愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 165 飛蓬-72 小倉百人一首:(儀同三司母) 忘れじの

2020-09-10 16:10:48 | 漢詩を読む
 (54番) 忘れじの 行末までは かたければ
       今日をかぎりの 命ともがな
               儀同三司母 『新古今和歌集』恋・1149
<訳> あなたは私のことを決して忘れまいとおっしゃるけれど、遠い将来まで言葉通りの愛情が続くかどうか、信じることが難しいので、そうおっしゃる今日を最後として絶えてしまう命であってほしいと思います。(板野博行)

oooooooooooooo
「君を長しえに忘れることはないよ」と仰いますが、いつ心変わりされるか不安で。最も幸せに浸っていられる今この時、あなたの傍で命が絶えてしまえばよいと思うのよ と。幸せの真っただ中にあって不安を覚えている、女の率直な気持ちが詠われている。

作者は、儀同三司母(ギドウサンシノハハ)、学者の家庭に生まれ、真名(まな)もよく書くことができたという才媛である。前回の右大将道綱母と同様、いわゆる家庭人である。新婚ホヤホヤの頃の作という。相手は、摂関・藤原兼家の嫡男・道隆である。

七言絶句の漢詩にしてみました。下記ご参照ください。

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<漢字原文および読み下し文>   [下平声十一尤韻]
 舍命的爱    舍命(イノチガケ)の爱
君謂永恒難忘記、 君は謂(イ)う 永恒(エイコウ)に難忘記(ワスレガタ)しと、
按常世道千載憂。 常の世道(セドウ)に按(アン)ずれば千載(センザイ)の憂(ウレイ)。
感覚幸運真此刻、 幸運と感覚(カンカク)する真に此(コ)の刻(トキ)に、
希爾旁辺命到頭。 希(ネガウ)は爾(ナンジ)の旁辺(ソバ)で命(イノチ)到頭(ツキ)ることを。
 註]
  舍命:命を顧みない。   永恒:永久に。
  按:…に基づき。     
  世道:世のありさま。一夫多妻の通い婚の世の中をいう。
  千載憂:千年の憂い。   感覚:…と感ずる。
  此刻:いま、この時。   旁辺:そば。
  到頭:死ぬ、命が尽きる。

<現代語訳>
 命がけの愛
とこしえに忘れることはないよ と貴方は仰るが、
世の常に照らしてみれば、行く末はどうなるか解らず、千載の憂いである。
貴方の今のお言葉を聞き、幸せだと思える正にこの時に、
あなたの傍で命が尽きれば と願うのである。

<簡体字およびピンイン>
 舍命的爱 Shěmìng de ài
君谓永恒难忘记,Jūn wèi yǒnghéng nán wàngjì,
按常世道千载忧。àn cháng shìdào qiān zǎi yōu.
感觉幸运真此刻,Gǎnjué xìngyùn zhēn cǐkè,  
希你旁边命到头。xī nǐ pángbiān mìng dàotóu
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作者名、仰々しい名称ですが。関白・藤原道隆(953~995)の嫡男・伊周(コレチカ、974~1010)の母ということで、本名は高階貴子である。伊周が、太政大臣・左大臣・右大臣と同じ待遇という意味の“儀同三司”を称していたことによる。

貴子は、学者・高階成忠の娘である。成忠は文章生から大学頭、宮内卿などを歴任する一方、春宮・懐仁親王の東宮学士を務める。親王の即位(66代一条天皇)に伴い、従三位に叙せられ、高階氏として初めて公卿に列している。

父・成忠の思いから宮廷に出仕した貴子は、女ながら真名(漢字)がよく書けたので、内侍に任命され、高階姓に因み高内侍(コウノナイシ)とも呼ばれるようになった。学者の家系から宮廷に登場した珍しい例でしょうか。

やがて貴子のもとに、のちの関白・道隆が忍んで通い始め、二人は恋に落ちます。忍んで来る道隆を垣間見た父・成忠は、必ず出世する器であると予見し、二人の結婚を許した と。貴子は道隆の北の方(正妻)として迎えられます。

結婚生活は幸せであったようで、“女君達が三四人 男君が三人”生まれています。子供たちは皆年齢に似合わず優秀で、当時世間では「母親ゆずりである」と評判しきであった由。賢母の誉れが高かったようです。

上掲の歌は結婚間もない頃、最も幸せな時期に詠われた歌ということである。

後に一条天皇の中宮となる定子は二人の間に生まれた一人で、清少納言が仕えた中宮である。ある雪の降る日、定子を中心にして火鉢を囲んで談笑する中、清少納言とのやり取りに、定子の漢詩の素養が伺えることはすでに話題にした(閑話休題-125)。

道隆は、父・兼家の策謀により、一か月のうちに非参議から権中納言・大納言と異例の昇進をしている。また父から関白を譲られて氏の長者となり、全盛を謳歌していた。しかし病に倒れ早世、嫡男・伊周が関白を継げず、道隆関白家は失墜に向かう。

父の死後、伊周は叔父の道長と政権の座を争って敗れる。また伊周が恋した女性のもとに夜な夜な通う男に、待ち伏せして矢を射たところ、この男性は花山院であった等々。伊周は失脚して、大宰府に左遷されます。

儀同三司母は、夫・道隆の死後、出家され、不遇な晩年を送られたようである。

次の歌は、やはり儀同三司母の歌である。結婚後、時経て、夫・道隆は例の如く、浮気を重ねていたようだ。詞書によれば、ほかの女の所から明け方に帰って、家の中に入らず、そのまま戻って行ったので詠んだ と。戸を開けてやらなかったのでしょう。歌の中の“露”は“涙”の意。

暁の 露は枕に をきけるを
   草葉のうへと なに思いけむ(後拾遺和歌集 恋 儀同三司母)
  [明け方の露は枕に置くものだったのを 草葉の上に置くものだと なぜ思っていたのでしょう]。(小倉山荘氏)
コメント (1)
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