あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「英国コッツウォルズ・湖水地方トレッキングの旅」募集中

2008-03-22 21:42:29 | ウオーキング
 スローでエコロジーな歩く旅を専門とする旅行社
『あしまめ旅行舎』で、英国、コッツウォルズと湖水
地方のトレッキングを楽しむ旅を募集している。
 
 コッツウォルズと湖水地方は、ウオーキング大国
英国の中でも、特に人気のウオーキングエリアで、
大手旅行社の英国旅行でも必ずといってもよいほど
盛りこまれている。

 しかし、これらのツアーでは、それぞれのエリアを
短時間訪問するだけで、いわば魅力の一端を垣間
(かいま)見る程度といってもよさそう。

 その点、あしまめ旅行舎の小林さんは、英国やド
イツ、スイスなど、ヨーロッパのウオーキング大国を
数知れず歩いて知り尽くしている、カントリーウオー
カー「やまさん」こと山浦正昭さんとは、30年来の
知己で、やまさんと一緒の企画にも何度もタッチ
している。

 小林さんは、もと大手旅行会社の支店長をされて
いて、海外旅行の経験が豊富であり、あわせてご自
身も、ウオーキングやマラソンなどを趣味にしている
こともあり、ウオーカーのための企画はお手のもの
である。

 コッツウォルズや湖水地方の魅力を知るには、垣
間見るだけのツアーではなく、実際にフットパスと
呼ばれる歩く人専用の歩道を歩くことによって理解
が深まる。この企画では、このようなウオーキング
が毎日盛りこまれている。
 
 今回の企画は下記のとおり、6月中旬から下旬に
かけてだが、日本では梅雨の期間でも、英国では
雨の少ない初夏で、日没も21時過ぎと遅いことも
あり、絶好のウオーキングシーズンといえよう。

 私も、2005年と2006年にコッツウォルズ地方を
貫く長距離歩道「コッツウォルド ウェイ」とその周辺を、
やまさんの企画で歩いたが、この時もあしまめ旅行
舎にお世話になり、快適なウオーキング環境を楽し
んだ。

 それでは、今回の企画を紹介しよう。

 =コッツウォルズ・湖水地方トレッキング9日間=

日 程 6月15日(月)~23日(月)
費 用 ¥338,000
   (昼食1回夕食2回を除く全食付き)
   (歩く添乗員同行)  
行 程
 1 成田→ロンドン=サイレンセスター
             (サイレンセスター泊)
 2 〈コッツウォルズ〉
   バイブリー・アーリントンロウ/
         バイブリーコートを歩く(3㎞)
   ボートンオンザウオーターの
        せせらぎフットパスを歩く(2㎞)
         (ボートンオンザウオーター泊)
 3 朝の静かなせせらぎ散歩1㎞
   ローアースローターの麦畑を歩く(6㎞)
         (ボートンオンザウオーター泊)
 4 ボートン→ブロードウェイ~ブロードウェイ
     タワーの眺望を楽しむ草原散歩(7㎞)→
   チッピングカムデンのヒドコットガーデン鑑賞
            (チッピングカムデン泊)
 5 チッピングカムデン→〈湖水地方〉
   ヒルトップ・コニストン湖クルーズほか
               (ウィンダミア泊)
 6 ウィンダミア湖周辺散策
   グラスミア湖/ライダル・マウントウオーク
                    (4㎞)
               (ウィンダミア泊)
 7 ウィンダミア→ロンドン PMフリータイム
                 (ロンドン泊)
 8 ロンドン AMフリータイム   (機中泊)
 9 成田着

=====================

 この企画に参加してみたい、あるいは興味がある
ので問い合わせたいとか、資料が欲しいという方は、
下記、あしまめ旅行舎(小林義昭さんあて)にメール
して下さい。

    tabi.kobayashi@nifty.ne.jp

(注:「tabi」と「kobayashi」の間にピリオドがあります)

 メールには、『「あるきメデス」で見た』とひと言つけ
加えてもらえば幸いです。

 以下に、このツアーの中ほどで訪ねる、ブロードウェ
イとチッピングカムデンの様子を少しご紹介しますの
で、イメージをつかんでいただければと思います。

 ブロードウェイのかやぶき屋根の民家


 ブロードウェイの民家

 
 標高311mにあるブロードウェイタワー


 ブロードウェイタワーからの展望

 良く晴れた日は英国12州が見えるという、360度
の展望が素晴らしい

 ブロードウェイタワー付近の牧場


 チッピングカムデンに向かって下る道


 チッピングカムデンにある、かやぶき屋根の民家


 チッピングカムデンの中心にあるマーケットホール

 1627年に建てられたもの。乳製品など、この地方
の産物の取引所だった
 
 チッピングカムデンの町並み


 チッピングカムデンにあるセント・ジェームス教会

 15世紀に建てられたゴシック様式の建築

 

 

 


 
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カントリーウオーク守谷(茨城県)

2008-03-20 23:23:16 | カントリーウオーク
 2008年3月9日(日)



 埼玉県を中心にカントリウオークをしているグループ
の第151回例会で、つくばエクスプレスと関東鉄道の
交差する守谷駅周辺を歩いた。


 参加者は14人でいつもより少な目。10時15分に
守谷駅前をスタートした。
 
 =守谷城址から同地の天満宮へ=
 
 つくばエクスプレスの駅周辺は、どこも区画整理が
進行し、大型店舗や高層マンションなどが出来はじめ
ているが、ここも同様で、新しい道路も建設中である。

 エクスプレスの線路南側沿いを東に1㎞近く進み、
右折して東へ向かい、北園森林公園へ。

 クヌギやスギ、サクラなどの豊富な平地林の遊歩道
を、南東に抜けた。

 前方にアシの茂る広い湿地が広がり、その横に守谷
城址公園の案内板がある。その湿地と新興住宅地の
間を進んで、樹木の豊富な守谷城址、城山に上がった。

 守谷城は千葉氏の一族、下総相馬氏の本拠地で、
平将門(たいらのまさかど)が坂東独立王国の王城と
して建設したとの伝説もあるようだが、将門伝説は
ほかにもあり、疑わしいらしい。

