あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

3度目の四国遍路(前編)・高知その3

2010-04-09 21:56:50 | 3度目の四国遍路
 3月1日(月) 四国遍路前半第11日 
 =25番津照寺、26番金剛頂寺=

 6時20分に起床して朝食は7時から。宿泊した歩き遍路は、一人ずつの男性
ばかりで私を入れて3人。一人は早く食事をしてもう出発していた。

 もう一人は神奈川県大和市の84歳の方。最初は団体にて車で回り、2度目に
はツアーに参加して歩いたが、伴走車があり軽荷で歩けたとのこと。今回は一人
で歩いているが、ゆっくりと半日余り歩き、あとはバスなどを利用しているので、
足などの疲れはないという。

 甲浦(かんのうら)で突風に会い傘の骨は折れるし、眼鏡は飛ばされて壊れて
しまったので、今日は先(室戸市街?)に行って買いたいとのことだった。

 私は、左足の裏にマメが出来たので、前回、大洲市のときわ旅館でいただいた
まち針で水を出し、絆創膏(ばんそうこう)を貼る。腰痛も何とかなりそうな感じ。

 7時49分に岬観光ホテルを出発した。最御崎寺の下の国道55号際には、漁業
殉職者追慕の石仏がたくさん並んでいた。



 中岡慎太郎の像の下を過ぎ、大岩の多い室戸岬を回り、最御崎寺から下って
くる道と合したところで旧道へ。


 「昭和九年海嘯(かいしよう)襲来地点」の碑が何か所かにある。

 海嘯とは、津波が垂直の壁のように襲ってき来る現象らしい。昨日のチリ地震
津波を思い返す。

 津呂港の横を進み、室津の町並みにある25番津照寺(しんしょうじ)に向かう。
 

 25番津照寺の本堂は、中間に2階に鐘楼のある山門を挟んで、急石段を上が
ったところにある。

 高台にある本堂前からは、室戸岬や室戸の市街地が望まれる。 


 参拝を終え、門前の店でトイレを借りて牛乳を買う。

 室津川を渡り、前回も買った室津の町並みにある小さい店で、昼食用の弁当を
求める。しばらくは国道に並行する旧道を進む。風が止んで曇ってきて蒸し暑い。


 元川を渡って川の近くを回り、山ろく東側の集落から標高差150mの遍路道を
上がって、26番金剛頂寺(こんごうちようじ)へ。山門には大きなわらじが奉納
されていた。



 林間の遍路道を西に下り、国道55号際にある道の駅キラメッセの東屋で、前
回同様昼食にした。

 
 キラメッセからは、行く手の羽根岬などが一望できる。


 午後は雨の予報だったので、ザックカバーをして出発する。周辺は山腹に至る
までビワ畑が多く、実に金色や黄色い袋を掛けていて、遠くから見ると花のよう
に見える。

 畑の人に聞くと、3月下旬から5月にかけて出荷するという。

 吉良川(きらがわ)の町並みに入るとハクモクレンが満開、桃もあちこちで咲く。

 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている、水切瓦(みずきりが
わら)の並ぶ家並みは、3月3日~7日に開催の「土佐の町家雛(ひな)まつ
り」のおひな様が飾られ、花差しに花を飾った家も多く、春の装いを見せている。


 町並みの外れ、西ノ川を渡る頃には、行く手に黒雲が広がってきた。午後に
なると再び右腰痛になり、ザックが重く感じる。

 町外れで雨になったので、公衆トイレの屋根を借りてポンチョ、スパッツ、雨
用のズボンを着ける。

 あとはひたすら先を急ぎ、腰痛を考慮して中山峠越えは止め、海沿いの国道
55号をそのまま前進する。今日の国道はずっと海側に歩道が付いていた。
しかし、本降りになるとトラックの通過のたびに、多少水を掛けられる。

 雨に濡れる羽根岬付近の岩場。


 ザックの重みが腰にきつくなり、次第に歩みが遅くなってきた。あと1.7㎞と
いうところで、今日の宿の標識を見つけてホッとする。

 17時20分、4階建てのホテルなはりに着いた。受付で、タオルと濡れた物
を入れるビニール袋、それに新聞紙をもらい、濡れた雨具を部屋に干す。

 部屋は広くて余裕がある。大風呂に入っている間にコイン洗濯機を動かす。
入浴後クロークで湿布薬はないか聞いたら、2枚分けてくれたので腰に貼る。

【コースタイム】岬観光ホテル7:49ー室戸署先の国道合流点8:45ー25番津照
 寺9:17~40ー金剛頂寺への登山口10:34ー26番金剛頂寺10:58~11:26ー
 道の駅キラメッセ11:56~12:28ー東ノ川の橋13:12ー旧道・国道合流点WC
 13:55~14:05ー羽根小近くの交差点15:10ー羽根市民会館そばのガレージ
 15:23~33ー羽根岬の東屋15:52~57ーホテルなはり17:20

