曽て大事に育て、愛でていた故郷の小萩、故郷を離れてこの方、見る人もなく 空しく咲き、また空しく散っているのでしょう と。手入れが行き届かなくなった故郷の様子に思い遣っています。
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[歌題] 故郷萩
故郷の もとあらの小萩 いたづらに
見る人もなしみ さきか散るらむ
(『金槐集』秋・182; 『新勅撰集』巻四・秋上・237)
(大意) 故郷の小萩は、根ぎわの葉が疎らになっている、見る人もなくて
空しく咲き、空しく散っているのであろう。
[註] 〇もとあらの:草木の根ぎわの葉がまばらなこと、本荒、本疎;
〇いたづらに:むなしく、無駄に。
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<漢詩>
懷鄉胡枝子 [上平声五微韻]
鄉(フルサト)の胡枝子(ハギ)を懷(オモ)う
故鄉庭上樹, 故鄉の庭上の樹,
根柢葉稀稀。 根柢(コンテイ)の葉 稀稀(キキ)なり。
紫葩無人見, 紫の葩(ハナ) 見る人も無く,
徒開復衰微。 徒(イタズラ)に開き 復(マタ)衰微(スイビ)すらん。
[註] ○胡枝子:萩; 〇根柢:根っこ; 〇稀稀:まれである、
まばらな; 〇紫葩:赤紫色の萩の花; 〇徒:むなしく、いたずらに、
〇衰微:衰え、散っていく。
<現代語訳>
故郷の萩を懐う
故郷の庭にある萩の木、
根っこの葉は疎らに。
赤紫の花は、見る人もなく、
むなしく咲き、またむなしく散っているのであろう。
<簡体字およびピンイン>
怀乡胡枝子 Huái xiāng húzhīzǐ
故乡庭上树, Gùxiāng tíng shàng shù,
根柢叶稀稀。 gēn dǐ yè xī xi.
紫葩无人见, Zǐ pā wú rén jiàn,
徒开复衰微。 tú kāi fù shuāiwéi.
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“もとあらの”について:“疎らに生えている”または“根ぎわの葉がまばら”と、異なる解釈があるようである。本稿では、後者の解釈に依った。すなわち、歌中、対象の“萩”が、故郷で“長年育てて、愛着のある”萩であろうと想像されるからである。
実朝の歌の“本歌”として挙げられている歌:
故郷の もとあらの小萩 咲しより
夜な夜な庭の 月ぞうつろふ (藤原良経 『新古今集』巻四上・393)
(大意) この古里のもとあらの萩が咲いてからというもの、夜ごと夜ごと
庭の萩の花に映る月影が移ろうてゆく。