2010年4月10日(土)
関東一円のJRや私鉄の、普段は降りないような駅に降りて周辺を巡る、「関東
百駅巡礼歩行」、その64番目、JR成田線の滑河(なめがわ)駅に参加した。
下車したら、同じ電車で来た若い人たちの精算で、改札は列が長く、一人だけ
の高齢の駅員さんの対応は、なかなかはかどらない。私は、2つ手前の成田まで
使える「大人の休日倶楽部用ホリデーパス」で来たので、列に並んで精算した。
若者たちは、この近くにある成田牧場に行くようだと、先着のやまさんは言う。
今日の参加者は、カメラの私を入れて男性4人、11時10分に駅を出た。
東側の踏切を渡って、まずは駅の北側にある天満宮へ。すぐ北を流れる利根川
の氾濫に備えるためか、盛り土された上に、2つの社殿がある。
地形図に示された社殿背後の碑は、「流芳元記」という変わったタイトル。記され
た内容は草書調で書かれていてよく分からなかった。
交通量の多い国道356号を渡って、並行する利根川左岸堤防に上がる。ゆうよう
とした流れを眺めながら上流に1㎞近く進む。途中に、河口から55.5㎞の標識が
あった。
行く手左手に、太陽に反射して光る大きな銅板屋根が見える。これから訪ねる
龍正院の、ふき替えたばかりの屋根らしい。
田んぼに囲まれた畑の一角に、ナノハナが鮮やかな彩り。そばの畑で草取りを
していた奥さんに話を聞く。
滑川集落に入り、坂東三十三観音霊場28番札所の龍正院へ背後から入る。これ
が光っていた本堂背後の屋根、やはり最近ふき替えたばかりのようだ。
境内には数本のソメイヨシノがあり、ちょうど満開。本堂の表側は、以前のままの
屋根だった。
銅板ぶきの本堂は、元禄9年(1696)の建立で、千葉県有形文化財に指定さ
れている。
通称「滑河観音」で知られる龍正院の草創は承和5年(838)という古寺。慈覚
大師の開基と伝えられているという。
本堂拝殿天井には、天女像などが描かれていた。
かやぶき屋根の仁王門は、室町時代の文亀年間(1501~4)の再建、桃山期
の建築様式をよく示すものとして、国の重要文化財に指定されている。
境内には、樹齢を重ねた名木・夫婦松など古木が多く、夫婦松の下には、「観音
のいらか見やりつ華の雲」と刻まれた芭蕉句碑がある。
境内で昼食後、集落の中にある田んぼの横を回って、林間を貫く細道に入る。
しかし途中で途切れて民家のところに戻り、家主さんの了解を得て民家の庭先か
ら斜面を上がり、地図上に記された細道に出た。
竹林を進んだが再び道が途切れ、竹やぶをかき分けて南側の西大須賀集落に
下った。芽吹き始めた広葉樹林のあちこちに、ヤマザクラが彩りを添える。
畑や庭先などには、ボケやショカッサイ、ナノハナ、スイセンなどが花を競っ
ていた。
集落の南に広がる田んぼのあぜ道を進み、JR成田線の線路際に回る。この
あたり、上空が成田空港の着陸時の進入路になっているようで、数分間隔で大
きな翼の旅客機が轟音を響かせて、次々に通過して行く。
ヤマザクラの咲く平地林の先、成田線の線路際は道が途切れていたので、線路
を進んで東側の田園地帯へ。
台地に上がり、稜線の林間を抜けて東に進み、成田街道沿いの中宿集落に入る。
街道沿いの須賀神社社殿。
近くに咲いていた色濃い桜。
集落は成田街道に沿って並び、古くからの街道らしいたたずまいを残していた。
このあたりの大字は名古屋、右からの県道79号と合して新宿(にいじゅく)集落
を抜けて、小帝集落にある小御門神社前を過ぎる。りっぱな鳥居の神社にも寄り
たいところだったが、予定の列車に間に合わせるため通過した。
大菅集落の東側を下って、田んぼの横から小御門ゴルフ場の間を抜ける。田
んぼの間で少し回り道して、戻ったりもしたが、北側の国道356号に出て、15
時19分に滑河駅に着いた。
久しぶりに暖かな日よりとなり、満開のソメイヨシノやヤマザクラをあちこちで
眺め、畑や民家の庭先にはナノハナやボケ、スイセンなども咲き競い、春の彩
りの多いカントリーウオークを楽しんだ。
(天気 曇り一時晴、参加 4人、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 下総滑川、
歩行地 成田市(旧下総町)、歩数 17,700)