2009年3月15日(日)
前日の雨から一転して快晴で暖かな日和。この日は、8回目になる
「ぐるり一周葛飾探見歩行隊」に参加した。
集合は、京成押上線の四ツ木駅、参加者は5人。小1のマーヤちゃ
んも初参加。ほかに地元葛飾のCATV局、JCNコアラ葛飾のWさん
が、取材で同行した。
いつものように記念撮影し10時5分にスタートする。6人いるが、
真ん中の人は見送りの方。JCNコアラ葛飾のWさんに撮ってもらう。
緩やかにカーブする南側の商店街を進む。昔ながらの店がかなり残
っていて、地元の人の利用が結構あることがうかがえる。木造の古い
民家も、ところどころにある。
この家では、奥さんが育てているというサボテンが、たくさん並んで
いた。
東四つ木四丁目の白髭(しらひげ)神社へ。社殿には、龍などの精巧
な木彫が施されている。
舞殿もあり、境内には太いイチョウが2本立つ。若いお母さんが、生
後間もない赤ちゃんを抱いて初参りに来ていた。
水道道路を進んで平和橋通りを横切り、渋江公園に入る。好天なの
で、休日を楽しむ区民がたくさん訪れていた。
園内に、セルロイド工業発祥記念碑があり、大正3年(1914)に、この
地に玩具工場が設けられたことが記されていた。
東に進んで安養院へ。「扁照殿」の額の上がる社殿は、コンクリート造
り方形屋根。境内には、りっぱな石灯ろうが置かれている。
東立石二丁目に入ると、川端諏訪神社があった。天正元年(1573)
に旧川端村の鎮守として創建されたと「新編武蔵風土記稿」に記され
ているとか。
やはりコンクリート造りの社殿は、極彩色に彩られている。
東立石一丁目のEさん宅、広い庭の隅のハクモクレンが花を開いて
いた。
道路を挟んた北側の家も、小さい花だが数はいっぱいのハクモクレン
が咲き競う。
東側から回って正覚寺を訪ねる。りっぱな山門を入ると、よく手入れ
された庭に六地蔵が並ぶ。山門付近には、延享2年(1745)と刻まれ
た青面金剛が立つ。写真は、庭から山門を望んだところ。
広葉樹の立木が並ぶ遊歩道を回って、11時50分に中川右岸際の小
公園に着き、昼食とする。
公園の隅にある水神社は、享保15年(1730)に川端諏訪神社の末
社として勧請され、水の神として潅漑用水の守護や、河川による農作
物運搬の航路安全や水難事故防止のため、篤く崇敬されていたという。
昼食後、やまさんが、JCNコアラ葛飾のインタビューを受け、12時
25分に出発する。
中川右岸に出て、コンクリート堤防沿いの細道を平和橋北詰まで進む。
東四つ木二丁目から一丁目の木根川小の北を進み、綾瀬川左岸沿いに
ある「木根川薬師」と呼ばれる浄光寺へ。
りっぱな仁王門には、寛文3年(1663)製作の木造金剛力士像が立
つ。正面に堂々たる本堂が構え、手前両側には松とフジの古木が相対
している。
境内には、明治政府の高官で日本大学の前身、日本法律学校創立
者の山田顕義と、女優の育成と演劇会につくした加藤ひな子との交流
を伝える大きな石碑がある。
広い境内には、小さい水車の回る池や、古木のイチョウなどがあった。
取材を終えたJCNコアラ葛飾のWさんとは綾瀬川と中川との合流点
にある平井橋際で分かれ、われわれは橋を渡った。
橋のすぐ先に、外谷塩入(そとやしおいり)庭園というのがあった。
米穀商だった外谷辨二郎氏のご遺族から葛飾区に寄贈された邸宅を、
公園に改修整備したもの。
池を中心にして築山があり、池には当時、中川の水を引き入れたと
いう。庭石は紀州・筑波・伊豆などから産出された19種類の自然石で、
大正から昭和初期のよき時代の面影を残した庭園である。
うらら保育園や特養老人ホームすずうらホーム横などを回り、西新
小岩五丁目の東光寺に入る。
新四国19番札所となっていて、大きな本堂の両側に、たわわに夏
ミカンが実っていた。境内の小さいお堂には、安政2年(1855)の安政
大地震の様子を伝える地蔵尊が祭られている。
都道308号・平和橋通りに入り、南に少しで、「葛飾のえんま様」で
知られる上品寺(じようぼんじ)へ。
閻魔(えんま)堂に安置された閻魔大王座像は、江戸16閻魔の一つ
として江戸中期に最も盛んに信仰されたとか。
高さ206cmの堂々たるもの。左側の柱には、舌を抜く大きなやっと
こが下がっている。ウソをつくと、これで舌を抜かれてしまうのだ。
ウソをついて平気でいる政治家や会社のトップがここに来たら、どう
なるのだろうか…。
元気だった小1のマーヤちゃんも、疲れを訴えるようになった。あと少
しと励ましながら、平和橋通りをさらに南に向かう。
西新小岩四丁目の交差点際に、金魚の生け簀(いけす)がたくさん見
える。卸小売りをしている商店のもので、何種類もの金魚が泳ぎ回って
いた。
ゴールのJR総武線新小岩駅には、14時42分に着いた。マーヤちゃ
んも、みごと完歩した。
(参加 5人、天気 快晴、距離 8㎞、歩行地 葛飾区)
