あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 宝積寺駅(栃木)

2008-01-20 21:44:38 | 関東百駅巡礼歩行
 2008年1月19日(土)

 カントリーウオーカー「やまさん」企画の、「関東百駅
巡礼歩行」、5年目に入って最初になる41番目は、JR
東北線宝積寺(ほうしゃくじ)駅11時集合で開催された。



 集まったのは東京、神奈川、埼玉、それに地元栃木
からの16人。宝積寺駅は、昨年10月に東西連絡用
コンコースを兼ねた橋上駅になったばかりで新しい。

 新しく整備された東口には、建築家・隅研吾(くま
けんご)氏設計の石の蔵をイメージした建物が並び、
それを囲む「ちょっ蔵広場」ができていた。


 橋上の改札口そばで記念撮影をして、11時12分に
出発した。


 雪の日光連山や高原(たかはら)連峰などが望める
西口に出て、もとは国道4号だった県道101号を少し
南へ、信号のあるT字路を左折して線路の東に回る。

 商店街を400mほど、信号のある交差点そばの細
道を左に入ってKさん宅を訪ねる。

 昨年12月14日、やまさんの「歩く旅30年」の集い
をした東京・金町の「夢や」の、お姉さんの家があると
聞き訪ねたもの。幸い在宅しておられ、お会いすること
ができた。

 交差点際に戻り、斜めの通りを進んで、高根沢町役
場へ。土曜で閉庁日だが玄関は開いていて、町のこと
を少し聞き、パンフレットをもらう。

 町内には、東京国際空港(千葉・成田)の建設に伴い
三里塚から移転した宮内庁の御料牧場や、キリンビー
ル栃木工場、宇津救命丸の工場や史料館などがある
という。

 役場の南で県道を横断、そばの小さい社を経て、ス
ーパー「Lion D'or」の南側の住宅地を西へ折り返すよう
に進み、踏切を越える。

 県道101号を横断しさらに西へ、今日のチェックポイ
ントともいうべき最初の記念碑を見つける。「生駒神社」
と記された碑だが、そばに神社はない。

 国道4号に向かって阿久津小の南側の坂を下ると、
がけ下に赤い頭巾を被った3体の地蔵と、数体の石仏
が並んでいた。

 ちょうどそのお地蔵さんに、お供えをあげに数人のご
婦人が来た。地蔵さんは子どもを守ってくれるとか。安
産を祈願して1月と8月にお供えをあげ祈るのだという。

 地蔵さんの首にかけてある竹筒に、以前は御神酒を
注いでいたのだが、首が重かろうと最近は傍らに注ぐ
ようにしたとも話してくれた。

 国道4号交差点際にある稲荷神社社殿横には、祭礼
に使う山車の新しい保管庫ができていた。


 跨道橋で国道を越えると田園地帯。男体山や女峰山
など日光連山、その右に雪のない高原連峰、さらに右
奥には雪で白い那須連峰も望見出来る。

 写真左から右へ、男体山、大真名子山、小真名子山、
女峰山

 鬼怒川左岸堤防に上がり少し上流に進み、枯れ草に
腰を下ろし、県民ゴルフ場の向こうに日光連山などを見
ながら昼食にした。

 寒中だが風もほとんど感じず、穏やかな日和である。

 20分ほどで食事を終えて堤防を南に進む。ゴルフ場
の下流の河川敷一帯には「鬼怒グリーンパーク」と呼ぶ
施設が広がっている。

 冒険の森、水上アスレチックス、ボート池、テニスコー
ト、野球場などがあり、ナノハナやポピー、コスモスなど
の花畑も花どきは見ごとだという。

 堤防の東側にある管理事務所横のトイレを借り、次
の石碑ウオッチングへと国道4号に向かう。

 管理事務所の近くには、「磧地開発記念碑」があり、
国道交差点際には、りっぱな「百観音霊場巡拝記念碑」
が立っていた。

 そばの広い民家、加藤家の奥様が出てこられ、百観
音を巡ったのは、77歳だった祖父母だという。碑には
昭和47年(1972)建立と記されていた。
 
 国道4号の東に並行する旧道を、宝積寺中から宝積
寺下集落へと進み、東側台地上を走る県道101号沿
いにある次の記念碑を目指す。

 宝積寺下集落が終わっる辺りで台地下に行き、小さい
ほこらの背後から、斜面林の中をやぶこぎして県道に上
がる。

 ホテルCCCのそばに上がり、少し南側に進むと、「野中
満吉翁頌徳碑」が林の中にあった。大正13年(1924)
の建立で、石碑マークの碑としては小ぶりだった。

 少し先で左に入り、JR東北本線の深い堀割の上を越え、
線路沿いを300mほどで南へ、3本の送電線下を進んで
国道408号に合した。


 高根沢町と宇都宮市の市町境付近から、西側がけ下
の鬼怒川にできている岡本頭首工(とうしゅこう)を目指
すことにする。

 道のない畑のあぜと雑草地を西に進む。雑草地には
ツルやバラがあり、ちょっと歩きにくかった。


 数戸だけの住宅地の南側から、急な斜面林を下る。
一足ごとにズーッと滑るような急坂を、木につかまりな
がら慎重に下る。

 田のあぜを少しと敷石の敷かれた雑草地を進んで、
岡本頭首工の左岸に出た。満々と水をたたえた堰にな
っている。

 頭首工とは、河川の流水を用水路に引き入れるため
の施設で、一般には、取水堰(せき)、取り入れ口、付帯
施設及び管理施設から構成されており、用語としては、
明治以来用いられているという。

