あるきメデス

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カタツムリ歩行同窓会で荻窪駅周辺を歩く(東京・杉並)

2018-04-16 21:29:24 | カタツムリ歩行
 2018年4月15日(日)

 昨年12月で終わったカタツムリ歩行、今後は回数を減らしても続けようと2月18日
に打合せし、その第1回同窓会が開催されたので参加した。

 集合はJR中央線の荻窪駅東改札口。午前中は前夜からの風雨が残る予報だったが、幸
いに雨は上がり風も治まった。久しぶりに練馬のKさんもお顔を見せる。

 同窓会の担当は毎回分担することになり、初回の担当は三郷市の若手、KKさん。地図
をもらい、10時05分に北口を出た。


 都道4号・青梅街道を横断し、天沼(あまぬま)三丁目の住宅地を北北東へ。マンショ
ンのアメリカハナミズキが見ごろで、たくさんの鉢植えや飾り物を並べた住宅もある。
    



    

 その先に天沼弁天池公園があり、クスノキやケヤキ、モミジなどの新録がみずみずしい。

 この辺りは雨沼(あめぬま)と呼ばれた大きな沼地で、天沼の地名の由来の一説になっ
たとか。その水辺の一部が残り、回遊できるようになっていた。




 公園の北西側には杉並区立郷土博物館の分館があり、特別展も開催中だが観覧は少しに
して、区内の観光地図などをもらう。


 東側すぐ近くの天沼二丁目には、天沼八幡神社が祭られている。
     
 創建は天正年間(1573~91)と伝えられ、武運の神として崇敬を集め、近くの厳
島神社を合祀以来、水神・安産の神として信仰されているという。


 境内にはほかに日枝神社や須賀神社、三殿並ぶ稲荷神社、大鳥神社などがあった。



 さらに東へ、次の四差路際には藤之湯という公衆浴場が残る。
     


 東北に進んで天沼の総鎮守だったという天沼熊野神社に入る。

 社伝によれば、神護景雲2(768)年に東海道巡察使が来た折りに氏神を勧請したの
が始まりとか。一説には新田義貞が元弘3(1333)年に鎌倉北条氏を討つ途中でこの
地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられるという。


 境内には、新田義貞が戦勝祈願に手植えしたと伝えられ、直径2mに達する大杉の切り
株が保存されていた。昭和17(1942)年に枯死して伐採されたようだ。


 その横には、40貫(150㎏)と30貫(112.5㎏)の力石が並んでいた。
     


 南に向かい、JR中央線の高架下を抜けて青梅街道を横断する。境内のない民家風の立
教寺↑前から南西に進むと、近くの角に昭和5年(1930)創業という割烹旅館西郊
(せいこう)の古い建物が目につく。



 さらに南西へと進んで杉並区立太田黒(おおたぐろ)公園に入る。太田黒公園は、音楽
評論家だった太田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡を日本庭園として整備したもの。
     
 園内には、樹齢100年を超えるというイチョウ並木を始め、ケヤキ、クロマツ、アカ
マツ、シイノキなどの古木が多く、特にモミジの新緑が気持ちよい。


     

    




 池には、特産地の新潟県小千谷市から寄贈という何匹ものニシキゴイが泳ぎ、竹林には
大きくなったタケノコも見られた。


 ツツジの植え込みの並ぶ民家の横を下り、西から南へと回り込み、国史跡の荻外荘(て
きがいそう)の庭園に行く。

 荻外荘は、昭和戦前期に3度の首相を務めた政治家、近衛文麿の別邸だったところ。近
衛は昭和12(1937)年からここに住み、政治会談や第二次・第三次近衛内閣の組閣
を行うなど、近衛の主要な政治の場になったとか。

 終戦後A級戦犯に指名され、昭和20(1945)年12月16日に邸内の書斎で自決
している。現在、建物部分は非公開だが、庭園からはその一部が望まれた。


 東に進んで荻窪三丁目に入り、細道を北に少し回り込み、角川(かどかわ)庭園・幻戯
山房(げんぎさんぼう)に寄る。

 角川庭園は、俳人で角川書店の創設者である角川源義氏の旧宅を、杉並区が遺族から寄
贈を受けて改修したもの。

 建物は昭和30(1955)年竣工の近代数寄屋造りで、国の登録有形文化財と杉並区
景観重要建造物に登録されている。


 入口付近にアセビなどが清楚な花を見せ、庭園に回るとヤマツツジやシャクナゲ、アメ
リカハナミズキなども花開く。







 水琴窟(すいきんくつ)もあり、傍らのつくばいからの水を流すときれいな音色が聞こ
えてきた。

 展示室では角川源義氏の俳句や写真、所蔵品などが観覧できるが、時間がないので省略
した。


 新しい集合住宅地、シティテラス荻窪内を北西側から東南に回る。成田西四丁目の住宅
地を東進して善福寺川の屋倉橋を渡り、ゴールの尾崎熊野神社には12時06に着く。ほ
とんどの皆さんはゴールしていて、境内で食事中だった。
     
 尾崎熊野神社の創建年代は明らかではないが、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武
士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地に勧請したのに基づくと伝えられているよう
だ。


 社殿前に斜めに伸びるご神木のクロマツは、幹回り3.27m、樹高32m、樹齢は400
年以上と推定され、区内でも有数の樹木として杉並区の天然記念物に指定されている。
     


 食事を終えて記念撮影とミーティングをして、13時過ぎに散会となった。


 今日の参加者は15人、ミーティング後、さらにメンバーの知人2人がかけつけた。次
回は9月15(日)の予定である。

(天気 曇り一時晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地 杉並区、
 歩数 10,100)

 雨の心配もなくなったので、午後も少し周辺を回って帰ることにした。午後の行程は別
途とする。




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