あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

手賀沼から印旛沼へゴーゴー55㎞ウオーク(第2日)

2008-02-06 19:04:58 | ウオーキング
 2008年2月2日(土)



 2日目のスタートは、北総鉄道千葉ニュータウン
中央駅。昨日よりもメンバーが増え、9時10分に
スタートした。

 南口の新しい商業ビルや住宅地を少しで、県立
北総花の丘公園へ。斜面林に沿って遊歩道が続き、
斜面林下には南北に長い戸神川調整池がある。

 鳥の観察舎が見えたので下りてみた。調整池に
はカモがたくさん泳ぎ、対岸の木々が真っ白にな
っている。

 何の仕業なんだろうか。

 住宅地の南側に回ると、畑で作業をしている人
がいた。そばに積んであるのはワラと馬糞で作っ
た堆肥だという。

 後から来た新住民から、市役所を通してネギの
消毒剤の匂いなどについての苦情があるとか。
「もう長くは農業を続けることができないだろう」
とも言った。

 調整池の木が白いのは、カワウの糞だと教えて
くれた。

 公園の南端まで行ったが、その先に下る道がな
い。雑草地を下って斜面林と田んぼの間の土の道
に出た。


 戸神集落の手前で戸神川を飛び石で渡り、新し
い道路の高架橋下を進む。


 斜面林と田んぼの間を南東へ、竹林などの間を
抜けて船尾集落の火の見やぐらそばに上がった。

 船尾交差点先の宗像神社で最初の休憩。境内は
カシなど豊富な広葉樹林に囲まれている。


 そばの三差路に、変わった姿の女人講碑があっ
た。新しい船尾コミュニティセンター前を通過、馬場
(ばっぱ)集落から谷地田の先に進んで、新しい道
路が開通した中郷集落へ。

 旧道筋に古い3体の庚申塔が並ぶ。ひとつには
明和元年(1764)と刻まれていた。


 旧道際にあった多門院に入る。方形屋根の趣あ
る毘沙門堂があり、堂内の木造毘沙門天と両脇侍
立像は鎌倉期のもので、千葉県文化財に指定され
ているという。

 境内には大イチョウや桜の古木があり、印西大師
50番札所になっていた。

 そばの家で放し飼いの10頭前後の犬がいて、さ
かんにほえ立てる。

 畑の間の農道を進むと、珍しい名の火皇子(ひの
おうじ)神社の前に出た。参道の両側はツバキの
古木に覆われていた。

 その先で道が途切れ、針葉樹林を下って谷地田
に出て、印西市から印旛村に入った。東側の台地
上は林。林の中をやぶこぎして畑の間を貫く土道
の車道端に出た。

 西側眼下に茫々(ぼうぼう)とした田園が見下ろ
せる。

 携帯電話のアンテナ塔横を通過し、泉ゴルフ場の
南側の車道に出て、入場集落に入る。路傍に古い
庚申塔が15基ほど並んでいた。

 正午過ぎ、近くの萬福寺へ。本堂はコンクリート製
の近代的な建築。南側にあった古いお堂の周辺で
昼食をする。

 背後を豊富な広葉樹林に覆われ境内には、新し
い「洗い観音」などがあり、庭もよく整えられていた。

 校倉造りの別荘風建物など豪邸のある家の先で、
ちょっとやぶこぎをして東場集落へ。嵯峨野を思わ
せる竹林の間などを進んで集落を東に抜ける。

 次の谷地田の間を流れる小川は一本橋で渡った。


 新しいグランドの西に回り、台地上の西川を目指す。
ここでも林を抜ける土道が途切れ、畑のあぜをう回
する。

 西方に続く中里集落の泉福寺に入って休憩。境内
に重厚なかやぶき屋根の薬師堂が残っていた。

 弘治2年(1556)に焼失後、再建と伝えられ、室町
時代末期のものと推定されるとかで、県の重文に指
定されている。

 境内に樹木は少ないが、イチョウの古木が4本あり、
印西大師74番の小さいお堂もあった。この寺もそ
うだが、昨日回った寺も真言宗が多く、各々の境内
には四国霊場などの巡拝記念碑が幾つか並んでいた。

 南北に走る車道の東に進むと、太い桜をまき割り
しているご夫妻がおられた。聞くと、イノシシの燻製
造りに使うとのこと。桜のまきがよいのだという。

 ご夫妻は専業農家だが、この集落300戸中に専
業は8戸のみ。だが経営が苦しいので、どこも後継
者が居ないと嘆いておられた。

 いま、中国産ギョーザの薬物中毒問題で揺れてい
るが、日本の食料はどうなるのだろうかと改めて考
えさせられた。

 崩れ落ちそうなかやぶき民家があり、その先の6
差路のケヤキの古木の根元には、3体の古い石仏
が並ぶ。

 小さいお堂もあり、この辺り、昔のままのたたず
まいをよく残している。

 6差路を南東に下る道すじにも、かやぶきの民家
があった。


 印旛沼に注ぐ師戸川沿いの谷地田に下り、中橋を
渡る。東側の台地下を回って西谷集落に上がった。
りっぱな長屋門の渡辺家前を通過し、廣福寺に入っ
て小休止。ここも真言宗で、修行大師(弘法大師)像
が立っていた。

 奈良戸集落の宗像神社や朝園寺の横を回って、川
岸集落へ。印旛沼の北岸台地にあった県立印旛沼
公園に入った。

 千葉氏の一族、臼井氏の居城である臼井城の支城
として14世紀に築かれたという師戸(もろと)城跡。

 園内には、芝生広場や自由広場、花木園などがあ
り、西端の展望台からは、広々とした印旛沼が見下
ろせる。

 廣福寺にザックを置き忘れて戻ったSさんも追い
ついて記念撮影。

 本日の参加者はカメラの私を含め8人である。

 今日の歩き旅も最終コースに入った。印旛村と佐
倉市の境界になるを印旛沼の舟戸大橋を渡る。


 車の交通量が多いが歩道はない。こんなうっとう
しい道は今日初めてだ。

 橋の南、最初の分岐を右に入り、八幡台1丁目から
舟戸へと旧道を抜け、臼井城址公園に上がる。城の
説明板などは見あたらなかった。

 宿の住宅地から坂を上がって雷電為右衛門顕彰碑
をさがす。最初の妙法寺には無く、西に回って少し
下った、幼稚園を経営する妙覚寺前に堂々たる碑が
立っていた。

 雷電為右衛門は、江戸時代の寛政(1789~)から
文化(~1818)年間に無敵をうたわれた名大関(当
時は横綱はない)。等身大画像に書かれた文字は
佐久間象山の筆だという。

 そばに手形もあるが、大柄のSさんでもはるかに
かなわぬ大きさだった。

 妙法寺の東まで戻って国道296号に出て、宗像寺
近くの建物の横にあった細い抜け道を上がる。稲荷
台1丁目の住宅地を進んで、16時50分に京成臼井
駅に着いた。

(天気 曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 白井、小林、
 佐倉、歩行地 印西市、印旛村、佐倉市、歩数
 26800) 
コメント
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