本名は、モハンダス・カラムチャンド・ガンディー。言うまでもなくマハトマ・ガンディー(マハートマー=「偉大なる魂」)として知られるインド独立の父です。
1930年、ガンディーはヤラヴァーダー中央刑務所に収監されていました。本書は、その期間中に、自らが設立した修道場で彼の教えを実践する弟子たちに宛てた書簡集です。
実を言えば、今まで私は、ガンディーに関するまとまった著作を読んだことがなかったので、彼の思想に直接触れるのはこれが初めてになります。
ということで、まずは、手始めにガンディーの有名な「非暴力」の思想について、訳者森本達雄氏の巻末の解説から引用しておきます。
(p137より引用) ガンディーの説く非暴力とは、たんに相手(敵)に対して手を振りあげず、物理的な圧力を加えないというだけの消極的・否定的な方法ではない。それは、愛と自己犠牲をとおして、相手に己の非を気づかせる、言いかえれば、自己犠牲をとおして人間的良心を喚び覚まし、振りあげた手をおろさせる積極的な愛の行為である。
本書では、この「非暴力」の教えが随所に出てきます。
たとえば「寛容即宗教の平等」の書簡でのガンディーの言葉です。
(p76より引用) 相手が愛の法を守らないばあい、暴力的な態度に出てくるかもしれません。それでもなおわたしたちが真の愛を心にいだきつづけるならば、ついには、相手の敵意に打ち克つでしょう。わたしたちが間違っていると思う相手にも苛立たず、必要とあらば、自ら苦しみをひきうける覚悟をせよ、との黄金律にさえ従うならば、行く手に立ちはだかるいっさいの障壁は、おのずから消滅するでしょう。
ガンディーの教えによると、この「非暴力」は「アヒンサー(=ahimsa(愛))」の一つの現出形です。
(p21より引用) 生きとし生けるすべてのものに危害を加えないというのは、たしかにアヒンサーの一部にちがいありませんが、それはアヒンサーの最低限の表現です。
そして、この「アヒンサー」も最終の目的ではありません。
(p22より引用) アヒンサーと真理はあまりにも密接に絡み合っているために、実際にはもつれを解きほぐして区別することはできません。・・・にもかかわらず、アヒンサーはあくまでも手段であり、真理が目的です。
真理を完全に体得すると、もはや、何一つ他に学ぶべきものはなくなる、一切の執着心から解き放たれて自由になるとガンディーは説いています。すなわち、輪廻の束縛から逃れて「解脱」に至るのです。
ガンディーの思想は、複数の宗教の存在を肯定します。真の宗教はひとつではあるが、それが人間という媒体を通してさまざまな形に表出しているのだと考えるのです。ここには「寛容」の思想が在ります。しかし、ガンディーは「寛容」という言葉を好みませんでした。
(p68より引用) 寛容という語には、他人の宗教が自分のものより劣っているといったいわれなき思いあがりが含まれています〔また尊重という語にも、ある種の恩きせがましさが読みとれます〕。これにたいしてアヒンサーは、他人の宗教心にたいして、わたしたちが自分の信仰にいだいているのと同じ尊敬を払うべきことを教え、ひいては自分の宗教の不完全さをも認めることになります。
「絶対」を尊重し目指しながらも、自らを「相対化」する懐の深い姿勢だと思います。
さて、本書はとても刺激的で興味深い内容でしたが、その中から最後にひとつ、とても考えさせられたくだりをご紹介します。ガンディーが「謙虚」について語ったところです。
(p80より引用) 謙虚そのものは戒律にはなりえない。なぜならそれは、意識的に実践されるものではないからです。それでいて謙虚さは、アヒンサーには不可欠の条件です。・・・ただ、なんぴともそれを訓練によって身につけたためしはありません。・・・謙虚さを教化するのは、結果的には偽善を教えることになるからです。
私自身、改めて姿勢を正さなくてはなりません。
ガンディー 獄中からの手紙 (岩波文庫) 価格:¥ 567(税込) 発売日:2010-07-17 |
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