2021年8月17日(火)
一昨日は第2次大戦の終結から76年、当日のことを記憶されている方はもう数少なく
なったと思われます。
私は隣の家に行って、ラジオから流れる雑音で聞き取りにくい昭和天皇の放送を聞いた
のは、国民学校の生徒だった暑い夏の日だったことを記憶しています。
このところ毎日、梅雨末期のような雨が続き、北九州や西日本、さらに長野県などで被
害が多数発生しており、被害を受けられた方々にお見舞い申し上げ、あわせて一日も早い
復興をお祈り申し上げます。
わが家周辺では、激しい降雨にはなりませんが雨は毎日続いており、加えて新型コロナ
ウィルスの感染者は増大の一途をたどっており、市内の限られたエリアの買い物を兼ねた
ウオーキングのみに止めており、一昨日は雨が続いたので歩きも止めました。
そのような日々なので投稿するものも無いので、今回はまだ在職中の25年前の今頃、
夏休みを取って出かけた日本百名山、男体山(なんたいさん)への山登りの模様です。
わずかな行数しかない日記帳の記録と、色あせたプリントからスキャナーで取り込ん
だ写真ですが、ご覧いただくことにします。
=======================================
1996年8月18日(日)
6時50分に起床し、8時29分に連れ合いと自宅を出た。上野駅から地下鉄銀座線で
浅草駅まで行き、10時20分発日光行き下り電車に乗る。前2両の快速車両は発車時に
も少し空席があった。
12時24分に東武日光駅に着き、12時30分発のバスに乗る。第2いろは坂上のト
ンネルの先に猿が出ているようで、その影響でいろは坂の上り口付近から渋滞し、予定の
13時19分予定が遅れて13時50分頃に中禅寺湖の北東側湖畔、中禅寺に着いた。
今日の宿は、中禅寺局前バス停からすぐ上の民宿一茂。部屋は2階の新しい部屋「せき
れい」で、眼前に中禅寺湖が見える。
散歩に出て近くの日光二荒山(ふたらさん)神社中宮に参拝し、明日の男体山(なんた
いさん)登山の入山料500円を前払いして御札をいただく。ちなみに男体山は、日光二
荒山神社の境内地である。
境内には、オオハンゴンソウがたくさん咲いていた。
さらに中禅寺湖東岸にある立木(たちき)観音に向かうが、半袖シャツでは涼しい。立
木観音近くからの中禅寺湖北東畔と男体山。男体山には雲がかかっている。
立木観音を拝観し、境内の冷たい延命水を飲む。
中禅寺湖畔を戻って16時50分に民宿一茂に入る。宿の気温は23.5℃だった。
夕食は宿の食堂で18時から。ほかの宿泊者は1人のみだったが、昨日までは満員だっ
たとか。
明朝は早出するので朝食代わりの弁当を依頼したら、昼食の弁当は不要と勘違いしたよ
うで朝食分だけ作ってくれたので、民宿前の店で昼食用のパンを買う。でも、部屋のアイ
スボックスに、凍ったスポーツドリンクとレモンを用意してくれた。
20時30分に就床したのだが、布団では暑くタオルケットだけでは涼しく、掛けたり
はいだりして何度か目が覚める。
8月19日(月)
3時45分に起床、朝食は食べずに4時23分に民宿一茂を出た。まだ暗いのでヘッド
ライトを点け、二荒山神社中宮の背後から登山路へ。いきなり樹林の中の石段が続く。
3合目から4合目は車道を上がる。5時30分に4合目のガレのところを通過し、間も
なく樹林の間から中禅寺湖が見下ろせるようになった。
4合目~5合目間から見下ろす中禅寺湖
5時41分から55分まで、5合目の避難小屋で休憩する。その先は観音薙と呼ぶかな
りの急坂で、少し気分がおかしくなったが小休止したら回復した。
6時14分に6合目を通過する。6時41分から7時15分まで7合目で朝食。握り飯
1.5個とパンを食べていたらホシガラスが近づいてきて、落としたパンくずを拾う。
7時40分に8合目を通過、ガレ地が増えて周囲の樹木はコメツガが多い。
8時05分に9合目へ。眼下の中禅寺湖が見えなくなり、赤くガレた砂礫地を上がる。
西方に白根山〈2577.6m〉や金精峠(こんせいとうげ)方面、戦場ヶ原などの展
望が広がってきた。
9時31分、男体山山頂にある二荒山神社奥宮に着いた。社務所は閉じている。北側の
志津(しづ)方面から2人上がってきたので、交代で記念写真を撮りあう。
奥宮の西方にある社殿や燧ヶ岳(右)、金精峠(左)方面
その先に標高2484.4mの男体山三角点があり、太郎山や尾瀬の燧ヶ岳(ひうちが
たけ)など北方の展望がよいが、東側はガスで見えない。
>
山頂にあった、倒れた古い木の道標を抱えて写真を撮った後、倒そうとして右手人差し
指にトゲが刺さりチクチクする。
正面中央、奥のピークは尾瀬の燧ヶ岳
同じ山頂から北方の太郎山
