雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

告知について ③ターミナルケア

2023-11-21 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について ③ターミナルケア
 見捨てられた患者
「好きなものを何でも食べていいよ」と、
 食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、
 さらに
「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。
  担当医が言った言葉を私は兄から聞いた。
  食事がのどを通らないことも、外泊できるような症状ではないことも、
  担当医は十分に承知しているはずだ。
  気休めや見せかけだけの優しさで患者に接するべきではないと私は思う。
  そうした担当医の言葉に、
  「もう治らないから、好きなことをしていいよ」ということかと兄は私に言う。

 「がんの告知はしない」、「延命治療はしない」と、最初のインフォームドコンセントの時に同意書に書き、ターミナルケアをお願いした。
だが、あまりにもおそまっなケアだった。
 患者の意向や家族の意向も考慮されない、
心の通わない義務的な医療行為が展開されるだけだった。
「無理な延命治療を行わずに人間らしく最期を迎えることを支えるための医療ケア」がターミナルケアの基本である。
 栄養剤の投与や痛みの緩和を目的としたモルヒネの投与など、
最低限の施術は行われたものの、担当医の不適切な言葉かけなどがあり、
精神的なケアについては、専門職も配備されておらず皆無に近い状態だった。
というよりも、一般の総合病院の外科病棟ではターミナルケアは無理なのかもしれない。

 ステージ4の末期患者には、緩和ケアを主体とした、
ターミナルケアの専門病棟を併設した病院を選ぶことが肝要かと思う。

 生きることへの執念を強く持ち、努力を続けたが、末期癌は進行し、
やがて兄はベットから降りることもできなくなった。
細くなった手足、一回りも二回りも小さくなった体。
眼孔は落ちくぼみ、顔色もよくない。
誰の眼にも命の終焉が近いことを予測できるような状態だ。

 呼吸が荒くなり、家族の話しかけに応えられるような状況は過ぎている。
ナースセンターへのコールボタンを押す。
この時すでに心電図モニターは、不規則に小さな波型が移されていた。
駆け付けた看護婦は、モニターを見て「静かに見守ってください」と言うのみで、
担当医は来ない。
今まさに命の灯が消えようとするときに、担当医の姿もなく、
私たちはただ命の日の消えていくのをなす術もなく見守らざるを得ないくやしさ。
モニターが反応しなくなって、再びナースコルで呼ばれた看護婦は、
心肺停止しても、しばらくは心臓は動いていますから、と事務的な対応を崩さない。

 臨終の場に、医師も立ち会わず、医師が病室に現れたのは、
完全にもにたーが反応しなくなってかだった。
延命治療を望まないということはこういうことなのかと、
死んでいくものにとって、残された家族にとって余りにも冷たい対応だった。
 20数年前は、告知するかしないかは重大な問題だった。
「がん」は不治の病であり、告知を受けることによって、
生きる希望をなくしてしまう人も少なくはなかった。
 「同意書」は時として、患者側と医師側にトラブルがあった時の医師の
切り札として利用される手段でもあった。
インフォームドコンセントの趣旨は、
患者と医師が対等な関係でインフォームド(説明)を受け、
患者がそれをコンセント(同意)するという、医療の分野から起きた啓蒙運動だったが、
患者が自分の決意を固めるために、セカンド・オピニオンを受けたいという意思表示をすると、
私の言うことが信じられないのかと、機嫌を損ねる医者が多くいた。

 告知について、ある医師の言葉を紹介する。
  辛い事実を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。「病気の説明」で充分だ。ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、できれば、隠し事のないように伝えたい。辛いことを伝えるときには、いつでも、どんな時でも、あなたの命に寄り添いますよという思いを込めていたい。

 長い時間待たされて、三分間の診療で終わってしまう、
あるいは、機械漬けの延命治療が実施される現在の医療体制では、
「医は仁術」と言われる言葉の、医療従事者の情(仁)の部分がかすんでしまい、
最先端の医療技術を駆使くする術の部分が肥大化していく。
これは患者にとって決して喜ばしいことではないと思う。

