経営論における「プロセス理論」を考えるうえでは、20世紀前半のイギリスの哲学者ホワイトヘッドの世界観を振り返る必要があります。
このホワイトヘッドのユニークな視座を野中氏はこう紹介しています。
(p82より引用) どこがユニークかといえば、世界はすべてが関連しあった「プロセス(過程)」であり、常に動き続ける「イベント(出来事)の連続体」であるととらえたことです。・・・
つまり、世界はことごとく、常に「生成発展する」ため、目を向けるべきは「モノ(substance)」そのものではなく、「コト(event)」の生成消滅するプロセスであると説きました。
21世紀における知識経営においては、この「モノ的発想」から「コト的発想」への転換がポイントだとの指摘です。
この発想の転換の成功例が、JR東日本のエキナカ商業空間エキュートです。これは、駅を「通過する駅」というモノから、買物をするコト、食事をするコト・・・といった「集う駅」へとコンセプトを大きく変えたのでした。
(p126より引用) モノはそこに人がかかわろうとかかわるまいと存在するのに対し、コトはそこにかかわる人との「いま、ここ」での関係性のなかで生まれます。つまり、コトは一つの文脈(コンテクスト)であり、人・もの・時間・空間の関係性のなかで浮かび上がります。
野中氏は、この「モノ」と「コト」について、別の章で「現実」ということばの2つの意味を取り上げて、さらに解説を進めています。
(p152より引用) 主体と客体を分離し、客体を傍観者的に対象化し、観察するのがリアリティです。一方、五感を駆使して文脈そのものに入り込み、深くコミットして、主客未分の境地で感じるのがアクチュアリティです。観察による現実認識がリアリティであり、行為を通じた現実認識がアクチュアリティといってもいいでしょう。
「リアリティ」が「モノ的現実」、「アクチュアリティ」が「コト的現実」というわけです。
このように現実を「コト」の連なりというプロセスとしてとらえ、そういった物語性の中で「動きながら考える」、こういう行動スタイルが、野中氏のイメージする「現代の変革リーダー」の姿なのです。
本書では、この「モノ的発想」と「コト的発想」との対比は、様々に言い換えられています。
「名詞ベース」と「動詞ベース」、「主客分離」と「主客未分」、「理論的三段論法」と「実践的三段論法」、「考えて動く」と「動きながら考え抜く」、「形式知重視」と「暗黙知重視」、「時計時間」と「適時時間」・・・。「人間=being(在る存在)」と「人間=becoming(成る存在)」もそのうちのひとつです。
(p182より引用) 人をビーイング(~である)ととらえるか、ビカミング(~になる)ととらえるか。人間観の違いはビジネスにおける顧客、企業経営における社員、教育における生徒・学生、医療における患者、行政における住民・・・等々、あらゆる分野で相手との関係性の持ち方を左右します。そして、人をビカミングととらえたとき、これまでになかった世界が展開されるのです。
「成る存在」は「自律的な存在」でもあります。こういうタイプのメンバから構成される組織像が「自己組織(Self-organization)」です。その特徴を野中氏は以下ように列挙しています。
(p271より引用)
・自律的な振る舞いをもった構成要素が集まり、相互作用を媒介にして、混沌の中からそれぞれの総和より質的に高度で複雑な秩序を創発していく組織のあり方。
・各構成要素が管理-非管理の関係ではなく、自らを動機づけながら新たな知を生み出していく。
・個が積極的に関与し、自律的な個人から生まれた独自のアイデアが広まり、全体のアイデアになる。
この「自己組織」、実は、私個人としても、及ばずながら日々目指しているひとつのゴールの姿なのです。
さて、最後に、ビジネス論とは別の観点から印象に残ったフレーズを書き記しておきます。社会福祉法人むそう理事長戸枝陽基氏の言葉です。
(p175より引用) これまで社会において価値がないといわれてきた障害者がいるから地域が再生できる。すべての概念がひっくり返ります。違いを探してボーダーをつくるのではなく、違いを受け入れてボーダーレスに生きる。
「実践」や「体験」にもとづく「身体知」のひとつの例ですね。これもまた、「分析志向」の欧米型マネジメントスタイルでは気づきにくい事柄でしょう。
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