つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

日本近代絵画

2021年07月22日 | 梅原龍三郎
この頃絵をお求めくださるお客様方の年代層、性別に変化が見えてきたことをこのブログでもお伝えして参りました。

私どもの店が夫婦で営業をさせていただいているからということもあるかと思いますが、ご夫妻で美術品をお求めくださるお客様が大変多くなりました。しかも、ご主人様はご主人様のご趣味の作品を、奥様は奥様のご趣味の作品を、それぞれのお小遣いの範囲でお求めくださいます。

またこれも私どもが歳を重ねてきたからということもあるかと思いますが、私どもよりお若い、40代前後の男性のお客様が作品をお求めくださるケースが多くなりました。

サラリーマンとしてお勤めをされながら、ボーナスの機会を利用されて、また株の運用をなさって、美術品をお求めくださいます。

お若い方達は、今色々な情報をお持ちで、ご趣味も多義にわたっていらっしゃいますが、「私はこの日本近代絵画がやはり好きなんです」とおっしゃっていただくと、何かとても安心し、嬉しさが込み上げて参ります。

今週はそうしたお若いお客様から「いつかは梅原も求めるようになるかもしれません」というお言葉を幾つかいただきました。

あんなに梅原を嫌っていた私が、今オンボロ我が家に大事に大事にこの梅原のガッシュの作品を飾り大満足しているのです。

いつかは梅原!みなさまにもきっとそんな日が訪れるでしょう事を否定するわけには参りません。




お部屋が暗くても、直接日光を作品には当てられませんので、佐橋が簡単なスポットを用意してくれました。
これでも絵は十分に輝きを増します。




梅原が愛し、足繁く通ったハワイ!

美しく、生き生きと私に力を与えてくれています。

あるお客様がこの絵をご覧くださって、「これは良い梅原だねぇ。確かにホノルルだけれど、プレートのタイトル欄に「北京風景」って書いてごらん。きっと高く売れちゃうよ😅」と言ってくださったのを思い出します。





私の手元にいてくれることによって、この作品がもっと輝きを増してくれるように、、そう祈っています。
そして、梅原という人の温かな心に癒されながら、この夏もこの作品を眺めて過ごしたいと思います。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020/07/26 京都の空と梅原龍三郎

2020年07月29日 | 梅原龍三郎
京都に赴任中の私の弟が、鴨川の夕空の写真を送ってくれました。(7月26日)

一緒に映っている自転車は弟のものです。空があまりにも綺麗なので、自転車に乗って鴨川に出掛けたようです。


東北の震災の際に東京にいた弟は、帰宅困難になり、歩いて自宅に帰りました。
それを機にラン🏃‍♀️やバイク🚴‍♀️、水泳の練習に励むようになり、とうとうトライアスロンの大会に出場するようにまでなりました。

出張の多い弟が去年はベトナムやハワイにまで出掛ける予定だと聞きましたので、
半分冗談で。。ホノルルのワイキキビーチにあるピンクのホテル、ロイヤルハワイアンの画像が撮れたら送ってほしいとお願いをしました。

すると、弟は仕事の合間をぬい、ワイキキビーチを走り、海に入ってこんな画像を送ってくれたのです。

こちらがハワイの動画です

お分かりになりますでしょうか?





ピンクのホテル、ロイヤルハワイアンは梅原龍三郎の定宿でした。




そして、このホテルのベランダからダイヤモンドヘッドを描いたのが、こちらの作品になります。






この作品が制作された1971年にハワイを梅原と一緒に訪れた女優の高峰秀子さんの著書に
「蛇の話」というタイトルの章があります。

梅原は京都の染め呉服業を営む家に生まれ、(仮縫いをした絹の白布地に職人達が下絵を描き、染め屋にまわす商売)
多勢の職人や奉公人が働いている裕福な家庭で育ちました。
父親はやんちゃな龍三郎が何をしても怒ったことはなくただただ甘い父親だったそうです。

梅原家には大きな松の木があって、ある日その松の木に太い蛇がぶら下がっているのをみた龍三郎は、
早速短刀を持ち出して書生を呼び、「この短刀であの蛇を殺せ!」と命じました。
書生はその通り、蛇を斬り殺しましたが、後でそのことを知った家人が大騒ぎをし、その書生は即刻首になってしまったそうです。
蛇はその家の主とされ、粗末に扱ってはいけないと信じられていたのです。

「その書生は、僕に命じられたとは言わなかったんだね。黙って出て行ったらしい。
僕もあまりに騒ぎが大きいので、僕が殺せと言ったのだということを言いそびれて、そのままになってしまった。僕は卑怯だった。
その書生はどこへ行ってしまったかな?僕より年上だったから、或いはもう死んだかもしれない。あの書生には全く悪いことをしてしまったよ。僕が卑怯だった・・・」梅原は晩年、何度もこの話を高峰秀子さんに話されたと書かれています。