 現存する遺構から判断して、戦国期の城郭としか
いえないようだ。

 城山部分は、6つの主要郭(くるわ)と複数の小郭で
構成され、郭の間は堀と土塁(どるい)で区切られ、郭
内外への出入り口である虎口(こぐち)や、土橋、櫓
(やぐら)台などが残っているという。

 樹木や下草に名前を記した名札の下がる城山の
遊歩道を、北西から上がり、山上の平地を経て南
西端に下った。

 城山の南側一帯も枯れアシの伸びた広い湿地で、
東側は広葉樹林に囲まれている。

 湿地に設けられた簡単な木道に入ると、水たまり
にオタマジャクシの卵の固まりがたくさん浮いていた。

 木道の先は南側の台地下で終わる。その台地に
上がると、城内の新興住宅地らしく、向かう昼食地
とは反対方向に出たようだ。

 近くにあった守谷小で現在地を確認し、もう一度
城山方向に向かう。

 守谷小の近くに平屋の屋根に石を載せた珍しい
建物があり、入口に立つ太い古木に「十割そば」の
標識が記されていた。

 城山の近くには、守谷城の郭のひとつ「妙見(みょ
うけん)郭」の説明板もあった。

 城山の下に戻り、先に進んで守谷沼の南側に出る。
桜並木の間に、小さな水神宮が祭られていた。


 池に沿って送電線が上をまたぐ小貝川排水路が走
り、両側は広々とした田んぼが広がっている。

 その田んぼの中の農道を東北に進み、台地を上が
って同地集落に入った。畑の間に点在する農家の間
を抜けて、十字路の角にある薬師堂に寄る。

 道路際の社は小さいが、傍らに上部を切られた太
いイチョウが立ち、狭い境内には古い石仏が幾つか
残っていた。

 東側の土の道を下り、雑草地の端から竹林の間を
抜けると、名の知れぬ小さい神社もあった。

 農家の間の静かな里道を回り、昼食地の天満神社
に11時51分に着く。

 社殿前の下草の上などに各々シートを敷いて、昼
食をした。


 =野鳥の森や「小さい鳥の資料館」を訪ねる=

 午後は全員一緒で、12時45分にスタートする。
先ほど通過した天満神社に向かう途中に、フクジュ
ソウの咲く畑があった。


 再び天満神社へ。今回企画したSさんが、「先月は
あった社殿がない」という。

 道路際の小さい社ではなく、奥にあったようだが、
改築のため取り壊したようで、その場所にはコンクリ
ートの土台だけが出来ていた。

 境内の古い石仏の中には、元和元年(1615)銘の
ものもあり、この社の古い歴史が忍ばれた。


 集落の東側を回り、小貝川排水路沿いの田んぼを
横断し、竹林を抜けて奥山新田の台地に上がる。民
家の片隅にフキノトウが花を見せていた。

 そばにお堂のある三差路を経て、奥山本田に入り、
「小さい鳥の博物館」を訪ねる。

 小学校教諭の I さんが集めた、守谷周辺にいる小
鳥や猛きん類などのはく製や、写真などを展示して
いる。

 I さんから、オオタカや茨城県の特別許可を得て、
はく製にしたといううクマタカ(下の写真)のこと、守谷
周辺の森のことなどを詳しく説明していただく。

 建物の2階の一角には鳥の観察デッキもあり、間近
にオオタカの観察も出来るという。

 I さんは、そばの緑地で観察できる鳥のことも説明
下さる。ちょうど来た教え子にも入ってもらい記念撮影
後、厚く御礼申し上げ失礼した。


 すぐ先の三差路際から、守谷市観光協会が設けた
「野鳥の森散策路」北ルートに入る。

 広葉樹林の間を抜ける300mほどの気持ちよい土
の道だが、この日はなぜか鳥の姿を見ることは出来な
かった。

 愛宕中の南に出て、そばの愛宕神社で小休止する。

 りっぱな社殿の前に、幹の太いカヤと大きなイチョウ
があり、境内のミツマタが咲き出していた。

 愛宕中の北西側に回り、その先にもあった「野鳥の
森散策路」へ。学校と雑草地を挟んで、先ほどのルー
トの西側を反対方向に進む。

 午前中通過した守谷小の西側に出た。十字路の角
に「茨城百景 守谷城址」の石碑が立ち、「守谷城の
概観」説明板もあった。

 それによれば、鎌倉時代初期に城山に構築された
城郭が、戦国時代になってこの守谷小のあたりに本郭
を増築、移転したのだという。

 保健センター前を西に抜け、そばの八坂神社に入っ
た。

 社殿の前や背後に数本、背の高いケヤキ立ち、幾つ
もの乳棒の下がる太いイチョウもある。

 車の多い車道を1㎞足らず、16時11分に、守谷駅
に着いた。

(天気 晴、参加 14人、距離 12㎞、地図(1/2.5万)
 守谷、藤代(少し)、歩行地 守谷市)

 なお、「小さな森の博物館」については、下記Webを
ご覧下さい。
 http://www1.ocn.ne.jp/~ni8823/
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関東百駅巡礼歩行(いすみ鉄道新田野駅)

2008-03-19 23:33:57 | 関東百駅巡礼歩行
 2008年3月8日(土)