 20数年前に、インフォームドコンセントや告知の問題がもう少し理解されていれば、
兄は「末期癌」と闘うような生きることへの空しい努力などせずに、
人生の「来し方行く末」を考えながら、
心穏やかに自分の人生を閉じることができたのではないかと思う。
                              (終)

(ことの葉散歩道№51)    (2023.11.20記)
  

 

 

 

 


 


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告知について ② 生きるための努力

2023-11-13 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について   ② 生きるための努力
     この家族は、「告知すること」から逃げている。
「生きる希望をなくし、命を縮めててしまう」ような状況が訪れたとき
自分たちに負わされる負担とストレスを恐れている。
私はそう思った。

 告知をしないまま、「食道に腫瘍ができているから、それを取り除くための治療」を始める。
腫瘍のできた場所は手術できない場所なので、
放射線照射により腫瘍を取り除く施術という偽りの説明に兄は納得し、
闘病生活に入った。

癌はリンパ節から全身に広がり、もう手の施しようがないことを兄は知らない。

 何としても、病を克服し家に帰りたい。
放射線治療のために食事は喉が通らず、
と云うよりも食道にできた癌が食べ物の通過を難しくしている。
廊下の手すりを伝いながら、やっとの思いで食堂に辿りつき、
ほんのわずかな食事の量を嚥下することができず、
流動食に近いものを2時間もかけてやっと食することができる。
    
 食事は咀嚼(そしゃく)や、嚥下能力を低下させないための便宜的なものに違いない。
いつも点滴の装置をぶら下げているそれには、
栄養剤や痛みを抑えるモルヒネが処方されているのを兄は知らない。
 
当然のことながら、配膳から2時間も経過した食堂には誰もいない。
付け放しになっている食堂のテレビに背を向けて座る
もともとやせ型で、更に肉が落ちてしまった兄の姿はとても痛々しい。

 
 掌で握りつぶすことができる程度の量の流動食に近いような食事も
完食できずに器に残された食事は、
色あせ、冷えてトロミをつけた輝きさえなく、
下膳されれば残飯のバケツの中に捨てられる運命を待つ悲しい存在だ。


 
生への強い欲求がありありとうかがえる兄の入院生活で、
見ている私が辛くなるような、闘病生活だった。

 
「好きなものを何でも食べていいよ」と、
食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、
さらに
「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。
                          (つづく)
 (ことの葉散歩№50)           (2023.11.12記)

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告知について… ① 余命宣告

2023-11-07 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について… 余命宣告

 辛い事実(告知)を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。
病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。
「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。
「病気の説明」で充分だ。
ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、
できれば、隠し事のないように伝えたい。

辛いことを伝えるときは、
いつでも、
どんなときでも、
あなたの命に寄りそいますよという思いをこめていたい。

                    ※ それでも やっぱり がんばらない 鎌田 實著より 
                               集英社文庫 2008.6 第2刷刊 P45
 20年以上も前の話になる。
まだ、現役で務めているとき、18歳離れている兄を癌でなくした。
通勤の道筋にあった病院に、勤めが終わるとほとんど毎日、兄の病室を訪ねた。
兄は若い時から胃腸が弱く、胃の三分の二を摘出した。
その兄が、体調を崩し二年近くを経過した。
兄には妻と未婚の一人娘がいたが、
家族のすゝめも聞かず、医者の診断を受けなかった。
かなり症状が悪化したと思われる時期、小さな町医者にかかり、
私が予想した通り、町医者の診断は、「異常が認められない」という診断だった。
その診断に安心したかのように、「そのうちよくなるよ」という兄の行状に、
「異常が認められない」ということが、健康であるという証拠にはならない、
と私の知り合いの医者を紹介した。
結果は大きな病院への紹介と、診察予約を翌日に取り付けていただいた。

