愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題368金槐和歌集  故郷の もとあらの小萩 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-25 09:30:12 | 漢詩を読む

曽て大事に育て、愛でていた故郷の小萩、故郷を離れてこの方、見る人もなく 空しく咲き、また空しく散っているのでしょう と。手入れが行き届かなくなった故郷の様子に思い遣っています。

 

ooooooooo 

  [歌題] 故郷萩 

故郷の もとあらの小萩 いたづらに 

  見る人もなしみ さきか散るらむ  

       (『金槐集』秋・182; 『新勅撰集』巻四・秋上・237)       

 (大意) 故郷の小萩は、根ぎわの葉が疎らになっている、見る人もなくて

  空しく咲き、空しく散っているのであろう。 

 [註] 〇もとあらの:草木の根ぎわの葉がまばらなこと、本荒、本疎; 

  〇いたづらに:むなしく、無駄に。 

xxxxxxxxxx 

<漢詩>

  懷鄉胡枝子       [上平声五微韻]  

  鄉(フルサト)の胡枝子(ハギ)を懷(オモ)う      

故鄉庭上樹, 故鄉の庭上の樹, 

根柢葉稀稀。 根柢(コンテイ)の葉 稀稀(キキ)なり。 

紫葩無人見, 紫の葩(ハナ) 見る人も無く, 

徒開復衰微。 徒(イタズラ)に開き 復(マタ)衰微(スイビ)すらん。                                                                                                                                                                                                                                               

 [註] ○胡枝子:萩; 〇根柢:根っこ; 〇稀稀:まれである、

  まばらな; 〇紫葩:赤紫色の萩の花; 〇徒:むなしく、いたずらに、 

  〇衰微:衰え、散っていく。 

<現代語訳> 

 故郷の萩を懐う 

故郷の庭にある萩の木、

根っこの葉は疎らに。

赤紫の花は、見る人もなく、

むなしく咲き、またむなしく散っているのであろう。

<簡体字およびピンイン> 

 怀乡胡枝子   Huái xiāng húzhīzǐ 

故乡庭上树,  Gùxiāng tíng shàng shù,   

根柢叶稀稀。  gēn dǐ yè xī xi.    

紫葩无人见,  Zǐ pā wú rén jiàn, 

徒开复衰微。 tú kāi fù shuāiwéi.      

ooooooooo  

 

“もとあらの”について:“疎らに生えている”または“根ぎわの葉がまばら”と、異なる解釈があるようである。本稿では、後者の解釈に依った。すなわち、歌中、対象の“萩”が、故郷で“長年育てて、愛着のある”萩であろうと想像されるからである。

 

  実朝の歌の“本歌”として挙げられている歌:

 

故郷の もとあらの小萩 咲しより 

  夜な夜な庭の 月ぞうつろふ (藤原良経 『新古今集』巻四上・393) 

 (大意) この古里のもとあらの萩が咲いてからというもの、夜ごと夜ごと 

  庭の萩の花に映る月影が移ろうてゆく。 

コメント
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