いつも聴いているピーター・バラカンさんのpodcastの番組に著者の白川優子さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
白川さんは現在「国境なき医師団(MSF)」日本事務局に採用担当として勤めていますが、18回の派遣経験を持つ看護師です。
以前、白川さんが著した「紛争地の看護師」を読んだのですが、そこで紹介されている紛争地の実態に大いに驚きました。本書でも紛争現場の様々な立場の人々の素顔がリアルに描かれています。また、そういった現地の様子に直面した白川さんの心に去来する心情にも、大いに考えさせられるものがありました。
まずは、白川さん自身が痛感した紛争現地での理不尽さへの慙愧の念。
IS(イスラム国)に支配されたシリア・ラッカから地雷原を走破して脱出を図る住民たち、その医療支援の現場での思いです。
(p74より引用) 本来、医療の役割とは、患者さんの身体を治すだけではなく、精神的にも社会的にも包括的に支えていくことである。 ・・・
私たちはこの父娘の命を救ったが、その先までは手が回らない。・・・ ISの支配下で生き抜き、空爆と地 雷の恐怖をくぐり抜け、足を吹き飛ばされ、家族を亡くし、戻る家がない。生き残ったからこその地獄が始まるというのに、救命以外に何もできない私たち医療者はここでいつも、無力感に苦しめられる。
・・・この父娘のために生じた無力感がどれほど苦しくても、立ち止まる時間はないのは明らかで、私は自分で自分の背中を押すようにして、次の患者のために歩きだすしかなかった。
このISによる占領が終わったあとにも、住民たちの生きるための苦難はまだまだ継続します。しかし、その実態を世界の人々が知る機会はほとんどないのです。
(p115より引用) 紛争地に生きる人々はみな、戦争を「生き残った」その時から、「これからも生きる」という次の闘いに放り込まれている。ところが、その様子を伝える記者も、市民の訴えを聞く特派員もいなかった。奪還宣言後、彼らは即座に撤退したからだ。メディアが報じたかったのは「奪還の瞬間」であり、人生を破壊された一般市民の姿ではなかったのだ。奪還前はあれほど報道陣が詰めかけていたモスルだったが、奪還後は一瞬にして世界の注目から外れた。
メディアは劇的なシーンの映像を伝達するのが使命ではないはずです。改めて、“報道の本旨”“ジャーナリストの意思”が問われる指摘だと思います。
もうひとつ、白川さんのイエメンでの経験。
6ヵ月空けて再び派遣されたイエメンは一気に社会情勢が悪化していました。現場スタッフの生活も苦しくなっています。奪われたものは財産だけではありません。
(p169より引用) イエメン人について何か聞かれることがあれば、「おもてなしを大事にする心の豊かな人たち」と、私は迷わずに答える。その彼らが、私にジャガイモしかふるまえなかったことを、日本のみんなに知られるのが恥ずかしいと言った。その思いこそ、私は敢えてここで伝えたい。戦争は、そこに生きる人々の生命から尊厳に至るまで、こんな形で脅かすのだ。
そして、最後に、本書を読んで最も印象に残ったくだり。
「あとがき」に書かれていたアフガニスタンに派遣された時の白川さんが目にした当地の人々の様子です。
(p250より引用) 私が見てきた2021年のアフガニスタンには、戦火もタリバンの恐怖政治もなかったが、しかし、タリバンを制裁するための国際社会の措置が、真っ先に市民を苦しめていた。三年ぶりの現場、しかも初めて足を踏み入れたアフガニスタンの地で、武器を使わずとも市民が苦しめられているという、人道危機の根深さを改めて突きつけられた。報道ではほぼ触れられてい ない出来事だった。
国際社会による制裁措置はタリバンにのみピンポイントに機能させることはできません。その効果は、アフガニスタンという国全体の経済活動や社会生活を抑圧してしまうのです。現地の人々にとっては、生活を破壊するという点では、タリバンによる戦闘活動も国際社会による制裁も、どちらも同じく身に迫る危機そのものなのです。
白川さんの著作には、自らを美化するような記述は一言もありません。派遣された現地の様子を、それに接する自らの行動を、そしてそこで感じ考えた素直な想いを誠実な筆致で著していきます。
ともかく、白川さんをはじめとして「国境なき医師団(MSF)」のみなさんの献身的な活動には本当に頭が下がります。
(p250より引用) なぜ世界から人道危機がなくならないのだろう。同じ人間同士ではないか。なぜ理解し合い、助け合えないのだろう。医療援助、人道援助をあとどのくらい、どこまで頑張ったら人道危機は収まるのだろうか。どれだけの声をあげたら国際社会は耳を傾け、解決に向かってくれるのだろう。
白川さんの言葉が、世界の今を語り尽くしています。
元凶は同じ “人” なのに、なぜ・・・、との想いです。