つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

水仙

2024年04月05日 | 冨田渓仙
桜が開花するころになって、佐橋の植えた水仙が全て咲きそろいました。
今までで一番お花が沢山咲いてくれました。けれど、ここのところの変わりやすいお天気で、咲きそろった翌日、大雨でそのまま地面に倒れてしまいました。



昨日ちょうど孫が店に来てくれたので、お願いをしてお花を切ってもらい、店に飾りました。

3歳9か月の男の子と1歳と1か月の女の子。
そうお伝えするだけで大変だと💦お分かりいただけると思います。





鳥海作品はまだ引き上げていただいていないので、店に飾ったままですが、せっかく桜が咲き始めるのだからと応接室にこっそり、入江波光の「鴛鴦」を飾り眺めていました。

孫は二人とも不思議に直接作品に触ることはありませんが、飛ばした風船がお軸に当たりそうになったので、私が慌ててお軸を巻くと、興味津々の男の子が「ぼくもやる!!」といつものきめ台詞を発しました。

子供は棒がすきですよね。この子ばかりでなく、1歳の女の子もいつもこの矢筈を持ちたがります。



赤ちゃんの頃から触れていたこの竹の棒は「こうやって使うのか!」と知った男の子が、「ぼくもやる!」と言い出さないわけがありません。

見られてしまったらには仕方ない。
「ダメ!」と叱るのは簡単ですが、それではつまらない。
それよりもその代案を考えてあげなくては!



そして思いついたのが、この殻(がら)です。
これは当店の富田渓仙の「寒牡丹」をパネルに作り直した際にのこった
お軸の抜け殻です。



お軸を額やパネルに作り直す際には、ご希望によってですがこの殻もお客様にお納めするようにしています。もう一度軸装に直したいとき、ほかの絵をこの表装に変えたいときなどにお使いいただけるのです。

多少乱暴に扱っても作品がないので安心。
孫は「あら?」と不思議そうに軸のあなぼこを眺めながら、それでも椅子の上に立って、矢筈を天井に向けました。

さすがに3歳では小さくて、椅子に乗っても軸のひものかかっているところ矢筈の先をひっかけることができないので、私も手伝ってお軸を下におろしました。孫は大満足。

「今度はこの穴にサイチ君の絵を飾ってみようか?」と私が提案すると、さすがに意味がわからずにキョトンとしていました。

一緒に来て私の入力作業を手伝ってくれている義娘は子供たちの遊びに「やめて~」といつもハラハラしてくれています。それでも、私にはこの時間がとても貴重で、また、美というものを考える良い機会を与えて貰っています。


子供たちは大事なものとそうでないもの?の区別なんてつきません。
けれど、なんとなく「おばあちゃんが大事にしているもの、きれいねぇ~ていってるものは大事なんだろうな」という事はわかってくれているように思います。

結局、美意識というのは、そういう風に受け継がれていくように感じます。

迎え入れる前はそれなり準備をしていますが、まぁ、いつか何かを壊したりする日も来るかもしれません。でも、それは彼らの責任でなく、すべて私の責任です。

孫たちには何か形を残すということではなく、佐橋と私が何を大事にしていたか?を優しく伝えていきたいと思っています。









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どこから?3 今泉篤男著作集

2024年04月03日 | 梅原龍三郎
結局ですね~私は梅原の章を一番初めに読み、次に岡鹿之助→金山平三→熊谷守一→楽しみに後にとっておこうと思っていて、とうとう我慢しきれなくなって山口薫→小磯良平→小絲源太郎の順に読みました。これから脇田和に入ります。

大変参考になったのは、やはり梅原と守一でしょうか。

梅原の章のつづきから

梅原が何よりも信頼しているものは、自らの体質、自らの感覚、おのれの天分である。というのは結局は、梅原は自分の仕事を観る人たちを最も信頼している画家だということにもなるわけだ。すぐれた芸術の作家は、すべて自分の仕事が人から理解されるかされまいかなどという疑いを抱くまい。そういう疑いを抱かないこと自体が天分本来の条件である。自分を納得させるためにやっている仕事であってみれば、人を納得させるかどうかの疑いは問題の外だ。その少しも危惧するところのない自己信頼の力が人々の信頼に呼応するのである。
人々はその信頼の虜になる。人々の心にはすでに帰依の微候が萌す。帰依するものにとっては、梅原の芸術は闊達無障に歩き出せば出すほど、いかにも無縫のものに見えてくる。梅原の芸術をめぐっておこなわれるおびただしい礼讃は、すべてその帰依の言葉である。全く見当違いの礼賛の言葉でも、もっともらしい嘆賞の言葉でも、ひとしく帰依の言葉であってみれば、言葉の内容などはどうでもよいのだ。

