何かの書評を読んで気になったので手に取ってみました。
従来からよく見られる「方言」の地域差ではなく、もっとベーシックなレベルである「ものの言い方」を切り口に、多くの事例を紹介しながら地域文化論を展開しています。
(p26より引用) どのように言うか以前の問題、つまり、言葉を発するか発しないかという基本的な部分が地域によって異なる。日本語は、まず、ものを言うこと自体に地域差が存在するのである。
そして、その地域差には、関西圏・関東圏・東北圏・九州圏等の区分において一定の傾向があったとのことです。この指摘はとても興味深いですね。
たとえば、京都の典型的な挨拶のやりとりとして、「あら、お出かけどすか」「へえ。ちょっとそこまで」というのがあります。京都では、道で出会ったとき最低限の言葉のふれあいはあるにしても、他人事に極力かまわないという姿勢が顕著です。しかしながら、東北地方では全く異なった会話のやり取りになるのです。
(p81より引用) こうした京都のやりとりに対して、東北では相手の私的な領域に立ち入る。しかも、前置きをしたり、ぼやかしたり、遠回しに言ったりすることなく、率直に相手のプライバシーに切り込む。こうした会話が東北ではそれほど不自然ではなく、日常的に交わされていることは興味深い。
さらに、東北人の会話は短い言葉のキャッチボールになります。これは、慣れていない人から見ると、唐突でぶっきらぼうな言い様と映るのです。
こういったものの言い方に関する志向や好みを著者は「言語的発想法」と名づけ、7つに類型化しています。
(p164より引用) 〈ものの言い方の発想法〉
①発言性 あることを口に出して言う、言葉で何かを伝えるという発想法。
②定型性 場面に応じて、一定の決まった言い方をするという発想法。
③分析性 場面を細かく分割し、それぞれの専用の形式を用意するという発想法。
④加工性 直接的な言い方を避け、手を加えた間接的な表現を使うという発想法。
⑤客観性 主観的に話さず、感情を抑制して客観的に話すという発想法。
⑥配慮性 相手への気遣い、つまり、配慮を言葉によって表現するという発想法。
⑦演出性 話の進行に気を配り、会話を演出しようという発想法。
こういった類型は、多くの場合、関西地方と東北地方(ときに九州南部も含む)で両極端な差異が発現されるのです。
著者は、その差異が発生した原因についても、多角的な観点から考察を進めています。ただ、この社会的・文化的背景の考察は、著者自身に認めているように、まだ緒に着いたばかりのようです。
「ものの言い方」の変遷に一定の方向性があるのか、たとえば、関西圏を基点に変化の広がりが同心円状に進んだのか、あるいは、可逆的が動きもあるのか・・・、このあたりまだまだ興味は尽きないですね。
さらなる深堀りした論考の登場が楽しみです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます