ライトノベルベスト
走り出すバス追いかけて、僕は由紀子に伝えたかった。
が、走り出して10秒もたってからでは間に合わなかった。それが「ささやきダイヤモンド」であることを……。
0・5カラットほどの小さなダイヤモンドは、戦争前、医者をやっていたひいひい祖父ちゃんが今のユーゴスラビアで、女の人の病気を治してあげた時にもらったものだ。
ひいひい祖父ちゃんは現地に骨を埋めるつもりで、現地で結婚して子供もできた。
しかし、戦争が起こるとユーゴスラビアに居ては家族の安全が守れないので一家を上げて日本に戻ってきた。
そして数十年が過ぎ、僕は結婚するときに母から「ささやきダイヤモンド」を譲り受けた。
母は二十数年前、羽田から日航123便に乗るところ、その「ささやきダイヤモンド」のささやきによって一便遅らせて、命が助かった。
お祖母ちゃんは、海外旅行に行ったとき、テルアビブの空港で「ささやきダイヤモンド」が「早く空港ビルを出て」とささやいたので、無差別銃乱射テロから免れることができた。
ひい祖母ちゃんは、昭和20年3月の大空襲の前の晩「横浜の親類の家へ行って」とささやかれ、10万人が死んだ東京大空襲から逃れられた。
ここまで読めば分かると思うんだけど、この「ささやきダイヤモンド」は女性にしかささやかない。
僕は一人っ子だったので、由紀子と結婚するときにそれをもらった。当然男だから僕はダイヤモンドからささやかれたことは無い。
そのかわり、夢があったし、夢を見るようになった。
夢には二つの意味がある。
一つは子供のころからの夢。子供のころから日記や文章を書くのが好きで、文章で食べられたらと夢見ていた。
そして、結婚してから詩を書くようになった。で、ある晩、外人の女の人が夢に出てきて「その詩をコンテストに応募しなさい」と言う。で、半信半疑で応募したら、なんとグランプリを取り、その年のレコード大賞で最優秀作詞賞をもらった。
それからはとんとん拍子だった。どちらがいいか迷った時には夢に女の人が出てきて「こっち」と言ってくれる。
数年前には「女の子のユニットを作りなさい」と言われ、AKR47を作った。それが数年の間に大成功。僕はいっぱしの作詞家・プロデューサーになった。
父と母は、やや不満だった。曽祖父の代から続いた言語学者の道を捨てたからである。
しかし、成功には代償が付き物だ……と言うと自虐にすぎるかも知れない。
仕事柄、若い女の子が絶えず周りにいる。
週刊誌に書かれることもある。むろん根も葉もないことではある。
しかし、由紀子には耐えられなかった。若いころは人並み以上に見場も心映えもいいやつだったけど……。
「これ、クララが美味しいから、奥さんにどうぞって」
チームリーダーの大石クララがくれた生キャラメルを渡した。クララは、変な言い方だけど男気のある子で、後輩の面倒見もいいし、先輩やスタッフへの心配りもできるやつだ。ファンの中でも「クララは男だ!」がセールスポイントになっていた。
だが、由紀子にとっては若い女の子の一人にすぎない。
「こんなもの!」
そう言って生キャラメルをごみ箱にブチ込んだ。
「何か月、うちでご飯食べてないと思ってんの!?」
「それは、お互い忙しい……」
言い終わる前にゴミ箱が飛んできた。
由紀子は、大学時代からのサークル活動からフェミニストの評論家になり、僕に負けないほどに忙しかった。僕は、この互いに独立した生活を肯定していると思っていた。しかし由紀子は額面通りのフェミニストではなかった。
気づくのが遅かった。
数日後、由紀子は「ささやきダイヤモンド」を送り返してきた。
――ブツブツ声が聞こえて気味が悪い――と、添え書きがあった。
数週間後、由紀子はK国のテレビ番組に出る途中暴漢に襲われて半身不随になった。
僕は思い出した。
あの「ささやきダイヤモンド」はユーゴスラビアの言葉でささやく。由紀子はユーゴの言葉は分からない。
僕は「ささやきダイヤモンド」をしまい込んで忘れてしまった。
その後いろいろあって、紆余曲折の末、二年後に僕たちは復縁した。
女の人のお告げでも、ダイヤモンドのささやきでもなく、やっと自分たちの意思で……。