 (天気 晴曇後雨、距離 29㎞、歩行地 室戸市、歩数 49,500、
  遍路地図 26-2、28-1、28-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・高知その2

2010-04-08 21:12:31 | 3度目の四国遍路
 2010年2月28日(日) 四国遍路前半第10日 
 =チリ地震津波に注意しながら
            室戸岬の24番最御崎寺へ=

 昨夜も雨が降ったが朝は晴れた。5時30分に起床、昨夜届けてもらったおにぎ
りを食べ、自分で玄関のつっかい棒を外して、6時43分に民宿いくみを後にした。



 相間トンネルを抜けた先の田んぼで、カエルがにぎやか。番外霊場・東洋大師
明徳寺は、読経はせずに参拝のみとした。


 国道55号に並行する野根の旧道を抜けたが、初回に泊まり3月2日に再開す
るという、まるたや旅館の場所は確認できなかった。野根川を渡って国道に戻る。



 海は白波が立ち、海鳴りがゴウゴウと響く。ゴロゴロ休憩所には、東屋の休憩
舎が出来ていた。路肩にはもうスミレがたくさん咲いている。

 野根川の先からは人家が無くなる。しばらく進んで法界上人堂にお参りして、
ひと休みする。



 東洋町から室戸市に入って間もなく、車で後方から来た奥さんが車を止め、
「(午後)2時半から3時頃、1~2mの津波襲来の警報が出たから注意して下さ
い」と言われる。朝のテレビで、昨日午後発生したチリ地震による津波のことは
聞いていたので感謝する。

 間もなく、連れ合いからも携帯電話に同様のメールが入る。

 番外霊場の佛海庵には、手を合わせて参拝しただけで先に進む。


 少し先にポンカンの無人販売所があり、ひと袋200円で販売していた。

 遍路用にお接待のポンカンが置いてあったので、一ついただき、歩きながら食
べる。

 その先では、歩きの仲間Sさんからも、「津波に注意して下さい」とのメールを
いただいた。今日の国道55号は海側の左に歩道があり、始終海を見ながら進
める。前方に、大きな岩が見えて来た。


 正午近く、尾崎バス停の小屋にイスがあり、日陰にもなるので、佐喜浜のスー
パーで買ってきたアジの姿寿司などで昼食をする。

 昼食中には、中山道ウオークの仲間Tさんからも、私の2、3日後を四国遍路中
の、やはり中山道ウオークでお世話になったMさんご夫妻からの伝言とのことで、
津波に注意するようにとのメールをもらう。

 いろいろな方々に津波についてのご心配をいただき、本当に皆さんのお陰で歩
かせていただいているのだと、改めて感謝の心が高まる。

 大きな岩のそばに行くと、2つの岩にしめ縄がかけられていて、夫婦岩と呼ばれ、
そばに東屋やトイレもあり、車で来た人が何人か立ち寄っていた。


 13時を過ぎると、室戸市の広報車と消防車2台が、「避難勧告が出ているので
避難して下さい。」と告げて走る。集落のあちこちには避難場所の表示があるのだ
が、住民の方々は避難する気配は感じられない。

 とりあえず、海に変化はないか注意しながら進んだ。

 津波襲来時刻の14時半ころには、椎名漁港から三津集落の間。山側に避けら
れそうな場所は見あたらないので、先を急いだ。


 このあたりには、大きく育ったアシタバがたくさん自生していて、その先でも
あちこちで見た。

 三津の国道際には消防団の人などが集まって、海を見つめている。

 聞くと、津波到着予定時刻は1時間くらい遅れるとのこと。15時ころ、集落の
外れにあったお遍路さん休憩所で、午後初めての休憩をする。


 さらにひと頑張りで、大きな弘法大師の青年大師像↑の下を通過、弘法大師
修行の地である、大岩の下の洞窟・御蔵洞(みくろど)↓に参拝し、16時09分
に室戸岬に近い岬観光ホテルに着いた。


 休む間もなく、ザックを預けて24番最御崎寺(ほつみさきじ)に向かう。海から
数mの国道から標高165mの寺まで、石段と段差の続く上り道が続き、軽装な
がら右の腰に痛みを感じてきた。

