2009年6月25日(木)
今日は、埼玉県南東部の鳩ヶ谷市を訪ねました。

東京メトロ南北線と直通運転している、埼玉高速鉄道で鳩ヶ谷駅にて
下車しました。駅のそばの地図を見たら、近くに鳩ヶ谷市立郷土資料館
があるのに気づき、まずそこへ向かいます。
国道122号岩槻街道を少し北へ、鳩ヶ谷郵便局の手前を右折して東
に向かい、見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)を越えま
した。
鳩ヶ谷小の北側を進み、県道105号日光御成道に出て、近くの交差点
際にある鳩ヶ谷市立郷土資料館へ。入館は無料です。

展示室は2階、鳩ヶ谷の原始から近代に至る代表的文化財や、鳩ヶ谷
宿と本陣の模型、農家のくらし、商家のようすなどが展示されていました。
これは、市の西を流れる芝川でとれる布袋竹を使って18世紀後半から
続いているという、魚釣り用の竿である「和竿づくり」関係の展示です。

観覧を終え、日光御成道を南に向かいました。街道沿いに残る古い建物
は、北西本店と呼ぶ酒屋さん。近くには、昭和初期のものかと思われる洋
館の民家もありました。

下り坂にかかるあたりには、御成坂公園と呼ぶ小さなスペースがあり、
からくり時計の時計塔が立っています。

背後のへいには、御成道を通った大名行列をイメージしたモザイク画も
3枚あり、御成道の歴史を記したパネルもありました。

昭和橋交差点で御成道を分かれ、今日の目的地の鳩ヶ谷市消防本部
に向かいます。行くきっかけは、この朝日新聞6月16日付け埼玉版の
記事でした。

「なぜ火の見やぐらを」というと、当ブログではまだ紹介したことがあり
ませんが、10年くらい前から私は、全国各地に残る火の見やぐらの写
真を撮り続けていたのです。撮った数は、500枚前後かと思います。
ウオーキングでご一緒したことのある方の中には、ご存じの方もかなり
おられるはずです。まだ撮りっぱなしで整理してないのですが、いずれ当
ブログでも紹介したいと考えており、この消防署の望楼のような火の見
やぐらは、極めて少ないので貴重な記録と思い出かけたのです。
消防署の表側、左手にNTTの建物がある通りから見た望楼。

市役所に向かう広い通りの県道58号からは、全体が見られます。

市役所でも、関連の展示をしていると記事にあるので行ってみました。
これが鳩ヶ谷市役所です。

市役所の玄関ホールには、6月1日現在の人口は61,422人、世帯数
26,465、市制施行は昭和42年(1967)3月1日と掲示されています。
受付でもらった市のガイドマップによれば、面積は6.22㎡で全国の市
の中で2番目に小さいとのこと(1番狭いのは、近くの蕨市)。
人口や面積の割には、りっぱな7階建ての庁舎です。
同じホールで、「消えゆく火の見やぐらを偲んで」と題する展示をしてお
り、壊される望楼の図面、ほかにあった火の見やぐらの写真、消防服や
帽子などが展示されていました。
正面にあった手押しで放水する消防ポンプ車。私も、中学3年生のときに、
埼玉県中部の村の中学校で、少年消防クラブのメンバーとなり、このような
手押しポンプの操作訓練をしたことを思い出しました。

会場におられた消防本部の方が、「あの望楼に上れますよ」と言われた
ので、もう一度望楼のところに戻りました。
消防隊員の方に話したところ、ヘルメットを付けた上で隊員の付き添い
で上がれるとのこと。らせん階段をぐるぐると25mの望楼上まで上がり
ました。
望楼の上かららせん階段を見下ろしたところ。

電話網の充実などで、すでに1974年には望楼勤務は廃止されたとの
ことですが、望楼上からの四方の眺めはまだかなり利きます。
こちらは南方の眺め。

反対側、北方の展望。

消防署の望楼は、消防署の建物と一帯になったものが多かったように
思いますが、この望楼は専用の建物になっている貴重なもの。
このような貴重な近代化遺産が、また一つ消えて行くかと思うと、大変
残念ですが、耐震診断で危険と指摘されたのでは、致し方ないかもしれ
ません。