 ちなみに、岡本頭首工は、鬼怒川中流部の水田2518
ha、畑490haの耕地にかんがいを行うために、昭和60
年(1985)完成し、堤長364.5m、堤高2mとのこと。


 鬼怒川左岸のコンクリート護岸上を北に向かい、国道
4号の2つの橋、新鬼怒川橋下から鬼怒川橋下まで進ん
だが、その先は護岸がない。

 新鬼怒川橋下のがけには、長いつららがのびていた。

 
 鬼怒川橋東詰付近に向かってもう1度急斜面を上が
ることになった。高さは数mながら、垂直に近い斜面を
木やむき出しの根などにつかまり、両手両足を使って
橋のそばに上がった。

 このシリーズでは、毎回のようにやぶこぎがあるが、
今日のように3回も、しかも急斜面の上り下りは初めて
だった。

 でも昔の娘さん達も、橋のそばに上がったら、かつて
のお転婆ぶりを思い出したのか、「面白かったー!」と
の声が出た。

 国道4号をすぐ先の跨道橋で越えて県道101号に回
り、一部往路を通過し線路沿いに進み、15時45分に
宝積寺駅に戻った。

 15時54分発宇都宮行き上り電車で帰途につく。

(天気 晴、距離 10.5㎞、地図(1/2.5万) 宝積寺、
 歩行地 高根沢町、宇都宮市)  

 

 

 
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関東百駅巡礼歩行で宝積寺駅へ(栃木)

2008-01-19 22:40:05 | カントリーウオーク
 やまさんの「関東百駅巡礼歩行」、2008年のトップ
は、今日1月19日(土)にJR東北線宝積寺(ほうしゃ
くじ)駅に集まり、周辺を歩きました。

 詳しくは明日にでも報告しますが、参加メンバーと
展望などをちょっとだけ紹介します。

 縁起のよい駅名とあり、集まったメンバーは16人
でした。


 穏やかな好天に恵まれ、昼食地の鬼怒川左岸堤防
からは、男体山、女峰山、大真名子山など日光連山
の好展望に恵まれました。


 午後の後半には、鬼怒川左岸の急な斜面林をやぶ
こぎして下り、鬼怒川の岡本頭首工(とうしゅこう)を訪
ねました。


 頭首工というのは、農業用水などの取水堰のようなもの
をいうようで、埼玉県内の荒川上流にも深谷市(旧川本
町)に、六堰(ろくせき)頭首工というのがあったのを思い
出しました。




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四国遍路での宿(1)

2008-01-18 22:45:56 | 四国遍路あれこれ
 四国遍路に感心をお持ちの方は、どんな宿に泊まっ
たのか気になることと思います。そこでカテゴリー「四国
遍路あれこれ」の次のテーマとして、四国遍路で泊まっ
た宿を取り上げることにしました。

 私の2度の四国遍路では、それぞれ前半、後半の2度
に分けての区切り打ちをしました。

 初回は2004年2月中旬~3月中旬と、2004年11月
中旬~12月初め、2回目は2006年11月中旬~12月
上旬と、2007年2月中旬~3月上旬でした。

 宿泊した宿の数としては、
 初回は前半27,後半18、計45、
2回目は前半26,後半19、計45の宿に泊まりました。

 2回目には、初回泊まって気に入った宿にもう一度泊
まったのが21日あり、半分近い宿に再宿泊したことに
なります。

 そんな宿について、気のついたことを順路に従い紹介
して参ります。

 なお、食事時刻については宿泊者の要望により変わる
こともあり、私が食べた時刻を示してあります。また、
その後、料金など変更した宿があるかもしれません。

=======================



【民宿寿食堂】5番地蔵寺から3.3㎞
 初回の初日に宿泊。食事は兼営の1階食堂で食べた。
 夕食18時から、朝食6時半から。
 1泊2食6300円、洗濯機100円、

【6番安楽寺宿坊】
 温泉付きの宿坊で、2006年秋NHK総合TVで放映
されたドラマ「ウオーカーズ」で、この温泉が撮影された
という。(宿坊は、この写真のかやぶきの家の右手)



 夕食18時、朝食6時30分
 夕食後、19時から本堂でのお勤めあり(強制ではな
いが、参加すると有益な講話が聞ける)。
 1泊2食6500円、洗濯機使用料200円

【さくら旅館】11番藤井寺へ2.2㎞、JR鴨島駅近く。
 おかみさん、若ご主人(息子さん)ともに、気持ちよい
対応をして下さり、夕食時の食堂でのお遍路同士のコ
ミュニケーションにも気を配って下さる。

 食事メニューもよく、おししい。
 安楽寺宿坊同様、NHK総合TV放映の「ウオーカーズ」
と、2006年秋NHK教育TV放映の「はじめてのお遍路」
の撮影にも、この旅館が使われた。
 1泊2食(初回)6300円、(2回目)6000円
 洗濯機無料、弁当のお接待をいただく。
 弁当の包み紙に、おかみさんが一人ひとり異なるメッ
セージを書いて下さった。おすすめの宿で2度宿泊した。

