今日、お客様にお便りを差し上げようと今の季節に合いそうな葉書を探していると、この絵葉書が出てきました。
御舟??
と思い、裏の記載を見ると奥村土牛!
あぁ、こんな作品を描いた時期もあったんだなぁ〜と山種美術館さんの図録を開きました。
「雨趣 うしゅ」 1928年 昭和3年 再興第15回院展出品作
土牛、39歳の作品です。
図録の解説には、以下のように記されています。
大正15年、土牛は下高井戸から麻布・谷町(現在の六本木)に転居する。この年の夏は雨が続き、遠方への取材が難しかったため、主に近所を取材している。本図も坂が多く緑も豊かな当時の赤坂を、丘の上からの俯瞰的視点で眺め、淡い濃淡のついた胡粉で雨を一本一本描いたもの。
1926年、土牛は小林古径の紹介で尊敬する速水御舟の勉強会に参加し始める。本作品は、淡い色彩と繊細な線描による写実風景が特徴で、御舟の作品への意識が感じられる。発表当時は「何も雨を一本一本描く必要はないだろう」と評された。
この図録の解説の一文一文が、いかにも奥村土牛という画家の個性の全てを語っているように感じられます。
30代後半になって、御舟の勉強会に参加し、その影響を受けて写実に徹しようとした土牛。
「徹する」あまり、降る雨を一本一本描いた土牛。
「何も雨を一本一本描かなくても」
「何もそこまで〜しなくても」人は人に、案外無頓着にこの言葉を使ってしまうものだろうとも思えます。
その描かれた沢山の雨の線には、ひとつも嫌味なところなどない事に驚き、かえってこの風景画に土牛の作品らしい趣を湛えている事に気付けばきっと、40年後、50年後のこの画家の達成を予感できただろうと思います。
御舟の勉強会に参加した時、土牛は御舟の5年も年長でありました。
土牛は101年を生きてなお、御舟の画境に近づくことはできなかったのかもしれません。
けれど、八十代に「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである。」と言い切った土牛には、夭折の御舟が決して見ることのできなかった「本当の自分」の姿がよく見えたのではないでしょうか?
雨を一本一本描く姿勢。描いてみる強さ。
土牛のその歩みは、残された作品たちの中で今も生き生きと前進を続けているように感じられます。
「静かに、少しづつ、決して止まることなく淡々と」
忘れがちなその美しさを私たちは今こそ思い出さなくてはいけないように思います。
考えていたところでした
初めてこの作品を見た時
“土牛さんこんな作品を描くんだ”と思いました
御舟との関係など 奥様の名解説を
また繰り返し読ませていただきます