告知について ③ターミナルケア
見捨てられた患者
「好きなものを何でも食べていいよ」と、
食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、
さらに「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。
担当医が言った言葉を私は兄から聞いた。
食事がのどを通らないことも、外泊できるような症状ではないことも、
担当医は十分に承知しているはずだ。
気休めや見せかけだけの優しさで患者に接するべきではないと私は思う。
そうした担当医の言葉に、
「もう治らないから、好きなことをしていいよ」ということかと兄は私に言う。
「がんの告知はしない」、「延命治療はしない」と、最初のインフォームドコンセントの時に同意書に書き、ターミナルケアをお願いした。
だが、あまりにもおそまっなケアだった。
患者の意向や家族の意向も考慮されない、
心の通わない義務的な医療行為が展開されるだけだった。
「無理な延命治療を行わずに人間らしく最期を迎えることを支えるための医療ケア」がターミナルケアの基本である。
栄養剤の投与や痛みの緩和を目的としたモルヒネの投与など、
最低限の施術は行われたものの、担当医の不適切な言葉かけなどがあり、
精神的なケアについては、専門職も配備されておらず皆無に近い状態だった。
というよりも、一般の総合病院の外科病棟ではターミナルケアは無理なのかもしれない。
ステージ4の末期患者には、緩和ケアを主体とした、
ターミナルケアの専門病棟を併設した病院を選ぶことが肝要かと思う。
生きることへの執念を強く持ち、努力を続けたが、末期癌は進行し、
やがて兄はベットから降りることもできなくなった。
細くなった手足、一回りも二回りも小さくなった体。
眼孔は落ちくぼみ、顔色もよくない。
誰の眼にも命の終焉が近いことを予測できるような状態だ。
呼吸が荒くなり、家族の話しかけに応えられるような状況は過ぎている。
ナースセンターへのコールボタンを押す。
この時すでに心電図モニターは、不規則に小さな波型が移されていた。
駆け付けた看護婦は、モニターを見て「静かに見守ってください」と言うのみで、
担当医は来ない。
今まさに命の灯が消えようとするときに、担当医の姿もなく、
私たちはただ命の日の消えていくのをなす術もなく見守らざるを得ないくやしさ。
モニターが反応しなくなって、再びナースコルで呼ばれた看護婦は、
心肺停止しても、しばらくは心臓は動いていますから、と事務的な対応を崩さない。
臨終の場に、医師も立ち会わず、医師が病室に現れたのは、
完全にもにたーが反応しなくなってかだった。
延命治療を望まないということはこういうことなのかと、
死んでいくものにとって、残された家族にとって余りにも冷たい対応だった。
20数年前は、告知するかしないかは重大な問題だった。
「がん」は不治の病であり、告知を受けることによって、
生きる希望をなくしてしまう人も少なくはなかった。
「同意書」は時として、患者側と医師側にトラブルがあった時の医師の
切り札として利用される手段でもあった。
インフォームドコンセントの趣旨は、
患者と医師が対等な関係でインフォームド(説明)を受け、
患者がそれをコンセント(同意)するという、医療の分野から起きた啓蒙運動だったが、
患者が自分の決意を固めるために、セカンド・オピニオンを受けたいという意思表示をすると、
私の言うことが信じられないのかと、機嫌を損ねる医者が多くいた。
告知について、ある医師の言葉を紹介する。
辛い事実を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。「病気の説明」で充分だ。ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、できれば、隠し事のないように伝えたい。辛いことを伝えるときには、いつでも、どんな時でも、あなたの命に寄り添いますよという思いを込めていたい。
長い時間待たされて、三分間の診療で終わってしまう、
あるいは、機械漬けの延命治療が実施される現在の医療体制では、
「医は仁術」と言われる言葉の、医療従事者の情(仁)の部分がかすんでしまい、
最先端の医療技術を駆使くする術の部分が肥大化していく。
これは患者にとって決して喜ばしいことではないと思う。
20数年前に、インフォームドコンセントや告知の問題がもう少し理解されていれば、
兄は「末期癌」と闘うような生きることへの空しい努力などせずに、
人生の「来し方行く末」を考えながら、
心穏やかに自分の人生を閉じることができたのではないかと思う。
(終)
(ことの葉散歩道№51) (2023.11.20記)