 ひと汗かいて境内に上がり、納経締切の17時が近いので、まず納経印をいた
だいてから参拝する。


 腰痛が重くならないよう、帰り道も慎重に下ってホテルに戻った。

 今日の宿泊者には、ほかに歩き遍路さん一人とか。洗濯機に汗をかいた衣類を
入れてから入浴、夕食は18時半過ぎ、部屋に運んできてくれた。

 テレビでは、チリ地震津波による浸水などの被害を伝え、津波警報はまだ解除
されないという。ホテルも海抜7mくらいなので、注意しているとのこと。

 この宿は室戸岬の東側なので、徳島県の映像しか入らない。高知県の情報は、
20時45分の全国ニュースで知り、室戸市では18時02分に50cmの津波が
あったことを伝えていた。

 【コースタイム】民宿いくみ6:43ー東洋大師7:17~20ーゴロゴロ休憩所8:08ー
 法界上人堂8:52~9:02ー東洋町・室戸市境9:35ー仏海庵10:12~17ー佐喜浜・
 スーパーフェニックス11:06~11ー尾崎バス停(昼食)11:54~12:30ー夫婦岩
 13:00~07ー椎名郵便局13:50ー室戸東中14:32ー三津・お遍路さん休憩所14:55
 ~15:05ー御蔵洞15:58~16:04ー岬観光ホテル16:09~11ー24番最御崎寺16:35
 ~55ー岬観光ホテル17:18

 (天気 晴、距離 37㎞、歩行地 東洋町、室戸市、歩数 59,200、遍路地図
  24-4、26-1、26-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その9・高知その1

2010-04-07 19:01:31 | 3度目の四国遍路
 2月27日(土) 四国遍路前半第9日 
 =別格4番 鯖大師=

 昨夜はかなりの雨だったが、朝には止んでいた。6時15分に起床、7時朝食、
おかみさんと遍路宿や霊場巡りのことなどをゆっくりと話して、玉子2つとボトル
茶のお接待をいただき、7時50分にあづまを出発する。

 牟岐(むぎ)警察署の先から海側の遍路道に入り、大坂峠を越える。

 峠付近には、10匹くらいの野猿がいた。

 下って行くと、これから進む国道55号が見下ろせる。


 向こうの山には、昨夜の雨雲の名残が見える。


 下ったところにあるはずの番外霊場、草鞋(わらじ)大師は、前2回とも見つか
らなかったが、今回は道路際に小さい石仏を見つけたのでお参りする。


 海は、まだかなり波立っていた。


 内妻トンネルの海側にも松坂峠を越える遍路道の標識があったので、初めて
回ってみた。入口の遍路宿・内妻荘そばには、無人の接待ボックスがある。

 杉落ち葉の多い道を上って峠を越え、海岸に出て350mほど砂浜を進む。浜
には、コンプが打ち上げられていた。


 間もなく、別格4番鯖大師に着く。雨がパラパラしてきたので、ザックが濡れな
いように本堂の屋根下に置いて参拝する。納経所で、タオルのお接待をいただ
いた。


 鯖大師を出てすぐに、逆打ちの男性遍路に会う。札幌の人で、12年間で50
回逆打ちをしているとのこと。金色の納札(おさめふだ)をもらい、さい銭はないか
と言われたので、100円を進呈した。大荷物なのでどのくらいか聞いたら、35
㎏だという。野宿で四国遍路を続けているらしい。


 国道55号は大砂海岸に沿って進む。このあたりは片側の歩道があり安心し
て歩ける。ただトラックの通過の際は、菅笠があおられるので、笠を抑えなくて
はならない。

 浅川港を過ぎて国道は海を離れ、JR牟岐線とともに山間に回る。海南の町並
みに入り、ローソンで弁当を買い、阿波海南駅のそばのヘンロ小屋1号香峰で
食べようとしたが、木の扉が施錠されていて入れず、トイレも利用できない。

 さくの前に木のベンチがあったので、そこを借りて昼食をした。

 海部(かいふ)駅前の阿波海南交流館のトイレを借りようとして、青信号に合わ
せて横断歩道を渡ろうとしたら、信号無視の右折車が目の前を通過してビックリ。
もう少しでひかれるところだった。信号が青でもよく確認しないと危険だ。

