見えない心(より良き支援のために)
人の気持ち(心)は、絶えず変化し、いつも不変ということはありません。
昨日はとても元気で、会話もはずみ、やさしい頬笑みさえ浮かべて、とても穏やかに話すことができたのに、
今日の訪問では、顔色も悪く、表情も暗く、会話もはずまない。
いったいどうしたことなのか。
友達関係でもこうしたことはしばしばおこります。
昨日は楽しく話ができたのに、今日はとても不機嫌で、私の顔を見ようともしない。
私がなにか気に障るようなことを言ってしまったのか。
無意識のうちに相手を傷つけてしまったのか。
こうした場合、私たちは外側に表出されたもの(表情・声・動作等)を根拠にして、
対象者の心のありようを推測するしか方法がないのです。
目に見えないものを探り、推測して対象者との関係を円滑に運べるように、
あるいは悪化した関係を改善しようと努力します。
見えない心。
それゆえに、人との関係を円滑にすることのむずかしさがここにあります。
人の心のありようをないがしろにしては、福祉や介護の仕事や相談業務は成り立ちません。
対象者と共に喜び、辛さや悲しさを共有できる姿勢が、「共感」という姿勢です。
「共感」とは、声にならない声を聞き、目に見えない心の痛みをくみ取るところから、
生まれてくる共に感じる心の状態です。
この姿勢がないと人を援助することが、機械的で無味乾燥な内容になってしまいます。
施設や介護の現場ではしばしば目撃される残念な傾向です。
言葉だけが不自然に丁寧で、気持ちに寄り添うことができていないのです。
時間は無限にあるわけではありません。
限られた時間の中で、閉ざされた心を解きほぐし、感情の襞をかき分けて、
対象者の心の不安や悩みに到達するのは容易なことではありません。
「見えない心」に寄り添うためには、ありのままの自分を知る必要があります。
自分のことをよく理解しない人に、他者の心のありようを推測ることなどとてもできないと思うからです。
(つづく)
(つれづれ日記№4) 2013-12-07
厚生労働省「緊急人材育成支援事業」に基づく私の講義録より抜粋