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三日間のお休みをいただきました。当店の展覧会の会期中はおうちのことを放ったらかしにしてしまうので、お掃除やお洗濯など最低限の片付けをしました。
ぎっくり腰依頼、お休みをしていた毎週一回のオンラインでのヨガのレッスンも受講できました。
そして、これが私個人としてはなかなかの進歩だと思うのですが、およそ2年ぶりに筆を持って文字を書きました。
5年近く通った書道教室では、偶然なのか必然だったのか先生にお願いをして写経のようことをしていました。
写経といっても、信仰心というより憧れ的な理由によるものですが、その続きを書き進めてみたいと昨年末から考えるようになったのです。
恐れ多くも国宝の法華経方便品。
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蝶や草花の下絵が美しい法華経で、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)に伝わったことから「竹生島経」と呼ばれています。 もとは、法華経8巻が揃っていたはずですが、現存するのは、ともに第1巻であったこの「方便品」(ほうべんぼん)と、竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)に伝わる「序品」(じょほん)の2点だけです。 平安時代後期になると、法華経を単に書写するだけでなく、贅沢な料紙を使って美しく飾った装飾経を制作することが、極楽往生を遂げるための功徳になると考えられました。 竹生島経も、そうした願いをこめて作られたものです。金の罫線がひかれ、蝶、鳥、草花、霊芝のかたちの雲などの大ぶりな下絵が、金や銀で描かれています。銀の部分は酸化して黒くなっていますが、作られた当初の銀色に輝いていた様子を想像してみてください。 巻末に、「寛永の三筆」のひとり、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)(1584-1639)が、源俊房(みなもとのとしふさ)(1035-1121)筆とした鑑定書があります。その確証はありませんが、法華経の本文は、いかにも端正な和様の書で、平安時代を代表する装飾経の一つです。
佐橋とお別れをしていてから以前良いと思っていたもの、美しいと思っていたものがそうでもなく感じることが多くなっていたのですが、久しぶりに観るこの画像にあらためて感動し、プリントアウトし直しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/92/40b04beab0c3a2fce1b5bad128d1d0d7.jpg?1739327571)
とはいえ、2日も家に1人籠っていると全く脚力が弱ってしまうので、昨日は愛知県美術館で開催中のパウル・クレー展に出かけて参りました。
今回はパウル・クレーだけに焦点を当てるのではなくその創造の過程で出会った仲間達の作品の紹介や交流を主に展覧が進められています。
久しぶりにクレーの作品をいくつか観ることができましたが、やはり基本的に人間としての純粋性に魅力のある画家なのだと実感しました。
今回の愛知県美術館さんのパウル・クレー展の主題にクレー自身の言葉が掲げられています。
「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから」
愛知県美術館は名古屋栄にあるので、当店から歩いて出かけることもできます。
パウル・クレー展を拝見してから、少し用があり店に寄ってみると、福井の雪景達が私を迎えてくれました。
そして、ひたすらに、私は日本に生まれて幸せだったなぁと感じられました。福井展の企画中にクレーの展覧会に伺ってよかったとつくづく感じました。
「たとえば人間は死んでしまうと形がなくなって、土の中に帰ってゆく。形あるものはすべて、いずれは土の中に消え去ってゆく・・・。そういう考え方で絵を描きたい。これが私の気持ちだった。」
パウル・クレーの言葉と福井良之助の言葉。
そして、平安の時代に書かれた文字たち。
辛さに見失いそうになっていたものを、いま少し取り戻せたような気が致しました。それが錯覚でも、夢と消える短い時間であっても、「美」について、再び静かに見据えていきたいと思います。
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