 坂を上がったところに、新しいヘンロ小屋39号NASAが出来ていた。間もなく
オープンのようだが、今日は縄が張られていてまだ使えない。


 田んぼの広がるあたりに下ると、水の入った田んぼでしきりにカエルが鳴く。

 那佐湾と呼ぶ、川のように長く入り込んだ湾の横を2㎞ほど進む。


 那佐の森永牛乳の店に遍路休憩所があり、無人だったが冷蔵庫に牛乳があ
ったのでいただき、お金は指定の場所に入れ、久しぶりの牛乳を味わった。


 すぐ近くに、私は四国でしか見たことのないピンクの色濃い桜が、早くも満開
になっていた。何という桜なんだろうか…。


 その先では、ミモザやキブシも早くもいっぱいの花を見せていた。

 徳島県最後の町、宍喰(ししくい)の浜はかなり波立っているが、サーファーが
何人も海に入っているのが見える。


 宍喰漁港を過ぎ、県境の水床トンネル(638m)へ。歩道には手すりが付いて
いるが狭いので、ミニライトをつけながら進んだ。

 15時12分、トンネルを抜けて高知県東洋町に入った。すぐに右手の旧道に
回り、甲浦(かんのうら)の家並みや、漁船の並ぶ甲浦漁港の横を通過する。


 再び国道55号へ。高知県側には歩道がないので、先の見えないカーブでは
車に注意が必要である。

 次の集落、生見(いくみ)にある今日の宿、民宿いくみには16時15分に着い
た。遍路宿というよりサーファー向けの宿で、家の前にはサーフボードが並ぶ。
しかし宿泊者は、私のほかに一人だという。

 18時からの夕食は私だけ。高知名物、カツオがさっそく出た。


 朝食は7時からとのことだが、早出をしたいのでおにぎりを頼み、就寝する前
には部屋の前に届けてくれた。

 今朝5時半ころ沖縄で地震があり、津波警報が出たとテレビは報じる。昨日
あちこちで、南海大地震の津波高の標識を見ているだけに、気になった。 

【コースタイム】民宿あづま7:56ー大坂峠8:31ー松坂峠峠9:06ー別格4番鯖大師
 9:50~10:11ー大砂海岸10:30ー浅川駅前休憩舎11:12ー海南のローソン11:43
 ~46ーヘンロ小屋1号香峰(昼食)11:55~12:35ーヘンロ小屋39号NASA(未
 完成)13:11~13ー那佐の牛乳店(無人休憩所)13:52~14:05ーヘンロ小屋6
 号宍喰14:48ー水床トンネル出口(高知県入り)15:12ー民宿いくみ16;15

 (天気 曇一時小雨、距離 25㎞、歩行地 徳島県牟岐町、海陽町、高知県
  東洋町、歩数 43,300、遍路地図 24-1,24-3,24-4図)
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その8

2010-04-06 17:35:15 | 3度目の四国遍路
 2010年2月26日(金) 四国遍路前半第8日 
 =23番薬王寺=

 6時10分起床、7時に朝食、キャラメルのお接待をいただき、雨なので雨具の
完全装備をして7時40分に民宿明山荘を出た。

 宿のそばにも、昨日見たのと同じような「アカテガニ横断に注意」の標識がある。



 田井ノ浜を回り、木岐(きき)の家並みの手前にある木岐小の横を通過したら、
校舎の窓から私を見つけた低学年の児童が、「お遍路さーん がんばってくださ
ーい」と2つのクラスから相次いで声援が来た(下の写真より右手前で)。

 私も「ありがとー」と返して手を振り合う。雨でもがんばって歩かねばと、元気を
もらった。

 木岐の家並みにある電柱には、昭和南海地震や想定南海地震の津波高を示
すテープが貼られ、津波避難場所を示す地図も何か所かにある。

 上の写真、真ん中の電柱に巻かれた青いテープが、昭和南海地震のときの津
波の高さを示す。


 木岐漁港を回って行くと、安政地震津波のことを記した石灯ろうがあり、近くの
海に入って海藻を採る女性が一人見える。


 すぐ先から、湾岸の暖帯林を回る遍路道へ。歩き遍路や地元の人が詠んだ句
碑が立ち並び、投句箱もある。

 私も歩きながら考えた2句を、その先の投句箱に入れた。

 いったん県道25号に出て、山座峠まで進む。新しい遍路休憩所があったので
休む。峠の先は下りの遍路道へ。雨が小降りになったので、ポンチョのファスナ
ーを外そうとして、右足を危うく右の急斜面にふみ外しそうになった。このような
道は幾らでもある。この先も注意せねば……。


 下り終えた恵比寿湾では風が強まり、菅笠を押さえる。


 岬の先端に、恵比寿洞の説明板が立っていた。そばの遊歩道を下って行くと、
大きな岩山に長い期間をかけて荒波に浸食されて貫通した、海蝕洞と呼ぶ大き
な洞穴が見られ、偉大な自然の造形に感嘆する。


