2008年2月2日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/45/36.869,140/8/30.941&scale=500000)
2日目のスタートは、北総鉄道千葉ニュータウン
中央駅。昨日よりもメンバーが増え、9時10分に
スタートした。
南口の新しい商業ビルや住宅地を少しで、県立
北総花の丘公園へ。斜面林に沿って遊歩道が続き、
斜面林下には南北に長い戸神川調整池がある。
鳥の観察舎が見えたので下りてみた。調整池に
はカモがたくさん泳ぎ、対岸の木々が真っ白にな
っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d7/41ff707320bad6e10395feec6a290514.jpg)
何の仕業なんだろうか。
住宅地の南側に回ると、畑で作業をしている人
がいた。そばに積んであるのはワラと馬糞で作っ
た堆肥だという。
後から来た新住民から、市役所を通してネギの
消毒剤の匂いなどについての苦情があるとか。
「もう長くは農業を続けることができないだろう」
とも言った。
調整池の木が白いのは、カワウの糞だと教えて
くれた。
公園の南端まで行ったが、その先に下る道がな
い。雑草地を下って斜面林と田んぼの間の土の道
に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/36/9c68d49d2bf23333966692703403f383.jpg)
戸神集落の手前で戸神川を飛び石で渡り、新し
い道路の高架橋下を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/de9cd4eea8475413c4b47454ed9f9ea7.jpg)
斜面林と田んぼの間を南東へ、竹林などの間を
抜けて船尾集落の火の見やぐらそばに上がった。
船尾交差点先の宗像神社で最初の休憩。境内は
カシなど豊富な広葉樹林に囲まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/56/bfcf148047cb91d8519f6bb4b874e8a8.jpg)
そばの三差路に、変わった姿の女人講碑があっ
た。新しい船尾コミュニティセンター前を通過、馬場
(ばっぱ)集落から谷地田の先に進んで、新しい道
路が開通した中郷集落へ。
旧道筋に古い3体の庚申塔が並ぶ。ひとつには
明和元年(1764)と刻まれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f9/7b463c7eb20cdc7115bce0a19fc5865a.jpg)
旧道際にあった多門院に入る。方形屋根の趣あ
る毘沙門堂があり、堂内の木造毘沙門天と両脇侍
立像は鎌倉期のもので、千葉県文化財に指定され
ているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/90/324a7996d70392e401d6a343cb39ddc1.jpg)
境内には大イチョウや桜の古木があり、印西大師
50番札所になっていた。
そばの家で放し飼いの10頭前後の犬がいて、さ
かんにほえ立てる。
畑の間の農道を進むと、珍しい名の火皇子(ひの
おうじ)神社の前に出た。参道の両側はツバキの
古木に覆われていた。
その先で道が途切れ、針葉樹林を下って谷地田
に出て、印西市から印旛村に入った。東側の台地
上は林。林の中をやぶこぎして畑の間を貫く土道
の車道端に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/1df97a897007db93aead0f56d05fe610.jpg)
西側眼下に茫々(ぼうぼう)とした田園が見下ろ
せる。
携帯電話のアンテナ塔横を通過し、泉ゴルフ場の
南側の車道に出て、入場集落に入る。路傍に古い
庚申塔が15基ほど並んでいた。
正午過ぎ、近くの萬福寺へ。本堂はコンクリート製
の近代的な建築。南側にあった古いお堂の周辺で
昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f4/be7d8474f761dadd3fd690fd29c8599d.jpg)
背後を豊富な広葉樹林に覆われ境内には、新し
い「洗い観音」などがあり、庭もよく整えられていた。
校倉造りの別荘風建物など豪邸のある家の先で、
ちょっとやぶこぎをして東場集落へ。嵯峨野を思わ
せる竹林の間などを進んで集落を東に抜ける。
