ライトノベルベスト
もう五件目のオーディション……優奈は今度も不合格だった。
「狙いすぎてらっしゃるの、自分の線じゃないとこで」
デビューしたてのころ、駆け出しのアシスタントだった八重桜に言われたことが、なけなしのプライドを傷つけた。
八重桜というのは、ハナより前にハが出てることを当てこすってつけた芳美への辛辣なニックネームだった。芳美は、あれでもアイドルを目指してタレントスクールに通っていた。ダンスと声の確かさはあったけど、ご面相がよくなかった。なんせ八重桜である。
それが、韓国に渡り、整形を重ね、アイドルとしてもそこそこのルックスになって、八年ほど前に日本に戻ってきた。ダンスと声に加え如才ない人付き合いを覚えた芳美は、遅咲きのアイドルとして四年間ほど売れまくり、三十路になる手前で、ピタッと現役を卒業。その後は、プロダクションを経営、中堅のプロダクションとして、大手の隙間を狙ったり、便乗したりして頭角を現していた。
今回はその芳美のA企画が入っていることを見過ごして、大手プロダクションの名前に惹かれミュージカルのオーディションを受けたのだ。
審査員席に八重桜を見つけたときには、頭に血が上りかけたが。そこは仕事柄、なんとか自分を押さえて、課題をやり遂げた。
八重桜は、他の応募者には遠慮して、ほとんど発言を控えていたが、優奈のときは率先して発言した。他の審査員は、往年の清純派アイドルである優奈には、哀れみに似た遠慮があった。だからフタバプロのチーフプロディユーサーが「もうそんなに言うなよ」と芳美にいった言葉さえ、ゆうな=優奈と、嫌みに聞こえるくらい心が折れてしまった。
控え室に戻り、メイクを落として、しみじみ自分の顔を見た。
――いつのまに……――
改めて思った。
優奈は、やっと三十路に入ったところだけど、鏡に映る自分は、どう見ても四十過ぎである。チャームポイントだった涙袋の下や、プックリしていた頬には、実年齢以上の老いが忍び寄っていた。肌にも張りが無く、思い切って大きな姿見に映した全身は、もう中年の気配が漂っていた。悲鳴を上げることはかろうじて堪えたが、ショックを受けていることは、同室の応募者たちには、分かってしまっただろう。
それから三日、優奈は自分の部屋から一歩も出られなかった。
食事もろくに摂れず、睡眠さえままならなかった。三日目の夜にはなんだか臭さが鼻につき、それが自分の体臭であると気づくと、たまらなく情けなくなり、四日ぶりに風呂を沸かした。もう涙も出ないで、おしっこが漏れた。風呂場で粗相をするなんて幼児の時以来だろう。
我ながら狂気的な無気力さの中にいると感じた。着ていた物はまとめてゴミ袋にいれ、なんとか新しい下着とスウェットを身につけたが、さすがに鏡を見て身繕いする気にはならなかった。
あれ?
頭をくしゃくしゃにバスタオルで拭きながらリビングに出たらリモコンを踏みつけたのだろう、テレビが点いてしまった。どうやらゴールデンタイムのようで、バラエティーをやっていた。とても見る気にはなれず、消そうと思ったが、電池が切れかかったか、機械の不具合か点きっぱなしである。仕方なく四つんばいでテレビ本体のスイッチを切ろうとしたら……それが目に入った。
「わたしには、これが自然なの。考えたこともないわ」
アイドルとして全盛期の自分が画面の中でアップになって、恥ずかしげに言っていた。
――これ、いつ撮ったんだろう。再放送なんだろうけど記憶にない――
気づけば、4Kハイビジョン。優奈の全盛期に4Kハイビジョンはなかった。
ようく見ると、アイドルグル-プとオネエの選抜同士のトークショ-だということが分かった。
そう、いま恥ずかしげに喋っていたのはニューハーフ、その名もユウナであるとわかった。ほかのオネエ達とはちがって、イロモノ的なデフォルメや押し出しが無く、反対側のアイドル席に居ても違和感のない自然さだった。
「あなた、芸も毒もないんだからさ、せめて優奈ちゃんのモノマネでもやんなさいよ」
ボス的なオネエに押され、アイドルたちも「ぜひ聞かせてください」というもので、そのユウナは、恥じらいながら、マイクをとった……。
キャップを目深に被り、大きめのグラサンして、やっと優奈はその店に向かった。
「あの……本物の優奈なんですけど、テレビ観てビックリして、一度お会いしたいと思うんです。はい、御本人には内緒で……お願いします」
店のママさんに、そうことわりを入れると、開店前のそのお店に急いだ。そっくりさんに会うと言うよりは、過去の自分に会いたかっただけである。それが何かのヨスガになりそうな……自分の心には、そう言い訳しておいた。
