雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

科学技術の光と影-原発事故に思う-⑥

2011-04-23 14:41:08 | つれづれ日記

脱原発への道(ドイツの試み)

 科学が生んだ「光」のみを追求してきた結果に、

安全の裏に潜む「影」の部分がモンスターとなって私たちを翻弄した。

 

 私たちは、CO2を出す化石燃料への依存度を減らしていく方向で、

世の中の仕組みを少しずつ変えてきたように、

危険な原発への依存度も軽減しなければならないのではないだろうか。

  

  世界原子力協会の資料によれば、電力供給のうち原子力が占める割合は、

日本では約29%、米国約20%と比較的小規模であるが、

フランスでは70%を占めており、その依存度はまちまちであり、

全ての国が脱原発をめざしているわけではない。

 

 特筆すべきは、ドイツの「原子力発電撤廃」への動きである。

メルケル独首相は地震・津波で被災した福島第一原発の状況を見て、

廃絶の計画を早めるという。

 現在のドイツの原子力発電の割合は約25%であるが、

 今後10年間で原発を廃絶していき、

 再生可能エネルギー(自然エネルギーのことで、風力、太陽光、地熱、波力・潮

 発電など)に変換し、

 その割合を40%に高めようとする政策である。

 

  小さな日本の大きな災害が世界にもたらした影響は計り知れない。

 

  「安全神話」の崩壊は、

 原発の見直しを世界に向けて発信する良い機会である。

 

  私たちは、

 雑草のように根強く、

 この試練を乗り越え、

 復興の灯りをともし、

 優しいまなざしをとり戻していきたい。 

                      (おわり) 

 

 

 

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科学技術の光と影-原発事故に思う- ⑤

2011-04-22 21:49:52 | つれづれ日記

「レベル7」(原子力事故の国際評価尺度)・深刻な事故

 安全でゆるぎない原子力の火が、私たちの世界を照らし、

政治も経済も産業も電気の恩恵なしには成立しない社会へと発展してきた。

 

 さらに安定した経済の発展と成熟社会の実現を目指して、

政府は昨年エネルギー基本計画で現在54基ある原発を、

2030年までに14基以上増やすと閣議決定した。

そのうち2基は建設中(青森県大間原発、島根県島根原発)である。

 蛇足ながら島根原発は今年12月運転開始予定である。福島第一原発には、

7号基、8号基の建設計画もある(この計画は今度の原発事故で棚上げになっている)。

 

 計画中も含めてこれら原発は、全て地方の海岸線に位置している。

 

 原子力発電が本当に安全であれば、

 一大電力消費の東京湾になぜ原発を作らないのか。

今回の原発事故が東京湾で起こったとしたら、

その被害の甚大さと社会的混乱を思うと背筋が寒くなってくる。

 

 「地産地消」という考え方に基づけば、

都市部の電力は都市部でまかなえば良いと思うのだが……。

 

 放射能汚染水を海へ放出せざるを得ないほど事態は緊迫していた。

 

 被害拡大につながる放射性物質のさらなる放出を防ぐため、

燃料棒の冷却を最優先した結果、汚染水の海への放出は苦渋の選択だった。

 

 解決策の見いだせない、政府や東電は混迷し、

土地を追われ、海を追われた被災者は、

悲しみの中で先行きの見えない避難生活に疲れ、

不安な眠れぬ夜を続けている。

 

 7/12・保安院・安全委が「レベル7」と認定したが、これは遅すぎた認定である。

 同じ「レベル7」の国際評価尺度のチェリノブイリ原発事故とは、

放出した放射性物質の量や拡散した範囲で比べれば、

確かに福島原発事故は、10分の1程度の規模なのだが、

「深刻な事故」には変わりがない。

 

 故郷を追われ、帰りたくとも帰れない

明日の光の見えない生活を強いられている被災者の、

無念さを忘れてはいけない。 

                           (つづく)

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科学技術の光と影-原発事故に思う-④

2011-04-16 17:04:45 | つれづれ日記

 安全神話」 

 「絶対に安全」といわれてきた原発が今、巨大なモンスターとなって、

私たちが築いてきた「安全で快適で便利な豊かな社会」を根底から覆そうとしている。

 豊富で安定的に供給される電力こそが、「豊かな社会」の条件だったことを、

私たちは今思い知らされている。

    1979年・スリーマイル島原発事故(レベル5)

    1986年・チェルノブイリ原発事故(レベル7)

       2011年・福島第一原発事故(レベル5・暫定評価レベル) 

        ( ※4/12震災発生から1か月で、事故評価レベルは「レベル7」に変更された)

   次に原発事故を起こすのは、原子炉保有数の多いフランスか日本だろうと、

26年前に広瀬 隆氏はその著書「東京に原発を!」の中で指摘している。

そして、今、その籤(くじ)を引いてしまったのは日本である。

 未曾有の地震が起こらなかったら、あの大津波さえなかったなら……、

という過程の話は、安全管理や危機管理には、無用の話である。

 

 「豊かな社会」に貢献する原子力発電であるけれど、

正義の味方をモンスターにしてしまったのも、まぎれもない人間なのだ。

 