 やまさんの「関東百駅巡礼歩行」第43番目は、好天
に恵まれた。



 集合地は、房総半島を走る、いすみ鉄道の無人駅、
新田野(にったの)。

 東京、神奈川、埼玉から集まった10人は、記念撮影
をして10時58分に出発した。

 東側一帯は田んぼが広がり、駅の周辺には商店は
おろか民家も少ない。よくここに駅が出来たと思われ
るような場所である。


 東側の農道のあぜにナノハナが咲き、少し先の田ん
ぼも、盛りを過ぎたが、ナノハナ田になっている。

 そばの農家の前にテントを張って、新田野郷生産組
合の人たちが、ナノハナなどを販売していた。

 夷隅(いすみ)川の支流、落合川の「じろうま橋」を渡
って大和田の小集落を北に抜け、谷間の草道に入る。
湿地帯に出て北側の山すそに回り、右折して南東に
向きを変えた。

 ひとつ目の沼の先で道は不明瞭になり、しの竹や灌
木の間などをかき分けて進んで、二つ目の沼のほとり
に出た。




 ちょっとした枯れ草の広場あったので、暖かい日差し
を一杯に浴びて昼食をする。


 地図上では、その先も道がついていて、200mほど
の間だけ、尾根を越える林間を抜ければ三つ目の沼
に出られるので、先に進むことにした。

 しかし、沼の北岸沿いの辛うじて付いていた道が少
しで途絶え、再び林間の急斜面をかき分けながらの
やぶこぎとなる。

 シダの間の倒木を越えたり、ツタの間をくぐったり
して、何とか原生林模様の林間を稜線に上がった。


 方向を定めて杉林の林間を谷間まで下ったが、
どうやら南側に回り過ぎて、昼食をした沼の上流に
出てしまったらしい。

 再び急斜面を稜線まで上がって北に向かい、少し
進むと右に下る踏み跡らしいのが見つかった。下っ
て行くと、水は少ないが目的の沼のほとりに出るこ
とができた。

 昼食を終えたのが12時42分で、次の沼に出たの
が14時30分。直線距離にして500m足らずを抜
けるのに2時間近くかかった。

 でも全員トラブルもなく通過でき、やまさんの企画
ならではの、なかなか得難いノンロードウオーク(や
ぶこぎ)だった。

 谷地田に沿って北東に進み、右手に岬ダムの堰堤
(えんてい)を見て西の谷の小集落を抜ける。


 不入集落南側のT字路に出て、左手にあった標識
に従い林間を上がって、坂東三十三観音第三十二番
霊場の清水寺(きよみずでら)に着いた。

 清水寺は、伝教大師最澄が草創し、坂上田村麻呂
が建立したといわれている古寺。スタート時は、ここ
で昼食の予定だったが、すでに15時が近い。

 重厚な仁王門をくぐると、文化14年(1818)再建と
いう朱塗り鮮やかな四天門がある。


 さらに石段を上がり、どっしりと構える本堂に参拝。
拝殿の上には、龍などの精巧な木彫が施されていた。


 境内には、新しい赤穂四十七士の木像を祭ったお
堂や、坂東、秩父、西国の百観音の写し本尊を祭っ
たお堂、朱塗りの鐘楼、文政9年(1826)の芭蕉翁
123回忌を記念して建立したという芭蕉の句碑など
がある。

 境内とその周辺には、スダジイ、ヒサカキ、ヤブコウ
ジ、モミ、カゴノキなど、豊富な自然林が残り、「清水
観音の森郷土環境保全地域」に指定されている。

 境内の白梅は満開だった。

 予定よりだいぶ時間が経過したので、あとは駅まで
最短距離で急ぐことにする。

 県道155号を西に向かい、夷隅川の急カーブ点を
見下ろし、嘉谷トンネル(109m)を抜ける。

 細尾で田のあぜ道をショートカットし、送電線の保安
路を上がって、一軒家の裏手に出た。外で作業して
いた家の主に断って、屋敷内の私道を何とか通過さ
せてもらう。


 りっぱな屋敷林の多い下原集落を南に進み、16時
15分に、新田野駅に戻った。


 女性メンバーの一部は、駅のそばに咲くナノハナを
摘んで野歩きの土産にして、間もなく来たナノハナ色
の大原駅行きディーゼル車に乗る。


(天気 快晴、距離 10㎞、地図 国吉、歩行地 いす
 み市(旧夷隅町))
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今日から秩父札所総開帳

2008-03-18 21:55:25 | Weblog
 今日、3月18日(火)から7月18日(金)までの
4ヶ月間、秩父札所が6年ぶりに総開帳される。

 秩父三十四観音霊場の観音様は、普段は秘仏
として見られず、12年に一度の午年(うまどし)に、
ご開帳されてきた。

 ところが子年(ねどし)の今年は特別の総開帳が
行われ、厨子の扉が開かれて拝観が可能になる。

 また、観音様の手から外へ綱で結ばれた「お手
綱」に触れることにより、ご本尊と握手をしたことに
なり、観音様の功徳をいただくこともできる。

 さらに、総開帳記念に散華(さんげ)「花浄土」の
配布も行われるという。散華とは、それぞれのお
寺ゆかりの花が描かれた小片のこと。

 掛け軸や納経帳、おいずるへのご朱印をもらう
と、合わせてもらえるし、納経しない人には有料
で販売するという。

 秩父三十四観音霊場は、秩父市栃谷の一番・
四萬部寺(しまぶじ)から皆野町の三十四番水潜
寺(すいせんじ)までの100㎞余りに点在している。

 地域は、秩父市(旧荒川村、吉田町を含む)、
横瀬町、小鹿野町、皆野町に広がっている。

 三十一番から三十四番までは少し離れている
ので時間はかかるが、それを含めても数日で回
ることができる。

 春の秩父路は、サクラを初めとする数々の花と、
新緑に彩られるので、ウオーキングやハイキング
を兼ねて訪ね歩いてみてはどうだろう。

 次の総開帳は午年の6年後になる。

 詳細は、下記の秩父札所連合会のWebを参照
   http://www.chichibufudasho.jp/

 なお、西武鉄道と秩父鉄道が合同で、「秩父
札所総開帳記念ハイキング」を開催する。

 7回に分けて開催し、1日約8㎞から15㎞ずつ
歩き、一部バスで回る第6回をのぞいては、当日
受付をして、自分のペースで回れる自由歩行にな
っている。 参加費・毎回200円


