2009年3月14日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/0/33.168,139/15/58.333&scale=250000)
午後まで風雨が強いとの予報だったが、関東百駅巡礼歩行第53番
に参加した。
集合は、JR八高(はちこう)線明覚(みようかく)駅。私は下りで9時26
分に着いたが、10時着の上り列車から降りたのは、やまさんのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/03/d689939a927d9591bcb8518eeb78feb3.jpg)
雨具を着けて10時20分に出発した。
駅の近くの県道172号と都幾川を横断し、少し先から田んぼのあぜ
を走る道路へ。雨に煙る低い山並みがやわらかな彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9e/715c3eb79169e30719eb8201274b93e5.jpg)
都幾川の左岸沿いに出て、小さい橋の先に進むと、小屋の中に雨を
避けてヤギが休んでいた。対岸の畑の一角の白梅が見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c0/9b040369b1a582493c9d5f82adce12c2.jpg)
本郷集落の、若い紅梅が10数本咲き競う梅林の近くの観音寺へ。
小さめの本堂だが、本尊の聖観世音菩薩は、弘法大師作といわれて
いるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e2/cff8cedd619b630d3b79c1e32bfd8aef.jpg)
「江戸時代中期から、現明覚小開校まで、近村の寺子屋としても栄
えた」とも記されていた。門前には、六地蔵などを祭った小屋がある。
県道30号を越え、別所集落を過ぎると、車のほとんどとおらぬ車道
は、緩やかな上り道となり、堂山(250m)の山腹をジグザクに進む。
ウオーキング中らしい、傘を差した奥さんが前を行くが、足どりが早
い。しばらくして追いつき聞くと、近くにお住まいの方で毎日一人で歩
いているとのこと。
見学自由の木作り工芸「木造ちゃんハウス」という木工所の横で奥
様と別れ、、少し上がるとその建物が見下ろせる。
さらに上がると西側の展望が開け、眼下に雨に霞む宿(しゅく)集落
だろうか、家並みなどの展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/87/a58514ab87386d0e43773a3e972916f5.jpg)
展望のよいカーブ点に、大きなセカンドハウスらしい建物があった。
へいのすき間からのぞいたら、中から人が出てきた。聞くと、池袋に事
務所を構えるS工房という設計事務所の所長別邸とか。
壁面は檜皮葺(ひわだぶき)とのこと。「住宅特集」という雑誌の5月号
に紹介されるとも教えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4b/732cf2c309d9a891cec979453c6b55c1.jpg)
そのあたりからは、雨に煙る山並みが幻想的な風景を見せている。
さらに上がり雲河原集落へ。その名のように標高300m付近に散在
する山上集落。緑の斜面に梅が点々と咲き、日本の原風景ともいえる
静かなたたずまい。
集落の先のうっそうとしたヒノキ林の下が四幡神社。八幡神社はあち
こちにあるが、半分の四幡神社というのは初めて。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e5/6c474d9cb67d07c63b3c6265f5b4971a.jpg)
12時18分に着き、雨を避けて賽銭(さいせん)箱の横で昼食をさせて
もらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a7/3f44c9f337069f7a312a35c6b830d760.jpg)
12時半に出発、鳥居をくぐり、参道というより山道のようなヒノキ林の
中の土道を下る。分岐を右にとり、さらに細道をしばらく下り、後野集落
近くの車道に出た。
集落の中ほど、「彩の森とき川」の建物下に下って県道273号西平
小川線を横断、林道赤木慈光線に入る。少し先のY字路で、「後野みか
ん山 慈光寺方面」の標識に従い山道へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/57/c75d0cafeacc079e9ffd4c678e862589.jpg)
再び上りとなり、点在する集落を抜けると、あちこちに紅梅白梅が咲
き、緑の中に彩りを添える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5c/e6cf156e59402af16830620e3d29af44.jpg)
桜の老木も幾つかあり、花どきにもう一度訪ねてみたいと思う。
妙竹林山荘という一軒だけのセカンドハウス風の家を過ぎ、右からの
林道に合し、坂東三十三観音霊場九番札所の慈光寺に着いた。
白鳳2年(673)慈光による開山という古寺。以後、役行者が修験道
場を建て、奈良から鑑真和尚の高弟、道忠(どうちゆう)が来山、慈光寺
第一世になったという。
まず車道の上側にある観音堂に上がって参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/8a/5187bf4ef2229c743d589585e24dec30.jpg)
