ライトノベルベスト
あれは……高校三年の春だった。
浩一とは、中学は違ったけど、通学する駅はいっしょだった。
二年の終わり頃までは、乗る電車は違っていた。
正確には、乗る車両が違っていただけなのだが、宏美は浩一を意識どころか認識もしていななかった。
浩一はというと……一年の夏には、宏美を意識していた。
たまたま部活の終わりが同じになり、真央たちと駅に向かう宏美のあとをつけるかたちになってしまったことがある。
同じ車両の隅っこで、かろうじて宏美を視野にとらえ、トンネルに入ったときに、窓ガラスに映る宏美が見えて、胸がときめいた。
真央や絵里香たちが、次々と駅で降りていき、同じ車両で、同じ高校の生徒は、宏美と浩一だけになってしまった。
浩一は、宏美が降りる駅まで付いていく気持ちになってしまった。
電車がT駅に着くと、宏美は降りていく……浩一は驚いた。
――オレと同じ駅だったんだ!
T駅は、上りと下りの両側に出入り口があり、宏美は上り側、浩一は下り側のそれを使っていて目に留まることがなかったのだ。
浩一は、宏美の後をつけていく勇気はなかった。同じ駅だという発見だけで、その日は大満足だった。
部活は、浩一は柔道部、宏美はテニス部。
柔道部の道場の窓から、テニス部のコートの半分が見える。
その半分に宏美が立ったときは、浩一は気もそぞろになり、自分より格下の部員に技ありを取られてしまうことがあった。
――これじゃだめだ!
浩一は、自分の心に鍵ををかけた。で、しばらく、そういうことは起こらなかった。
ある日、道場で練習試合をやっているとき、宏美がコートチェンジして、見える側のコートに立った。
自分の甘いボレーを強烈なスマッシュで返され、宏美は転んでしまい、アンダースコートがちらりと見えた。
浩一の心の鍵は一瞬で吹き飛んだ。その隙をつかれて、大外刈りをかけられ、その一本で浩一は負けてしまった。
「浩一、今日は勝ちを譲ってくれたんだな……今日は、オレの柔道部最後の試合だったんだ」
先輩は、汗を拭いながら、横顔の目を潤ませ、小声で礼を言った。
「いや、オレ、そんな……」
「おまえはいい奴だ。柔道は勝負だもんな。先輩も後輩もない。オレ分かったぜ。あの瞬間、おまえは顔を赤くして、目をそらせた。勝負と人情の板挟みだったんだよな」
先輩の美しい誤解を解くことはできなかった。
秋になると、登校時の電車を宏美のそれに合わせるようになった。
しかし、浩一は同じ車両に乗るのが精一杯。視野の片隅で宏美をとらえることで満足だった。
駅から学校まで後をつけることもできない。身長が百八十に近い浩一は、普通に歩いていても、簡単に並の女子高生などは追い越してしまう。後をつけるために歩調を落とすことなど、とても卑しいことに思えて、浩一は、改札を出て、すぐに宏美を追い越してしまう。
その、追い越してしまうまでの数秒間が、浩一にとっては幸せの一時だった。
風向きによっては追い越しざまに宏美の香りがしたりする。そんな時は、つま先から頭まで電気が走ったようになるが、アンダースコートがちらりと見えたときのように、自分がとても卑しい気持ちになったように思え、赤い顔のまま、うつむいて校門への道を急いだ。
「浩一、どうかしたか?」
同じ時間帯に校門への道を急いでいるときに、同じ柔道部員に見とがめられた。浩一の淡い恋心が人に知れるのは時間の問題であった。
しかし、奇跡が起こった。
宏美の方から、浩一に声をかけてきたのである。