9時51分に北側の志津への下り道へ。
樹林帯をぐんぐん下り、9時31分から51分に5合目付近で休憩してジュースを飲む。
山頂で会った2人が追いかけてきて、以後、志津小屋まで同行する。
10時17分に4合目、10時24分に3合目、10時34分に1合目を通過する。
10時41分、標高1785mの志津子屋に着いた。11時まで休憩し、同行の2人と
分かれた。
西に延びる裏男体林道に入り、5分で志津乗越(のっこし)ヘ。その後は石ころの多い
車道で、陽が当たり暑い。11時38分に湯殿沢橋を通過し、ヘヤピンを曲がると木陰が
多くなった。
12時12分、梵字半場跡(ぼんじはんばあと)へ。水場があり水量が多くて冷たい。
ここで昼食をしていたら、その水をくみに3~4台の車が来た。13時02分に出発する。
その先は唐松林の中の林道で涼しい。13時26分に光徳(こうとく)分岐を過ぎると
細道となり、13時41分に三本松駐車場に着いた。
正面に男体山がバッチリ見える。すぐにバスが来たので乗り、13時42分に発車した。
バスは中宮祠(ちゅうぐうじ)で中禅寺の北西側湖畔に出て、北岸を東進する。宿泊し
た中禅寺を過ぎ、さらにいろは坂を下って14時42分に東武日光駅に着いた。
東武日光駅発14時56分の浅草行き快速電車は混んでいたが、ボーイスカウト越谷の
団体の一角に連れ合いは座らせてもらい、次の下今市(しもいまいち)で私も座れた。
疲れでうつらうつらしているうちに17時03分に浅草駅に着く。
上野、池袋を経由して19時03分に帰宅した。右手人差し指のトゲを抜いてもらい、
防水してシャワーで汗を流し、20時30分に就床した。
(天気 18日 曇後晴、19日 快晴一時晴、地図 「山と高原地図 日光 奥鬼怒・奥
日光」(5万分の1・昭文社)、歩数 18日 12,700、19日 32,400)
〈参考〉男体山の最高点は2,486mと、2003年10月に国土地理院から発表され
た。現在の地形図では三角点の標高も2,484.2mになっている。
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一昨日は第2次大戦の終結から76年、当日のことを記憶されている方はもう数少なく
なったと思われます。
私は隣の家に行って、ラジオから流れる雑音で聞き取りにくい昭和天皇の放送を聞いた
のは、国民学校の生徒だった暑い夏の日だったことを記憶しています。
このところ毎日、梅雨末期のような雨が続き、北九州や西日本、さらに長野県などで被
害が多数発生しており、被害を受けられた方々にお見舞い申し上げ、あわせて一日も早い
復興をお祈り申し上げます。
わが家周辺では、激しい降雨にはなりませんが雨は毎日続いており、加えて新型コロナ
ウィルスの感染者は増大の一途をたどっており、市内の限られたエリアの買い物を兼ねた
ウオーキングのみに止めており、一昨日は雨が続いたので歩きも止めました。
そのような日々なので投稿するものも無いので、今回はまだ在職中の25年前の今頃、
夏休みを取って出かけた日本百名山、男体山(なんたいさん)への山登りの模様です。
わずかな行数しかない日記帳の記録と、色あせたプリントからスキャナーで取り込ん
だ写真ですが、ご覧いただくことにします。
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1996年8月18日(日)
6時50分に起床し、8時29分に連れ合いと自宅を出た。上野駅から地下鉄銀座線で
浅草駅まで行き、10時20分発日光行き下り電車に乗る。前2両の快速車両は発車時に
も少し空席があった。
12時24分に東武日光駅に着き、12時30分発のバスに乗る。第2いろは坂上のト
ンネルの先に猿が出ているようで、その影響でいろは坂の上り口付近から渋滞し、予定の
13時19分予定が遅れて13時50分頃に中禅寺湖の北東側湖畔、中禅寺に着いた。
今日の宿は、中禅寺局前バス停からすぐ上の民宿一茂。部屋は2階の新しい部屋「せき
れい」で、眼前に中禅寺湖が見える。
散歩に出て近くの日光二荒山(ふたらさん)神社中宮に参拝し、明日の男体山(なんた
いさん)登山の入山料500円を前払いして御札をいただく。ちなみに男体山は、日光二
荒山神社の境内地である。
境内には、オオハンゴンソウがたくさん咲いていた。
さらに中禅寺湖東岸にある立木(たちき)観音に向かうが、半袖シャツでは涼しい。立
木観音近くからの中禅寺湖北東畔と男体山。男体山には雲がかかっている。
立木観音を拝観し、境内の冷たい延命水を飲む。
中禅寺湖畔を戻って16時50分に民宿一茂に入る。宿の気温は23.5℃だった。
