今泉篤男さんの著作集をどの章から私が読み始めたか?について先日記事を書かせていただきましたところ、コメントをいただくことができました。
とても面白く読ませていただきましたが、そういえば!!先日ご来店くださったときに後輩のKさんに、梅原の作品のことをお話したなぁと思い出し、
もうネタバレの記事であったか‥と少しがっかりいたしました😢ですので
早速正解をお知らせいたします。
そうです。正解は梅原龍三郎の章からでした。
若いころからずっと梅原龍三郎より安井曽太郎の作品の方が好きでした。もちろん今でも安井は憧れの画家ですが、年々梅原の魅力を感じられるようになり
自宅にも今梅原のホノルルを描いた水彩画を飾っています。またミニの裸婦も毎日見ています。
魅力は感じていても、どういうわけか?梅原の作品について記事を書かせていただこうとすると、言葉が出てこないのです。天衣無縫とか、梅原の人物の大きさ的なことはいくつも思い浮かびますが、梅原が何を描いていたのか?結局よくわからずにきました。ですから、今泉氏がどんな言葉を使ってこの画家をとらえるのか?大変興味がありました。
以下今泉氏の文章
梅原の作品の前で、私は自分の理解し得たと考えている要素から出発して、何か解釈の埒外に出た抵抗にぶつかる。その抵抗は、私にとって梅原の絵の中で一番魅力なのだけれども、何だかよくわからない。いやあまりはっきりわかろうとなどしたくない魅力なのだ。
Kさんに梅原についてお話したのは、佐橋を喪ってどんなに悲しくても、絵だけは毎日しっかりと見ておこう!と心に決めたことでした。当初すぐに目に留まったのは当店の牛島憲之の「初日」という作品でした。とても静かで心を落ち着かせてくれました。今泉さんの著作集によると牛島は坂本繁二郎に大変憧れをもっていたとあります。なるほど、「静謐」ということばは坂本についての方がぴったりときます。
梅原の作品ははじめ牛島ほど何も応えてくれませんでした。けれど、別に嫌な感じもしませんでした。ところが、昨年、夏が近づいた2週間ほどだけなんだかとても梅原を見るのが辛くなりました。「私を馬鹿にしているの?」と思いました。
身近な人を失って月日は過ぎていけば楽になることもあるかと思っていましたが、それは大きな間違いで、月日が経つほど苦しくなることもあるのだとわかり始めたのはお盆を過ぎたころです。そして、そんなどん底にいたときに、ふと梅原が温かい目を向けてくれていると気づきました。
梅原については色々は評論があります。沢山は読んでいませんが、梅原の天才性は揺るぎない美への直観力、絵画的、色彩的感覚にあるのだということはわかりました。梅原が薔薇をみるとき、その薔薇はもう絵画になっているのです。
けれど。。それだけが梅原の魅力ではありません。
今泉氏も梅原作品への評論が実に難しいと書いていることに大変安心しました。そして、何年かをかけて梅原作品について述べられつづけ、やがて梅原の作品への決着を「愛憎」の問題としています。
つまり、梅原へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか?どちらかだということだろうと思います。
「愛憎」まで掘り下げられたら、確かに梅原の作品について何も言えなくなってしまいます。私はなるほど~と感動し、しばらく他の章を読めなくなりました。
つづく