【植村旅館】12番焼山寺から玉ヶ峠越えで11.1㎞の
1軒だけの宿。

 おかみさんの気持ちよい対応が気に入り、2度宿泊。
 洗濯はおかみさんがして下さった。

 上は夕食、下は朝食。

 夕食17時過ぎ、朝食6時30分
 1泊2食(初回)7600円(ビール大瓶1本込み)、
 (2回目)7000円、コインTV1時間100円

【ビジネス旅館近藤】17番井戸寺から6.4㎞、
徳島市の市街地にある。
 もとビジネスホテルだが、食事も依頼出来る。
 建物・設備は少し古い。
 夕食18時、朝食6時30ふん、
 1泊シングル2食付き6000円

【東横イン徳島駅眉山口】17番井戸寺から6.6㎞の
徳島市内、眉山ロープウェイ上り口近くの市街地にある。
 ほかの東横イン同様、朝7時からおにぎりと味噌汁の
無料サービスがあるが、早出したので利用せず。
 シングル6000円、コイン洗濯機200円、

【民宿金子や】20番鶴林寺へ3㎞
 鶴林寺への上り口にある1軒だけの宿。対応は事務
的で、宿泊した多くの遍路の評判はいまひとつ。
 風呂は10人くらい入れる浴槽だが、湯はぬるめだった。
 部屋は16畳を半分に仕切ったところで、隣の音や話
が筒抜けだった。
 朝食6時20分、夕食時刻はメモ忘れ 
 コイン洗濯機と乾燥機で300円
 1泊2食+おにぎり3つで5500円

【旅館かえで】20番鶴林寺へ2.1㎞。番外霊場星の
岩屋と鶴林寺との中間にある。

 鉄筋3階建ての大きな建物だが、年老いて病気がち
のおかみさんが一人で切り盛りしているので、大人数
の宿泊は断っているという。
 夕食はヘルシーで独特のメニュー。よく寝られるよう
にと、年期ものの梅酒のお湯割りをいただいた。
 朝食6時30分、夕食はメモ忘れ。 
 1泊2食6500円

【民宿山茶花(さざんか)】22番平等寺そば
 平等寺山門の右手にある。

 食堂兼営で食事はその食堂で。部屋は8畳で明るく、
風呂も広くてお湯があふれ気持ちよい。夕食も盛り
だくさんでおいしい。

 部屋に冷水とお湯のポットが用意してくれる気遣い
が嬉しい。洗濯機・乾燥機とも無料。
 お勧めの宿のひとつで、2回とも宿泊した。
 夕食18時、朝食6時30分。
 1泊2食6300円、缶ビール350円、

【民宿あづま】23番薬王寺から15.2㎞、JR牟岐
駅前の交差点際。
 食堂兼営で、気持ちよい対応をいただくおかみさん
も、車で四国遍路を何回かしており、よその店の対応
を自店での営業に生かしているとのこと。

 上は初回の夕食、下は2度目の時の夕食。

 夕食時に、お手製の梅酒をいただき、料理ももりだ
くさんでおいしい。浴衣代わりのパジャマと厚いガウン
がこの宿独特。おかみさんの対応と食事が気に入り、
やはり2回宿泊した。
 1泊2食6500円、中ビンビール500円。

                     (続く) 
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2008年の初雪うっすらと

2008-01-17 21:23:23 | 所沢だより
 朝起きて戸を開けたら、思いがけず外はうっすらと
白くなっていました。こちらでは初雪です。




 でも、太陽が高くなることには消えてしまいました。
午前中に快晴になりましたが、予想最高気温は6℃、
今日も真冬の寒さが続きそう…。

 午後、所沢米軍基地の東北にある並木公民館で開
催された、「eーTax」の説明会に出かけました。

 自宅のパソコンから、間もなく始まる所得税の確定
申告ができるシステムのことです。

 わが家から歩いて、4.5㎞あり、日中なのに北風が
冷たく、寒いので急ぎ足で駆けつけました。

 終了したのは17時近く。すでに日没後でしたが、公
民館の2階から、米軍基地の向こうに富士山がくっきり
と見えていました。


 帰路、基地の金網に沿って北に向かう途中からも、
草地の広がる基地の向こうに残映が見られました。

 所沢米軍基地は、東京にある米空軍横田基地所属
の飛行機との通信基地になっていて、ここには送信用
のアンテナが十数本立っています。


 これは大きな指向性アンテナ。冷えきった夕空に
大きくそびえていました。


 一昨日紹介した所沢航空記念公園も、戦前、戦時中
は陸軍の飛行場でしたが、終戦直後は米軍基地でした。



 その後返還された区域は、公園のほか、市役所、郵
便局、警察署、小中高校、防衛医大などの公共機関、
公団の高層団地などができましたが、その北側にまだ、
97万平方㎞もの米軍通信基地が残っているのです。

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所沢航空記念公園の記念碑と記念像(埼玉)

2008-01-15 22:01:49 | 所沢だより
 午前中は雲が多く冷え込んでいましたが、午後に
なり次第に雲が消えて、快晴になりました。

 昼食後、いつも回っている所沢航空記念公園まで
ウオーキングに出かけました。




 そろそろロウバイが見ごろではないかと思い、ロウ
バイ園を目指しましたが、あわせて今日は、園内に
ある4つの記念碑(像)も巡ることにしました。

 公園の西北にある市立図書館横から南に向かい、
日本庭園のある彩翔亭(さいしょうてい)の入口近く
には、「大正天皇御駐輦之碑」が立っています。

 この地が所沢飛行場だった大正時代に、行幸され
たものと思われますが、時期などを記したものは何
もありません。

 彩翔亭と南側台地下にある硬式野球場との間には、
「フォール大佐の像」があります。

 フォール大佐は、フランス陸軍の砲兵大佐で、大正
8年(1923)1月、63名のフランス航空教育団長と
して来日、約19か月にわたり航空技術の指導教育を
し、わが国航空界の発展に貢献した人です。
 

