記紀で第16代天皇とされる仁徳天皇の善政を讃えた歌に感じて 実朝が詠った歌である。民家のある辺りで煙が上がっているのに気づき、“陸奥か、否、塩焼きで知られる塩釜か、否、そうでもない、……“と、民の竈からの煙であることを暗示している。面白い歌である。
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詞書] 民のかまどより煙(ケブリ)の立つを見てよめる
みちのくに ここにやいづく 塩釜の
浦とはなしに けぶり立つみゆ (『金槐集』雑・637)
(大意) 此処は陸奥の国であろうか、さもなくば何処であろう。塩釜の浦
でもないのに 煙の立つのが見える。
註]○みちのくに:陸奥の国; ○ここにやいづく:みちのくにが あるいは
ここにあるのであろうか。そうでないとすれば、ここはいづこか;
〇塩釜の浦とはなしに:塩釜の浦というのでないのに。塩釜の浦は塩やく
名所。
※ 詞書の句調は 『新古今集』賀の部 巻頭の 仁徳天皇の歌の故事を思わ
せる。
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<漢詩>
見民灶煙 民の灶(カマド)の煙を見る [上平声十灰韻]
奚是陸奧国, 奚(イズ)くんぞ是(コ)れ 陸奧(ムツ)の国ならんか,
不然何処哉。 不然(シカラズン)ば 何処(イズコ)なる哉(ヤ)。
非復塩釜浦, 復(マ)た塩釜(シオガマ)の浦にも非(アラ)ざるに,
飄搖煙起来。 飄搖(ユラユラ)と煙(ケムリ)起来(タチノボ)る。
註] 〇生民:庶民; ○飄搖:ゆらゆらと揺れ漂う; 〇灶:かまど。
<現代語訳>
庶民の竈から上がる煙を見る
ここは陸奥の国であろうか、否、
さもなければ どこであろうか。
また塩を焼く塩釜の浦でもなく、
ゆらゆらと煙が上がるのが見える。
<簡体字およびピンイン>
见民灶烟 Jiàn mín zào yān
奚是陆奥国, Xī shì lùào guó,
不然何处哉。 bù rán hé chù zāi.
非复盐釜浦, Fēi fù yánfǔ pǔ,
飘摇烟起来。 piāoyáo yán qǐlái.
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『新古今集』 (巻七:賀)の巻頭歌には 仁徳天皇の次の歌が撰されている:
[詞書] みつぎもの ゆるされて 国とめるを御らんじて 仁徳天皇御哥
たかきやに のぼりて見れば けむりたつ
たみのかまどは にぎわいにけり
(仁徳天皇 『新古今集』 巻七:賀・707)
(大意) 高殿に登ってみると民家の辺りで煙の立つのが見える、竈で炊事
できるほどに民の生活に賑わいが戻ったのだ。
高殿とは、難波高津宮である。仁徳天皇が、高津宮から遠くを見遣って、人々の家から少しも煙が上がっていないことに気づいた。「民のかまどから煙が上がらないのは 貧しくて炊く物がないからではないか」と考えられた。
そこで、3年間免税処置を講じた。その結果、煙が見えるようになり、大いに喜ばれた。その喜びを天皇自ら詠われたのが、掲歌であると。『古事記』に記載された仁徳天皇の逸話である。