観音堂は享和3年(1803)の再建とか。社殿にはきめ細かな木彫が
施され、格天井にも絵が描かれていたようだが、今は色あせてしまって
判然としない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/da/4b04365a56a6700743a1f4dbc20af61b.jpg)
車道の下に下り、本堂に上がって参拝し、納経印をいただく。本堂内
にも2体の観音像などが祭られていた。
本堂前には、最澄の弟子、慈覚大師円仁(794~864)が天長年間
(824~34)に植えたといわれる樹齢千百余年の多羅葉樹(たらよう
じゅ)が繁っている。
葉の表皮に棒などで字が書けるので「郵便葉書(はがき)」の語源と
なった木だという。
宝物殿には、後鳥羽法皇をはじめ、藤原兼実などが書写した国宝の
「法華経一品経」はじめ、多くの文化財があるが、時間の関係で拝観
は省略した。
境内にいる間に急速に天気が回復、寺を出るころは日が差し、青空が
広がってきた。
表参道である南へ下る車道へ。少し下ると、鎌倉時代の建立という板
石塔婆(いたいしとうば)9基など、りっぱな石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/26/2e520425f9fba9ae232a0a1637673d6c.jpg)
その下には、昭和61年(1986)に植えたという一葉と普賢象(ふげん
ぞう)という2種の八重桜の並木が続き、花どきが期待される。
宿集落に入ったあたりには、入比坂東三十三ヶ所観音霊場一番札所
の女人堂が立っている。「入比」とは、埼玉県西南部の入間、比企地方
のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a3/c970bd030ef1c2b3c6bda3370035ae04.jpg)
このあたりは宿集落の中心で、宿場の面影を残す建物も見られる。そ
のひとつ、宿交差点そばに、築150年という「寧々房(ねいねいぼう)」と
呼ぶ古民家ギャラリーがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/26/fa8fc7cbdb3e78215d0b84f21fa3745e.jpg)
ウインドウや店内には、代表のSさんが自ら作ったという、仏像などの
陶器や木工家具がたくさん並んでいた。
宿交差点から県道を東に少しで、インフォメーションセンターと記された
木造の建物があり、そこが慈光寺入口バス停、15時ちょうどに着いた。
すぐに来た明覚駅経由の小川町駅行きバスに乗る。
(参加 2人、天気 雨後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 安戸、武蔵
小川、(越生、正丸峠)、歩行地 埼玉県ときがわ町)
午後まで風雨が強いとの予報だったが、関東百駅巡礼歩行第53番
に参加した。
集合は、JR八高(はちこう)線明覚(みようかく)駅。私は下りで9時26
分に着いたが、10時着の上り列車から降りたのは、やまさんのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/03/d689939a927d9591bcb8518eeb78feb3.jpg)
雨具を着けて10時20分に出発した。
駅の近くの県道172号と都幾川を横断し、少し先から田んぼのあぜ
を走る道路へ。雨に煙る低い山並みがやわらかな彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9e/715c3eb79169e30719eb8201274b93e5.jpg)
都幾川の左岸沿いに出て、小さい橋の先に進むと、小屋の中に雨を
避けてヤギが休んでいた。対岸の畑の一角の白梅が見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c0/9b040369b1a582493c9d5f82adce12c2.jpg)
本郷集落の、若い紅梅が10数本咲き競う梅林の近くの観音寺へ。
小さめの本堂だが、本尊の聖観世音菩薩は、弘法大師作といわれて
いるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e2/cff8cedd619b630d3b79c1e32bfd8aef.jpg)
「江戸時代中期から、現明覚小開校まで、近村の寺子屋としても栄
えた」とも記されていた。門前には、六地蔵などを祭った小屋がある。
県道30号を越え、別所集落を過ぎると、車のほとんどとおらぬ車道
は、緩やかな上り道となり、堂山(250m)の山腹をジグザクに進む。
ウオーキング中らしい、傘を差した奥さんが前を行くが、足どりが早
い。しばらくして追いつき聞くと、近くにお住まいの方で毎日一人で歩
いているとのこと。
見学自由の木作り工芸「木造ちゃんハウス」という木工所の横で奥
様と別れ、、少し上がるとその建物が見下ろせる。
さらに上がると西側の展望が開け、眼下に雨に霞む宿(しゅく)集落
だろうか、家並みなどの展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/87/a58514ab87386d0e43773a3e972916f5.jpg)
展望のよいカーブ点に、大きなセカンドハウスらしい建物があった。
へいのすき間からのぞいたら、中から人が出てきた。聞くと、池袋に事
務所を構えるS工房という設計事務所の所長別邸とか。