 彩翔亭の北側の広い芝生地などの前を東に進めば、
目的のロウバイ園があります。

 ロウバイの数は30本前後かと思いますが、かなり
花開いていました。




 向こうに見えるのは、所沢航空発祥記念館と航空
自衛隊で使用していた飛行機。


 さらに東へ、中央の高い塔の先まで進むと、「少年
航空兵像」が空を向いています。

 この像は、昭和18年(1943)、彫刻家・長沼孝三
氏(1908~93)が第2回大東亜戦争美術展に出品
し、翌19年5月、この地にあった所沢航空整備学校
内に建立されたものです。

 翼を抱いて空を見上げる3人の姿は、当時の少年
飛行兵や整備兵のシンボルとされていました。

 戦後、この地は米軍基地として接収、昭和46年
(1971)の基地返還後、痛みが激しかった像を保存
しようと、平成9年2月、長沼孝三彫塑館(山形県長井
市)の協力で修復工事を行ったとのことです。

 園内南東側を回るジョギングコースを東南端に下り、
池の横に出ました。

 周辺の桜やケヤキなど、皆枯れ枝のまま。


 池の南側、大きく伸びたメタセコイアも同様です。

 西に少し戻った芝生広場付近には、1番大きな
「木村・徳田中尉像」が立っています。

 大正2年(1913)3月28日、所沢飛行場を離陸した
両中尉搭乗のプレリオ機は、青山練兵場に着陸して、
貴族院・衆議院議員の観覧及び説明後、帰航の途に
つきました。

 ところが、所沢飛行場の北東約1.5㎞の地で、突風
により翼を破壊され、両中尉は飛行機とともに墜落し、
わが国初の航空犠牲者になり、国民のすべてが深く
その死を悲しみました。

 当時の「やまと新聞」が義援金をつのり、墜落地点に
記念塔を建て、両中尉の英姿を銅像として残しました。

 墜落地が交通不便で訪れる人が少ないので、西武線
所沢駅前、西武園、航空自衛隊入間基地へと順次移設
され、昭和55年(1980)3月、航空発祥の地であるここ
に落ち着いたのです。 

 このように、園内にある記念碑はいずれも、この地が
所沢飛行場だったときのゆかりのものです。

 公園の西南、西新井町交差点で公園を離れ、いまは
ちょっとさびれた銀座通りを経て、帰途につきました。
 

 
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四国遍路での昼食地(7)

2008-01-14 22:45:35 | 四国遍路あれこれ
 今日、1月14日は成人の日。午後、所沢駅に近い
繁華街・プロペ通りに行ったら、成人式を終えた和服
姿の女性がたくさん目につきました。

 昨年暮れの12月27日で中断していた、四国遍路
での昼食地についての最終回です。

======================



[後半15日目]初回は、何日か同宿の3人のお遍路
さんと終日一緒でしたが、高松市内の82番根香寺に
参拝後、大師堂横のベンチにて、高松市内のコンビ
ニで購入した弁当を食べました。

 11月27日で風が冷たく、休んでいると寒いので、
食べ終わると早々に出発しました。

 2回目は、78番郷昭寺から79番高照院に向かう
途中、丸亀市内在住で昔の職場で一緒だったFさん
に、市内のさぬきうどん店にて、お接待のうどんとお
でんをいただきました。

[後半第16日]初回は、屋島山上の84番屋島寺か
ら下り、番外霊場須崎寺(下の写真)近くの小公園で、
近くのスーパー・マルナカ購入の弁当を食べました。


 2回目は雨の日、初回の前日同様82番根香寺の
参拝後、山門横にシートを広げての昼食。

 3月5日でしたが、雨上がりと標高365mの山上
なので、この日も冷たい風にふるえながらの食事で
した。

[後半第17日]初回は結願当日、87番長尾寺から
88番大窪寺に向かう途中、前山おへんろ交流サロ
ンにて、すぐ前の道の駅ながおで買ったパンと草餅と
牛乳の昼食でした。


 2回目には、初回の前日同様、須崎寺に近いスーパ
ー・マルナカ購入の弁当を、85番八栗寺へのケーブル
の山麓駅に近い芝生地に、シートを広げて食べました。

 よほど寒い日でなければ、昼食時はこのように靴も
靴下も脱いで日に当て、乾燥させました。そのお陰か、
足の裏が蒸れてマメができることはありませんでした。

[後半18日目]初回、88番大窪寺そばの民宿八十窪
を出て、総奥の院與田寺に向かいました。

 途中、徳島・香川県境の境目集落にあった小さいお
店で買った菓子パンと草餅だけのちょっとさびしい昼
食を、大内ダム近くの公園で、同行の京都市の I さん
と食べました。

 2回目は、初回の前日同様、前山おへんろ交流サロ
ンに寄った後、女体山越えの遍路道に向かい、譲波
休憩所の古い木のテーブルと椅子を借りての昼食。


 山を越えて無事88番大窪寺に結願しました。

[後半19日目]初回はこの日が最終日。3番金泉寺
から1番霊山寺に戻って四国遍路一周の輪を結びま
した。

 迎えに来てくれた岡山の I さんの車で、鳴門市を
瀬戸内海側に回って、国道11号際にあった海鮮料
理店で、新鮮なハマチの刺身定食。大きなお椀一杯
にワカメの入ったすまし汁がついていました。