 雨脚が強まり行く手の岬も雨に煙る。波切不動明王の祭られている恋人岬の
東屋で、雨を避けて小休止する。


 その先にあった日和佐うみがめ博物館は、NHK朝のドラマ「ウェルかめ」のモ
デルのひとつなので入館して、ウミガメの生態などを観察した。


 そばの大浜海岸はアカウミガメの産卵地で、国指定文化財・天然記念物とな
っている。近くの八幡神社には、大きなクスノキが数本立っていた。


 まもなく日和佐の町並みに入り、徳島県最後の霊場、23番薬王寺に上がる。

 今日は雨なので頭陀袋(ずだぶくろ)は出さず、あらかじめ地図ケースに入れ
てきた線香とローソク、経本などを出して参拝、読経した。

 境内にも、ご神木のクスノキの大木が2本、町並みを見下ろして立つ。上部に
ある独特の姿を見せる瑜祇塔(ゆぎとう)↓には上がらず、納経所で納経印をも
らい、寺を出た。


 高知県最初の霊場、次の24番最御崎寺(ほつみさきじ)までは、この先75㎞
余りある。

 正午近いので、近くの手打ちうどん店「やすらぎ」に入り、エビや餅の入った厄
除けウドンを注文して昼食にする。

 食べ終えて店を出たのが12時半、残りあと15㎞あり、17時前になんとか宿
に着きたいと国道55号を急ぎ進む。

 しばらくは新しくて広い歩道があるが、雨は強くなり、大型トラックが通過する
と、かなりの水しぶきを浴びる。

 全長610mの日和佐トンネル付近までは、最近出来たらしい歩道があるが、
その先の山間に入ると歩道がない。

 右側通行をして、車が来ると中央部へ避けるよう手を振りながら進む。それ
でも2台の車から、顔までかかるシャワーを浴びた。

 美波町から牟岐町へ入ったところの、国道の温度表示は18℃を示す。

 国道際には東屋が2,3あるがいずれも小さく、今日のような雨では濡れて
しまい、座って休むことは出来ない。仕方なく休まずに一気に進み、番外霊場
小松大師にも手を合わただけで通過する。

 お陰で予定より早い15時58分に、JR牟岐駅前にある民宿あづまに着いた。

 ここも、おかみさんの気さくな対応が気に入り3度目。おかみさんから、雨具
をすぐに脱ぐように言われ、ポンチョ、菅笠、スパッツ、ザックカバーなどを干し、
靴にはたっぷり新聞紙を入れて下さる。

 部屋の暖房は石油ストーブで、風呂はわが家より小さいが、この心づくしが
何よりで、今回もお世話になった甲斐があった。

 夕食は18時前から、いつものように盛りだくさん。

 今日は寒かろうと久しぶりに作ったという鍋物もあり、食前酒の梅酒から食
後のフルーツまで、いつものメニューともども、ゆっくりと美味しくいただいた。

 この宿には、へんろ道保存協力会から遍路地図が送られてきていて、希望
者は購入できるとのこと。初回の遍路を機に、お付き合いさせていただいて
いる奈良県のYさん、Mさんのこともよくご存じだった。

 今日も宿泊者は私ひとり、部屋に戻ったら、ふれあいの里さかもとなどで同
宿の、横浜のTさんから携帯に電話がある。

 雨が強かったので予定を変えて、私が明日泊まる生見に宿泊しておられると
のこと。やはり靴の中まで、びしょぬれになったという。

 テレビでは、バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケートで浅田真央
選手の銀メダル獲得を伝える。

【コースタイム】民宿明山荘7:40ー木岐郵便局前8:17ー山座峠休憩所9:11~
 20ー恵比寿洞10:02~12ー日和佐うみがめ博物館10:37~57ー23番薬王寺
 11:20~51ー手打ちうどんやすらぎ(昼食)11:55~12:30ー日和佐トンネル入
 口13:21ー山河内駅入口13:48ー美波町・牟岐町境14:26ー小松大師15:11
 ー民宿あづま15:58

 (天気 雨一時曇、距離 26㎞、歩行地 美波町、牟岐町、歩数 42,900、
  遍路地図 22-2、24-1図)
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川口市から北区・足立区の桜を巡る(埼玉・東京)

2010-04-05 16:23:23 | カントリーウオーク
 2010年4月4日(日)

 首都圏の桜が見ごろの日曜日、カントリーウオークグループの例会に参加した。
出発地の埼玉高速鉄道 川口元郷(もとごう)駅を10時5分にスタートする。

 =鋳物の町・川口から荒川へ=

 地下の駅構内から国道122号に上がり、まずは地図上の現地確認をする。南に
向かい芝川を渡り、本町ロータリーの手前を西に入って、関東八十八か所霊場第
七十六番という錫杖寺(しやくじようじ)へ。

