やまさんのLL(Lake to Lake)ウオークシリーズの第
3弾、3月は茨城県に移り、「南の牛久沼から北の涸沼
(ひぬま)までの88㎞はちはちウオーク」と名付け、3月
2日~5日の4日間に開催された。
======================
2008年3月2日(日)
=JR常磐線佐貫駅~土浦駅=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/0/4.735,140/10/42.571&scale=1000000)
初日は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅を出発して、牛久
沼、乙戸(おつと)沼を経て常磐線土浦駅までの行程。
参加者は8人は、9時5分に佐貫駅西口をスタートした。
牛久沼に近い三峯神社には、鳥居のしめ縄に酒樽
などが吊してある。この地方の風習らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0b/7b09590cf4b430f594c266bd3df32545.jpg)
国道6号を八間堀堀のところで横切り、牛久沼の南
東端で記念撮影をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d4/c453c27699714bb936df9d5d184c976e.jpg)
牛久沼を左に見ながら国道6号を北へ進む。沼の
北側に筑波山の上だけが望まれ、沼の堤防には数羽
の水鳥が歩いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/76/3146052173debe5f92fbfbf6c3239fe6.jpg)
幾つかのうなぎ料理店の横を通過し、国道を2㎞近
くで左折して根古屋から城中町へ。古くからの集落の
中ほどで、河童碑の標識に従って進むと、小川芋銭
(うせん)記念館の雲魚亭があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/42/0ad773993c27a45fd7d41a3d93674364.jpg)
画家・小川芋銭は明治元年(1868)に東京赤坂で
生まれ、同4年にこの地に移住、明治26年(1895)
以後は、郷土の伝説に登場する「河童」や「水の精」、
「山の精」など幻想的な世界を多く描いたという。
雲魚亭は、芋銭最晩年の昭和12年(1937)に
新築の、画堂兼居室。古稀の芋銭はここに移り住み、
「河童百図」の準備などにあたったが、翌年暮れに
没した。建物は、現在は牛久市が管理している。
すぐ先は公園になっていて、樹間から牛久沼が見
下ろせ、園内のスイセンが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/68/2f72322ee1ca6c2d47be43b0b98c90d9.jpg)
北側には、昭和26年(1951)に建立された小川
芋銭碑が立っていた。
そばには、樹齢400を越すスダジイの古木もある。
ちなみにこの辺りは、かつて牛久藩(1619~1871)
の一部だったという。
城中町の北端近くの得月(とくげつ)院は、芋銭作品
のモチーフにもなったという推定樹齢450~500年
のカヤの大木が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/ed/21f9742a996ee75f67475891860107e8.jpg)
本堂裏には、芋銭の墓もあるようだが、回らずに通
過した。
下町を経て、旧水戸街道の名残の残る上町に入る。
郵便局のすぐ先、黒塀のりっぱな民家の前に、「明治
天皇牛久行在所(あんざいしよ)」の石碑が立っていた。
街道の右カーブ点にある正現寺には、ちょっと変わ
った山門の前に露座の仁王が立ち、横に、小柄だが
文禄元年(1592)建立という旧観音堂があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/b4/d68237c70fa778f866cd2bbc8765fe5d.jpg)
常磐線の次の駅、牛久駅に寄り、国道六号を少し
で左に入る県道206号へ。この先はつくば市になる。
この近くにお住まいの山岡さんはとは、ここで分か
れる。山岡さんは国土地理院OBで、昨年「地図に訊
け!」を出版された。
当ブログのブックマーク「おもしろ地図と測量」の作者
でもある。→http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/
新興住宅地の続く高見原1丁目から3丁目まで進み、
つくば市と牛久市との市境になるアシなどの茂る雑草
地を抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a7/7b9dda55e48156bcfd3ff9df58b26171.jpg)
県道408号を横切り、大井集落に入った。小さい社
の八幡神社に「五十塚古墳群」の標識が立っていた
が、説明板は無かった。
散在する大井集落の中ほど、畑の真ん中でポツンと
常緑樹やケヤキに囲まれた聖天神社に12時15分に
着き、昼食とする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/cb/69c2e50670cbd4b07b548f59540a1154.jpg)
この神社の鳥居にも、ワラでくるんだ酒樽のような
ものが下がっていた。
昼食後、I さんのハーモニカに合わせ、皆で「早春賦」
など春の歌や、「高原列車は行く」など、懐かしのラジオ
歌謡を合唱した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3d/38743b7c2e09e219f1c9d76099b9cbbb.jpg)
近くの、やはり畑の中で大ケヤキやスダジイなどの森
に囲まれた小さな社の香取神社にも寄り、圏央道の西