 2回目は、民宿八十窪お接待のおにぎりを、高松
自動車道引田IC近くの成松神社境内のベンチでいた
だきました。


[後半第20日]2回目の最終日も、初回の前日同様、
岡山の I さんが迎えに来て下さり、国道11号の同じ
海鮮料理店での、やはりハマチ定食でした。

 右下が、大きなお椀に入ったワカメたっぷりのすまし
汁です。




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東京横断水辺66㎞ロクロクウオーク(第3日)

2008-01-13 15:10:23 | 江戸・東京を歩く
 2008年1月6日(日)

「東京横断水辺66㎞ロクロクウオーク」の最終日は、朝
から雲ひとつ無い快晴。8人のメンバーが、西武新宿線
武蔵関駅を8時にスタートした。

 西武新宿線に沿って商店街を西へ、武蔵関公園に入る。

富士見池の中ほどで記念撮影。いずれも3日間参加の
メンバーである。

 撮影は、2日参加の金井さん。昨年暮れ、「21世紀の
朝鮮通信使を歩く」を出版されたばかり。

 武蔵関公園の西南端から南へ、青梅街道を越え、千川
上水へ出た。

 千川上水は、元禄9年(1696)に、小石川御殿、湯島、
聖堂、東叡山、浅草寺御殿などに給水するために作られ、
江戸市中の飲料水や浄水沿いの農地の潅漑用水として
も大きな役割を果たした。

 昭和46年(1971)、最後まで使っていた大蔵省印刷
局王子工場(この歩きの初日、ゴール近くに門前を通過)
が取水を止め、一旦途絶えた流れが、平成元年に復活
したという。

