つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

アトリエの画家たち 高山辰雄

2018年07月11日 | 高山辰雄

このブログでもご紹介させていただきましたが、先日、私達は東京の世田谷区立美術館さんの高山辰雄展に伺って参りました。

「高山辰雄展」は 過去にも色々な場所へ伺い、何度か見させて頂いて参りましたが

特に晩年の作品が展示されているお部屋では、毎回、大変な感動を覚えて

帰ってくることが多くありました。

他の展覧会にはない画家の圧倒的な存在感を感じて帰ってくるのです。

今回もそうでした。というより、以前よりさらに深い感動を覚えました。

「この空気、この見えない力は何なのだろう?」と不思議に思いながら、立ち去りがたいお部屋を後にしてきたのです。

 

 

 

この「アトリエと画家たち」というご本をお客様に頂戴し、夢中になってページを開かせて頂き

今回、この高山辰雄展の最後のお部屋に対する私の疑問がずい分解けたように感じています。

 

筆と葉巻をもち、じっとご自分の描いている絵をみている画家。

きっと高山さんは、紙に筆を入れている時間より、こうしてご自分の絵をじっと眺め、考えたり、想像している時間がながくていらっしゃったのではないかと思えます。

以下、本文から抜粋させて頂きます。

 

 

 

「人間っていったい何だろう」と考え続けて50年、

夜空の星と会話を楽しむ高山さんのアトリエは、東京世田谷にある。

居間を兼ねる20畳に、テレビ、ラジオから身の回りのものが総て揃っている。

 

「芸術とは、人間の もがき の跡だと思う。

美しい花もそれだけでは芸術じゃないんだ。 

もがいているところの私が、どう近づくかという事柄が芸術であって、

実は私も、もがきあがれないかもしれないけれど、はいずり上がろうとしているんだ。

生きている証といて」

 

「心の画題はなるべく言葉に直しておくようにしている。

それがいつも頭の隅っこにあって制作意欲を刺激する。

どこかで見たもの、感じたものが何年目に出てくるのか分からない。

ひょっと浮かんでくるんだ。」

 

 

「人間無心に描くことが肝心。相手も自分もなくして、無意識になれたら

血管の中を流れている私が画面に露出してくれると思う。

画面と私、私と生きている人々との間に繋がりがあればいいんだけれど、

意識している間は繋がらない。

死んだ頃、やっとつながるんじゃないかと思うね。」

 

1982年 2月8日 

 

 

 

 

普通日本画は、デッサンや下絵を繰り返し、所謂「清書」としての本画を仕上げてゆきます。

高山さんは、そのデッサンや下絵をほとんど描かなかったようですが

なるほど、展覧会などでも余り丁寧なスケッチを見かけることはなく

先日の展覧会に展示されていた植物のスケッチも、お上手ではあるけれど

余り高山辰雄らしさを感じる事はありませんでした。

 

「もがき」

やはりこの言葉に、高山辰雄作品の魅力が隠されているように感じます。

人間ならば、誰もがそれぞれの生を引き受けて、前回の加藤登紀子さんではありませんが、

もがき苦しみながら生きているのだと思います。自分の舟を漕ぎ続けるのです。

そのもがきを人前にさらけ出さない、さらけ出したくないという感覚を日本人は多く持っているとも

思えます。

もがき苦しんで、今はここまで登って来ましたという結果を主に日本画家はその画面にある種の崇高さを持って提示し、観るものはその気高さ、謙虚さに胸を打たれます。

日本人として体に流れる美徳の血が騒ぎだすのです。小林古径などの作品がその最高峰に

有るでしょうか。(勿論その先を古径は求め続けていました)

 

高山辰雄は、その美徳の先にあるものを従来の道筋を歩まず、探そうとした貴重な日本の近代日本画家です。

もがきの川の底に眠るものを探りながら、漕ぎ続ける人間の根元的な営みの不思議を問い続け、

その筆には必然的に人間への深い慈しみが宿って行きました。

高山は‘もがき’の清書をしませんでしたので、時々、というか60代を過ぎるまでの

作品は難解で、今その作品に直面しても「なんのこっちゃ?」ということも多くありますが

私は、いつかきっと魂の世界で、また高山先生とお会いする事があったら

「先生の70歳におしゃっていた通りになりました。先生が亡くなってしまわれた後、

先生の作品は年々多くの人と繋がっていきます。しかも、深く繋がっていきます。

美の本質に触れさせて頂いたおもいです。」と申し上げたいと思っています。

 

 

そして、生きて居る間に東京の有力な画商さんの目を盗み、

高山作品を沢山扱わせていただいて、多くの皆さまとの繋がりを深く感じさせていただきたいと念じています。

 

   

身のまわりの全てのものをアトリエに持ち込み、

誰の為でなく、まして自分のためなどでなく、大好きな絵を描く事だけを己の生の証とした

九州男児らしい画家、高山辰雄のアトリエご紹介を最後にこの「アトリエの画家たち」の

ご本のページを閉じさせて頂きます。

 

今回も勝手なことばかり書かせて頂きました。

ブログをお読みくださる皆さまに、いつも心より感謝致しております。

今日は、最もお暑くなるそうです。皆様のおさわりない1日をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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