あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第2日)

2008-03-11 22:51:58 | ウオーキング
 2008年3月3日(月)
 =JR常磐線土浦駅~高浜駅=



 LLウオーク2日目は、JR常磐線土浦駅から霞ヶ
浦の最西端をかすめて北東に向かい、霞ヶ浦の
北端に出て、二つ先の高浜駅までの予定。

 参加者4人は、9時10分に土浦駅をスタートした。
昨日見つからなかった、どら焼き屋さんを探そうと、
まずは桜川橋を渡る。
 
 橋のすぐ先、右手にそれらしい店があったが、閉
店していて看板もない。そばの電柱にあった「どて
きん」という小看板がどうもこの店らしいと分かる。

 桜川の右岸を1㎞ほど上流に進む。


 旧水戸街道の銭亀橋を渡って市街地に入り、水戸
街道の面影を探す。

 川に近い大町には、お茶屋さん、食品店など、昔の
ままの店構えが幾つか残っていた。


 高架の車道が走る大町交差点を経て大手町へ。

 この辺り、水戸街道は「中城通り」とも呼び、土蔵づ
くりの店などの古い建物が幾つもある。
      

 店の多くには、きれいなひな人形が飾ってある。そう
いえば今日はひな祭り。開催中の「第四回土浦の雛
(ひな)まつり」の最終日だという。

 その一つ、県指定建造物の矢口酒店に入る。店蔵
(みせぐら)と袖蔵(そでぐら)、奥には元蔵(もとぐら)が
あり、店蔵に七段飾りを中心に、何種類かのひな壇が
真っ赤な日毛氈(ひもうせん)の上に並ぶ。

 横には、かわいらしい吊しびなも下がっていた。

 さらにひな飾りの浮世絵も吊してあり、文政4年
(1857)に京都の狩野派の絵師に依頼して描いて
もらったとのこと。

 また、山東昭子参議院議員の祖母の家であること
も知る。

 大きな木の板に書かれた古い看板や、第二次世界
大戦中の名残の看板の残る店などもあり、当時の様
子がしのばれる。


 「土浦まちかど蔵」と呼ぶ土蔵づくりの店は、観光協
会の事務局になっていて、案内図やパンフレットなど
が置いてあった。

 近くの、水戸街道の標識横に並ぶ今日のメンバー。


 まちかど蔵の横の路地を北に入り、土浦城跡である
亀城公園へ。

 南の高麗門から入って内堀に沿って進み、東櫓(や
ぐら)、櫓門(上の写真)、西櫓などの遺構を眺め、東
側の霞橋に抜けた。


 城北町に出て北に向かい、新川橋を渡って真鍋宿
通りに入った。

 旧筑波鉄道(土浦~岩瀬間約40㎞)の廃線跡を活
用したつくばりんりんロードの横断地点には、新筑波
駅ホームが残っていた。


 この通りにも、商家だったらしい古い建物が幾つか
見られた。


 南北朝以前の創建で、近世には土浦城主歴代の保
護を受けたという観音堂のある、善応寺に上がる。

 堂々たる本堂の拝殿は精巧な木彫で飾られ、切妻
屋根の横の白壁も飾りつけられている。鐘楼もなか
なか見事な造り。


 そばに、寛文年間(1611~)から土浦城内の水道
として使われたという「照井の井戸」が残っていた。

 寺の前を走る国道354号を東に向かう。片側1車線
だが、車の交通量が多いうえ歩道が無く、歩く道では
ない。先を急ぎ、木田与(きだまり)三区で国道を離れた。

                       (続く)
コメント
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