次の谷地田の間を流れる小川は一本橋で渡った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/50/c262aadfe52e474eeffd7c2b60a2ae41.jpg)
新しいグランドの西に回り、台地上の西川を目指す。
ここでも林を抜ける土道が途切れ、畑のあぜをう回
する。
西方に続く中里集落の泉福寺に入って休憩。境内
に重厚なかやぶき屋根の薬師堂が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/30/111f9d7ff57288e7602c8c8ddd2ab4db.jpg)
弘治2年(1556)に焼失後、再建と伝えられ、室町
時代末期のものと推定されるとかで、県の重文に指
定されている。
境内に樹木は少ないが、イチョウの古木が4本あり、
印西大師74番の小さいお堂もあった。この寺もそ
うだが、昨日回った寺も真言宗が多く、各々の境内
には四国霊場などの巡拝記念碑が幾つか並んでいた。
南北に走る車道の東に進むと、太い桜をまき割り
しているご夫妻がおられた。聞くと、イノシシの燻製
造りに使うとのこと。桜のまきがよいのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8a/c99ac178fea6f3a861caa98225ea10c8.jpg)
ご夫妻は専業農家だが、この集落300戸中に専
業は8戸のみ。だが経営が苦しいので、どこも後継
者が居ないと嘆いておられた。
いま、中国産ギョーザの薬物中毒問題で揺れてい
るが、日本の食料はどうなるのだろうかと改めて考
えさせられた。
崩れ落ちそうなかやぶき民家があり、その先の6
差路のケヤキの古木の根元には、3体の古い石仏
が並ぶ。
小さいお堂もあり、この辺り、昔のままのたたず
まいをよく残している。
6差路を南東に下る道すじにも、かやぶきの民家
があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/47/ad7e44929494526ecc047fc18cbcbc12.jpg)
印旛沼に注ぐ師戸川沿いの谷地田に下り、中橋を
渡る。東側の台地下を回って西谷集落に上がった。
りっぱな長屋門の渡辺家前を通過し、廣福寺に入っ
て小休止。ここも真言宗で、修行大師(弘法大師)像
が立っていた。
奈良戸集落の宗像神社や朝園寺の横を回って、川
岸集落へ。印旛沼の北岸台地にあった県立印旛沼
公園に入った。
千葉氏の一族、臼井氏の居城である臼井城の支城
として14世紀に築かれたという師戸(もろと)城跡。
園内には、芝生広場や自由広場、花木園などがあ
り、西端の展望台からは、広々とした印旛沼が見下
ろせる。
廣福寺にザックを置き忘れて戻ったSさんも追い
ついて記念撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/57/bb5b18142799cf2f06a641bdee2e3826.jpg)
本日の参加者はカメラの私を含め8人である。
今日の歩き旅も最終コースに入った。印旛村と佐
倉市の境界になるを印旛沼の舟戸大橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/64/aee7d97e84a0d80679f70fe29703fd2c.jpg)
車の交通量が多いが歩道はない。こんなうっとう
しい道は今日初めてだ。
橋の南、最初の分岐を右に入り、八幡台1丁目から
舟戸へと旧道を抜け、臼井城址公園に上がる。城の
説明板などは見あたらなかった。
宿の住宅地から坂を上がって雷電為右衛門顕彰碑
をさがす。最初の妙法寺には無く、西に回って少し
下った、幼稚園を経営する妙覚寺前に堂々たる碑が
立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/bf/46b0a9cfdfcd2cc7c287abdca2d2084b.jpg)
雷電為右衛門は、江戸時代の寛政(1789~)から
文化(~1818)年間に無敵をうたわれた名大関(当
時は横綱はない)。等身大画像に書かれた文字は
佐久間象山の筆だという。
そばに手形もあるが、大柄のSさんでもはるかに
かなわぬ大きさだった。
妙法寺の東まで戻って国道296号に出て、宗像寺
近くの建物の横にあった細い抜け道を上がる。稲荷
台1丁目の住宅地を進んで、16時50分に京成臼井
駅に着いた。
(天気 曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 白井、小林、
