愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題366 金槐和歌集  虫の音も ほのかになりぬ 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-18 10:27:08 | 漢詩を読む

爽やかな秋も末の頃、何時しか風が肌に寒く感ずるようになった。虫の音も心なしか弱くなってきたようである。過ぎ行く好季節に一抹のわびしさを覚える、その心が感じられる実朝の歌である。

 

oooooooooo  

  [詞書] 九月霜降秋早寒といふ心を  

虫の音も ほのかになりぬ 花薄(ハナススキ) 

  秋の末葉(スエバ)に 霜や置くらむ 

       (『金槐集』秋・259; 『続古今集』巻五・秋下・485)       

 (大意) 晩秋の頃、虫の音もやゝ弱まってきたようだ、ススキの末葉には霜が

  降りてきているのでしょう。  

 [註] 〇花薄:穂薄; 〇秋の末葉:“秋の末”と“末葉”と掛詞

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<漢詩>

  暮秋景    暮の秋景    [下平声七陽韻] 

晚風万頃涼, 晚風(バンフウ) 万頃(バンケイ)涼しく, 

芒穗映斜陽。 芒穗(ボウスイ) 斜陽に映ず。 

虫鳴弥孱弱, 虫 鳴くこと弥(イヨ)いよ 孱弱(センジャク)たり, 

末葉飽秋霜。 末葉(スエバ) 秋霜に飽(ア)くか。 

 [註] 〇晚風:秋風; 〇万頃:地面または水面が広々としていること; 

  〇芒穗:ススキの穂; 〇斜陽:夕陽; 〇弥:ますます;  

  〇孱弱:軟弱である; 〇末葉:草木の先の方にある葉、うらば; 

  〇飽:豊かである、いっぱいに。  

<現代語訳

 晩秋の景色 

晩秋の風が吹き、至る所涼しくなってきて、

ススキの穂が 夕日に映えている。

虫の鳴き声は弱まってきた、

末葉には 霜がいっぱい降りているのでしょうか。

<簡体字およびピンイン>  

 暮秋景       Mù qiū jǐng

晚风万顷凉, Wǎn fēng wàn qǐng liáng,  

芒穗映斜阳。 máng suì yìng xié yáng.  

虫鸣弥孱弱, Chóng míng mí chánruò,

末叶饱秋霜。 mò yè bǎo qiū shuāng.   

oooooooooo  

 

“花すすき秋の末葉”、“秋の末葉に 霜置く”、いずれも新古今集やその時代の歌に用例があるという。実朝は、特定の歌を”本歌“とすることなく、これら多くの歌を参考にされ、想いを歌にしたものと想像される。 

 

晩秋を詠った歌とは、ややそぐわない話の展開ですが、“月にススキ”は、秋季の歌の常套アイテムと言えよう。『中秋の名月』の期を迎えている今日、整理する意もあり、此の機を借りて“薄(ススキ)”についてちょっと触れます。

 

ススキは、万葉の時代から身近に感じられ、秋野の風景には欠かせない風物で、多くの歌にも登場しています。秋の七草の一つで、一般には“尾花(オバナ)”と称されている。ススキの穂が “獣、例えば馬の尾に似ている”ことに由来する という。

 

掲歌では、“花薄(ハナススキ)”が詠いこまれています。ここでちょっと一服、後々の理解の助けにもなると思われるので、“薄(ススキ)”の名称に絡めて、「花(薄穂)の生涯」(?)を点描しておきたいと思います。

 

高さ1~2mの主軸の先端部で多数の枝をわけ、各枝には基部から先まで多数の小さな穂(小穂)をつける。いわゆる“薄の穂”と称される部分である。穂が出た頃は、若穂がシャンと直立した状態にあり、黄褐色を呈している(A)。用語“尾花”の由来に当たる時期と言えよう。

 

やがて小穂が花開くと、薄穂は弓状に撓み、全体的に白みを帯びて、秋空の下、風に靡いて揺れ、恰も旗がはためいているように見える(B)。この時期を少し過ぎると、和名“尾花色”と称される、薄の枯れかかった色となる(C)。さらにその期を過ぎると、“枯れすすき”(D)に至る。

 

さて、歌中によく出る“ススキ”の表現として、“オバナ(尾花)”の他、“ハナススキ(花薄)”、“ハダススキ(膚薄)”および“ハタススキ(旗薄)”がある。単純に考えると、それらの表現は、それぞれ、“花の生涯”(A~D)のいずれかのステージを象徴しているように思われる。

 

掲歌にあっては、敢えて想像を逞しくするなら、歌中の“花薄”は、晩秋、B期に当てられようか。但し、それらの表現は一種の美称として、“薄”一般を表す場合が比較的多いようである。

コメント
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