前日の雨から一転して快晴で暖かな日和。この日は、8回目になる
「ぐるり一周葛飾探見歩行隊」に参加した。
集合は、京成押上線の四ツ木駅、参加者は5人。小1のマーヤちゃ
んも初参加。ほかに地元葛飾のCATV局、JCNコアラ葛飾のWさん
が、取材で同行した。
いつものように記念撮影し10時5分にスタートする。6人いるが、
真ん中の人は見送りの方。JCNコアラ葛飾のWさんに撮ってもらう。
緩やかにカーブする南側の商店街を進む。昔ながらの店がかなり残
っていて、地元の人の利用が結構あることがうかがえる。木造の古い
民家も、ところどころにある。
この家では、奥さんが育てているというサボテンが、たくさん並んで
いた。
東四つ木四丁目の白髭(しらひげ)神社へ。社殿には、龍などの精巧
な木彫が施されている。
舞殿もあり、境内には太いイチョウが2本立つ。若いお母さんが、生
後間もない赤ちゃんを抱いて初参りに来ていた。
水道道路を進んで平和橋通りを横切り、渋江公園に入る。好天なの
で、休日を楽しむ区民がたくさん訪れていた。
園内に、セルロイド工業発祥記念碑があり、大正3年(1914)に、この
地に玩具工場が設けられたことが記されていた。
東に進んで安養院へ。「扁照殿」の額の上がる社殿は、コンクリート造
り方形屋根。境内には、りっぱな石灯ろうが置かれている。
東立石二丁目に入ると、川端諏訪神社があった。天正元年(1573)
に旧川端村の鎮守として創建されたと「新編武蔵風土記稿」に記され
ているとか。
やはりコンクリート造りの社殿は、極彩色に彩られている。
東立石一丁目のEさん宅、広い庭の隅のハクモクレンが花を開いて
いた。
道路を挟んた北側の家も、小さい花だが数はいっぱいのハクモクレン
が咲き競う。
東側から回って正覚寺を訪ねる。りっぱな山門を入ると、よく手入れ
された庭に六地蔵が並ぶ。山門付近には、延享2年(1745)と刻まれ
た青面金剛が立つ。写真は、庭から山門を望んだところ。
広葉樹の立木が並ぶ遊歩道を回って、11時50分に中川右岸際の小
公園に着き、昼食とする。
公園の隅にある水神社は、享保15年(1730)に川端諏訪神社の末
社として勧請され、水の神として潅漑用水の守護や、河川による農作
物運搬の航路安全や水難事故防止のため、篤く崇敬されていたという。
昼食後、やまさんが、JCNコアラ葛飾のインタビューを受け、12時
25分に出発する。
中川右岸に出て、コンクリート堤防沿いの細道を平和橋北詰まで進む。
東四つ木二丁目から一丁目の木根川小の北を進み、綾瀬川左岸沿いに
ある「木根川薬師」と呼ばれる浄光寺へ。
りっぱな仁王門には、寛文3年(1663)製作の木造金剛力士像が立
つ。正面に堂々たる本堂が構え、手前両側には松とフジの古木が相対
している。
境内には、明治政府の高官で日本大学の前身、日本法律学校創立
者の山田顕義と、女優の育成と演劇会につくした加藤ひな子との交流
を伝える大きな石碑がある。
広い境内には、小さい水車の回る池や、古木のイチョウなどがあった。
取材を終えたJCNコアラ葛飾のWさんとは綾瀬川と中川との合流点
にある平井橋際で分かれ、われわれは橋を渡った。
橋のすぐ先に、外谷塩入(そとやしおいり)庭園というのがあった。
米穀商だった外谷辨二郎氏のご遺族から葛飾区に寄贈された邸宅を、
公園に改修整備したもの。
池を中心にして築山があり、池には当時、中川の水を引き入れたと
いう。庭石は紀州・筑波・伊豆などから産出された19種類の自然石で、
大正から昭和初期のよき時代の面影を残した庭園である。
うらら保育園や特養老人ホームすずうらホーム横などを回り、西新
小岩五丁目の東光寺に入る。
新四国19番札所となっていて、大きな本堂の両側に、たわわに夏
ミカンが実っていた。境内の小さいお堂には、安政2年(1855)の安政
大地震の様子を伝える地蔵尊が祭られている。
都道308号・平和橋通りに入り、南に少しで、「葛飾のえんま様」で
知られる上品寺(じようぼんじ)へ。
閻魔(えんま)堂に安置された閻魔大王座像は、江戸16閻魔の一つ
として江戸中期に最も盛んに信仰されたとか。
高さ206cmの堂々たるもの。左側の柱には、舌を抜く大きなやっと
こが下がっている。ウソをつくと、これで舌を抜かれてしまうのだ。
ウソをついて平気でいる政治家や会社のトップがここに来たら、どう
なるのだろうか…。
元気だった小1のマーヤちゃんも、疲れを訴えるようになった。あと少
しと励ましながら、平和橋通りをさらに南に向かう。
西新小岩四丁目の交差点際に、金魚の生け簀(いけす)がたくさん見
える。卸小売りをしている商店のもので、何種類もの金魚が泳ぎ回って
いた。
ゴールのJR総武線新小岩駅には、14時42分に着いた。マーヤちゃ
んも、みごと完歩した。
(参加 5人、天気 快晴、距離 8㎞、歩行地 葛飾区)