未舗装の旧国道は、水生地と呼ぶ八丁池への登山路入口付近で大きくヘヤピンカーブし
て回り込み、国重要文化財になっている旧天城トンネル西口に着いた。
トンネルは、総工費10万3千余円の巨費を投じて明治38年(1905)に開通、延
長446m、幅員は3.5mである。
トンネルの標高は708m、冷たい雨で冷えてきた。傍らにあった小さい東屋(あずま
や)で昼食をする。
「切り石巻工法」と呼ぶ、石を積み上げて施工されたトンネルを抜けると河津町に入り、
下り道となる。こちら側では、寒天橋までの砂利道舗装工事が進んでいた。
右に大きくカーブする寒天橋にはバス停があり、八丁池へ上がる道路のゲートが設けら
れている。
近くに二階滝が落下していて、少し先の二階滝園地に下りると滝が見られる。
旧下田街道となっている旧国道を少しずつ下る。途切れた樹間から西側の山並みが望ま
れ、道路際の湿った岩に、ユキノシタに似た花がたくさん咲いていた。
葉と花の形から、どうやらダイモンジソウのようだ。
河津七滝(かわづななだる)へ3.3㎞のところで国道を横断、平滑(ひらなめ)の滝
に向かって下り、鉄の橋を渡る。滝の上流のところにワサビ田があり、金網に「わさび検
定 序の口編」のクイズが掲げられ、畳石式わさび田の仕組み図もあった。
さらに回り込んだ古い木のベンチのあるところが滝見台になっているが、木が伸びて平
滑の滝はほとんど見えない。
流れは下になり、高みを進んで林道に入る。旧天城峠だった二本杉峠からの道と合し、
宗太郎園地へ。太いモミの木の下に、古い石仏が祭られていた。
その先は、宗太郎林道と呼ぶかなりの年代を感じる杉並木となり、500mほど先には
新しい休憩舎とトイレが設けられていた。
猿田渕入口のところから、河津川に向かって下ると、河津七滝の遊歩道になるのだが、
10月23日に落石があり、七滝上部の釜滝から蛇滝の間が通行禁止との標識があり、入
れない。
日没まであと1時間ほどなので、河津七滝巡りは止めて、国道414号をループ橋のと
ころまで進むことにした。
国道下をくぐり、水垂(みずたれ)バス停で国道に上がる。自動車に注意しながら狭い
側道を1.5㎞ほど進み、河津七滝ループ橋にかかった。
橋の半径は40m、完全円形のループが2段、右回りで下る。外側の側道からは、回る
につれていま下ってきた河津川上流↑と、これから進む下流↓の谷間が見下ろせる。
2周してループ橋の下まで下り、河津七滝ループ橋バス停で国道を離れ、河津川左岸沿
いの梨本集落沿いに下る旧道、下田街道に入る。
納経供養塔、無量仏塔、大日如来などの石塔が並ぶ一角や、室町時代末期の宝篋印塔
(ほうきよういんとう)と伝えられる関戸芳信の墓↓を過ぎる。
ある民家の道路際に、十二支の干支など、たくさんの瓦が並んでいた。
やまさんが以前泊まったという民宿「てっぽう」の前を過ぎると、下田街道は右に大き
くカーブする。河津川にかかる吊り橋を渡り、支流の大鍋川と合流したところで再度橋を
渡った。
左からの国道が近接したところで国道に上がり、そばの寺、慈眼院(じげんいん)経営
の天城温泉禅の湯YHに、16時35分に着いた。
寺は、初代駐日総領事タウンゼント・ハリスが、修好通商条約締結のため下田から江戸
へ向かう初日に泊まったという。昨日に続き今日も温泉につかり、歩き旅の疲れをとる。
【コースタイム】木太刀荘8・14ー水恋鳥広場8・40ー伊豆の踊子碑9・08~10ー浄蓮の
滝資料館9・20~35ー藤村文学碑9・51ー昭和の森会館10・30~45ー井上靖文学碑
11・08ーゆうゆうの森11・35~50ー水生地下バス停12・18ー旧天城トンネル西側(昼食)
12・47~13・05ー寒天橋13・38~40ー平滑の滝降り口14・03ー滝見台14・20~25ー宗太
郎園地14・43ー休憩舎14・57~15・03ー猿田渕入口15・10~20ー河津七滝ループ橋バス
停15・50ー天城禅の湯YH16・35
(天気 曇時々雨、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ島、湯ヶ野、歩行地
伊豆市、河津町、歩数 ?、累積標高差 約2,400m)
