今日のことば(5) 「嘘」(2)
「嘘のスパイラル」
「嘘の誘惑に対して」(前回続き)
嘘は一つでは終わりません。
嘘を隠すための嘘
嘘を正当化するための嘘をつくことに必ずなるからです。
そして、やがて何が本当の自分なのかわからなくなってしまう。
それほど寂しいことがあるでしょうか。
嘘をついても見抜かれなかったと
ほくそえんでいる人がいるなら
それは大変な錯覚というものです。
なぜなら
嘘をつくたびに
心は傷つき
魂はカルマを深くしているからです。
やがて
嘘をつくことにも慣れ
恐れもなく痛みもなく
嘘と同化してしまうのです。
※ カルマ(Carma) 人間が持つ心の奥に存在する「業」で、宿命とも訳され、「因果応報」という言葉がある。
善悪どちらのカルマも、それぞれの応報(結果)が導かれる。
「嘘」についての考察がわかりやすく、ていねいに述べられてきた。
このあと、著者が最も言いたかった言葉が続く。
人は誰でも
自分に嘘をつけない心を持っています。
良心――。
あるがままの事実を温かく見守の心
あらゆるものを大切にする心
あらゆる存在の前に謙虚に自分を置く心
嘘はこの良心の働きを奪い、眠らせてしまいます。
嘘は良心の窓を塗りこめてしまうのです。
愛の光
いのちの光
そして
生かされている事実を見失わせてしまうのです。
「嘘依存症」という病気があるのなら、水原一平氏の行為は最も信頼に値する大谷翔平を裏切り、
申し訳なかったと謝罪する気持ちではなく、不正が露見しても「口裏合わせ」を依頼して、
この期に及んでなおも自己保身を図ろうとする行為は正に、「ギャンブル依存症」以前に、
「嘘依存症」の最たるものと思わざるを得ません。
「あるがままの事実を温かく見守の心」を喪失し、「あらゆる存在の前に謙虚に自分を置く心」
を見失ってしまい、嘘によって「良心の窓を塗りこめてしま」った愚か者の末路を見るような思いです。
私たちに一番大切なことは、
「生かされている事実を」忘れない生き方ではないかと思う。/
私たちは、生きているのではない、この世界に「生かされている」のだ。
自然に生かされ、人と人の絆に生かされ、決して傲慢になってはいけない。
日照りの時は涙を流し/寒さの夏はおろおろ歩き/
みんなにでくのぼーと呼ばれ/
褒められもせず/苦にもされず
そういうものに/わたしは なりたい
(宮沢賢治・雨ニモ負ケズ)
どこかで、宮沢賢治の生き方に繋がるような高橋佳子氏の言葉です。
世間のしがらみの中でたくさんの余分と思われるものを背負いながら生きている私たちには
なかなか難しい生き方かもしれませんが、そういうものにわたしはなりたい。
(今日のことば№5) (2024.04.16記)