側を北へ進む。
次の樋の沢集落に入り、月読神社に参拝。山門のよ
うな十二脚の吹きさらしの建物が珍しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/7c/7d0cd177d982dad8ec3726c3ec6bbd49.jpg)
趣ある本堂は、龍などの精巧な木彫が施されている。
社殿の裏手では、ご神木のスダジイの古木が枝を大き
く広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0b/b164431f0e6515f964efb233637bb947.jpg)
神社の北を東へ下って圏央道をくぐり、並行する小野
川の月読橋を渡って左岸沿いに土手を進む。ホトケノザ
の小さな花が、あちこちにたくさん咲き競っていた。
圏央道つくばIC横で川を離れ、北中島集落と田んぼ
の間を進み稲岡へ。つくば学園都市に通じる学園大通
りを横切り、小山田町を通過して乙戸沼のほとりに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/12/cdd64ce35236e70aeca418757ef101b5.jpg)
沼のほとりにたくさんの桜が並び、花見の頃は賑わい
そうだが今は閑散としている。沼には、白鳥やカイツブリ
などの野鳥がおだやかな日和を楽しんでいる。
対岸の向こうに、筑波山がよく見えた。
日帰り温泉、「仙の湯」などのある、「LAQSIA」と書か
れた大きなドーム型の建物の横を通過し、新興住宅の
散在する竹の入町から、旧水戸街道中村宿があったと
いう西根町一区へ。
次の中村町一区には、りっぱは塀に囲まれた中村家
など、宿場の雰囲気がわずかに残り、崩れそうなかや
ぶきの廃屋もあった。
東小の横を下って花室川に並行する国道354号に出
て、国道6号の中村陸橋下を東に抜け、花室川の沖田
橋を渡る。
永国の台地下を常磐線の線路際まで行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/24/843d3426a594cef5ba1c002b66542012.jpg)
先に進めるか心配だったが、枯れアシなどの雑草地
のところに、人だけが抜けられるトンネルがあり、線路
の東に出た。
気持ちよい林間を上がって小岩田の住宅地に出て、
小松ヶ丘町で堀割を抜ける常磐線の上を陸橋で西に回
る。近くには高い塀で囲まれた土浦拘置所が、住宅地
の北側には筑波山が望見された。
土浦市役所の下を通過し、西から迂回してきた国道
に入り、山岡さんからお勧めのどら焼きの店があると
聞いていた桜川橋のそばに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b0/a7c94fb2d0b056de823f3a1c6d5e7b87.jpg)
しかし店は見つからず、橋を渡って市街地に入り、
16時45分に、土浦駅に着いた。
(天気 晴、距離 25㎞、地図 牛久、土浦、歩行地
龍ヶ崎市、つくば市(旧茎崎町含む)、土浦市、歩数
39400)
3弾、3月は茨城県に移り、「南の牛久沼から北の涸沼
(ひぬま)までの88㎞はちはちウオーク」と名付け、3月
2日~5日の4日間に開催された。
======================
2008年3月2日(日)
=JR常磐線佐貫駅~土浦駅=
初日は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅を出発して、牛久
沼、乙戸(おつと)沼を経て常磐線土浦駅までの行程。
参加者は8人は、9時5分に佐貫駅西口をスタートした。
牛久沼に近い三峯神社には、鳥居のしめ縄に酒樽
などが吊してある。この地方の風習らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0b/7b09590cf4b430f594c266bd3df32545.jpg)
国道6号を八間堀堀のところで横切り、牛久沼の南
東端で記念撮影をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d4/c453c27699714bb936df9d5d184c976e.jpg)
牛久沼を左に見ながら国道6号を北へ進む。沼の
北側に筑波山の上だけが望まれ、沼の堤防には数羽
の水鳥が歩いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/76/3146052173debe5f92fbfbf6c3239fe6.jpg)
幾つかのうなぎ料理店の横を通過し、国道を2㎞近
くで左折して根古屋から城中町へ。古くからの集落の
中ほどで、河童碑の標識に従って進むと、小川芋銭
(うせん)記念館の雲魚亭があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/42/0ad773993c27a45fd7d41a3d93674364.jpg)
画家・小川芋銭は明治元年(1868)に東京赤坂で
生まれ、同4年にこの地に移住、明治26年(1895)
以後は、郷土の伝説に登場する「河童」や「水の精」、
「山の精」など幻想的な世界を多く描いたという。
雲魚亭は、芋銭最晩年の昭和12年(1937)に
新築の、画堂兼居室。古稀の芋銭はここに移り住み、
「河童百図」の準備などにあたったが、翌年暮れに
没した。建物は、現在は牛久市が管理している。
すぐ先は公園になっていて、樹間から牛久沼が見
下ろせ、園内のスイセンが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/68/2f72322ee1ca6c2d47be43b0b98c90d9.jpg)
北側には、昭和26年(1951)に建立された小川
芋銭碑が立っていた。
そばには、樹齢400を越すスダジイの古木もある。