でも、望楼から眺めるという得難い体験ができたので、来た甲斐が
ありました。
この後は、埼玉高速鉄道の走る国道122号線の西を並行する道など
を南下し、都県境の新荒川大橋を渡って東京・北区に入り、JR赤羽駅
まで歩き、帰途につきました。
(天気 曇後晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 赤羽、歩行地 鳩ヶ谷市、
川口市、北区、歩数 15,300)
今日は、埼玉県南東部の鳩ヶ谷市を訪ねました。
東京メトロ南北線と直通運転している、埼玉高速鉄道で鳩ヶ谷駅にて
下車しました。駅のそばの地図を見たら、近くに鳩ヶ谷市立郷土資料館
があるのに気づき、まずそこへ向かいます。
国道122号岩槻街道を少し北へ、鳩ヶ谷郵便局の手前を右折して東
に向かい、見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)を越えま
した。

鳩ヶ谷小の北側を進み、県道105号日光御成道に出て、近くの交差点
際にある鳩ヶ谷市立郷土資料館へ。入館は無料です。

展示室は2階、鳩ヶ谷の原始から近代に至る代表的文化財や、鳩ヶ谷
宿と本陣の模型、農家のくらし、商家のようすなどが展示されていました。
これは、市の西を流れる芝川でとれる布袋竹を使って18世紀後半から
続いているという、魚釣り用の竿である「和竿づくり」関係の展示です。

観覧を終え、日光御成道を南に向かいました。街道沿いに残る古い建物
は、北西本店と呼ぶ酒屋さん。近くには、昭和初期のものかと思われる洋
館の民家もありました。

下り坂にかかるあたりには、御成坂公園と呼ぶ小さなスペースがあり、
からくり時計の時計塔が立っています。

背後のへいには、御成道を通った大名行列をイメージしたモザイク画も
3枚あり、御成道の歴史を記したパネルもありました。

昭和橋交差点で御成道を分かれ、今日の目的地の鳩ヶ谷市消防本部
に向かいます。行くきっかけは、この朝日新聞6月16日付け埼玉版の
記事でした。

「なぜ火の見やぐらを」というと、当ブログではまだ紹介したことがあり
ませんが、10年くらい前から私は、全国各地に残る火の見やぐらの写
真を撮り続けていたのです。撮った数は、500枚前後かと思います。
ウオーキングでご一緒したことのある方の中には、ご存じの方もかなり
おられるはずです。まだ撮りっぱなしで整理してないのですが、いずれ当
ブログでも紹介したいと考えており、この消防署の望楼のような火の見
やぐらは、極めて少ないので貴重な記録と思い出かけたのです。
消防署の表側、左手にNTTの建物がある通りから見た望楼。

市役所に向かう広い通りの県道58号からは、全体が見られます。

市役所でも、関連の展示をしていると記事にあるので行ってみました。
これが鳩ヶ谷市役所です。

市役所の玄関ホールには、6月1日現在の人口は61,422人、世帯数
26,465、市制施行は昭和42年(1967)3月1日と掲示されています。
受付でもらった市のガイドマップによれば、面積は6.22㎡で全国の市
の中で2番目に小さいとのこと(1番狭いのは、近くの蕨市)。
人口や面積の割には、りっぱな7階建ての庁舎です。
同じホールで、「消えゆく火の見やぐらを偲んで」と題する展示をしてお
り、壊される望楼の図面、ほかにあった火の見やぐらの写真、消防服や
帽子などが展示されていました。

正面にあった手押しで放水する消防ポンプ車。私も、中学3年生のときに、
埼玉県中部の村の中学校で、少年消防クラブのメンバーとなり、このような
手押しポンプの操作訓練をしたことを思い出しました。

会場におられた消防本部の方が、「あの望楼に上れますよ」と言われた
ので、もう一度望楼のところに戻りました。
消防隊員の方に話したところ、ヘルメットを付けた上で隊員の付き添い
で上がれるとのこと。らせん階段をぐるぐると25mの望楼上まで上がり
ました。
望楼の上かららせん階段を見下ろしたところ。

電話網の充実などで、すでに1974年には望楼勤務は廃止されたとの
ことですが、望楼上からの四方の眺めはまだかなり利きます。
こちらは南方の眺め。

反対側、北方の展望。

消防署の望楼は、消防署の建物と一帯になったものが多かったように
思いますが、この望楼は専用の建物になっている貴重なもの。
このような貴重な近代化遺産が、また一つ消えて行くかと思うと、大変
残念ですが、耐震診断で危険と指摘されたのでは、致し方ないかもしれ
ません。

でも、望楼から眺めるという得難い体験ができたので、来た甲斐が
ありました。
この後は、埼玉高速鉄道の走る国道122号線の西を並行する道など
を南下し、都県境の新荒川大橋を渡って東京・北区に入り、JR赤羽駅
まで歩き、帰途につきました。
(天気 曇後晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 赤羽、歩行地 鳩ヶ谷市、
川口市、北区、歩数 15,300)