つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

遅きに失する?

2024年01月19日 | 村上華岳
昨日は雨のせいか?気温が少し上がったように感じられ「店でコートを着る」ということもなく、また幸い小雨で済んだので、風呂敷に包んだ作品の返却も義娘の運転のおかげで無事に済ませることができました。

我が家のお嫁さんのことを「義娘」、義理の娘と書くことにずっと抵抗がありましたが、今実際に私の仕事が成り立っているのは彼女の献身的なサポートのおかげであり、3歳とまもなく1歳を迎える幼い人たちのお世話をしながら、店や私のことに心を砕いてくれる一人の若い女性に、私はまさに恩情を深く感じています。

女性同士。

血のつながりのある母親と娘より、側にいてお互いの人生を見守りながら共に年月を経ていく姑と嫁の関係の方がより人間的なつながりに生きていけるのではないか?とこの頃考えます。

任侠映画の見過ぎ?(笑)かもしれませんが義理、人情の世界に生きるという大切なことをこの「義娘」という文字は私に思い出させてくれるのです。


ブログに、どのような方たちがお立ち寄りくださっているかはよくわかりませんが、毎日何人ほどの方が訪問してくださっているかは、書き手の私に情報が入るようになっています。

昨年夏以降、年末まではびっくりするようなアクセス数もみかけましたが、最近では「以前と同じ」ほどの皆様にこちらにお立ち寄りいただいているのがわかり、ほっと安心しています。

「夏美さんは、お店をどうするつもりなのだろう?」
ブログをご覧くださるみなさまにも、ずっとそんなご心配をおかけしてきたことと思います。

私自身がずっと「混乱」のなかにあり、そのご質問にお答えすることもできませんでした。

たとえそれが店の営業として「遅きに失する」ことであっても、私は自分の身の上に起きたことに、どうしてもしばらく佇むしかなかったのだと思います。



2月半ばより展覧会を開かせていただこうと思っています。

その内容などについては、また少しづつ書かせていただきたいと思いますが、
今朝早く目が覚めてしまってお布団の中で気になる動画をみていますと「稼ぎ」と「務め」は別物であるという言葉に出会いました。

稼ぎと務め。

私はまさにこのことにも立ち止まっていたのだということに気づきました。


定年の歳、61歳のお誕生日を迎える直前に佐橋とお別れをしなくてはいけなかった私には「何のために仕事をするのか?」がとても重く、或いはとても意味の深い課題となりました。佐橋の残した宿題さえ片付ければ、わずかな年金をあてにしてこれから先を暮らしていくことはできそうです。






しばらく飾っていなかった華岳の白椿を今日店に出たら、土壁の部屋に掛けて眺めてみようと思います。

華岳にとって、絵を描くことは稼ぎであったのか?果たして務めであったのか?そのどちらでもない世界に苦しみ、何かを夢見ていたのか?
また感じ、考えたいと思っています。

ぼんやりとですが、見えてきたものもあります。

そんなこともブログを書かせていただけるよう、とりあえず今日の暮らしと仕事を大切に過ごしたいと存じます。






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