店の中は薄暗く、オネエのみなさんは本物の女性と区別がつかなかった。事実、あのトークショーで、場を仕切っていたママさんなど、そのまま銀座か赤坂の本職と見まごうばかりだった。でも、それは店の照明や、衣装メイクで、そう見せただけのもの。
――やっぱ、自分の思いこみ――
そう後悔が背中に這い上がってきたころ、そのユウナが現れた。
――まるで、本物だ――
本物の優奈は、そう感じた。
「よかったら、外でお話できません?」
ユウナの提案で、二人はタクシーに乗った……そして着いたのは荒川の河川敷。
「ここ、覚えてません?」
ユウナが言った。覚えも何も、ここは優奈の高校時代、家までのショ-トカットに使っていたところである。川風と河川敷の草いきれの匂いは、あのころのままだった。
「覚えてますか? ここで優奈さんに告白したんです」
「え……」
何十秒かして記憶が蘇ってきた。しかし記憶と目の前のユウナとは結びつかなかった。
「やだな、ほんとに優奈さん忘れちゃったの?」
「でも、あのとき告白したのは、狩野って美術部の?」
「そう、ボクが、その狩野聡です」
「え、ええ……!?」
狩野はやせぎすで、身長は優奈と同じぐらいだったけど、ぜんぜん目立たなかった。文化祭の取り組みで、少し仕事をいっしょにやり、互いに気心が知れた。いつか友だちのような感覚になったが、異性として意識したことは無かった。それが、自転車の二人乗りで帰る途中で急に告白された。優奈は、どう答えていいか分からずに、沈黙をもって答にした。狩野も、それを答と感じた。
気障なようだが、狩野は人を好きになることは、相手を縛ることではなく、自由にしてやることだと思っていた。だからそれ以上に言うことはやめて、何もなかったことにした。
大学最初の学園祭で、先輩達に混じって女装させられた。どこでコネをつけたのか、専門のメイクアップも来ていて、ウィッグの付け方から、メイクまで一式やってくれた。
「あら、あなた優奈に似てるわね」
その人に、そう言われて、自分の中に住み着いた優奈に、初めて気づいた。
そこから、狩野は、この世界に入った。
好きならば、いっそ自分が優奈になってしまおう。そう思い、思い切って手術もした。優奈のイメージの中で暮らすようになり、引っ込み思案な性格ではあったが、この世界では、いつしか超一流といわれるようになった。
そして、それは、八重桜と同じで、優奈の凋落期と反比例していた。
「よかったら、サングラス取って、お顔見せてもらえません。わたしだけ素顔晒して、不公平」
「それは、勘弁してほしいなあ……アハ、アハハ」
そう言って、優奈は高校生のノリで逃げた。ほんとうに逃げた。でも、ユウナにはじゃれ合いにしか思えなかった。あとで思えば、荒川の空も川も、あのときのままだったから。
優奈は、堤防を駆け上がり、足を滑らせて、転んでしまった。
「ほうら、掴まえた!」
そこでユウナは、かつての優奈の素顔を見てしまった……。
その三日後にユウナは死んだ。
いつも判を押したように遅刻や欠勤をしたことがないユウナが、出勤時間を一時間過ぎても、なんの連絡もないので、ママさんが気になって、自らマンションに見に行った。
部屋には鍵がかかっておらず、ママさんは胸騒ぎを感じながら、奥へと進んだ。そして、リビングのソファーで眠るように事切れてているユウナを見つけた。もと救急救命士であったママさんは、無駄とは分かりつつも、救急車を呼びユウナに救命措置を施した。そして、瞬間奇跡が起こった。救急車がきたころ、ユウナの脈が戻ってきた。
ママさんは、かつての職業意識に戻り、救急隊を指揮し、病院にユウナを搬送した。
ほんの二三分、ユウナは意識を取り戻した。
「ママさん、ごめんなさい……」
「いいの、なにも言わなくても。命に替えても死なせやしないから!」
「ううん、これでいいの……これで優奈は、優奈に戻れるんだから……」
「なに言ってんの!」
「病院で、死ねてよかった……病院だったら解剖されずに済む……それから」
「なに、なにが言いたいの!?」
「……なんでもない」
急性心不全だった。そんな兆候はまるでなかったけど、そうとしか死因のつけようがなかった。
それから四週間ほどで、優奈は、元の自分を取り戻した。優奈の中に巣くっていたオバサンはどこかへいってしまい、実年齢以上の若さを取り戻し、仕事にも復帰できた。八重桜の反対も押し切って、急遽、あのミュージカルにも出られることになった。
稽古の合間を縫って、ユウナの四十九日の法要に出た。今の自分があるのはユウナのおかげという気がどこかでしていた。焼香が終わって、ママさんにきいてみた。
「ユウナ……なにか、言い残していませんでしたか?」
「……なんでもない。その一言だったわ」
「……なんでもない。か……」
優奈は、もう一度、その言葉をくりかえし、法要の会場を出るときに、深く頭を下げた……。