 新しいコンクリート造りの本堂に参拝、境内には川口七福神、福禄寿尊が祭られ
ている。

 寺は、養老元年(717)に行基が建立、寛正元年(1460)には足利義政により
七堂伽藍が整備され、2代将軍徳川秀忠の日光参社の際の休息所となるなど、
日光街道川口宿の中核寺院として栄えたという。

 JR川口駅に通じる通りを越えて川口神社に入る。11月の祭礼には、鋳物職人
が器量の上達を願い、裸や素足で参拝したという鋳物師の氏神である。

 境内のソメイヨシノ数本が満開、拝殿前には、鋳物製の大きな雨水おけが奉納
されていた。

 南側の金山町に入ると、鋳物工場の名残の建物や標識などがあちこちに残って
いる。その一つに、国重要文化財に指定された旧鋳物問屋鍋平別邸があった。

 木造瓦ぶきの母屋(おもや)と離れ、蔵の3棟で、川口鋳物商人四代目の鍋崎
平五郎が隠居屋として建設したものとか。

 大正から昭和の近代建築の特色がよく踏襲されていて、離れのステンドグラス
やモザイクタイル、黒檀など、贅沢品がふんだんに使用されているという。

 変化に富んだ築山や庭池、石組みなどもなかなか見ごとで、市の指定名勝とな
っている。建物は現在、川口市母子福祉センターとして活用されていた。

 荒川左岸堤防に上がり、国道122号の荒川大橋を渡る。右岸上流の堤防には
満開のソメイヨシノの並木が続き、多数の花見客の姿が見える。


 右岸堤防を下流に向かう。荒川と隅田川の分流点にある旧岩淵水門のそばに、
荒川の最高水位を示す表示があり、昭和22年(1947)のカスリーン台風では、
現在の堤防でもかなり上部の8.6mになったと記されていた。



 そばの荒川治水資料館でトイレを借り、現用の岩淵水門↓を渡って、川口市街や
都内のビルなどを眺めながら、荒川右岸と隅田川左岸の間の背割り堤防を鹿浜橋
まで進む。


 橋を渡って左岸を芝川水門際まで戻り、三角州にある足立区の都市農業公園に
12時25分に着き、昼食をする。

 園内には、足立区内の古民家や長屋門が移築されていた。

 ここも「江北五色桜」と呼ぶソメイヨシノや八重桜など、50品種290本が混植され
ていて、花見客で賑わっていた。

 =都営舎人公園から西新井大師へ=

 13時35分に午後のコースへ。東に向かい、まず鹿浜二丁目の氷川神社で標高
2.4mの三角点を確認、交通公園になっている北鹿浜公園に入り、桜の下で記念
撮影をする。


 園内は、子ども向けの交通標識や乗り物がいろいろあり、多くの家族連れが訪れ
ていた。しかし、雲が厚くなり肝心の桜は彩りがさえず、花冷えの寒さを感じる。


 鹿浜七丁目まで進み、谷在家公園へ。やはりソメイヨシノが満開で人出もあるが、
何となく寒々としている。ここで小休止した。

 公園の北から、高圧送電線に沿って伸びる江北北部緑道に入る。米国ワシントン
のポトマック公園から昭和56年(1981)に里帰りしたという、35種3千本の桜の
一部が植えられていて、ジュウガツザクラ↓など、その何種かが開花していた。


 緑道沿いにあるO家は、ツバキ、ハナモモ、ムラサキモクレンなど、広いお屋敷が
花いっぱい。後を歩いた数人は奥様に声をかけられ、庭を拝見したとか。

 その先の緑道では、桜並木の下のナノハナも花盛りだった。


 緑道が終わり、北足立市場構内を東に抜けて舎人(とねり)公園へ。尾久橋通り
を挟んで東西750m、南北1㎞前後ある広大な都立公園で、昭和15年(1940)
に防災緑地として計画され、戦後、都市公園として再出発したのだという。

 公園の西端、北足立市場寄りに、昭和56年に米国・レーガン大統領夫人から贈
られた「レーガン桜」と呼ぶ、ソメイヨシノが花を開いていた。


 カモの泳ぐ池の南を回って公園の東に抜け、伊興三丁目から諏訪木東・西公園
を通過する。

 西新井四丁目から五丁目へ、再び高圧線下にイチョウとケヤキ並木の続く緑道
を南下し、背後から西新井大師に入った。

 コンクリート造りの大本堂前の広い境内は、以前来たときには露店が並んで参詣
者で溢れていたが、今日は閑散としている。

 いぼ取りに霊験あるという塩地蔵の横から豪壮な山門を抜け、名物のだんご店
などの並ぶ門前を回り、16時55分に、ゴールの東武大師線大師前駅に着いた。


 あちこちのソメイヨシノは満開ながら、真冬のような寒さ。花冷えの中のウオーキ
ングだった。

(天気 曇、参加 21人、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 赤羽、草加、歩行地
 川口市、北区、足立区、歩数 19,300)
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川口市から北区、足立区の桜(埼玉・東京)