 上と下の写真は、合同ハイキングのリーフレット。
(下は一部カットした)


 開催予定は以下のとおり。

第1回 3月23日(日) 秩父鉄道黒谷駅~大野
    原駅間の5ヶ寺(約12㎞) 

第2回 4月13日(日) 西武池袋線横瀬駅~
    西武秩父駅(御花畑駅)間の8ヶ寺
    (約13㎞)

第3回 4月20日(日)西武秩父駅~大野原駅
    間の6ヶ寺(約8㎞)

第4回 5月11日(日)秩父鉄道大野原駅~
    浦山口駅間の6ヶ寺(約14㎞)

第5回 5月18日(日)秩父鉄道影森駅~
    白久駅間の7ヶ寺(約15㎞)

第6回 6月8日(日)西武鉄道西武秩父駅~
    西武秩父駅間の3ヶ寺(約11㎞)
    一部バス利用のため予約要。

第7回 7月13日(日)秩父鉄道皆野駅~
    34番(結願寺)~皆野駅(約14㎞)

 私も6年前の総開帳のときには、数回に分けて
全コースを徒歩で巡拝した。今回も同様に回って
見たいと考えている。

 以下は、昨年春のカントリーウオークで訪ねた
3ヶ寺のみを紹介しよう。

 1番四萬部寺


 3番常泉寺


 4番金昌寺


  
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牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第4日)

2008-03-17 23:33:30 | ウオーキング
 2008年3月5日(水)
 =鹿島臨海鉄道新鉾田駅~涸沼駅=



 最終日は4時台に起床し、約4時間かけてスタート地
の鹿島鉄道新鉾田駅に行く。


 この日の参加は、いずれも4日連続の3人。10時
ちょうどに出発した。

 駅の東側に出て、スポーツプラザヤマシンの横から
旧道を台地上の坂本に上がる。比較的新しい民家の
並ぶ住宅地を2㎞近く進んだ。

 県道2号を横断し、そばの杉並木の参道を進んで
諏訪神社へ。

 境内は杉、カヤ、クスなどの高木が多く、諏訪緑地
環境保全地域に指定されていた。

 神社の背後の道を西に進み、安房南集落に入る。
方波見家の、りっぱな長屋門が目につく。


 近くの十字路を右折して、両側に生垣の続く民家
の間を北に進むと、突き当たりに安寺〈あんしょう
じ〉があった。

 大同年間(806~10)の開基と伝えられ、鹿島郡
北部有数の古寺。堂々たる本堂は、安政3年(1856)
の再建。

 文禄年間(1592~6)には、佐竹氏の庇護を受け、
十石を授かったという。境内には桜の古木があった。

 寺の裏の竹やぶを抜けて、北側の田んぼに下る。

 谷地田を横断し、小さい流れに沿って谷地田の北側
山すその草道に入る。

 途中から草が伸びて廃道状態。しの竹などをかき分
けて進み、田のあぜに回って溜池のところまで進んだ。

 北側の台地入口に、徳宿(とくしゆく)城跡の表示が
あった。台地の東側、谷地田の横を回って徳宿本郷の
中ほど、公民館のそばに上がった。

 少し先にあった沼尾神社に入り、早めの昼食。境内
は杉木立に囲まれ、社殿の前には根元にこぶのある
大ケヤキが立つ。

 沼尾神社は、徳宿権守(ごんのかみ)を名乗った鹿島
親幹が、天福2年(1234)に最初の社殿を造営した
という。

 ご神木の大ケヤキは、推定樹齢700年、幹囲6m余、
高さ19m余りで、鉾田町文化財である。

 北側の飛び地にある境内社の曲松稲荷神社にも、
ケヤキの古木が大きく枝を伸ばしていた。

 徳宿を抜けて斜面林の下を西に折れ、鹿島臨海鉄
道の西側に回った。

 畑作地帯となり、イチゴやホーレンソウなどのビニー
ルハウスが並ぶ。

 朝ら曇り空だったが青空が増え、陽が差してきた。

 家並みの散在する東野の西で、鉾田川の上流を横
断する。小さな赤い屋根のお堂の横を通過し、鉾田
川右岸沿いの道を進む。


 まだ裸木のクヌギ林の横を過ぎ、新林を抜ける。
畑作地帯を2㎞ほどで下鹿田集落へ。

 県道115号と涸沼に注ぐ大谷川の支流を越え、北
側の台地にある鉾田町旭スポーツセンターに上がる。

 広い敷地に、芝生広場や大型の室内体育館、ゲート
ボール場、野球場などの施設がゆったりと配置され
ている。

 下鹿田集落を見下ろす芝生で休憩していたら、年配
の女性が来た。芝生の管理に来たのかと思ったら、
血糖値が高いなど、幾つかの病気を克服するためウオ
ーキングをしているという。

