますから」
ここで、友子は軽い催眠術を、お爺ちゃんにかけた。そうでもしないと、このお爺ちゃんは、女子高生に危ない真似など、絶対にさせないからだ。
こうして、友子は同じサイズの絵を元の紙に包んで、王交易公司をあとにした。
そして、地下鉄の駅の近くで予測通り四人組の男女に拉致……させてやった。