高嶺さんは、「一人ごとのように、ゆっくりこの話をする時の梅原先生の表情は、こよなく優しくて、素直に見えて
私は好きだった」と文を終えられています。

晩年の梅原の作品には、梅原が最後に向かった世界が色濃く表現されているように感じます。

それは、まさに、広い空、優しい波音、そして、多少ヤンチャでも、卑怯を恥とする素直で清らかな心を
求める世界であったと思えます。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅原龍三郎 ホノルル 追記

2019年10月05日 | 梅原龍三郎





当店の梅原の作品「ホノルル」につきまして、ここに描かれた場所はもしかしたら
同じオアフ島のマカプウビーチか?(上の画像)と思ったこともありましたが、




鑑定書の1971年制作「ホノルル」の記載や1987年の台北市美術館の梅原の展覧会の
図録からやはりここは檀香山(ホノルル)に間違いないということがわかりました。

そして、それを決定付けたのは、この高峰秀子さんのご著書でした。







こちらには1971年(昭和46年)に高峰秀子さんも含め梅原夫妻がハワイに旅行したこと、
ハワイでの常宿のロイヤルハワイアンのテラスから、ワイキキビーチをいつものように
スケッチされた事などが書かれています。





皆様もよくご存知かと思いますが、このピンクの建物がロイヤルハワイアン、たしかに後ろに見える風景はこの「ホノルル」の作品のなかの風景です。

もう48年も昔のハワイは、きっと今よりずっと綺麗だったのでしょう。

どこに出かけても、梅原は最高級のホテルの最高級のお部屋に泊まったとも書かれています。

そして、それは、その最高級のお部屋から見える風景がどのお部屋から臨む景色よりも「美しいはずだから」だそうです。必ず目の前に実際の風景やモデル、気に入った薔薇を置かなければ絵を描かなかったと言われる梅原らしいエピソードですね。

このご著書には、人間梅原との楽しいエピソードが満載です。
また機会があればご紹介いたしますね。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅原龍三郎 ガッシュ ホノルル

2019年08月02日 | 梅原龍三郎

先先回の古賀春江の記事にコメントが寄せられ📝

 
「大変!古賀春江に素敵なコメントを頂いたよ。なんてお返事しようかしら?読者Mってどなたかしら?」
 
と朝、私が騒いでいると
 
 
「僕だよ〜ん」と佐橋。。
 
 
 
気分だだ下がり
⬇️⬇️⬇️
 
 
「だってコメントでもなんでもいいから書けって言ったじゃない?」
 
 
 
、、、
 
 
というわけで、今回のコメントにはお返事致しませんが、読者M以外のみなさまからのコメント📝はお待ちしております。
 


 
 
 
 




 
週に一度ヨガのレッスンに出かけています。
 
先日の瞑想の時間に先生が「山はただあり、花もただ咲いています。自分の人生に意味を求めれば苦しくなります」とおっしゃられた時、ふとこの梅原の絵が頭をよぎりました。雑念といえば雑念ですが、瞑想中に頭をよぎる絵はただそれだけで一流のような気がいたします。
 
 
「ただ山がそこに有り、ただ花がそこに咲いている。」絵の中に。
 
梅原の作品を賞するに最も適した表現であると思います。
 
 
眼の前の風景に感動した心を、キャンバスに描く。
その絵は、決して邪推を寄せ付けず、純粋な感動のみを表す。
 
 
 
 
梅原龍三郎が晩年に差し掛かる時代、1971年の制作。
鑑定書には「ホノルル」とありましたので、ホノルル市内ワイキキビーチを想像しましたが、
観ているとどうも違和感があります。
 


↑ワイキキビーチ
 
 
もしかしたら同じオアフ島の
 
 


↑マカプウビーチ ではないかと思いながら、また作品を見続けています。
 
 
マカプウビーチはオアフ島の東の端、マカプウ岬の西側にある景観の素晴らしいビーチです。ビーチの左前方にはラビットアイランド(マナナ島)とタートルアイランド(カオヒカイプ島)が並び、右側の岬の先端にはマカプウ灯台が見えます。ビーチの背後が崖になっているので、緑と茶色の壁に囲まれているような印象でフォトジェニックなビーチです。
 
 
この時代の梅原の旅行先など足取りも少し調べてみようと思っています。
 
梅原の作品は、毎日少しづつ「見えてくる」のが魅力です。
 
見えてくる速度と、調べていく速度をうまく合わせていきながら、
また皆さまにもこの梅原作品のその後をお伝えしようと存じます。
 
 
 
 
※  梅原龍三郎  「ホノルル」
    紙・鉛筆 ・ガッシュ 
    34・7×26・2㎝    
    東京美術倶楽部鑑定書有
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする