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須玉日記

母と子、たまに父による写真日記。

おいでませ山口の旅行記 萩 3

2013-06-28 11:32:34 | 
2013年6月28日 <母>

萩と言えばやっぱり松陰神社。でも私にとっても
<父>にとっても松陰神社と言えば東京世田谷区の
松陰神社が身近です。
<母>の母の実家だし、今も親戚が住んでいます。

神社そのものは、当然ながら萩の方がずっと格調高い。






松下村塾。
8畳の部屋から始まり、後に10畳半が増築された。
何よりびっくりしたのは、松陰がここで教えていたのは
たった1年だったという事。松陰27歳。
実家での幽囚時代と合わせても2年半と言う。
その間にあれだけの影響力を与えた力、それに学ぶ方も
学問を吸収したいという欲求が強かったのでしょうね。
(松陰自身ははどうやって学んだのでしょう。。。)


photo by chichi




松陰が幽囚されていた実家の3畳半の部屋。


photo by chichi




何故世田谷に松陰神社?
それは、この土地は長州の藩邸があった所。
松陰が安政の大獄で刑死した後、門下生らが
別の場所から当地にお墓を移し、明治15年に
お墓の傍に松陰を祀る神社を創建したとの事。

そしてここからそう遠くない豪徳寺は
松陰を刑死させた安政の大獄を起こした
井伊直弼の菩提寺。
歴史好きにはたまらない地域ですね。

世田谷の松陰神社。


photo by chichi




時間が遅かったので車を停めておいた駅に戻ります。
ちょうど電車(あ、汽車ね)が来ました。
コントラストを強めてライトで光る線路を強調。






通学時間なんですね。
益田行になってました。






つかの間の複線から単線へ
汽車は去って行った。




最後に世田谷の松陰神社に書いてあった松陰先生の言葉。

人 各々資質あり
故に古人を学びて
其の性の近き所を得べし

それともう一つ。
世田谷の松陰神社と隣接した場所に前述した桂太郎さんの
お墓があります。
門下生ではなかったものの、本人の遺言で敬愛する
松陰先生の眠るこの地に埋葬されたそうです。

コメント
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