 農家の方で、疲れを癒すのと冬の寒さをしのぐため
飲酒が増えたのが、病気の原因とか。でも顔色は良く、
割合元気そうだった。

 紅白に塗られた携帯電話の大きなアンテナ塔の下
から西に下り、和岡の広い車道を北に進む。

 途中から左手の弓道に回って真っ直ぐ進み、公共
の宿「いこいの沼涸沼(ひぬま)」横で、涸沼南岸に
出た。

 4日間の湖沼巡りの、最後の沼に到達した。湖面は
北風に小さく波立つ。

 ゴールの記念撮影をして無事到達できたことに感謝
する。

 いこいの沼涸沼に入ってパンフレットをもらい、宿泊
のことや施設のことなどを聞く。

 雇用促進事業団の施設だったが、現在は茨城県開
発公社に委譲されていた。

 それにしても場所柄、大きな建物と広大な施設の運
営は厳しいのではないかと感じられた。

 最後のコースは、いこいの村の東側、ヤマハボート
係留場横から涸沼湖岸道路に出て、東に向かう。

 広々とした涸沼の波間に、たくさんのカイツブリが
浮いていた。


 大谷川左岸に達して川沿いを少し進み、鹿島臨海
鉄道涸沼駅に15時36分にゴール。

 4日間の茨城県の湖沼ウオークを終えた。

 四日連続の歩きは初めてというTさんも、足などの
トラブルもなく元気に完歩した。やまさんからもお墨
付きをもらい、これからのウオークに、大きな自信と
なったことであろう。

 涸沼駅は涸沼観光センターを併設し、地元産品の
売店などがある。

 間もなく来た上り列車で隣の大洗駅まで行き、大洗
港のそばにある高さ60mの大洗マリンタワーに上が
った。

 展望台から、港に停泊していた北海道・苫小牧行き
フェリーや、大洗の町並みの先に広がる広大な関東
平野など、360度の大展望を楽しんだ。

(天気 曇後晴、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 鉾田、
 徳宿、磯浜、歩行地 鉾田市(旧鉾田町、旭村)、
 大洗町(少し)、歩数 33000)

 
〈後記〉やまさん企画のLL(Lake toLake)ウオークは、
1月の東京が3日、2月の千葉も3日、そして3月の
茨城が4日で計10日間、計209㎞を歩いた。

 全行程完歩は、やまさんと私の2人だけだった。

 やまさんから、月々の完歩賞のほかに、ただ1枚
だけの「全10回パーフェクト賞」もいただいた。


 4月上旬には、茨城の2日間の追加ウオークもある
といわれたので、出来れば参加したいと考えている。
                             〈完〉
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カタツムリ歩行 東武東上線下赤塚駅

2008-03-16 23:23:25 | カタツムリ歩行
 昨日に続き春本番の暖かさが続いた今日は、
JR武蔵野線沿線を中心に歩いている、カタツ
ムリ歩行の第172回例会に参加しました。



 集合は、東武東上線下赤塚駅。駅周辺は東京
都板橋区ですが、すぐ南側は練馬区になります。

 10時過ぎに南口を出発しました。駅の近くに
あった喫茶店。太いツタが店を覆っています。


 すぐ南側を走っている国道254号・川越街道
を越えました。

 住宅地の庭先に咲くサクラソウ。

 ちなみに、わが家にもあるのですが、数日前
に連れ合いが植え替えたばかりで、花が開くの
は少し先になりそう。

 近くの民家では、ボケが花を開いています。


 住宅地を北西に少し進むと、集合住宅が並ぶ
光が丘団地の北東端、光が丘パークタウンです。

 その一角に、光が丘の歴史を示す4枚の地図
と簡単な説明のパネルがありました。

 1920年代の麦畑や練馬大根の大根畑時代、
1943年に66戸の農家が60日の間に強制移
転させられてできた成増飛行場のあったころ(下
の写真)、終戦後の1948年、アメリカ駐留軍の
家族宿舎・グラントハイツとなった時代、そして
1973年に返還後、跡地が光が丘公園となった
現代の4枚です。

 4枚のパネルにより、光が丘の歴史の経過が
よく分かりました。

 少し先には、赤塚新町公園があり、桜、ケヤキ、
ヒマラヤスギなどの高木がのびのびと枝を広げ
ていました。


 公園に咲くアセビ。

 つい先日まで、寒い日が続いていたのですが、
このところの暖かさで、春の彩りが急に豊富にな
ったように感じられます。

 そばの通りはケヤキ並木が続き、南側のユリノ
キ通りに回ると、まだ枯れ枝のユリノキの並木が
続いています。


 光が丘第八小と赤塚新町小の間を通過し、西
側に広がる光が丘公園に入りました。

 広い芝生地や豊富な樹木に覆われた広大な都
市公園。写真には見えませんが、暖かな休日を
楽しむ人がたくさん来ていました。

 公園の東端を南に進み、弓道場の横で公園を
離れました。公園の隅では、サンシュユも花を開
き初めています。


 道路を挟んだ東側に「フレッシュひかり」という
スーパーがあり、店の外にたくさんの果物や野菜
などを並べ、買い物客で賑わっていました。


 ひとつ東側の通りを南に進むと、古い長屋門の
ある農家らしい民家があり、周辺の新しい住宅と
は違った、なつかしさと落ち着きを感じます。

 農家の地続きの畑に咲くナノハナ。

 近くには、農協が運営するという貸し農園があり、
何組かの方が畑に入って作業していました。

 使用量は1区画年間3万円とか。買った方が安
いが、土に親しんんで汗を出し、手にかけた野菜
の味は、格別ということでしょうか。

 そばにあった数本の梅が見ごろでした。

 田柄4丁目の住宅地を西に進み、ゴールの天祖
神社に12時3分に着きました。

 神社にお参りをしてから、社殿を囲んでの昼食
です。
しました。


 社殿の前で記念撮影とミーティングをして、13時
前に解散となりました。


 

 
 

 
 


 

 
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牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第3日)