ちなみにこの辺りは、かつて牛久藩(1619~1871)
の一部だったという。
城中町の北端近くの得月(とくげつ)院は、芋銭作品
のモチーフにもなったという推定樹齢450~500年
のカヤの大木が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/ed/21f9742a996ee75f67475891860107e8.jpg)
本堂裏には、芋銭の墓もあるようだが、回らずに通
過した。
下町を経て、旧水戸街道の名残の残る上町に入る。
郵便局のすぐ先、黒塀のりっぱな民家の前に、「明治
天皇牛久行在所(あんざいしよ)」の石碑が立っていた。
街道の右カーブ点にある正現寺には、ちょっと変わ
った山門の前に露座の仁王が立ち、横に、小柄だが
文禄元年(1592)建立という旧観音堂があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/b4/d68237c70fa778f866cd2bbc8765fe5d.jpg)
常磐線の次の駅、牛久駅に寄り、国道六号を少し
で左に入る県道206号へ。この先はつくば市になる。
この近くにお住まいの山岡さんはとは、ここで分か
れる。山岡さんは国土地理院OBで、昨年「地図に訊
け!」を出版された。
当ブログのブックマーク「おもしろ地図と測量」の作者
でもある。→http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/
新興住宅地の続く高見原1丁目から3丁目まで進み、
つくば市と牛久市との市境になるアシなどの茂る雑草
地を抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a7/7b9dda55e48156bcfd3ff9df58b26171.jpg)
県道408号を横切り、大井集落に入った。小さい社
の八幡神社に「五十塚古墳群」の標識が立っていた
が、説明板は無かった。
散在する大井集落の中ほど、畑の真ん中でポツンと
常緑樹やケヤキに囲まれた聖天神社に12時15分に
着き、昼食とする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/cb/69c2e50670cbd4b07b548f59540a1154.jpg)
この神社の鳥居にも、ワラでくるんだ酒樽のような
ものが下がっていた。
昼食後、I さんのハーモニカに合わせ、皆で「早春賦」
など春の歌や、「高原列車は行く」など、懐かしのラジオ
歌謡を合唱した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3d/38743b7c2e09e219f1c9d76099b9cbbb.jpg)
近くの、やはり畑の中で大ケヤキやスダジイなどの森
に囲まれた小さな社の香取神社にも寄り、圏央道の西
側を北へ進む。
次の樋の沢集落に入り、月読神社に参拝。山門のよ
うな十二脚の吹きさらしの建物が珍しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/7c/7d0cd177d982dad8ec3726c3ec6bbd49.jpg)
趣ある本堂は、龍などの精巧な木彫が施されている。
社殿の裏手では、ご神木のスダジイの古木が枝を大き
く広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0b/b164431f0e6515f964efb233637bb947.jpg)
神社の北を東へ下って圏央道をくぐり、並行する小野
川の月読橋を渡って左岸沿いに土手を進む。ホトケノザ
の小さな花が、あちこちにたくさん咲き競っていた。
圏央道つくばIC横で川を離れ、北中島集落と田んぼ
の間を進み稲岡へ。つくば学園都市に通じる学園大通
りを横切り、小山田町を通過して乙戸沼のほとりに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/12/cdd64ce35236e70aeca418757ef101b5.jpg)
沼のほとりにたくさんの桜が並び、花見の頃は賑わい
そうだが今は閑散としている。沼には、白鳥やカイツブリ
などの野鳥がおだやかな日和を楽しんでいる。
対岸の向こうに、筑波山がよく見えた。
日帰り温泉、「仙の湯」などのある、「LAQSIA」と書か
れた大きなドーム型の建物の横を通過し、新興住宅の
散在する竹の入町から、旧水戸街道中村宿があったと
いう西根町一区へ。
次の中村町一区には、りっぱは塀に囲まれた中村家
など、宿場の雰囲気がわずかに残り、崩れそうなかや
ぶきの廃屋もあった。
東小の横を下って花室川に並行する国道354号に出
て、国道6号の中村陸橋下を東に抜け、花室川の沖田
橋を渡る。
永国の台地下を常磐線の線路際まで行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/24/843d3426a594cef5ba1c002b66542012.jpg)
先に進めるか心配だったが、枯れアシなどの雑草地
のところに、人だけが抜けられるトンネルがあり、線路
の東に出た。
気持ちよい林間を上がって小岩田の住宅地に出て、
小松ヶ丘町で堀割を抜ける常磐線の上を陸橋で西に回
る。近くには高い塀で囲まれた土浦拘置所が、住宅地
の北側には筑波山が望見された。
土浦市役所の下を通過し、西から迂回してきた国道
に入り、山岡さんからお勧めのどら焼きの店があると
聞いていた桜川橋のそばに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b0/a7c94fb2d0b056de823f3a1c6d5e7b87.jpg)
しかし店は見つからず、橋を渡って市街地に入り、
16時45分に、土浦駅に着いた。
(天気 晴、距離 25㎞、地図 牛久、土浦、歩行地
龍ヶ崎市、つくば市(旧茎崎町含む)、土浦市、歩数
39400)