この著作のなかで今泉氏は自らも梅原の芸術に帰依してみようと決意をします。その作品を愛してみなければ、結局梅原の芸術を理解することも解釈することもできないと述べています。

梅原の作品を毛嫌いする人は、梅原が何も考えずただ才能に従って簡単に、自由気ままに、作品を仕上げていることを想像しているように思います。確かに作品からそう感じることもあります。そして私もずっとそう思っていました。けれど、実際に梅原の作品と暮らしてみると、きっと梅原には梅原なりの人としての苦しみもあったのだろうと思えてくるのです。

梅原は69歳の時、フランス文学者であった39歳のご子息を喪っています。また夫人が急逝された際には表立って誰にも頼らず荼毘に付し、その火葬場にも行かず、自宅に戻った夫人の遺骨が花に埋もれている様子を大きな画布に描き続けたと今泉氏は紹介しています。梅原なりの鎮魂の作業であり、その後少人数で夫人を偲ぶ食事会を催された際には、「私は不人情者だから、少しでも早くこの気持ちを思い諦めて、絵を描くことに没頭したい」と泣きながら挨拶をされたと書かれていました。

「思い諦めて」
そんな言葉を、普段何も考えていない人が口に出せるでしょうか?

梅原龍三郎という画家は、「真理」の近くにいた人だということが、「不人情だから」「思い諦めて」という言葉だけでも感じられるように思います。真理というよりは「自然の摂理」といった方がぴったりくるかもしれません。

今泉氏は梅原に帰依するとしながらも梅原がその才能をやたらに浪費しているように思えてならない。梅原の仕事に本質的な意味での進歩はあったのか?と書いています。

多くの画家がその画業を通し、精神を磨き、段階を経て真理に一歩づつ近づくというイメージが、美術評論というジャンルを育てたと言ってよいように思います。が、結局は真理に近づく作業というのは、「自分を諦めていく」ということ。

梅原のあの一気呵成の筆のリズム感は、この諦める力の強さと無関係ではないように思えます。普通の画家が画業を通して得ていくその諦観を、梅原はすでに持っていたといえるように感じるのです。だからこそ、梅原の作品には評論は要らないのです。




画家梅原龍三郎は、自然から触発されることなしには絶対に制作しない。何千枚の薔薇図を描いてきた現在でも、また新たな薔薇の実物を眼前にしなければ薔薇の絵を描こうとしない。自然から触発されることが、この画家にとって絵画表現の永遠の大道なのである。


梅原の作品と暮らしていると、その温かさにどっぷりと浸っている自分に気がつきます。 梅原の描く自然観に癒されるのです。
私には、今のこの悲しみを梅原のように一気呵成に「思い諦める」力など無いけれど、こうして梅原の作品に温かさを感じられているうちは、きっときちんと自分の悲しみを見定められているだろうと信じ、いつかこの悲しみが静かで美しい姿に変化してくれるよう祈りたいと思っています。

またこの著作集については折に触れて、書かせていただきたいと思っています。よろしければ、お付き合いください。














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どこから?2

2024年04月02日 | 梅原龍三郎
今泉篤男さんの著作集をどの章から私が読み始めたか?について先日記事を書かせていただきましたところ、コメントをいただくことができました。

とても面白く読ませていただきましたが、そういえば!!先日ご来店くださったときに後輩のKさんに、梅原の作品のことをお話したなぁと思い出し、
もうネタバレの記事であったか‥と少しがっかりいたしました😢ですので
早速正解をお知らせいたします。



そうです。正解は梅原龍三郎の章からでした。

若いころからずっと梅原龍三郎より安井曽太郎の作品の方が好きでした。もちろん今でも安井は憧れの画家ですが、年々梅原の魅力を感じられるようになり
自宅にも今梅原のホノルルを描いた水彩画を飾っています。またミニの裸婦も毎日見ています。

魅力は感じていても、どういうわけか?梅原の作品について記事を書かせていただこうとすると、言葉が出てこないのです。天衣無縫とか、梅原の人物の大きさ的なことはいくつも思い浮かびますが、梅原が何を描いていたのか?結局よくわからずにきました。ですから、今泉氏がどんな言葉を使ってこの画家をとらえるのか?大変興味がありました。

