雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

『訪問介護』(2)広がる空白地帯

2024-10-27 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

『訪問介護』(2)広がる空白地帯
   前回(8月18日記事「訪問介護が危ない」)の記事では、
   訪問介護の危機的状況を以下のように書きました。

訪問介護の現実 (前回の記事より引用) 
 在宅の高齢者が、自宅で生活できなくなる危機的状況が、
 地方の過疎化と共に進行しています。
 高齢者の生活を支える訪問介護事業所が休止や廃止に追い込まれ、
 サービスの空白地帯が広がっています。
 厚生労働省が公表した事業所一覧を参照すれば、
 事業所ゼロの自治体は97町村
 事業所が1つしかない自治体は277市町村
 これは訪問介護の危機的状況を示しています。
 大手事業所や都市部の事業所は比較的安定した運営を
 続けることができますが、
 山間部や過疎地などは介護者が点在する家を一軒一軒まわなければならず、
 非効率であり、訪問介護は距離換算方式を認めていないので、
 どんなに離れた過疎化を廻っても介護報酬は同じになり、
 赤字事業になってしまう。
 事業所の撤退などの増加は、人手不足、非効率、など小規模事業所などが、
 撤退や倒産に追い込まれています。
 さらに2024年4月から介護報酬が約2%値下げになっていることも、大きな要因です。
 
「訪問介護事業」が危機的状況になっているということは、
施設や病院等に介護を求めるのではなく、
住み慣れた自宅で老後の生活を送りたいというのは、
介護を必要とする多くの願いです。

訪問介護事業所の減少を数字で見る
             減少の推移(2020年12月末→2024年6月末) 
   訪問介護事業所ゼロの自治体 ……  83町村→97町村  
                残り1事業所の自治体 ……   265市町村→277市町村 
      (全1741市区町村) 危機的状況に陥っている自治体は全体の22%に達しています。
    これだけの情報では
どれだけの事業所が消えていった(廃業)のか分かりません。
    8648事業所。
    
この数字を見ると愕然とします。
    直近の5年間で廃業した訪問介護事業所の数です。

全都道府県に蔓延している介護事業所危機
 今年の6月時点で、訪問介護事業所ゼロの自治体は、97町村。
 廃業や休業の訪問介護事業所が増え、残り1事業所の自治体は277市町村となります。
 これを、47都道府県に当てはめるとどのくらいの自治体が当てはまるのでしょう。
 意外な結果に愕然となります。
 なんと事業所ゼロ及び1事業所しか残っていないをかかえる自治体は、47都道府県中静岡県を
 除く、46都道府県に蔓延しています。
 
北海道中頓別(なかとんべつ)町の例
 町保健福祉課によればによれば、「民間では耐えられない額の赤字だ。町が事業を救うしかなかった」と言う。
 
同町は23年4月、町内の社会福祉法人から訪問介護とデイサービスの2事業を引き受けて「町営化」しなければ、この町の訪問介護事業所はゼロになってしまうからだ。
 「23年度は2事業あわせて3480万円の赤字で、これを町の一般会計から出した。国の交付金などはなく、町の持ち出しだ」と、苦しい胸の内を明かす。

 要介護状態になっても住み慣れた地域で暮らせるように、
「地域包括ケアシステム」を推進し、医療、介護、生活支援する介護事業所を積極的に取り入れてきました。
 だが、今その活動の中心を担う訪問介護が地方で成り立たず、
「地域包括システム」が崩壊しつつあります。

介護報酬の具体的な単位数

 2024年1月23日、4月に介護報酬の具体的な単位数が発表になりました。
これによると報酬全体では1.59%のプラスとなり、業界には明るい見通しが立ちました。
しかし、実際には介護報酬全体では1.59%プラスになったが、
訪問介護の基本報酬が引き下げられました。
 介護の最前線で活躍する訪問介護の報酬が引き下げられてしまいました。

訪問介護の報酬を新旧比較
 身体介護(20分未満)      167単位➡163単位
 生活援助(20分以上45分未満)  183単位➡179単位
 通院等乗降介助          99単位➡97単位
   新報酬は約2%強の引き下げになっています。
   訪問介護は、引き下げ率は2%強で引き下げ率は低いが、事業所数、
   そこで働くスタッフの数は圧倒的に多く、
   地方の訪問介護事業所は経営そのものを圧迫しかねない状況が出現した原因になります。
    また、在宅介護を支える定期巡回随時対応型訪問介護看護(約4.5%引き下げ)、
   夜間対応型訪問介護(約3.5%引き下げ)があります。