2010-04-04 23:21:02 | Weblog
 ソメイヨシノが見ごろの今日、4月4日(日)、カントリーウオークグループの
4月例会で、都県境の川口市から荒川右岸を経て、足立区の西新井大師まで、
お花見ウオークをしてきました。

 レポートは別途アップしますので、今日は通過した場所での桜の花を幾つか
ご覧いただくことにします。

 JR京浜東北線の川口駅と埼玉高速鉄道の川口元郷駅の中間にある、川口
神社境内、山門からの眺め。   


 その1本を見上げたところ。


 新荒川大橋を渡り、東京都北区の荒川堤防右岸上流の桜並木。花の下は、花見
客で賑わっていました。


 橋の下流、旧岩淵水門付近のソメイヨシノ。


 荒川と、分流する隅田川の間の堤防を進み、鹿浜橋を渡って芝川水門のそばに
ある足立区立都市農業公園で昼食をしました。

 午後は、足立区内の桜並木や桜の咲く公園をを幾つか回りました。こちらは鹿浜
三丁目の北鹿浜公園。すっかり雲が厚くなり、花の彩りもさえません。


 東に進んで鹿浜七丁目で、北に伸びる高圧送電線下に続く桜並木を舎人(とね
り)公園に向かいました。谷在家三丁目付近のジュウガツザクラです。


 最後に訪ねたのが西新井大師、池のほとりのソメイヨシノ。


 ゴールはすぐそば、東武大師線の大師前駅です。

 花冷えの1日で次第に雲も厚くなり、花の彩りはいまひとつ。真冬のような寒さ
の中の花見ウオークでした。
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町田・小山内裏公園近辺の散策(東京)

2010-04-03 22:29:58 | 江戸・東京を歩く
 首都圏のソメイヨシノが見ごろとなった今日、4月3日(土)、地図を見ながら
歩く会の例会で、東京・町田市郊外の小山内裏(おやまだいり)公園周辺の
春を訪ねました。

 スタートは、京王相模原線の終点、橋本のひとつ手前、多摩境駅。駅の周
辺は新しいビルが増えつつありますが、東側の桜並木の斜面を下ります。


 このあたりは、小山町の一角にわずかに残る自然、「片所谷戸」と呼ばれ、遊
歩道が設けられているので、そこへ入ってみました。


 どこからか種が飛んできたのか、谷戸のあちこちにはナノハナやショカッサイが
花を見せています。


 斜面林の下部には池があり、その周辺には、斜面から湧き出た小さな流れが、
くねくねと流れ、6月になるとホタルが飛び交うとか。

 この貴重な自然を守るため、「小山のホタルと自然を守る会」というグループが
保護活動に尽力されているようです。

 木々の芽吹き前に目立つ、キブシもあちこちに咲いていました。 


 鉄分が多いのか赤っぽい流れの一隅には、クレソンが花を見せています。


 大きなヤマザクラも、あちこちで咲いていました。


 オオシマザクラの大木も、ちょうど花の見ごろ。


 この花は、何という木なんでしょうか?


 この付近や、西側の八王子市の山林にしかないという、それも100本前後しか
ないという貴重な桜、ホシザクラというのが咲いていました。

 ちょうど来られていた、「小山のホタルと自然と守る会」の事務局長さんから、
ホシザクラと似ている桜の見分け方や、ホシザクラの子株の保護育成している
ことなどを説明していただきました。

 遊歩道の片隅に咲き出したのは、花は1輪ながらニリンソウのようです。


 片所谷戸から北側の台地に上がって小山内裏公園に入り、公園の南側を等高
線に沿って走る遊歩道を西に向かいました。

 この道は、戦時中は「戦車道」と呼ばれる軍用路として使われたようです。

 遊歩道には桜並木が続いていますが、ソメイヨシノではなく別の桜でした。


 下車した多摩境駅のすぐ北側上部あたりからは、少し霞んではいますが、橋本駅
周辺の市街地の向こうに大山や丹沢山塊が望まれました。


 さらに進んで、今日のもうひとつの目的地である、標高182.3mの三等三角
点を探したところ、遊歩道のすぐ西側の高見の広葉樹林で見つかりました。


 そばにベンチがあったので昼食をしてから、小山内裏公園の西端まで進み、
林間を北東に延びる津久井往還と呼ぶ古道に入ります。

 この道は、都内・世田谷区三軒茶屋まで通じていたとのことです。

 公園の北西端には、大田切川の源流になっている大田切池というのがあり、
上高地の大正池を思わせる、立ち枯れの木が残っていました。


 本日の行程はこのあたりで終りとして解散となり、多くの皆さんは近くのバス停
から、私など何人かは歩いて隣駅の京王相模原線南大沢駅に向かいました。
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京阪電鉄のPR誌「K PRESS」4月号に写真掲載

