あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第1日)

2008-03-10 23:07:31 | ウオーキング
 やまさんのLL(Lake to Lake)ウオークシリーズの第
3弾、3月は茨城県に移り、「南の牛久沼から北の涸沼
(ひぬま)までの88㎞はちはちウオーク」と名付け、3月
2日~5日の4日間に開催された。

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 2008年3月2日(日)
 =JR常磐線佐貫駅~土浦駅=



 初日は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅を出発して、牛久
沼、乙戸(おつと)沼を経て常磐線土浦駅までの行程。
参加者は8人は、9時5分に佐貫駅西口をスタートした。

 牛久沼に近い三峯神社には、鳥居のしめ縄に酒樽
などが吊してある。この地方の風習らしい。


 国道6号を八間堀堀のところで横切り、牛久沼の南
東端で記念撮影をする。


 牛久沼を左に見ながら国道6号を北へ進む。沼の
北側に筑波山の上だけが望まれ、沼の堤防には数羽
の水鳥が歩いていた。


 幾つかのうなぎ料理店の横を通過し、国道を2㎞近
くで左折して根古屋から城中町へ。古くからの集落の
中ほどで、河童碑の標識に従って進むと、小川芋銭
(うせん)記念館の雲魚亭があった。

 画家・小川芋銭は明治元年(1868)に東京赤坂で
生まれ、同4年にこの地に移住、明治26年(1895)
以後は、郷土の伝説に登場する「河童」や「水の精」、
「山の精」など幻想的な世界を多く描いたという。

 雲魚亭は、芋銭最晩年の昭和12年(1937)に
新築の、画堂兼居室。古稀の芋銭はここに移り住み、
「河童百図」の準備などにあたったが、翌年暮れに
没した。建物は、現在は牛久市が管理している。

 すぐ先は公園になっていて、樹間から牛久沼が見
下ろせ、園内のスイセンが花盛り。


 北側には、昭和26年(1951)に建立された小川
芋銭碑が立っていた。

 そばには、樹齢400を越すスダジイの古木もある。
ちなみにこの辺りは、かつて牛久藩(1619~1871)
の一部だったという。

 城中町の北端近くの得月(とくげつ)院は、芋銭作品
のモチーフにもなったという推定樹齢450~500年
のカヤの大木が目につく。

 本堂裏には、芋銭の墓もあるようだが、回らずに通
過した。

 下町を経て、旧水戸街道の名残の残る上町に入る。
郵便局のすぐ先、黒塀のりっぱな民家の前に、「明治
天皇牛久行在所(あんざいしよ)」の石碑が立っていた。

 街道の右カーブ点にある正現寺には、ちょっと変わ
った山門の前に露座の仁王が立ち、横に、小柄だが
文禄元年(1592)建立という旧観音堂があった。


 常磐線の次の駅、牛久駅に寄り、国道六号を少し
で左に入る県道206号へ。この先はつくば市になる。

 この近くにお住まいの山岡さんはとは、ここで分か
れる。山岡さんは国土地理院OBで、昨年「地図に訊
け!」を出版された。

 当ブログのブックマーク「おもしろ地図と測量」の作者
でもある。→http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/

 新興住宅地の続く高見原1丁目から3丁目まで進み、
つくば市と牛久市との市境になるアシなどの茂る雑草
地を抜ける。


 県道408号を横切り、大井集落に入った。小さい社
の八幡神社に「五十塚古墳群」の標識が立っていた
が、説明板は無かった。

 散在する大井集落の中ほど、畑の真ん中でポツンと
常緑樹やケヤキに囲まれた聖天神社に12時15分に
着き、昼食とする。

 この神社の鳥居にも、ワラでくるんだ酒樽のような
ものが下がっていた。

 昼食後、I さんのハーモニカに合わせ、皆で「早春賦」
など春の歌や、「高原列車は行く」など、懐かしのラジオ
歌謡を合唱した。


 近くの、やはり畑の中で大ケヤキやスダジイなどの森
に囲まれた小さな社の香取神社にも寄り、圏央道の西
側を北へ進む。

 次の樋の沢集落に入り、月読神社に参拝。山門のよ
うな十二脚の吹きさらしの建物が珍しい。

 趣ある本堂は、龍などの精巧な木彫が施されている。

社殿の裏手では、ご神木のスダジイの古木が枝を大き
く広げていた。


 神社の北を東へ下って圏央道をくぐり、並行する小野
川の月読橋を渡って左岸沿いに土手を進む。ホトケノザ
の小さな花が、あちこちにたくさん咲き競っていた。

 圏央道つくばIC横で川を離れ、北中島集落と田んぼ
の間を進み稲岡へ。つくば学園都市に通じる学園大通
りを横切り、小山田町を通過して乙戸沼のほとりに出た。

 沼のほとりにたくさんの桜が並び、花見の頃は賑わい
そうだが今は閑散としている。沼には、白鳥やカイツブリ
などの野鳥がおだやかな日和を楽しんでいる。
対岸の向こうに、筑波山がよく見えた。

 日帰り温泉、「仙の湯」などのある、「LAQSIA」と書か
れた大きなドーム型の建物の横を通過し、新興住宅の
散在する竹の入町から、旧水戸街道中村宿があったと
いう西根町一区へ。

 次の中村町一区には、りっぱは塀に囲まれた中村家
など、宿場の雰囲気がわずかに残り、崩れそうなかや
ぶきの廃屋もあった。

 東小の横を下って花室川に並行する国道354号に出
て、国道6号の中村陸橋下を東に抜け、花室川の沖田
橋を渡る。

 永国の台地下を常磐線の線路際まで行く。

 先に進めるか心配だったが、枯れアシなどの雑草地
のところに、人だけが抜けられるトンネルがあり、線路
の東に出た。

 気持ちよい林間を上がって小岩田の住宅地に出て、
小松ヶ丘町で堀割を抜ける常磐線の上を陸橋で西に回
る。近くには高い塀で囲まれた土浦拘置所が、住宅地
の北側には筑波山が望見された。

 土浦市役所の下を通過し、西から迂回してきた国道
に入り、山岡さんからお勧めのどら焼きの店があると
聞いていた桜川橋のそばに出た。

 しかし店は見つからず、橋を渡って市街地に入り、
16時45分に、土浦駅に着いた。

(天気 晴、距離 25㎞、地図 牛久、土浦、歩行地
 龍ヶ崎市、つくば市(旧茎崎町含む)、土浦市、歩数
 39400)
コメント (2)
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