 翌日の診察で即検査入院の措置が取られた。
食道癌の診断が下され、しかもリンパ節への移転もあり、
ステージ4(末期癌)の診断が下された。

 私は兄嫁から、「本人への告知」をどうするか相談を受けた。
当然のことながら、私は、告知すべきだと主張したが、兄の家族は反対した。
理由は「癌だと知らされたら、主人は生きる希望をなくし、命を縮めてしまうから」
というものだった。
 しかし、癌告知をしなければ、今後の治療方法にも支障をきたし、思うような治療もできない。
これが、担当医の見解であった。
それでも、「癌告知はしないで欲しい」という兄の家族の意向に
私は反対することはできなかった。

  一方で、告知をした結果、自暴自棄になり、あるいは意気消沈して、
「生きる希望をなくし、命を縮めててしまう」ような状況が訪れたとしても、
その時こそ、家族二人が余命いくばくもない人を、夫として、父として生を全うできるように、
力を尽くして支えることができるのが家族ではないか。

ケアカンファレンスの時も、
担当医は、「告知するかしないか」の、二者択一を迫り、
担当医としての見解やアドバイスをせず、
患者を除いた私たち三人に「イエスかノー」の回答を迫るのみだった。
私たちに結論を急がせたあげく、「延命治療」はどうするのかと
患者がまだ元気でいるうちに、私たちに最後の決断まで要求してくる。

 告知の是非を迫られ、その結論が下せない段階で、
「延命治療」をどうするのかという担当医の結論を要求する性急さに、
私は担当医の医師としての姿勢に疑問を抱いた。
 どんなに医療技術に優れていても、
人間的な温かみの感じられない医師は医師として、
「患者に寄り添う」という最も大切な姿勢に欠けているのではないかと私は思う。
医療に携わる者と患者の関係は、どんな場合でも対等でなければならない。

 余命宣告をしなければならないステージ4の末期がん患者の家族に、
「告知」の問題を何の説明もないまま、
丸投げしてしまうような医師に命を託さなければならない患者や、
その家族の不安は大きな負担となってのしかかる。
                                  (つづく)

(ことの葉散歩道№49)            (2023.11.06記)





 

 



 

 

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勤務マニュアル

2022-09-17 06:30:00 | ことの葉散歩道

勤務マニュアル
  職場にマニュアルは必要だが、あまりに細かいマニュアルは、融通性を欠き、
  職場の規範をややこしくしてしまい、自発性を奪ってしまう。
  最悪の場合は、マニュアルがなければ何もできなくなってしまう。
  マニュアルは職場で働く人が、気持ちよく働くための指針になような内容でなければならない。
  「防火マニュアル」、「地震などによる避難マニュアル」、「接客マニュアル」、
  「苦情処理マニュアル」等々たくさんの種類がある。
  肝心なことは、誰が作ったマニュアルかということである。
  実行委員会(現場)で作成されたマニュアルは、職場を管轄する上司に提出され、承認を得る。
  作れと行政指導があったから、監査で指摘されたからなど、同業他社のマニュアルをそのまま
  引用したものは、マニュアルのためのマニュアルで、実務に即していない場合が多い。
  マニュアルは実務者の共通認識として、
  働きやすい職場づくりの一環であることを忘れてはいけない。
  最悪の場合は、事務所に保管され実務者がその存在すら知らない場合もある。
  作成したマニュアルは、年に一度実務に合わせ検討し実務との乖離を避けなければならない。
  
   雇用する側が一方的に作成し、上意下達的に雇用者に与えるやり方は好ましくない。
  どうしても、経営する側の要求が強すぎ、実務者に負担かかりすぎる場合が多いからだ。
  前述したように実行委員会を作成し、関係各部の構成メンバーにより検討作成することが望ましい。