2008-03-15 22:33:49 | ウオーキング
 暖かな日差しとなり、今日は2階の室内は20℃を
越えました。

 この暖かさで、冬の間やろうと思いながら進まなか
った、庭のモミジを大胆にせん定しました。

 枝が伸びすぎて隣の家の敷地を覆ったり、電気や
電話の引き込み線に触ったりしていたからです。

 以下は、数日中断していた、LLウオーク茨城の続
きです。

=====================

 2008年3月4日(火)
 =JR常磐線高浜駅~鹿島臨海鉄道新鉾田駅=



 3日目も好天に恵まれた。今日のスタート、JR常磐
線高浜駅ホームからは、筑波山の双耳峰がよく見える。
1月以来のEさんも見え、参加者4人は、9時10分に
高浜駅をスタートした。

 県道144号に出て高浜集落を東へ。高浜中央三差
路際にあった高浜神社は、拝殿、本殿ともかやぶき屋
根。境内の大きなケヤキが数本、枝を高く広げていた。


 高浜の地は古代には国府の外港として栄え、国司は
都から着任すると報告のため神社に巡拝し、奉納祈願
をする習わしだったという。

 県道は狭いうえ歩道が無く、車が多くてわずらわしい。
しかし古い商店などが幾つか残る。

 集落東側の十字路横を北に入った寺は、銅葺(ふ)き
屋根の趣ある作り。境内に、素十という人の句碑があ
った。

 所橋を渡って県道を離れ、霞ヶ浦北岸沿いの道に入
り、逆光に輝く湖面を見ながら東に進む。上高崎集落
には、10数頭のホルスタインが放牧された牧場があ
った。


 集落と湖岸道路との間はハス田が続く。振りかえる
と、湖面の北に筑波山が望まれる。


 下高崎を過ぎると民家は少なくなった。

 石岡台地第一揚水機場の大きな施設の横を過ぎ、
次の用水機場のそばで湖岸を離れ、下玉里集落へ。
水田はやはりハス田である。


 集落の東に出ると広々としたハス田が広がり、その
一角に小さな水神宮が祭られていた。再び霞ヶ浦の
水辺に出た。


 湖面にたくさんのカイツブリが見える。園部川河口
の橋で記念撮影をする。


 左側に、昨年廃止された鹿島鉄道の廃線跡が近づ
き、まだ線路が残っていた。

 その廃線跡を少し進んで桃浦駅跡に着き、旧駅舎
で早めの昼食にした。

 ここ桃浦駅には、関東百駅巡礼歩行で2004年10
月に来て、周辺を歩いた。以来3年ぶりである。

その時も歩いた東側の集落に入り、万福寺の下を通
過する。

 万福寺仁王門は、享保9年(1724)に別の寺から
移設したというかやぶき屋根で県文化財。

 仰ぎ見る本堂もかやぶき屋根だったが、立ち寄ら
ずに通過した。

 台地に上がり、民家の散在する羽生集落を抜ける。
集落のはずれに大きな鶏舎があった。のぞいてみた
ら、数えきれぬほどの鶏が狭い囲い棚に2羽ずつ並
んでいる。

 卵製造機さながらの眺めは生き物とも思えず、かわ
いそう。

 次の前川集落には昔ながらの家並みが残り、古い
街道筋らしさが感じられた。


 県道8号に入ると、車が多いが歩道もないので先を
急ぐ。川向を通過し、陣屋交差点際のコンビニに立ち
寄る。上山交差点の先で県道に分かれて右に入った。

 こちらはほとんど車が通らず、静かな論山集落の畑
の間を進む。

 鉾田町に入り、畑の間の土道を少し通過、堀割を走
っていた鹿島鉄道の廃線跡を陸橋で越える。


 北浦に注ぐ巴川沿いの田園地帯に出た。田んぼと南
側の野友集落の間の台地下を走る県道2号に入り、野
友公民館で小休止した。

 一里塚ロードパークと呼ぶ、ちょっとした車の休憩所
を過ぎ、串挽集落へ。串挽交差点の先で県道に分かれ
て左に入る。

 新川岸集落の横から巴川沿いに出て、少し進むと橋
があった。

 ここが巴川と北浦との分岐点。巴川の延長で川のよ
うな感じの北浦の北端を確認し、鉾田(ほこた)の町並
みに向かう。

 巴川の右岸を少し戻って北浦橋を渡る。500m余り
で鉾田の町並みに入り、鹿島鉄道の終点だった鉾田
駅跡に着く。

 駅舎はないがホームや線路は残っていた。

 駅前広場はバスターミナルになっていて、水戸、石岡、
潮来車庫へのバスが出ている。東京駅行きの高速バス
もあり、Eさんはこのバスで帰ることになり別れた。

 バス待合室の建物には、やまさんが期待していた、た
い焼き屋があったが、あいにく品切れ。土浦の、どら焼
き屋は閉店していたし、このたい焼き屋でも入手できず、
今回は甘党にはちょっと残念だ。

 ちょっと活気に乏しい古い街並みを東に抜け、15時
53分に今日の終着、高架になっている鹿島臨海鉄道
の新鉾田駅に着いた。


(天気 晴、距離 27.5㎞、地図 常陸高浜、常陸
 玉造、鉾田、歩行地 石岡市、小美玉市(旧玉里村、
 小川町)、行方市(旧玉造町)、鉾田市(旧鉾田町)、
 歩数 41000)
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「e-Tax」での確定申告を終える

2008-03-14 21:35:42 | Weblog
 先日ご覧いただいた、わが家の梅がほぼ満開にな
りました。今日は、午後から雨になりせっかくの花も
雨に濡れています。


          


 所得税の確定申告期限の17日が近づき、本日
何とかe-Taxでの申告を終えたので、その報告です。

======================

 2月21日付当ブログで、「e-Taxによる所得税の
確定申告は面倒だ」ということを報告しました。

 その後、放ってままにしていたのですが。申告期限
が近づいたので、少しずつ入力を進め、3日ほど前に、
おおかたの申請書類の入力を終えました。

 しかしうまく電子申告が出来なくては困ると思ったの
と、これでよいという自信がないので、12日に税務署
に行って申告用の用紙類をひと揃いもらい、昨日、記
入を終えました。