2010-04-02 17:02:29 | Weblog
 関西の京阪電気鉄道が毎月発行しているPR誌 『K PRESS』 の4月号に、
私が2年前に撮った桜に彩られた伏見桃山城の写真が掲載されました。

 これがその『K PRESS』4月号の表紙です。


 4月号では、特集として「お花見スポットとイチゴスイーツ」をとりあげており、沿線
の京都市内を始め、大阪、滋賀などの桜の名所と、その近くにあるイチゴスイーツ
の店が紹介されています。

 京都では、東山、出町柳、岡崎・哲学の道、嵐電沿線、伏見、宇治、八幡などの
おなじみの桜の名所が写真入りで掲載されています。

 その中の伏見では、伏見桃山城運動公園が対象になっていて、その写真が実は、
私が2年前の2008年4月1日に撮ったものなのです。



 掲載された写真は、横43㎜、縦32㎜くらいの小さなものですが、デジカメで撮っ
たもとの写真は下のようなものでした。


 伏見桃山城の桜の写真なら、地元京都の方はもちろん、関西の方なら数えきれ
ぬほどの人が撮っているはずなのに、なぜ関東から出かけた私の写真が使われた
のでしょうか。

 それは、当ブログの2008年4月13日に投稿した、この写真などの入った『京都・
伏見の社寺を巡る(上)』という記事を、K PRESSの編集を担当されている会社の
Kさんがご覧になり、「使わせて下さい」とのメールをいただいたからなのです。

 趣旨を了解して提供した写真が、4月号に掲載されたというわけです。

 私のブログを見て、同様に写真が学術的な図書に利用されたこともあり、ブログの
力の大きさと広がりを知り、3月30日付けの四国遍路の記事の中では、地名の文
字誤りに気づかずに投稿して、コメントをいただいたばかりのこともあり、その内容に
誤りの無いよう、しっかりと確認して投稿しなくてはと、改めて思ったことでした。

 ちなみに京阪電車は、4月15日で開業100年になるとか。本誌では「京阪百年」
という4頁の保存版も、16頁の記事とは別に盛りこまれています。

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NHKラジオで『四国遍路を考える』始まる

2010-04-01 19:24:03 | 四国遍路あれこれ
 この1か月半ほどは、現地からと帰宅後のレポートで、四国遍路の模様をアップ
してきました。

 まだレポートは1/4くらいで、この先も随時報告しますが、昨日今日は、もとの
会社のOB会の会報を、ボランティアで市内の会員への配布に出かけたり、故障し
たデジカメ修理に江戸まで出かけたりして、時間がとれませんでしたので、今日は、
別の四国遍路の話題です。

==================================

 NHKラジオ第2放送「こころをよむ」シリーズでは、4月から6月にかけて、『四国
遍路を考える』というテーマで放送されます。

 四国遍路は不思議な魅力があり、最近ではお年寄りだけでなく若者の一人歩き
も増えています。

 この講座では、四国遍路の魅力を探ることを目的として、遍路の歴史や四国八十
八か所の信仰のかたちを紹介するとのことです。

 講師は、四国霊場第4番大日寺住職で、仏教学者・画家の真鍋俊照(まなべしゅ
んしょう)さんです。 

 毎回のテーマとしては、「四国遍路の世界にようこそ」で始まり、「四国遍路と修験
道」、「遍路の歴史と道標が示す意味」、「遍路におけるお接待文化」、「四つの道場
をめぐる」といったように13回にわたって続きます。

 放送はNHKラジオ第2放送で4月4日から6月27日まで、毎週日曜午前6:45~
7:25の40分間。再放送は、翌週の日曜日、4月11日から7月4日まで、午後1時
20分~2時00分です。

 以下のような、この講座のテキストも、いま書店で発売中です(税込み800円)。



 週末に出かけることが多い方は、ラジオを聴取できなくても、このテキストを読め
ば、講座の内容のあらかたは理解できると思います。

 四国遍路をされた方、計画されている方、興味を持たれている方は、遍路のこと
を考える一助にいかがでしょうか…。
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