   最近、園児置き去り死亡事故を起こしてしまった川崎幼稚園の場合、同業者が作成した送迎時の
  マニュアルをコピーし、一部の職員に配布しただけで、検討会議をしたこともないという。
  また、理事長と園長を兼務していた増田氏は、
  代行運転をした際、
  運転者の業務である車内消毒や忘れ物の有無の確認など行わなかったと報道される。
  経営者だから、マニュアルを守らなくてもいいということでは、
  マニュアルの存在価値がなくなってしまう。
  この幼稚園では、 多くのルールが形骸化し緊張感を欠いた業務が展開されていたのだろう。
  いくつものミスが重なり合って、尊い命が失われてしまった責任は重い。

     西村経産相の「出張随行用マニュアル」
       随行職員が作成した勤務マニュアル。
        大臣は土産購入が多いので荷物持ち要因を置くこと。
        帰路の駅では弁当購入者とサラダ購入者の二手で対応すること。
         (大臣は健康維持のためにジムに通っており、
          できるだけ炭水化物を控えるようにしている)
        お土産店では事務方が代金を立替払いする。
         (大臣が払おうとするが、時間がかかり時間のロスにもなるので立替える)
        保冷剤の購入は必須。(サラダの保冷用)
       等々、箇条書きにすると、これはちょっと問題なんじゃないと思える節もあるが、
       事務方は、大臣の出張目的を円滑にサポートするための業務の一環として、
       作成したのだろう。随行職員の職務は「お土産購入サポート」が目的ではないことを
       記事は伝えて欲しい。
       こうした批判に対し、西村大臣は
         「過度に気を使うことはない」と事務方に伝えた、という。
       
  最後に、城山三郎の小説『官僚たちの夏』から、
  箴言(しんげん)を一つ紹介します。
  ベテラン官僚が若手官僚に言い聞かせる場面。
           《おれたちは国家に雇われている。大臣に雇われているわけではない。》 

     (ことの葉散歩道№48)       (2022.9.16記)       

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マドンナがやって来た

2019-07-04 20:30:51 | ことの葉散歩道

マドンナがやって来た
      そして消えた……

  
   雪のように溶けて行きたい
       
            マドンナが残した言葉


    古い記憶がよみがえってくる……   
    
    高校三年の三学期。
    凩の吹くとても寒い日
    彼女は県外から越してきて
    私たちの学校に転校してきた。
    後60日余りで卒業を迎えるという
    クラスの中で就職組と進学組がはっきり色分けされ、
    何となくせわしなく、落ち着きのない日が続く毎日だった。

    教師の横に控えめに、うつむき加減に立った彼女は、
    僕らの持っているガサツで、子どもっぽい雰囲気とはどこか違っていた。
    どこかに大人の匂いを漂わせていた。

    ガキ丸出しの私たちを
    胸の奥深いところで笑っているような
    それでいて
    私たちすべてを受け入れてしまうような優雅なまなざしが
    深い森の奥へと誘うような危険な匂いを漂わせていた。

    早熟な少女 というより
    硬い果実の中にひそむ成熟の匂いが
    僕ら悪ガキにとってある種の危険と
    近寄りがたい雰囲気を彼女は持っていた。

    父と二人暮らし。
    その男もめったに家に帰らない。
    職業不詳。
    これ以外のことは何ひとつ僕らには知らされなかった。

    近づく時間は充分にあったのに
    僕を含む悪ガキたちは
    遠くを見るような眼で彼女を眺め
    一向に近づこうとしなかった。

    そして卒業式を数日後に控えた
    春の兆しがチラホラ感じられる日
    僕らは彼女の突然の失踪を先生から知らされた。
    どんな事情があったのか僕らは知らなかった。
    卒業式の日
    彼女の座るべき席は空白のまま
    僕らの想いもまた白い闇のように虚ろだった。