 逆行する方向になるが、練馬区と武蔵野市の境となる
上水沿いの緑道を下流(東)へ1.5㎞ほど戻る。


 石神井西中のところで右折して南へ、吉祥寺通りに入り、
武蔵野八幡宮に参拝する。


 境内には、昨年から武蔵野商工会議所がはじめた武蔵
野吉祥七福神の大黒天があり、商工会議所の人が数人、
参拝を呼びかけていた。

 JR中央線吉祥寺駅の西側を下って、都立井の頭公園
に入り休憩した。


 神田川の源流があり、噴水の上がる池の西側にある
弁財天も、武蔵野吉祥七福神のひとつである。

 公園の西端から玉川上水緑道に入って西に向かう。今
日のコースの大半は玉川上水緑道沿い。

 玉川上水は、承応2~3年(1652~3)に江戸の飲料
水供給のために作られた上水路。

 飲料水の供給のほか、武蔵野台地の各地に分水され、
飲料水、潅漑用水、水車の動力として、武蔵野の開発に
大きな役割を果たした。

 近年まで淀橋浄水場への導水路として使われ、新宿
副都心計画で浄水場の廃止に伴い、一時水が途絶えた
が、都の清流復活事業により清流がよみがえった。

 すぐ近くに山本有三記念館があったので、立ち寄る。
文学者で三鷹市名誉市民でもある山本有三が昭和11
年(1936)から21年まで居住した建物。

 当時導入された海外の近代的様式の折衷的表現を試
みており、特に外部の暖炉煙突の石積みは、日本には
珍しい表現だという。

 館内は無料で観覧出来るが、時間の関係で外観を見
るに留めた。

 「風の散歩道」と呼ぶ、広葉樹の続く右岸沿いの緑道
を西に向かう。用水が真下をここだけ暗渠で通過する
JR三鷹駅を北に抜け、再び左岸沿いの緑道へ。


 境3丁目には、干ばつに悩まされていた品川領内の
農業用水として寛文9年(1669)に開通したという
「品川用水取水口跡」の説明板があった。

 東京都民の水源のひとつ、境浄水場の南を通過し、
千川上水の分流地点を過ぎる。
 
 間もなく、昨日歩いた石神井川の源流間近で、5月の
連休に開催される東京国際スリーデーマーチの主会場
でもある都立小金井公園に入った。

 豊富な広葉樹が園内に広がるが、いまは枯れ枝。東西
2㎞、南北に数百mある都立の自然公園。11時過ぎで
少し早めながらここで昼食とする。

 暖かな好天の日とあり、家族ずれなどのグループがたく
さん、新春の休日を楽しんでいた。

 ふたたび玉川上水緑道に入り、左岸をさらに西に向かう。
 
 スリーデーマーチの頃はやわらかな新緑に覆われたケヤ
キや桜なども、いまは枯れ枝のまま。

 小金井市から小平市に入り、西武多摩湖線を越えると
緑道は未舗装になり、歩きやすくなった。

 西武国分寺線を鷹の台駅の南側で越える。北側を並行
していた車道が離れ、いっそう歩きやすい林間の道が続く。


 朝鮮大学校の西で玉川上水を離れ、北に進路を変え、
いよいよ最終コースに入る。

 ケヤキやカシなどの屋敷林が並ぶ青梅街道沿いの家
並み、その街道際にあった竹内家には、小平市の保存
樹木中で最大の巨木だというケヤキの大木が立つ。

 高さ35m以上、目通り周囲6.5m、樹齢は300年以上
といわれるという。

 竹内家入口には、自家生産のりっぱなブロッコリーが
1個100円で無人販売されており、われわれに気づいた
娘さんが応対に現れ、過半数の人が購入した。


 青梅街道を少し西へ、小平消防署小川出張所横を右折
し、けやき通りを北に進む。

 玉川上水から分流した野火止用水や、新青梅街道など
を横断した。


 西武多摩湖線武蔵大和駅近くで、多摩湖の東側になる
狭山公園に入り、14時37分にゴールの多摩湖(下湖)
堤防下にある「たっちゃん池」にゴールした。

 多摩湖堰堤(えんてい)がゴールの予定だったが、現在、
多摩湖(下湖)の堰堤は耐震強化工事中で、塀に囲まれて
いて入れない。

 東京の東端、水元公園を出て、古隅田川、荒川、石神井
川、千川上水、玉川上水沿いを歩き、飛鳥山公園、城北中
央公園、石神井公園、善福寺公園、武蔵関公園、井の頭
公園、小金井公園など、都立の大きな自然公園を巡った
66㎞の東京横断水辺ウオークが終わった。
 
 3日間参加した全コース完歩者は、朝の武蔵関公園の
写真の7名。1日参加、2日参加の皆さんを加えて、3日
間の延べ参加者は36名だった。
 
 西武多摩湖線西武遊園地駅で皆さんに別れ、私はさらに
北へ約5㎞歩き、16時過ぎ帰宅した。

(天気 快晴、距離 23㎞、地図(1/2.5㎞) 吉祥寺、立川、
 所沢、歩行地 練馬区、武蔵野市、三鷹市、小金井市、
 小平市、東大和市、歩数 36,300、自宅まで44,100)
 
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東京横断水辺66㎞ロクロクウオーク(第2日)

2008-01-12 11:52:33 | 江戸・東京を歩く
 2008年1月5日(土)