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て回り込み、国重要文化財になっている旧天城トンネル西口に着いた。
トンネルは、総工費10万3千余円の巨費を投じて明治38年(1905)に開通、延
長446m、幅員は3.5mである。
トンネルの標高は708m、冷たい雨で冷えてきた。傍らにあった小さい東屋(あずま
や)で昼食をする。
「切り石巻工法」と呼ぶ、石を積み上げて施工されたトンネルを抜けると河津町に入り、
下り道となる。こちら側では、寒天橋までの砂利道舗装工事が進んでいた。
右に大きくカーブする寒天橋にはバス停があり、八丁池へ上がる道路のゲートが設けら
れている。
近くに二階滝が落下していて、少し先の二階滝園地に下りると滝が見られる。
旧下田街道となっている旧国道を少しずつ下る。途切れた樹間から西側の山並みが望ま
れ、道路際の湿った岩に、ユキノシタに似た花がたくさん咲いていた。
葉と花の形から、どうやらダイモンジソウのようだ。
河津七滝(かわづななだる)へ3.3㎞のところで国道を横断、平滑(ひらなめ)の滝
に向かって下り、鉄の橋を渡る。滝の上流のところにワサビ田があり、金網に「わさび検
定 序の口編」のクイズが掲げられ、畳石式わさび田の仕組み図もあった。
さらに回り込んだ古い木のベンチのあるところが滝見台になっているが、木が伸びて平
滑の滝はほとんど見えない。
流れは下になり、高みを進んで林道に入る。旧天城峠だった二本杉峠からの道と合し、
宗太郎園地へ。太いモミの木の下に、古い石仏が祭られていた。
その先は、宗太郎林道と呼ぶかなりの年代を感じる杉並木となり、500mほど先には
新しい休憩舎とトイレが設けられていた。
猿田渕入口のところから、河津川に向かって下ると、河津七滝の遊歩道になるのだが、
10月23日に落石があり、七滝上部の釜滝から蛇滝の間が通行禁止との標識があり、入
れない。
日没まであと1時間ほどなので、河津七滝巡りは止めて、国道414号をループ橋のと
ころまで進むことにした。
国道下をくぐり、水垂(みずたれ)バス停で国道に上がる。自動車に注意しながら狭い
側道を1.5㎞ほど進み、河津七滝ループ橋にかかった。
橋の半径は40m、完全円形のループが2段、右回りで下る。外側の側道からは、回る
につれていま下ってきた河津川上流↑と、これから進む下流↓の谷間が見下ろせる。
2周してループ橋の下まで下り、河津七滝ループ橋バス停で国道を離れ、河津川左岸沿
いの梨本集落沿いに下る旧道、下田街道に入る。
納経供養塔、無量仏塔、大日如来などの石塔が並ぶ一角や、室町時代末期の宝篋印塔
(ほうきよういんとう)と伝えられる関戸芳信の墓↓を過ぎる。
ある民家の道路際に、十二支の干支など、たくさんの瓦が並んでいた。
やまさんが以前泊まったという民宿「てっぽう」の前を過ぎると、下田街道は右に大き
くカーブする。河津川にかかる吊り橋を渡り、支流の大鍋川と合流したところで再度橋を
渡った。
左からの国道が近接したところで国道に上がり、そばの寺、慈眼院(じげんいん)経営
の天城温泉禅の湯YHに、16時35分に着いた。
寺は、初代駐日総領事タウンゼント・ハリスが、修好通商条約締結のため下田から江戸
へ向かう初日に泊まったという。昨日に続き今日も温泉につかり、歩き旅の疲れをとる。
【コースタイム】木太刀荘8・14ー水恋鳥広場8・40ー伊豆の踊子碑9・08~10ー浄蓮の
滝資料館9・20~35ー藤村文学碑9・51ー昭和の森会館10・30~45ー井上靖文学碑
11・08ーゆうゆうの森11・35~50ー水生地下バス停12・18ー旧天城トンネル西側(昼食)
12・47~13・05ー寒天橋13・38~40ー平滑の滝降り口14・03ー滝見台14・20~25ー宗太
郎園地14・43ー休憩舎14・57~15・03ー猿田渕入口15・10~20ー河津七滝ループ橋バス
停15・50ー天城禅の湯YH16・35
(天気 曇時々雨、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ島、湯ヶ野、歩行地
伊豆市、河津町、歩数 ?、累積標高差 約2,400m)
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