つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

福井良之助 みちのくの冬

2025年01月17日 | 福井良之助展
先日お立ち寄りいただいた際に、弥栄画廊さんから福井良之助と森本仁平(1911-2004年)との関係、また仁平、草介親子に及ぶ福井の影響などについて教えていただきました。

私は全くその事を気づかずにいましたが、ちょうど福井の出世作「みちのくの冬」について、アサヒグラフに森本文平が述べているページを見つけましたのでご紹介いたします。

福井は東京日本橋の生まれですが、戦時中岩手県一関市に疎開をしており、その際に写実画家、森本仁平と親しくしていたようです。


福井さんの初期の代表作に「みちのくの冬」100号がある。

東北の冬は暗く、寒い。極端な物不足時代で生活の苦しさはまさに限界だった。しかし、死の恐怖から解放されたあのころは、何を見ても聞いても、全てのものは命との出会いと言ってもいい新鮮さを感じた。よくぞ生きていたという感動があった。
福井さんは50号のカンバスを二枚つなぎあわせた百号の画布に、目の前の風景を描き始めた。終戦の年もようやくくれた寒い冬の日である。

彼は雪がすきである。ことに雪が降ると人間の生活や、ものの形が孤愁をおびて感じられるのにひかれる。 彼は山にも野にも林にもそれぞれの存在の確かさと美しさを感じるのだが、それよりも彼のとらえたのは遠く小さく見える人や馬の姿である。重い生活を背負うその後ろ姿にむしろこの絵の画因があったかもしれない。
彼の描きたかったのは自然と人間のドラマだったのだろう。

あのしなやかな指先は抜群の器用さであるから彼の目と心が手と連動するとき恐るべき描写力の冴えを見せるのである。その上、画面構成上およそ必要な要件は少しの狂いもなく気を配られているのを見て、私は彼の非凡は才能に畏怖をさえ感じたものである。彼の描く雪はどこか人間のぬくもりを感じさせて
色は淡いグレー系の褐色を主張とし、雪の白さをきびしくあえたかたちでおなじませ落ち着いた統一感を出している。すでに彼独特の色である。そして、自然の悠久さ、大きさを感じさせる空と大地のひろがりと深々とした空間の表現はみごとというほかない。あのわびし山村いの冬を実感として存分に描き切っている若干22歳の福井良之の目と心と才能は私は今もなお驚きを禁じ得ない。これはリアリズム絵画の傑作である。その年の太平洋画会展に出品し最高賞を得たのも当然と思える。
この絵は当時福井さんが疎開して住んでいた家の前から眺めた風景である。この絵の中に小さく馬が通っているのが見えるが、その道を左におよそ1キロ行った道端に私の家があった。彼とは随分古い付き合いである。そこは岩手県一関市の南のはずれ。


森本仁平は文章もとても上手なのだなぁと改めて驚きましたが、「リアリズム絵画の傑作」この言葉からも森本氏が福井良之助に多くの刺激を受けていることがよくわかります。


そして、「森本仁平、草介のバックの処理などはまさに福井調だね」と弥栄さんに教えていただいたことにも納得がいきます。

この「みちのくの冬」は1945年22歳の制作。文中にもありました通り、この作品が41回大平洋画展に初入選、1等賞を受賞したことをきっかけに福井は画家としての道を歩み、生活の為もありしばらくを孔版画の作家として活動、憧れの油彩画の作家としての活動は1960年の半ばを過ぎたあたり、40代半ば以降からとなります。

そして福井の代名詞とされる雪景色に本格的に着手するのもそのころからということになります。





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