    夢のように過ぎて行った
    マドンナへの想い。
    私たちは卒業し
    思い思いの行く先へ歩みだし、
    僕らの中から
    マドンナの記憶が消えていくのに
    そう長い時間は必要としなかった……

    夜中に目を覚ます。
    鮮明に浮かび上がるマドンナの記憶は
    捉えどころのない不確かなものだが
    闇のなかからかすかに漂ってくる危険な匂いは
    まぎれもなくあの時僕が感じた
    マドンナの匂いだった。

    彼女の残したものは
    危険な香りと
    卒業式の数日前に私の下駄箱に放置された本が一冊。
    そこに、彼女のメッセージがあった。

    「雪のように溶けて行きたい」
    
    以後、彼女の消息は知れず
    私は歳を取った。
    

    (ことの葉散歩道№47)    (2019.7.4記)

 

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春陰

2019-04-15 17:54:27 | ことの葉散歩道

  春陰
   何となくもの憂い、花曇りのことを「春陰」というのでしょうか。
   広辞苑第7版では、「春の曇りがちな天候」という説明で、味も素っ気もありません。
   別の辞書では「春の曇り」「花ぐもり」「春がすみ」などが確認されましたが、
   どうもこの「春陰」にはもっと深い意味があるのではないか。

   そこで、明鏡国語辞典の「春」と「陰」の項を引いてみました。
   ありました。
   「春」には「愛欲」とか色情などの意味があるようです。
   「陰」には「人目につかない」とか「かくされたこと」などの意味があるそうです。
   
   この二つの意味を見事に表現した小説がありました。
   「失楽園」です。

   
   春陰というのか、少しもの憂い花曇りの午後である。
    まだ開花には少し早いが、この暖かさで、桜は一段と蕾をふくらませそうである。
    そんな気配の街の中を、久木は電車の吊り革に持たれて凛子の待つ渋谷の部屋へ急ぐ。

                       「失楽園(下)」 渡辺淳一著 「春陰」の章より    

   渡辺淳一の小説「失楽園」は、単に季節を表す言葉ではなく、
   互いにひかれあいながら、添い遂げることのできない男女が
   性愛に溺れていく様を克明に描いて一世を風靡した。
   
         抜き差しならない不倫の渦に翻弄される男女。
   逢瀬はいつも互いの肌と肌を合わせる行為は、愛欲に溺れ、
   光の見えないトンネルの中で不安におびえる獣のように
   互いの肉体に溺れていく二人の関係は、
   愛する心を「春」に例えるならば、性の行為はまさに「陰」のイメージとして
   浮かんでくる。

   失楽園の「春陰」の章は次のように終わります。

  
……「もうじき桜が咲くから、桜を見て、桜の宿に泊まろう」

  「いいな、嬉しいわ」
  凛子は、久木の胸をピタピタと叩いて喜びを表すと、すいと喉元まで手を伸ばす。
  「約束を守らないと首を絞めるわよ」
  「君に殺されるのなら、満足だ」
  「じゃあ、絞めてあげる」
  凛子は久木の首に当てて絞める仕草をするが、すぐあきらめたように手をゆるめる……
  
  ……凛子の声はどこか気怠げで、その唇は、
  春陰の中で散る桜の花片(はなびら)のように軽く開いている。

  春の朧は、何となくもの憂く、散る花びらにものの哀れを感じる。
  春がすみに溶け込む櫻花はどこかなまめかしい気配が漂っています。
  
  日本語っていいですね。

  「春泥」という響きも好きな言葉の一つです。
  今東光が「春泥尼抄」という短編を書いています。
  河内の貧農家庭に生まれた尼僧「春泥」の奔放な半生を描いた物語です。
  「春泥」とは、春の雪解けや霜解けなどによるぬかるみのことですが、
  春泥という名の尼僧の人生に投影させた今東光の短編は見事です。

  (2019.4.15記)     (ことの葉散歩道 №46)

 