佐倉、歩行地 印西市、印旛村、佐倉市、歩数
26800)
2日目のスタートは、北総鉄道千葉ニュータウン
中央駅。昨日よりもメンバーが増え、9時10分に
スタートした。
南口の新しい商業ビルや住宅地を少しで、県立
北総花の丘公園へ。斜面林に沿って遊歩道が続き、
斜面林下には南北に長い戸神川調整池がある。
鳥の観察舎が見えたので下りてみた。調整池に
はカモがたくさん泳ぎ、対岸の木々が真っ白にな
っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d7/41ff707320bad6e10395feec6a290514.jpg)
何の仕業なんだろうか。
住宅地の南側に回ると、畑で作業をしている人
がいた。そばに積んであるのはワラと馬糞で作っ
た堆肥だという。
後から来た新住民から、市役所を通してネギの
消毒剤の匂いなどについての苦情があるとか。
「もう長くは農業を続けることができないだろう」
とも言った。
調整池の木が白いのは、カワウの糞だと教えて
くれた。
公園の南端まで行ったが、その先に下る道がな
い。雑草地を下って斜面林と田んぼの間の土の道
に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/36/9c68d49d2bf23333966692703403f383.jpg)
戸神集落の手前で戸神川を飛び石で渡り、新し
い道路の高架橋下を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/de9cd4eea8475413c4b47454ed9f9ea7.jpg)
斜面林と田んぼの間を南東へ、竹林などの間を
抜けて船尾集落の火の見やぐらそばに上がった。
船尾交差点先の宗像神社で最初の休憩。境内は
カシなど豊富な広葉樹林に囲まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/56/bfcf148047cb91d8519f6bb4b874e8a8.jpg)
そばの三差路に、変わった姿の女人講碑があっ
た。新しい船尾コミュニティセンター前を通過、馬場
(ばっぱ)集落から谷地田の先に進んで、新しい道
路が開通した中郷集落へ。
旧道筋に古い3体の庚申塔が並ぶ。ひとつには
明和元年(1764)と刻まれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f9/7b463c7eb20cdc7115bce0a19fc5865a.jpg)
旧道際にあった多門院に入る。方形屋根の趣あ
る毘沙門堂があり、堂内の木造毘沙門天と両脇侍
立像は鎌倉期のもので、千葉県文化財に指定され
ているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/90/324a7996d70392e401d6a343cb39ddc1.jpg)
境内には大イチョウや桜の古木があり、印西大師
50番札所になっていた。
そばの家で放し飼いの10頭前後の犬がいて、さ
かんにほえ立てる。
畑の間の農道を進むと、珍しい名の火皇子(ひの
おうじ)神社の前に出た。参道の両側はツバキの
古木に覆われていた。
その先で道が途切れ、針葉樹林を下って谷地田
に出て、印西市から印旛村に入った。東側の台地
上は林。林の中をやぶこぎして畑の間を貫く土道
の車道端に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/1df97a897007db93aead0f56d05fe610.jpg)
西側眼下に茫々(ぼうぼう)とした田園が見下ろ
せる。
携帯電話のアンテナ塔横を通過し、泉ゴルフ場の
南側の車道に出て、入場集落に入る。路傍に古い
庚申塔が15基ほど並んでいた。
正午過ぎ、近くの萬福寺へ。本堂はコンクリート製
の近代的な建築。南側にあった古いお堂の周辺で
昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f4/be7d8474f761dadd3fd690fd29c8599d.jpg)
背後を豊富な広葉樹林に覆われ境内には、新し
い「洗い観音」などがあり、庭もよく整えられていた。
校倉造りの別荘風建物など豪邸のある家の先で、
ちょっとやぶこぎをして東場集落へ。嵯峨野を思わ
せる竹林の間などを進んで集落を東に抜ける。