  人間の心に潜む「慢心」が、

  尊い命や文化を根こそぎ飲み込み、

  破壊してしまった今、

  原発の安全性を謙虚に再構築しなければならないだろう。

 ※ 「東京に原発を!」 広瀬 隆著 1981年JICC出版局発行され、1986年に集英社文庫として発刊・ノンフィクション。内容案内(文庫裏表紙より)→『そんなに安全で便利だというのなら東京に作ればいいじゃないか。新宿西口に建ててみたらどうだ! 過疎の浜の人は死んでも仕方ないというのか』。 チェリノブイり事故で一層はっきりした原発の危険を(執筆当時の)最新データを駆使くして説く衝撃のテキスト。人類の安全と代替エネルギーの根本問題を、豊富なイラスト、写真を元に解説。           

                                     (つづく)

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科学技術の光と影-原発事故に思う-③

2011-04-13 13:21:45 | つれづれ日記

 全電源喪失。

 1981~82年、米研究機関は、全ての電源が失われた場合のシュミレーションを実施している。計算で得られた燃料の露出、水素の発生、燃料の溶解などのシナリオは今回の事故の経過とよく似ているという。

 30年前の報告書である。

 原子力安全委員会は、1990年に安全設計審査指針を決定した際、

 「長期間にわたる交流動力電源全損失は、送電線の復旧または非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」、と全電源喪失自体を軽視してきた(朝日新聞3/31記事)。

 今回の原発事故原因は、全電源喪失だけでなく、地震や津波による建屋を含む原子炉全体に及ぶ損傷が、事故の規模を拡大し、解決へのシナリオを作れなくしている。

 シュミレーションによれば、運転停止8時間後には燃料(棒)露出、水素が発生を開始する。10時間後燃料が溶け始め、11時間半後燃料棒が崩壊する、とある。

 福島第一原発も、似たような流れで被害が拡散していっている。

 運転停止から12時間後にはメルトンダウンの危機が訪れるのに、「長期間にわたる電源喪失はあり得ない」と考えていたところに、科学や技術に対する過信があったのではないか。

 100パーセント安全なものなど、この世の中に存在しない。

 安全と危険は常に両刃の剣であり、どちらに転ぶかはそれを使う人間の考え方によって決まる。

 このことを私たちは戒めなければならない。

                                         (つづく)

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科学技術の光と影-原発事故に思う-②

2011-04-10 17:27:23 | つれづれ日記

 マグニチュード9.0の大地震にともなう巨大津波は、

想定外であったというのは、責任逃れであり、

原発プラントに携わった多くの専門家や技術者の態度として

恥ずべき発言である。

 

 事故の元凶は通電設備が、

津波の水をかぶり非常用ディーゼル発電装置も使い物にならなかったという、

実に単純な原因にある。

(大地震によって循環ポンプ、給水ポンプ、隔壁のひび割れ等が原因で放射性物質が水に溶けて外部流失した部分もある)。

 大地震は想定したが、

巨大津波は想定外だったとすれば、

海岸に隣接した場所に位置する原発を運営・管理する設計者としては、

お粗末な話である。

 通電施設を一つは敷地内に、

一つは安全な高台に設置する発想はなかったのか。

 

 暴動も略奪もなく、

壊滅した故郷の地を後に、

放射性物質の浮遊するわが街を後に

運命を受け入れ粛々と非難する人々にかける言葉の一片もない。

避難所には配給物資を受けるための長い列ができる。

こんな時でさえ、

秩序を保ち、

他者への感謝の気持ちを忘れない日本人っていいなぁ……。

 

 全電源を喪失した原発は、

モンスターとして変容し、

自然の大地を汚染し、

海の恵みを汚染して、

この先どんな展開をして、

終息していくのか、

専門家にも明確な答えを出すことができない(4月4日現在)。

 

モンスターとなった原発は、

人間の手の制御を受け付けないのだろうか。

                       (つづく)

 

 

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科学技術の光と影ー原発事故に思うー①

2011-04-08 09:27:24 | つれづれ日記

 地の底から湧き出るような地鳴りが遠くの方で聞こえ、

 土煙が地鳴りの音を追うように走っている。

 風がざわめき、樹の葉が揺れ、枯れた小枝が落ちてくる。

 地面が揺れ、立っていられなくなる。

 屋根のかわらが落ち、大谷石の塀が音を立てて崩れていく。

 2011.3.11 午後2時46分。

 津波が信じられない速さで町を襲い、

 人々を飲み込み、木々をなぎ倒して侵入した。

 未曾有の大災害に私たちは息をのみ、

 なんとか目の前に広がった信じがたい光景を理解しようと努力した。

  さらに追い打ちをかけて福島第一原発の事故である。

 地震の揺れをとらえ、

 自動停止した原子炉の燃料に制御棒が挿入され、

 炉心の核反応は抑えられた。

 全ては、

 緊急時の危機管理のマニュアル通りに進められていくべき事故と思われた。

 

  緊急時の原発の安全管理のキーワードは

  「止める→冷やす→放射能を閉じ込める」である。

  かろうじて原子炉を止めることには成功した。

 

  だが、

  外部電源が停止、非常用ディーゼル発電装置も作動せず、

  燃料棒の熱を冷ますために

  冷却水を循環させることができなくなった。

  冷却水は蒸発し、水位が低下し燃料棒がむき出しになると、

  事態は急速に悪化し、最悪のシナリオが登場する。

 

   燃料棒が解け、原子炉格納容器が破損すれば、

  放射物質が原発外部へと流出し、

  被害はさらに拡大していく危険性をはらんでいる。

                                       (つづく) 

 

 

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