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人生の扉

2018-11-06 22:39:31 | ことの葉散歩道

人生の扉 幾つもの扉をくぐり抜けて……

  「人生には扉がある。
 若者はその扉を開け、社会という世界に入る。
 働き、努力して地位を得、妻をめとり、子を授かり、家庭を築く。
 老いて仕事の終わりの扉を出て、悠々自適、余生を楽しむ」

                       池宮彰一郎 エッセイ集「義、我を美しく」より 

  仏教の教えの中では、人生には「生老病死」という四つの「苦」があると説いています。
   人生における免れない四つの苦悩です。
   「生きる」ことそのものが「苦」に繋がり、やがて「老い」という避けられぬ衰えを経験して、
   或いは「病(やまい)」に侵されて「死」を迎える。
   人生が本当にこんな形で進んで行くとすれば、とても辛い修行の連続になってしまいます。
   だが人間には「希望」という最も大切な感性があります。
   希望の扉を一つ開ける。
   扉の前に現れた現実が不幸な現実であっても、人間には「闘う力」がある。
   闘いながら次の希望に向かって進んで行くことができる。
   しばしば、「夢」は現実から乖離する場合があるが、
   「希望」には、次の扉を開いて前に進んで行く力が備わっている。

   働き、努力して地位を得、妻をめとり、子を授かり、家庭を築く。
   老いて仕事の終わりの扉を出て、悠々自適、余生を楽しむ。

   人生行路はそれ程単純で、思い通りに展開するものではないけれど、
   「夢」や「希望」を乗せ、社会という荒波にもまれながら、
   たどり着く浜辺が、穏やかで波静かな浜辺であったら
   それが人生の幸せというものではないか。

           ※ 池宮彰一郎(1923年-2007年) 脚本家、作家。
              代表作「最後の忠臣蔵」
             「義、我を美しく」は新潮社、1997年、新潮文庫 2000年)
(ことの葉散歩道№45)

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千度呼べば 新川和江 ③  陸橋の上で

2018-08-09 12:40:35 | ことの葉散歩道

                千度呼べば 新川和江③ 陸橋の上で
橋上の上で
 
   橋上の上で わたしたち
  なかなか 別れられなかった
  夜が 更けてしまい
  最終電車が いってしまい
  ちらちらと雪が
  降り出しても 私たち
  さよならが 言えなくて

  どのようにして わたしたち
  それぞれの 家へ帰っていったのかしら
  いまはもう 思い出せない
  ただ てのひらに
  痛みのようにのこっている
  あなたの指の ほのかな温み
  はじめて触れた あの陸橋の上で
           
        
    詩集「千度呼べば」より


   新川和江の言葉はやさしい。
  だれにでもわかる やさしい言葉で
  語りかけてくる
  そのこころよい響きが たまらなくいい
  ガードを固めずに
  胸の内に湧き出た思いを
  呟くように 読者に投げかける
  春の朧
(おぼろ)のように 読者をやさしく包んでしまう

  情念の炎も 哀しみも 切ない女心も
  どこかにやさしさを漂わせて
  読者にふんわりと投げかけてくる
          
                      あの日の橋上の別れ
                      雪が降って 
                      今日から明日へと変わっていく
                      白い景色の中で
                      互いの吐く吐息だけが
                      わずかに ふたりの想いを伝えている
                      このまま二人 雪に埋もれてしまえばいい

                      あなたの残した指のほのかな温かさが
                      今もときどき 
                      小さな疼きとなって 還ってくる
                      この疼きだけが 確かな証拠として
                      思い出の舟の中で よみがえってくる

                      今はもう 
                      遠くにかすんでしまった
                      陸橋の別れ


  ブックデータ:  千度呼べば 2013年 新潮社刊
     
          (2018.8.8記)              (ことの葉散歩道№12)

                      

 

 

 