次の谷地田の間を流れる小川は一本橋で渡った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/50/c262aadfe52e474eeffd7c2b60a2ae41.jpg)
新しいグランドの西に回り、台地上の西川を目指す。
ここでも林を抜ける土道が途切れ、畑のあぜをう回
する。
西方に続く中里集落の泉福寺に入って休憩。境内
に重厚なかやぶき屋根の薬師堂が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/30/111f9d7ff57288e7602c8c8ddd2ab4db.jpg)
弘治2年(1556)に焼失後、再建と伝えられ、室町
時代末期のものと推定されるとかで、県の重文に指
定されている。
境内に樹木は少ないが、イチョウの古木が4本あり、
印西大師74番の小さいお堂もあった。この寺もそ
うだが、昨日回った寺も真言宗が多く、各々の境内
には四国霊場などの巡拝記念碑が幾つか並んでいた。
南北に走る車道の東に進むと、太い桜をまき割り
しているご夫妻がおられた。聞くと、イノシシの燻製
造りに使うとのこと。桜のまきがよいのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8a/c99ac178fea6f3a861caa98225ea10c8.jpg)
ご夫妻は専業農家だが、この集落300戸中に専
業は8戸のみ。だが経営が苦しいので、どこも後継
者が居ないと嘆いておられた。
いま、中国産ギョーザの薬物中毒問題で揺れてい
るが、日本の食料はどうなるのだろうかと改めて考
えさせられた。
崩れ落ちそうなかやぶき民家があり、その先の6
差路のケヤキの古木の根元には、3体の古い石仏
が並ぶ。
小さいお堂もあり、この辺り、昔のままのたたず
まいをよく残している。
6差路を南東に下る道すじにも、かやぶきの民家
があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/47/ad7e44929494526ecc047fc18cbcbc12.jpg)
印旛沼に注ぐ師戸川沿いの谷地田に下り、中橋を
渡る。東側の台地下を回って西谷集落に上がった。
りっぱな長屋門の渡辺家前を通過し、廣福寺に入っ
て小休止。ここも真言宗で、修行大師(弘法大師)像
が立っていた。
奈良戸集落の宗像神社や朝園寺の横を回って、川
岸集落へ。印旛沼の北岸台地にあった県立印旛沼
公園に入った。
千葉氏の一族、臼井氏の居城である臼井城の支城
として14世紀に築かれたという師戸(もろと)城跡。
園内には、芝生広場や自由広場、花木園などがあ
り、西端の展望台からは、広々とした印旛沼が見下
ろせる。
廣福寺にザックを置き忘れて戻ったSさんも追い
ついて記念撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/57/bb5b18142799cf2f06a641bdee2e3826.jpg)
本日の参加者はカメラの私を含め8人である。
今日の歩き旅も最終コースに入った。印旛村と佐
倉市の境界になるを印旛沼の舟戸大橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/64/aee7d97e84a0d80679f70fe29703fd2c.jpg)
車の交通量が多いが歩道はない。こんなうっとう
しい道は今日初めてだ。
橋の南、最初の分岐を右に入り、八幡台1丁目から
舟戸へと旧道を抜け、臼井城址公園に上がる。城の
説明板などは見あたらなかった。
宿の住宅地から坂を上がって雷電為右衛門顕彰碑
をさがす。最初の妙法寺には無く、西に回って少し
下った、幼稚園を経営する妙覚寺前に堂々たる碑が
立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/bf/46b0a9cfdfcd2cc7c287abdca2d2084b.jpg)
雷電為右衛門は、江戸時代の寛政(1789~)から
文化(~1818)年間に無敵をうたわれた名大関(当
時は横綱はない)。等身大画像に書かれた文字は
佐久間象山の筆だという。
そばに手形もあるが、大柄のSさんでもはるかに
かなわぬ大きさだった。
妙法寺の東まで戻って国道296号に出て、宗像寺
近くの建物の横にあった細い抜け道を上がる。稲荷
台1丁目の住宅地を進んで、16時50分に京成臼井
駅に着いた。
(天気 曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 白井、小林、
佐倉、歩行地 印西市、印旛村、佐倉市、歩数
26800)