以下今泉氏の文章

梅原の作品の前で、私は自分の理解し得たと考えている要素から出発して、何か解釈の埒外に出た抵抗にぶつかる。その抵抗は、私にとって梅原の絵の中で一番魅力なのだけれども、何だかよくわからない。いやあまりはっきりわかろうとなどしたくない魅力なのだ。

Kさんに梅原についてお話したのは、佐橋を喪ってどんなに悲しくても、絵だけは毎日しっかりと見ておこう!と心に決めたことでした。当初すぐに目に留まったのは当店の牛島憲之の「初日」という作品でした。とても静かで心を落ち着かせてくれました。今泉さんの著作集によると牛島は坂本繁二郎に大変憧れをもっていたとあります。なるほど、「静謐」ということばは坂本についての方がぴったりときます。

梅原の作品ははじめ牛島ほど何も応えてくれませんでした。けれど、別に嫌な感じもしませんでした。ところが、昨年、夏が近づいた2週間ほどだけなんだかとても梅原を見るのが辛くなりました。「私を馬鹿にしているの?」と思いました。

身近な人を失って月日は過ぎていけば楽になることもあるかと思っていましたが、それは大きな間違いで、月日が経つほど苦しくなることもあるのだとわかり始めたのはお盆を過ぎたころです。そして、そんなどん底にいたときに、ふと梅原が温かい目を向けてくれていると気づきました。

梅原については色々は評論があります。沢山は読んでいませんが、梅原の天才性は揺るぎない美への直観力、絵画的、色彩的感覚にあるのだということはわかりました。梅原が薔薇をみるとき、その薔薇はもう絵画になっているのです。

けれど。。それだけが梅原の魅力ではありません。

今泉氏も梅原作品への評論が実に難しいと書いていることに大変安心しました。そして、何年かをかけて梅原作品について述べられつづけ、やがて梅原の作品への決着を「愛憎」の問題としています。
つまり、梅原へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか?どちらかだということだろうと思います。

「愛憎」まで掘り下げられたら、確かに梅原の作品について何も言えなくなってしまいます。私はなるほど~と感動し、しばらく他の章を読めなくなりました。


つづく








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本棚

2024年04月01日 | 佐橋美術店よりのお知らせ
思春期の頃はあまり自分が変わっているとは思いませんでした。けれど、学校生活には幼いころから強い違和感がありました。ですから、本はいつもそばにありました。

大工の父は大学には何か手に職をつけるために行くものだと言っていたので、文芸学部への進学を反対されるだろうと思っていましたが、「自分の考えていることを言葉にできるようになるのは良いことだ」と賛成してくれ、しかも大学では運よく素晴らしい先生に出会え、色々なことに救われました。

そのために益々、何か資格を取りたいとか、手に職をつけたいとかそういうことは要らないと考え始めていましたが、ただ生まれつき記憶力がひどく欠如しているので、「調べること」を頼りに生きるしかなく、図書館司書の教育課程だけは取りました。

就職先で出会った佐橋は私より何倍も本が好きでした。亡くなる直前まで一度に3、4冊の本を平行読みしていました。

ですから、漫画をはじめ自宅にもこの店にも本はいっぱいです。

店の本棚はこの頃全く整理していませんでしたが、先日求めた著作集のおかげでやむおえず、、図書室の整理に手をつけはじめました。

美術品に関わる著作だけでなく、まぁ~色々な本が図書室にはあります。






こちらの本は、ひとつは表装屋さん?の本も交じっていますが、全て画商さんが書かれた本です。

眼一筋
画商一代記
洋画商
発句一代

いかにも画商さんらしい本のタイトルですね。まさに勝負師?相場師?を連想させる言葉選びです。この著者の方達のご活躍は当時東京で見させていただいていましたので、私はこちらの本をあまり詳しく読んでいませんが、昭和の時代は画商さんにとって良い時代だったのだなぁと今つくづく思っています。


発句。ホックというのは美術品の市場、交換会で出品作品に対して最初に主催者が設定する価格、つけ値を伝えるため声のことを指します。この最初の一声で、競りの行方は如何様にも変化します。落札価格も大きく変わります。この交換会が盛況であればあるほど、相場を動かしているという実感も大きくなるのだと思います。交換会の会主としての画商の一生、例えば「発句一代」はそんな内容の本だと思います。

一口に画商といっても、その仕事にはいろいろな形があり、感じるステータスも色々だと思います。どの本も少し「癖」はあると思いますが、お通いくださるみなさまでしたら、本をお貸しすることもできますので、よろしければお読みになってみてください。










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