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人生を彩る言葉

2018-08-04 18:52:53 | ことの葉散歩道

人生を彩る言葉
   深く味わいのある言葉に出逢い、気持ちが元気になる時がある。
   たかが言葉、されど言葉。言葉には不思議な力がある。
   言葉。時に優しく、時には牙をむいて襲いかかってくる。
   深い人生を歩んだ人の言葉には
   味わい深いものがある。
   哀しみもある。
   人生の真実が見えるときがある

   そんな言葉たちを集めてみました。

   〇 一番大切なことは、ただ生きることではなくて、よりよく生きることである
                                    ソクラテス
           「よりよく生きる」ということは、前向きに生きる。積極的に生きる。
           他人に左右されず信念を貫き通す生き方なのかな。
           自ら毒杯をあおって死んだソクラテスだから言えることなのかもしれない。

  
         〇  確かにしわが増えましたが、これは私が多くの愛を知った証。
        今の顔が一番好きです
                               オードリー・ヘプバーン
      
          「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「緑の館」「おしゃれ泥棒」
                                    「シャレード」など映画も粋で楽しかった。夢があった。
   〇 私にとって最高の勝利は、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと
   〇 この暴力的な世界に一時の休息をもたらせる、
            そんなビジネスの一員であることを誇りに思っています
                           
1993年には米映画俳優組合の特別功労賞を受賞。
                                 そのとき病で表彰式に出席できなかったオードリーの代わりに、 
                                 ジュリア・ロバーツがこの感謝のメッセージを読み上げ、感動を呼んだ。(VOGUE JAPANより)
           人間のわがままが空を汚し…動物を絶滅に追い込みました。
              次は子どもたちなのでしょうか


                                60年代後半からは、子育てに専念して女優業を控えていた。
                               その後の人生はユニセフ親善大使として、厳しい環境にある世界の子どもたちに注がれた。
                              
彼女の熱意あふれる活動は今もユニセフのWebで伝えられている。 (VOGUE JAPANより)    

       年齢というものには元来意味はない。若い生活をしているものは若いし、
    老いた生活をしているものは老いている
                              井上 靖 (小説家)
  〇  歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる
                              サュミエル・ウルマン(詩人)  


       名言・人生訓は沢山あるけれど、最後はこれで終わりたい。

        伝えたい おもいは
           いろいろあるけれど
              最後は やっぱ
                  ありがとう
                        金剛山 千早本道

                                 (ことの葉散歩道№43)

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千度呼べば 新川和江 ② なみだ

2018-07-26 07:53:09 | ことの葉散歩道

千度呼べば 新川和江 ② なみだ

 なみだ

   谷間に降る
   小さな雨さえ
   ひとすじの流れとなって
   岸辺に青い花を咲かせ
   たくさんの魚を泳がせ ゆうらん船を運び 
   そうしてやがては
   あかるい海にながれ入るのに

   あのひとを思い
   夜ごとに流すわたしのなみだは
   どこへ流れていくのでしょう
   さみしい蝶の
   影ひとつうつさず
   岩魚(いわな)いっぴき
   そだてることもできずに
              新川和江詩集「千度呼べば」より

  新川和江の詩には、
  激しく立ち上がる女の愛が、ゆらめき、
  情念の炎となって燃え上がっている。

  十分に吟味された言葉の一つ一つは、
  静かで語りかけるように優しい。寂しい。
  だが、
  人には見せない青白い情念の炎が
  「愛」という女心の裏側で燃え上がっている。

  想いこがれる心の裏に、女の切ない思いが「なみだ」となってあふれ出る。
  ひとを思うことが、どんなに辛いことか
  「夜ごと流すなみだは どこへ流れていくのでしょう」と、
  不安とやるせなさを詠う。

  とどかぬ思いに流すなみだを
  なんの役にも立たないなみだだとなげく女

  一途に流すなみだは
  かなしいが美しい女のなみだだ。
              (2018.7.24記) (ことの葉散歩道№42)

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