展覧会用の山口薫作品は、先々週の週末に一気に当店に並べていきだきました。
そして、先週はほとんどご来客もなく、ブログの更新も最低限にさせていただき、私はひとり展覧会の準備を整えながら、山口薫の作品にどっぷりと浸らせていただきました。
この店に移店してきてのは10年前のことです。そしてその記念として最初に開かせていただいたのが秋の「無眼界展 むげんかいてん」でした。
その夏、佐橋は常用していたお薬の副作用で急に視界を遮られるような症状に悩まされました。病名としては緑内障でしたが、当初は治療も進まず不安を抱えながら仕事をさせていただいていました。
当店が一階をお借りしているこの「高岳院ビル」は徳川家康の八人目のお子さんの菩提寺である高岳院さんがオーナーでいらっしゃいます。当時は7000坪にも及ぶ面積を保有されていた寺院の敷地内でこれから仕事をさせていただくという思いから、般若心経のなかから何か言葉を展覧会名にしたいと思ったとき選んだのは「無眼界」という言葉でした。たとえ眼が見えなくなっても。。そんな気持ちも込めていました。
一週間の25点に及ぶ薫作品との対峙は、夢のようなひとときでありながら山口薫が好きであった佐橋の事は勿論、沢山のことを思い出してしまう辛い日々でもありました。
ただ不思議なことに、この展示をさせていただいていると、まだ作家名も作品のタイトルも表示させていただいていない店の前で、「若者」が足を止めてくださることが多くなりました。
現代社会の一番のかなしみは、人が言葉に頼りすぎてしまっていることではないでしょうか。
以前なら口語と文語の区別があり、言葉はそれぞれの役目を果たしてくれましたが、いま文語調はお仕事の際に形式的に使われる程度です。
人は、形には見えないもの、言葉にはできないものを沢山抱えて生きます。
その形にはならないものを絵という形に表現するのが画家であり、その苦労を一心に深く受け止めようとしたのが山口薫という画家であったと思います。
梅原、安井、金山、、大家達がいとも簡単に引き受けた仕事を、「現代」につなげていこうとするとき、逆にその「時代」が山口薫を苦しめたということがあった気がしています。
多すぎる言葉に埋もれていきそうな自分の心を、薫は絵や時には詩にかき残しました。
土曜日の幼稚園の運動会では、孫の参加していない演目でも感動して沢山泣けました。
いつの時代もそうであったように「これからの人」が何も気づかずに「その時代」に苦しんでいるのなら、今までを生きてきた私たちは密かに黙って、それでも微笑みながら彼らを見守ろう。
頑張れ!とか大丈夫できる!とか、陽気で単純な励ましてでなく、お一人お一人のお心に響く作品をご紹介しよう。
山口薫は全てに応えてくれる。
この一週間に感じられた全てを明日からおよそ2か月間、皆様にお伝えして参りたく存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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