つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

1950年代

2024年08月29日 | 脇田和
不思議です。

この数日、この脇田和の作品について書かせていただこうと思っていました。

そして、今日、以前はどんな記事を書かせていただいたのだろうか?とブログの記事一覧を見てみると、

なんと昨年の今日!!

2023年の8月29日に、この作品について書かせていただいていました。

丁度一年前に、この作品を描いた画家は誰でしょう?とクイズを出させていただいて、
「19さん」という女性の方が唯一正解をされたのでした。


(19さんは、お元気でいらして、今もこのブログをお読みくださっていらっしゃるでしょうか)

たった一年のことですのに、私は当時あまりにも必死に生活をしていて自分が何を考えていたかを思い出せません。

ただ、クイズを出させていただいたこと、そしてそのクイズに皆様がお返事をくださったことはよく覚えていて、
それを力に昨年を乗り切れたのだと今も思っています。





当店の脇田和作品は唯一この一点になりました。

佐橋と2人というより私が佐橋にお願いをして仕入れてもらった作品です。

今も好きな作品ではありますが、この頃「どうしてこの作品だったのだろうか?」と思うことが多くなりました。










つい先日、弥栄画廊さんのご子息がお立ち寄りくださいました。

ギャラリー正面のガラス絵に「いい清宮だなぁ〜」とおっしゃりながら、続いて脇田作品をご覧くださったので「この作品をどうして買いたいと思ったのかわからないのだけれど、いい作品だと思ったのね」と私からお伝えすると

「これは1950年から52年くらいの作品だと思いますよ。この頃脇田はこういう少女像を描いていて僕も良いと思って持っています。
この頃、猪熊も岡田謙三なども同じような子供の絵を描いていて、顔も似ているのですよね。戦後教育に画家が関わった時期でもあり、これを契機にこの世代の画家たちは具象から抽象に転換していくように考えています。」と思わずメモを取ってしまうほど
しっかりとお話をしてくださいました。

なるほど〜一年前の記事には1950年代後半から60年代と書かせていただきましたが、それより少し前の作品であったかもしれません。


いずれにしても、お話を聞かせていただいて、この作品も結局脇田和のど真ん中の作品であるように感じられ、ホッと安心致しました。

描かれた少女の目は本当に綺麗で、「歳を重ねるほどに何事にもこんな目を向けられる人になれたら良いのに」と思えます。

日本語には素晴らしい言葉が沢山ありますね。「心眼」もその一つです。

良い画家は皆「心眼」を持っているのだと思います。

良い作品に触れながら、全ての奥、裏まで見通すことのできる「心眼」を私自身も養いたいと「あれから一年後の今日」強く感じました。


台風の影響が出始めているようです。

どうぞ皆様お気をつけてお過ごしください。

私も気をつけて過ごします。











コメント
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