 この作業は、以前からやっていたので、半日足らず
で済ますことが出来ました。

 これを郵送するか、税務署に持って行けばよいので
すが、せっかく住民基本台帳カードを作って電子証明
書も組み込み、カードを読むためのICカードリーダー
ライターを購入して4000円の支出をしているので、
何とかe-Taxで申告したいものだと思い返し、今日残
りのデータ作りをして、仕上げました。


 さて、作成した書類は、確定申告書Aの第1表、第2
表のほか4種類あるのですが、どれを添付すればよい
のかわかりません。

 それではと、全部添付することにして、印鑑代わりの
電子署名をしました。すると、書類相互間のチェックを
してくれたようで、確定申告書の社会保険料控除額の
ところが違うというメッセージが出ました。

 第1表、第2表を確認したら、片方を修正したのに、
もう1方を修正しなかったことに気づき、修正しました。
 
 電子署名の際のパスワードも何だったか忘れ、作成
したときの用紙を引き出して確認、何とか送信を終え、
無事電子申告を済ませました。

 その後、受け付けたとのメッセージが返ってきたので、
どうやら申告は受理されたようです。

 電子申告では、添付書類が不要なのですが、その代
わり、その内容を添付資料代わりの表に打ち込まなけ
ればなりません。

 わが家では、残念ながら医療費がかさみ、医療費控除
の申請もしたので、そのデータ投入に、かなりの手間を
要しました。

 病院名や電話番号、支払金額などをいちいち投入する
のです。病院毎に手計算して集計し入力してもよいかも
しれませんが、計算する手間の代わりに私は、ひとつ
ひとつの領収書データを投入したので、この時間にかな
り要しました。

 いずれにしろ、以前述べたように、「e-Taxで簡単に
申告できる」という国税庁のキャッチフレーズとは、まっ
たく違って、大変な手間を要したことは確かです。

 紙での申告なら半日足らずで済みますが、延べ何日
かかったやら…。期限ぎりぎりに申告を終え、ホッと
ひと息というところです。



 
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品川駅から東京駅まで歩く

2008-03-13 23:17:11 | 江戸・東京を歩く
 今日は、東京・品川駅東口の歯科医院へ定期検診に
出かけたため、LLウオークの入力が出来なかったので、
品川駅から東京駅まで歩いたレポートをアップします。

=======================



 13時半近く、歯科医院での治療が終わり、品川駅
東口付近の店で昼食をして帰途につく。

 写真は、品川駅東口の駅ビル。

 快晴で暖かなのと、途中の寄り道も考えていたので、
東京駅まで歩いて行くことにする。

 なぜ自宅から1時間半もかけて、品川の歯科医院
まで行くのかといえば、10年以上前に、品川駅東口
のこのビルに勤めていたときに、お世話になったから。


 以来、半年ごとに「歯の点検にお出で下さい」との
はがきをもらうので、行ってチェックしてもらったり、虫
歯が痛んだりしたときに治療に出かけたりして、ずっ
とお世話になっている。

 品川駅東口は、新しいビルが林立し、当時とすっか
り変わってしまった。線路に沿って隣の駅・田町方向
に向かう。

 芝浦水再生センター沿いにある芝浦中央公園の、
モクレンの芽がかなりふくらんでいた。


 品川駅と田町駅との中間にある、小さな高浜公園
の横から、20本以上あると思われるJR線路の下
を、東西に抜ける地下道があるのをご存じだろうか。

 ここが東側入口である。


 地下道の高さは170㎝足らず。背の高いトラックなど
は通れず、乗用車のみ。それも西から東への一方通行
で、片側に歩道(写真では右側)がついている。

 私は、頭をかがめずに何とか通れるが、170㎝以上
の人は頭を下げないと天井にぶつかってしまう。

 西に抜けたところ、国道15号(第1京浜)際に、史蹟・
高輪大木戸(たかなわおおきど)跡がある。

 江戸中期の享保9年(1724)に築造されたもので、
江戸の入口として道幅約6間(約10m)の旧東海道の
両側に石垣を築き、夜は閉じて通行止めにしたという。 

 国道15号を北に向かうと、笹川記念財団のビルが
あり、笹川良平氏が母親を背負ったこの銅像は、ご存
じの方も多いことと思う。


 札の辻(ふだのつじ)交差点からは、国道1号を通
して東京タワーが望まれる。

 札の辻には、天保2年(1831)につくられ、江戸
六大高札場のひとつだった高札場があったとのこと。

 田町駅入り口や都営地下鉄三田駅のすぐ先に、西郷
隆盛と勝海舟が会見し、江戸開城に合意した記念碑が
ある。

 明治維新前夜の慶應4年(1868)3月14日に、
勝海舟が江戸を戦火から救うため、西郷と会見して
無血開城を決めた場所である。

 この記念碑の横を入り、国道とJR線路との間の細
い通りにある喫茶「草の花」に入る。

 以前にも紹介したことがあるが、ここのオーナー・
Yさんは、私たちカントリウオークグループの仲間。

 会報3月号を届けに寄ったのだが、あいにくご不在。
おいしいコーヒーを味わい、お店の人に会報を託して
「草の花」を後にした。

 さらに国道15号を先に進む。芝4交差点で大きく左
にカーブして金杉橋を渡る。橋から東京港側を見下ろ
すと、たくさんの屋形船が並んでいた。


 JR浜松町駅に近い都営地下鉄大門駅上を通過し、
国道15号は新橋駅の手前でJRのガードをくぐって、
線路の東側に回る。

 国道を離れ、そのまま線路の西側を進んで新橋駅
西口広場に出る。ここには、SL・C11 292号が
静態保存されている。

 この付近で、デートや夜の宴会の待ち合わせをした
人も多いのではなかろうか。 あなたはいかが?