夕食は宿の食堂で18時から。ほかの宿泊者は1人のみだったが、昨日までは満員だっ
たとか。
明朝は早出するので朝食代わりの弁当を依頼したら、昼食の弁当は不要と勘違いしたよ
うで朝食分だけ作ってくれたので、民宿前の店で昼食用のパンを買う。でも、部屋のアイ
スボックスに、凍ったスポーツドリンクとレモンを用意してくれた。
20時30分に就床したのだが、布団では暑くタオルケットだけでは涼しく、掛けたり
はいだりして何度か目が覚める。
8月19日(月)
3時45分に起床、朝食は食べずに4時23分に民宿一茂を出た。まだ暗いのでヘッド
ライトを点け、二荒山神社中宮の背後から登山路へ。いきなり樹林の中の石段が続く。
3合目から4合目は車道を上がる。5時30分に4合目のガレのところを通過し、間も
なく樹林の間から中禅寺湖が見下ろせるようになった。
4合目~5合目間から見下ろす中禅寺湖
5時41分から55分まで、5合目の避難小屋で休憩する。その先は観音薙と呼ぶかな
りの急坂で、少し気分がおかしくなったが小休止したら回復した。
6時14分に6合目を通過する。6時41分から7時15分まで7合目で朝食。握り飯
1.5個とパンを食べていたらホシガラスが近づいてきて、落としたパンくずを拾う。
7時40分に8合目を通過、ガレ地が増えて周囲の樹木はコメツガが多い。
8時05分に9合目へ。眼下の中禅寺湖が見えなくなり、赤くガレた砂礫地を上がる。
西方に白根山〈2577.6m〉や金精峠(こんせいとうげ)方面、戦場ヶ原などの展
望が広がってきた。
9時31分、男体山山頂にある二荒山神社奥宮に着いた。社務所は閉じている。北側の
志津(しづ)方面から2人上がってきたので、交代で記念写真を撮りあう。
奥宮の西方にある社殿や燧ヶ岳(右)、金精峠(左)方面
その先に標高2484.4mの男体山三角点があり、太郎山や尾瀬の燧ヶ岳(ひうちが
たけ)など北方の展望がよいが、東側はガスで見えない。
>
山頂にあった、倒れた古い木の道標を抱えて写真を撮った後、倒そうとして右手人差し
指にトゲが刺さりチクチクする。
正面中央、奥のピークは尾瀬の燧ヶ岳
同じ山頂から北方の太郎山
9時51分に北側の志津への下り道へ。
樹林帯をぐんぐん下り、9時31分から51分に5合目付近で休憩してジュースを飲む。
山頂で会った2人が追いかけてきて、以後、志津小屋まで同行する。
10時17分に4合目、10時24分に3合目、10時34分に1合目を通過する。
10時41分、標高1785mの志津子屋に着いた。11時まで休憩し、同行の2人と
分かれた。
西に延びる裏男体林道に入り、5分で志津乗越(のっこし)ヘ。その後は石ころの多い
車道で、陽が当たり暑い。11時38分に湯殿沢橋を通過し、ヘヤピンを曲がると木陰が
多くなった。
12時12分、梵字半場跡(ぼんじはんばあと)へ。水場があり水量が多くて冷たい。
ここで昼食をしていたら、その水をくみに3~4台の車が来た。13時02分に出発する。
その先は唐松林の中の林道で涼しい。13時26分に光徳(こうとく)分岐を過ぎると
細道となり、13時41分に三本松駐車場に着いた。
正面に男体山がバッチリ見える。すぐにバスが来たので乗り、13時42分に発車した。
バスは中宮祠(ちゅうぐうじ)で中禅寺の北西側湖畔に出て、北岸を東進する。宿泊し
た中禅寺を過ぎ、さらにいろは坂を下って14時42分に東武日光駅に着いた。
東武日光駅発14時56分の浅草行き快速電車は混んでいたが、ボーイスカウト越谷の
団体の一角に連れ合いは座らせてもらい、次の下今市(しもいまいち)で私も座れた。
疲れでうつらうつらしているうちに17時03分に浅草駅に着く。
上野、池袋を経由して19時03分に帰宅した。右手人差し指のトゲを抜いてもらい、
防水してシャワーで汗を流し、20時30分に就床した。
(天気 18日 曇後晴、19日 快晴一時晴、地図 「山と高原地図 日光 奥鬼怒・奥
日光」(5万分の1・昭文社)、歩数 18日 12,700、19日 32,400)
〈参考〉男体山の最高点は2,486mと、2003年10月に国土地理院から発表され
た。現在の地形図では三角点の標高も2,484.2mになっている。
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古い写真と記録を探し出したものです。
記録は以前からこまめに取っていたので、多少は参考になるかと思い、紹介しました。
写真が、もう少しきれいに復元できるとよいのですが・・・
25年前なので、フィルムカメラかビデオカメラしか記録メディアはありませんでした。
1/4世紀の隔たりは、大きな時代の変化を感じます。