 やまさんの「東京横断水辺66㎞ロクロクウオーク」、
2日目のスタートは、昨日のゴール、東京・北区のJR
王子駅の西側台地にある飛鳥山公園である。

 昨日のメンバーとは一部入れ替わったが今日も13
人が参加した。

 昨日とは違い、曇り空で一時アラレもぱらついたが、
長くは続かなかった。

 記念撮影しスタート直後、カタツムリ歩行の事務局を
担当されているDさんご夫妻も加わり、15人になった。

 東京に残るただひとつの都電、荒川線の走る通りを
横切る。

 音無橋際から親水公園になっている石神井川の河床
近くまで下る。


 すぐに、左岸沿いの「武蔵野の路」と呼ぶ遊歩道に
上がり、上流に向かう。

 両岸が桜並木になっている石神井川沿いの遊歩道、
流れを見下ろすと、かなり掘り下げられている。


 板橋区に入ってすぐ、JR埼京線の下を通過、くね
くねと曲がる遊歩道は、帝京大医学部そばを過ぎる。

 みどり橋のそばに水車の説明パネルがあり、「明治
初期、水車動力を利用した西洋式による最初の黒色
火薬の製造が開始された」ことが記されていた。

 今日の参加者の約半数は、毎年の中山道ウオーク
のメンバー。中山道で通過する板橋宿にある、おなじ
みの「板橋」に来た。

 いつもは南北に通過する中山道を、今日は横断する。
 

 少し先で遊歩道は途切れ、北側に迂回して国道17
号の板橋本町陸橋を越える。

 そのまま愛染通商店街を進むと、材木店の初荷に
新春挨拶が描かれていた。


 再び石神井川左岸の遊歩道に入り、東武東上線の
ガードをくぐる。

 桜並木が無くなり、国道254号(川越街道)を横断
し、上の根橋そばで西武有楽町が下を走る環七通り
を越える。

 流れが大きく左カーブする地点の北側にあった、豊
富な樹林が広がる城北中央公園で休憩する。


 そばの橋げたに、海鳥のユリカモメがたくさん止まっ
ていた。

 再び片側だけの桜並木が現れ、11時半近く、練馬
区に入って間もない高稲荷公園で昼食とする。

 この辺りまでずっと日が差さず、うす寒い曇り空が
続いた。

 1㎞ほどで石神井川の流れは豊島園の真ん中を
通過するようになる。入園する必要もないので南側
を迂回することにした。

 西武豊島線の豊島園駅のすぐそばくに、練馬区立
向山庭園という小公園があった。無料で観覧できる
というので入ってみた。

 池のまわりを回遊出来るようになった日本庭園で、
集会や茶会などに利用出来る和室もあった。

 豊島園の南側の住宅地を西端まで迂回し、再び
石神井川左岸沿いの遊歩道へ。予報どおり午後は、
次第に青空が広がり、気温が上がり暖かくなった。

 関越自動車の始点、谷原ICに通じる都道8号目白
通りを過ぎると、右手に大きなガスタンクが5個ほど
見えてくる。

 一時無くなった桜並木も再び現れた。こちらは比較
的若木である。

 西武池袋線練馬高野台駅下を通過すると、花どき
は見事と思われる桜並木が続き、両側は都営南田中
住宅の中層建物群が続く。


 住宅の西側で左折する石神井川に分かれ、直進して
都立石神井公園に入った。

 半世紀も前、私の最初の職場は石神井公園に近い
ところにあり、この公園には休日など、よく訪ねた。

 先ほど通過した都営南田中住宅の辺りも、当時は
水田だったことも思い出す。


 細長い石神井池に続く三宝寺池は、湿地植物群落
で知られ、浮島を中心に昔ながらの自然がかなり残
っている。その池のほとりで休憩した。


 三宝寺池の西端から南に向かい、住宅地や早稲田
大高等学院横を進む。

 西武新宿線上石神井駅の西側踏切を通過し、都道4
号、青梅街道を横断して杉並区に入り、今日の迂回先、
都立善福寺公園に入った。

 北側の池を囲んでここも緑がかなり残っている。


 池の東側を中程まで進むと、東側斜面上の杉の木
にオオタカが止まっているのを見つけた人がいて、
ビデオカメラで捉えた姿を見せてもらう。

 東京23区内でオオタカが見られるとは、思っても
いなかった。

 北側の池をひと回りして、公園の北西端に抜ける。
住宅地を北西に進み、西武新宿線武蔵関駅に15時
32分に着いた。


(天気 曇後晴、距離 23㎞、地図(1/2.5万) 東京
 西部、赤羽、吉祥寺、歩行地 北区、板橋区、練馬
 区、杉並区、歩数 36,000)



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東京横断水辺66㎞ロクロクウオーク(第1日)

2008-01-10 23:15:19 | 江戸・東京を歩く
 2008年1月4日(金)

 「やまさん」こと山浦正昭さん企画の、「東京横断水辺
66㎞ロクロクウオーク」という3日間のウオーキングが、
新春早々行われたので参加した。

 当日、速報をお届けしたが、1日目の模様を報告する。


=======================

 9時にJR常磐線金町駅に集合してバスで北へ、水元
(みずもと)公園バス停で降りた。

 釣り堀の横を進んで、水元公園の東側の水辺で、埼玉
県との都県境をなす小合溜(こあいため)の中央部あた
りに行き、水元大橋のそばで記念撮影。参加者は数名か
と思ったら、13名も来た。

 中山道ウオークや、カントリウオーク、関東百駅などで
おなじみのメンバーである。


 水元公園は、都内では最大規模の自然公園。大場川の
流れが下流で無くなる幅広い溜池と、右岸にたくさんの
広葉樹が残り、とても23区内とは思えぬ景観が広がって
いる。 


 9時35分、水元大橋を渡って北へ向かい、枯れアシの
茂る湿地の中の遊歩道や、たくさんのメタセコイアの林を
回って水元大橋近くに戻る。

 湿地のそばの水たまりには、厚い氷が張っていた。


 水元3丁目と南水元4丁目の間の車道を西へ向かう。
太い煙突のある葛飾清掃工場前を通過し、中川の飯塚橋
を渡る。


 中川右岸を少し南下し、日立製作所亀有工場があった
という中川公園で最初の休憩をする。

 公園南西端から西に向かい、環七道路に出て、足立区
と葛飾区の区界になっている、もと古隅田川の流れに沿
った遊歩道や住宅地内の細道を進む。

 周辺の道路が直線的なのに比べ、この道筋は緩やかな
カーブで続いていて、流れの跡だったことがうかがえる。

 道路のマンホールふたは、古隅田川ゆかりのもの。この
通りだけの特注品らしい。


 途中から、流量はわずかながら親水路もできていた。

 JR常磐線綾瀬駅の東で線路の南に出て、さらに親水路
沿いに進む。

 流れがゆるやかなカーブで90度右折する辺りは、流れ
も結構広くなった。

 
 首都高が上を走る綾瀬川沿いに出た。北側に、改築され
て大規模マンションのようなビルになった、東京拘置所が
見えてきた。


 綾瀬川の水戸橋を渡り、もと水戸街道だったという古い
民家の残る細い車道を少し進んで、荒川左岸堤防に上が
った。

 ちょうど正午近いので、堤防下の河川敷にあった荒川
野球場のベンチを借りて昼食をする。

 左岸堤外(堤防と流れの間の河川敷)には幅広い舗装
路がある。災害時に車道として使用されるというその道路
を上流へ向かう。


 東武鉄道、JR常磐線、つくばエクスプレスの鉄橋下を
進むと、「ワンド」と呼ぶ人工的につくった水辺があり、
アシも茂っていた。

 川の流れに少しだけつながり、魚の産卵や稚魚の成育
など、生き物の生息に適した環境になっているという。
 
 国道4号・日光街道の千住新橋下を過ぎ、次の西新井
橋の上流で荒川を離れ、本木中央通りから本木新通りに
入り、北に向かう。

 狭い通りだが商店が続き、西新井大師へのバス通り
にもなっているのだが、歩道が無い。

 2㎞余りで環七通りに出て横断、すぐ北にある東武鉄
道大師線の大師駅前に着いた。

 新年の参拝客で辺りはごった返している。ここで35分
間の自由行動とし、大きな本堂の西新井大師に参拝する。


 参道両側にも境内にも人があふれ、境内のたくさんの
露店や、参道両側の商店はどこも大賑わいだった。


 今日のコースも終盤に向かった。環七通りを少しで、
南西に真っ直ぐ伸び都道307号・江北バス通りを進む。

 首都高の港北ジャンクション近くで、再び荒川左岸に
上がる。


 上流に、半円形のアーチのかかる首都高の五色桜
大橋を見ながら港北橋を渡り、すぐ先で大きくS字状
に流れる隅田川の豊島橋も通過する。


 隅田川の右岸近くを進み、堀船2丁目児童公園の横
から、明日歩く石神井川が、隅田川に合流する地点を
確認した。

 手前が石神井川、向こうが隅田川である。

 幅広くなった都道307号に入り、紙幣の印刷所であ
る国立印刷局王子工場前を進んで、JR王子駅の北
側から線路の西上にある飛鳥山公園に上がった。

 ここが今日のゴール。江戸時代からの花見の名所で、
いまもたくさんの桜がある。時計塔のそばに15時27分
に着いた。


(天気 快晴、距離 22㎞、地図(1/2.5万) 草加、赤羽、
 東京西部、歩行地 東京都葛飾区、足立区、北区、
 歩数 35,600)