壁面は檜皮葺(ひわだぶき)とのこと。「住宅特集」という雑誌の5月号
に紹介されるとも教えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4b/732cf2c309d9a891cec979453c6b55c1.jpg)
そのあたりからは、雨に煙る山並みが幻想的な風景を見せている。
さらに上がり雲河原集落へ。その名のように標高300m付近に散在
する山上集落。緑の斜面に梅が点々と咲き、日本の原風景ともいえる
静かなたたずまい。
集落の先のうっそうとしたヒノキ林の下が四幡神社。八幡神社はあち
こちにあるが、半分の四幡神社というのは初めて。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e5/6c474d9cb67d07c63b3c6265f5b4971a.jpg)
12時18分に着き、雨を避けて賽銭(さいせん)箱の横で昼食をさせて
もらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a7/3f44c9f337069f7a312a35c6b830d760.jpg)
12時半に出発、鳥居をくぐり、参道というより山道のようなヒノキ林の
中の土道を下る。分岐を右にとり、さらに細道をしばらく下り、後野集落
近くの車道に出た。
集落の中ほど、「彩の森とき川」の建物下に下って県道273号西平
小川線を横断、林道赤木慈光線に入る。少し先のY字路で、「後野みか
ん山 慈光寺方面」の標識に従い山道へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/57/c75d0cafeacc079e9ffd4c678e862589.jpg)
再び上りとなり、点在する集落を抜けると、あちこちに紅梅白梅が咲
き、緑の中に彩りを添える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5c/e6cf156e59402af16830620e3d29af44.jpg)
桜の老木も幾つかあり、花どきにもう一度訪ねてみたいと思う。
妙竹林山荘という一軒だけのセカンドハウス風の家を過ぎ、右からの
林道に合し、坂東三十三観音霊場九番札所の慈光寺に着いた。
白鳳2年(673)慈光による開山という古寺。以後、役行者が修験道
場を建て、奈良から鑑真和尚の高弟、道忠(どうちゆう)が来山、慈光寺
第一世になったという。
まず車道の上側にある観音堂に上がって参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/8a/5187bf4ef2229c743d589585e24dec30.jpg)
観音堂は享和3年(1803)の再建とか。社殿にはきめ細かな木彫が
施され、格天井にも絵が描かれていたようだが、今は色あせてしまって
判然としない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/da/4b04365a56a6700743a1f4dbc20af61b.jpg)
車道の下に下り、本堂に上がって参拝し、納経印をいただく。本堂内
にも2体の観音像などが祭られていた。
本堂前には、最澄の弟子、慈覚大師円仁(794~864)が天長年間
(824~34)に植えたといわれる樹齢千百余年の多羅葉樹(たらよう
じゅ)が繁っている。
葉の表皮に棒などで字が書けるので「郵便葉書(はがき)」の語源と
なった木だという。
宝物殿には、後鳥羽法皇をはじめ、藤原兼実などが書写した国宝の
「法華経一品経」はじめ、多くの文化財があるが、時間の関係で拝観
は省略した。
境内にいる間に急速に天気が回復、寺を出るころは日が差し、青空が
広がってきた。
表参道である南へ下る車道へ。少し下ると、鎌倉時代の建立という板
石塔婆(いたいしとうば)9基など、りっぱな石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/26/2e520425f9fba9ae232a0a1637673d6c.jpg)
その下には、昭和61年(1986)に植えたという一葉と普賢象(ふげん
ぞう)という2種の八重桜の並木が続き、花どきが期待される。
宿集落に入ったあたりには、入比坂東三十三ヶ所観音霊場一番札所
の女人堂が立っている。「入比」とは、埼玉県西南部の入間、比企地方
のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a3/c970bd030ef1c2b3c6bda3370035ae04.jpg)
このあたりは宿集落の中心で、宿場の面影を残す建物も見られる。そ
のひとつ、宿交差点そばに、築150年という「寧々房(ねいねいぼう)」と
呼ぶ古民家ギャラリーがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/26/fa8fc7cbdb3e78215d0b84f21fa3745e.jpg)
ウインドウや店内には、代表のSさんが自ら作ったという、仏像などの
陶器や木工家具がたくさん並んでいた。
宿交差点から県道を東に少しで、インフォメーションセンターと記された
木造の建物があり、そこが慈光寺入口バス停、15時ちょうどに着いた。
すぐに来た明覚駅経由の小川町駅行きバスに乗る。
(参加 2人、天気 雨後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 安戸、武蔵
小川、(越生、正丸峠)、歩行地 埼玉県ときがわ町)