5月下旬、集英社から、週刊 『鉄道 絶景の旅』 創刊号が発売されま
した。
創刊号では、新宿から塩尻までの中央本線〈東〉の絶景を掲載して
います。

中央線は、私にとっても中山道ウオークや、国際ウオーキングトレ
イル実踏などで、最近乗る機会が多く、訪ねたり車窓から眺めたり
した絶景が何か所か掲載されていて、親近感を持って見ました。
そして、もう一つ気に入ったのが、特別付録の「旅客事務用 鉄道
線路図」です。

昭和35年3月10日現在というものですが、その当時、国鉄職員が
使っていた冊子を復刻したものです。
昭和35年(1960)というと、戦後復興を終え、東海道本線に、こだま
形特急や、夜行寝台特急ブルートレイン、急行列車や貨物列車もたくさ
ん行き交った時代。東海道新幹線の開業も4年後という、いわば在来
線の全盛時代でした。
表紙を明けると表面は、時刻表でおなじみの全国の線路図が、折り
たたまれて横長1枚の図になっています。
エネルギー源の主役は石炭の時代なので、北海道や北九州を見ると、
炭鉱周辺に石炭輸送に活躍した路線がたくさんあるのが目につきます。
関東周辺では、当時奥多摩ハイキングに出かけた人なら思い出す、
青梅線の終点は、氷川(現在は改称して奥多摩)になっています。
近くの五日市線は、現在の終点、武蔵五日市の先に、大久野、武蔵
岩井の2駅がありました。
群馬と栃木を走っている現在のわたらせ渓谷鐵道は、当時は国鉄足
尾線です。
関西では、琵琶湖西岸の湖西線はなく、当時は、膳所(ぜぜ)~近江
今津間を私鉄の江若鉄道が走っていました。
裏面の半分は、旅客及び荷物運賃計算キロ程早見表になっています。
残りは、東京付近と京都・大阪及び名古屋付近の私鉄を含んだ詳細な
路線図、そして、形式別の電車定員などを記した輸送便覧、運賃表など
になっています。
ちなみに運賃表を見ると、3等の最低運賃は10円(1~6㎞)で、現在
のJR本州3社の最低運賃130円の1/13ということになります。
この創刊号の特別定価は290円ですが、当時の3等運賃では、119
~122㎞乗車できるので、東京から三島まで行けたのです。現在、東京
~三島間の運賃は2,210円になります。
このように、別冊付録の鉄道路線図だけでも、鉄道に関心ある方には
興味深いデータがいっぱいあり、290円はお買い得と感じられるのでは
ないかと思い、紹介した次第です。
した。
創刊号では、新宿から塩尻までの中央本線〈東〉の絶景を掲載して
います。

中央線は、私にとっても中山道ウオークや、国際ウオーキングトレ
イル実踏などで、最近乗る機会が多く、訪ねたり車窓から眺めたり
した絶景が何か所か掲載されていて、親近感を持って見ました。
そして、もう一つ気に入ったのが、特別付録の「旅客事務用 鉄道
線路図」です。

昭和35年3月10日現在というものですが、その当時、国鉄職員が
使っていた冊子を復刻したものです。
昭和35年(1960)というと、戦後復興を終え、東海道本線に、こだま
形特急や、夜行寝台特急ブルートレイン、急行列車や貨物列車もたくさ
ん行き交った時代。東海道新幹線の開業も4年後という、いわば在来
線の全盛時代でした。
表紙を明けると表面は、時刻表でおなじみの全国の線路図が、折り
たたまれて横長1枚の図になっています。
エネルギー源の主役は石炭の時代なので、北海道や北九州を見ると、
炭鉱周辺に石炭輸送に活躍した路線がたくさんあるのが目につきます。
関東周辺では、当時奥多摩ハイキングに出かけた人なら思い出す、
青梅線の終点は、氷川(現在は改称して奥多摩)になっています。
近くの五日市線は、現在の終点、武蔵五日市の先に、大久野、武蔵
岩井の2駅がありました。
群馬と栃木を走っている現在のわたらせ渓谷鐵道は、当時は国鉄足
尾線です。
関西では、琵琶湖西岸の湖西線はなく、当時は、膳所(ぜぜ)~近江
今津間を私鉄の江若鉄道が走っていました。
裏面の半分は、旅客及び荷物運賃計算キロ程早見表になっています。
残りは、東京付近と京都・大阪及び名古屋付近の私鉄を含んだ詳細な
路線図、そして、形式別の電車定員などを記した輸送便覧、運賃表など
になっています。
ちなみに運賃表を見ると、3等の最低運賃は10円(1~6㎞)で、現在
のJR本州3社の最低運賃130円の1/13ということになります。
この創刊号の特別定価は290円ですが、当時の3等運賃では、119
~122㎞乗車できるので、東京から三島まで行けたのです。現在、東京
~三島間の運賃は2,210円になります。
このように、別冊付録の鉄道路線図だけでも、鉄道に関心ある方には
興味深いデータがいっぱいあり、290円はお買い得と感じられるのでは
ないかと思い、紹介した次第です。