 線路沿いを進んで、高いアンテナ塔のある東京電力
本社や、帝国ホテルのタワービル横を過ぎると有楽町。

 電気ビル南館1階にある「ふるさと情報プラザ」は、私
のいつもの立ち寄り場所。今日も寄って地方の自治体
のパンフレットを幾つかもらう。

 有楽町駅で東側に出て、交通会館にも入る。ここには
北海道、長野、滋賀など幾つかの道県のアンテナショ
ップがあるので、立ち寄り場所のひとつだ。

 今日最後の立ち寄り場所は、東京駅八重洲口の八重
洲ブックセンター。B1の地図売り場や観光本コーナー
などをのぞく。

 いつ行けるか分からぬが、熊野古道中辺路のいい地
図があったので求め、東京駅八重洲口へ。


 八重洲地下街から丸の内地下に回り、17時前後に、
東京メトロ丸ノ内線で池袋に向かった。
 
 品川駅から東京駅まで、多少迂回や寄り道もしたの
で、歩行距離は約9㎞であった。

 JRだと品川~東京間の営業距離は6.8㎞。新幹線
の駅間距離では最短であろうが、東海道新幹線のひと
駅間を歩いたことになる。


 
 
 

 

 
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牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第2日)続き

2008-03-12 21:18:58 | ウオーキング
 2008年3月3日(月)
 =JR常磐線土浦駅~高浜駅(続き)=


 常磐線の下を小トンネルで東に抜けると一帯はハス
田。土浦は日本一のハスの産地である。

 地図上の水田マークのところは、全部ハス田といっ
てよいのではなかろうか。

 その名も十二屋(とうふや)と呼ぶ豆腐専門店の横で
国道と交差し、手野町に入った。県道118号を少しだ
けで、古くからの集落を貫く旧道に回り、集落背後の
台地に上がる。こちらは車の通らぬ静かな道である。

 空禅寺の背後に、樹高13.5m、枝張り約20mと
いうイタジイ(スダジイ)の古木が立つ。なかなかみごと
な枝振りだ。


 その横からは、集落の向こうに水の入ったハス田が
見下ろせる。

 隣の田村町に入ったところにあった老人福祉センタ
ー湖畔荘の横に上がり、広々としたハス田や霞ヶ浦、
土浦の市街地などを眺めながら昼食。今日もおだや
かな日和である。


 静かな畑作地帯を北に向かうと、見慣れぬものが
たくさん捨ててある。

 何かと思ったらハスのくずだった。畑の肥料に
するらしい。

 土浦五中の角から国道354号を少しで北に入り、
谷地田の間を通過してて白鳥町へ。


 小さいお堂の虚空蔵(こくぞう)菩薩堂の先からは、
りっぱな長屋門の家や、生垣を巡らした民家などが
多く、古い街道筋だったことが感じられる静かな家並
みが続く。

 次の菅谷町(すげのやまち)には、面積約6.2haと
いう鶴沼があり、一帯は芝生広場や桜などに囲まれ
た菅沼公園になっている。

 近年できた潅漑用の沼かと思ったら、江戸半ばの
天明年間(1781~)に、現在のかすみがうら市を流
れる一ノ瀬川の水源としてつくられたものらしい。

 民家の散在する沼新田で土浦市を抜け、かすみが
うら市へ。最初の新生集落周辺は開拓地のようで、
沼新田の広場に「偕拓碑」というのが立っていた。

 さらに北東に向かうと、栗畑が増えてきた。茨城県
は栗の産地だが、この辺りもその一翼を担っている
らしい。


 金川の小集落には、かやぶきの平屋が残っていた。


 近くには、りっぱな門構えの旧家も見られた。


 小さい社の愛宕神社で小休止する。

 水田の潅漑用水である菱木川を挟む田園地帯は、
気持ちよい里道が続く。


 相変わらず栗畑の多い飯岡集落を東に進んだが、
杉林の中のY字路で予定の道を見落とし、少し南側
に迂回して県道141号を進んだ。

 やまさんが地図にない家並みに気づき、潅漑用の
池のそばを回って石岡市に入り、井関で予定の道筋
に戻った。

 集落の東北端にあった盛賢寺(せいけんじ)に寄る。
仁王門をくぐると、杉林に囲まれた境内に、歴史を
感じる堂々たる阿弥陀堂があった。

 盛賢寺は、元禄2年(1689)に徳川光圀(みつくに)
の命により、那珂郡額田村から曳(ひき)寺して開山
し、阿弥陀堂には、光圀から拝領した伝・狩野正信
の絵馬があるという。

 代田集落の東側を下って行くと、再び霞ヶ浦が見え
てきた。


 谷地田を抜け、北側の台地の稜線上を北に向かう。
林の中にかやぶきの廃屋が1戸残っていた。

 林が終わると畑作地帯。霞ヶ浦を見下ろしながら進
んで石川集落から霞ヶ浦の西岸に下りる。

 湖岸道路に入ったところで今日の記念撮影をした。

 上空は雲が増え、枯れアシの続く湖畔は、風も出て
寒くなった。下石川集落の北側で湖畔道路は右折して、
恋瀬川の川口に向かって大きく左カーブする。

 風が強まり湖面は波立ち、湖面からのしぶきらしい
ものが感じられる。


 恋瀬川左岸沿いに進むと、堤防は桜堤となる。愛郷
橋を渡って500mほどで今日のゴール、常磐線高浜駅
に16時25分に着いた。

(天気 晴後曇、距離 25㎞、地図(1/2.5万) 土浦、
 常陸藤沢、常陸高浜、歩行地 土浦市、かすみが
 うら市(旧霞ヶ浦町)、石岡市、歩数 39100) 
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