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赤塚のみどころ散歩(東京・板橋区)

2008-01-08 23:28:12 | ウオーキング
 2007年1月8日(火)

 寒中とは思えぬ暖かな陽気となった今日の首都圏、その
暖かさと連れ合いに誘われ、東京・板橋の板橋区立美術館
に行くことにした。



 東武東上線成増駅で下車する。駅前には、北隣の埼玉県
和光市ゆかりの作詞家・清水かつらの「緑のそよ風」の歌
碑があった。

 住宅地を抜ける赤塚散歩コースを北東に向かう。
 
 三差路の角に赤塚乳房大神と呼ぶケヤキが立っていた。

 幕末から明治の落語家・三遊亭円朝の「怪談乳房榎」の
モデルのひとつだという。

 すぐ先に、ケヤキ、桜、エノキの古木が並ぶ参道が
続き、そのうち23本は板橋区の保存樹木に指定され
ている。桜の咲く時期には花見客も多いようだ。

 その奥に赤塚氷川神社が祭られていた。長禄元年
(1458)、武蔵一宮氷川神社(さいたま市)から勧請
されたとか。


 境内には、高さ2~3mの富士塚もあった。


 住宅の間を東に下ると、赤塚城跡の広い雑木林の森が広が
り、その北端に板橋区立郷土資料館に移築されたかやぶき
民家が見えてきた。


 区立郷土資料館(入館無料)に入り、土器、民具、食器、
古い旅行用品(写真)、錦絵、古い写真などの展示を見る。


 2階の企画展示場では、「匠成(しょうせい)」と呼ぶ、区内
の匠(たくみ)の方々の伝統工芸品が展示されていた。

 そばの赤塚溜池公園では、釣り人が十数人、釣り糸を
垂れている。


 南側の赤塚城本丸跡に上がってみると、上の本丸跡は
円形の広場になっていた。

 赤塚城は、康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が
入城したと伝えられるところ。現在、城跡の大部分は都立
公園になっている。

 北側に開ける高島平は、江戸時代は徳丸ヶ原と呼ばれ、
天保12年(1841)に、後で訪れる松月院ゆかりの高島
秋帆(しゅうはん)が、様式の砲術訓練を行い、高島平の
地名の由来になったのだという。
 
 本丸跡から東に下って区立美術館に入り、今日の主目
的である「生誕100年記念 ブルーノ・ムナーり展」を観覧
する。

 ブルーノ・ムナーリ(1907~98)はイタリア出身で、
絵画、デザイン、美術教育などで活躍した人。

 館内では、生涯に渡りかかわり続けたという「本」の仕事
を中心に油絵、スケッチ、絵本原画、実験映像などが展示
されていた。

 私のような凡人には思いつかない、斬新で柔軟な発想と
デザイン、遊び心と教育心あふれた幼児向け作品などの数
々を、興味深く見た。

 この記念展は、1月14日まで開催中(観覧料600円)。

 区立美術館の玄関を内側から見たところ。


 東側の大仏通りを南に少しで、東京大仏で知られる乗蓮寺。
石段を上がった正面に、コンクリート造りの大本堂がある。

 乗蓮寺は、天正19年(1591)に徳川家康から10石
の朱印を与えられ、以後代々の将軍からも朱印状を与え
られた。寛保3年(1743)に将軍吉宗が鷹狩りの際に雨
宿りし、以後将軍家の鷹狩りの小休所や御膳所になった
という。

 露座の東京大仏は、高速道路の建設に伴う国道17号
の拡幅工事により、昭和46年(1971)から7年かけて
この地に寺が移転した際、建立されたとのこと。

 
 境内には、藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったという石像
が多く、これはそのひとつ「がまんの鬼」。


 ほかに、天保ききんの供養塔や、新しい鐘楼、多宝塔、
古い石碑群などが、広い境内のあちこちに配置されていた。

 日が傾いてきたが、近くの区立赤塚植物園にも寄る。
園内の樹木や草本は枯れたものが多く、寒中では見るもの
に乏しいが、スイセンが少しだけ咲き出していた。


 松月院通り出て東に回り、しだれ桜の先の山門をくぐ
って松月院に入る。

 山門のそばに、樹高10m、推定樹齢100年という
ヒイラギの古木が立つ。若木では鋸歯が鋭いが、この
ような古木になると鋸歯は消滅するとのこと。確かに
とげとげしいヒイラギとは思えぬ葉っぱだった。

 正面に本堂が堂々たる屋根を広げている。


 この松月院に本陣を置き、徳丸ヶ原で日本最初の本格的
な西洋式砲術を指揮した高島秋帆の紀功碑が、境内左手
に立つていた。

 紀功碑は、安政4年製造の銅製24斤加農砲(高さ6m)
を碑心にして、火焔砲4発を配した珍しい形態である。

 帰路は、南に向かう赤塚中央通りを進み、16時過ぎ、
東武東上線下赤塚駅に着いた。

コメント (2)
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