 危機的状況にある上位5道県
  (訪問介護事業所がゼロ及び1事業所しか残っていな地域をかかえる自治体)
      北海道 179市町村中 事業所ゼロの自治体12 事業所1の自治体70 全自治体の46%
   長野県      77 〃       〃                9                 〃    25       〃     44%
   福島県      59    〃                        〃                 8                〃             21       〃           49%
   山形県   35    〃                        〃                 4                〃              12      〃            46% 
   高知県      34    〃                        〃                 5                〃              11      〃            47%  

     静岡県    35市町中      〃      0                〃                0         該当なし

    
     本日は国政を担う衆議院選挙です。
     314人の女性が立候補し、過去最多。
     過半数(233議席)を自民党と公明党で維持できるのか。
     野党はここぞとばかりに、「裏金問題」をはやし立て自民党を追い立てる
     材料としているようですが、大衆的な争点だけでは国政は維持できません。
     政治倫理として「裏金問題」は大衆にわかりやすく説明できる争点ではあるが、
     国政の大きな柱は、「経済政策」や「医療・福祉」「介護福祉」の政策であり、
     「外交問題」も外すことのできない大切な施策の柱です。

     政治的無関心は、国を滅ぼします。
     一票一票の積み重ねが国の力を大きく動かす原動力になる事を
     私たちは忘れてはならない。
     政治的無関心の裏に潜む、自己責任の放棄を容認してはいけない。

     今日は投票所に行こう。

     訪問介護の危機を脱却できる政策立案のできる政党を
     私は選びます。

(昨日の風 今日の風№143)

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パンダが帰った

2024-10-05 08:23:14 | 昨日の風 今日の風

パンダが帰った
リリーとシンシンが生まれた国に帰っていった
長い間立ち尽くしても見られるのはほんの数分だけだ。
早い人は、前日の夜から並んだ人も少なくない。上野動物園には開園前から長蛇の列ができていた。この時日本に来たのはリリーとシンシンだった。2011年のことだった。来てすぐに東日本大震災があった。2017年にはシャンシャンが生まれたが、2023に生まれ故郷に返還された。2021年には双子のシャオシャォとレイレイが生まれた。パンダの人気はまた過熱した。「コロコロとしたぬいぐるみのようなわんぱく、おてんばをあやす姿には、眼を細くさせられた」と朝日新聞・天声人語氏は当時を懐かしむ。
そのリリーとシンシンが中国へ帰っていった。19歳という高齢になり健康を考慮しての故郷帰り(返還)だった。
別れを惜しむ人たちが、
空港に押し寄せ、2頭の乗った飛行機を見送り、別れを惜しみ涙する人もいた。13年間の家族の小さな歴史を思い、手を振り望遠レンズで離陸するパンダの乗った飛行機を連射する人の姿もあった。

ドキュメント 「リリー」と「シンシン」
 29日早朝4時、上野動物園を出発した2頭は、8時ごろ成田空港を離陸し、日本時間12時40分ごろ成都双流国際航空に到着。上野動物園から飼育係や獣医師がリーリーとシンシンとともに中国に渡り
日本時間18時00分、リーリーとシンシンは四川省雅安市にある中国ジャイアントパンダ保護研究センターに無事到着し、検疫施設に入りました。2頭は落ち着いているとのことです。
                     (上野動物園ホームページより要点)

最初のパンダ 「ランラン」と「カンカン」
最初にパンダが来たのは1972年、今から52前だった。
 当時の首相である田中角栄が周恩来首相と日中共同声明を交わした奇しくもその52年前の9月29日、リリーとシンシンは生まれた国へ帰っていった。
1972年9月29日、北京を訪問した田中角栄首相(当時)は、日中共同声明に調印。中華人民共和国との間に国交正常化を実現させた。(それまで、中国は台湾寄りの佐藤栄作政権を軍国主義と猛烈に批判していた)
田中角栄は、首相就任わずか85日で日中国交回復という偉業をなし
遂げた。
 (田中角栄と周恩来)

パンダのレンタル料金
 この日中国交正常化を記念して中国から贈られてきたのが「ランラン」と「カンカン」だった。この2頭のパンダは無償提供だったが、以後のパンダはレンタル料金がかかっている。
年間レンタル料は2頭で95万ドル(約1億円)になり、この費用は東京都が支払っている。

日中国交回復声明文に託された未来
 「両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」と声明で謳いあげ、日中間に明るい光がさしかかる未来への希望であった。
 だが最近の日中関係はぎくしゃくして、友好関係から徐々に遠ざかっていく様子が気になります。
パンダ外交が、見せかけだけの外交に終わらないことを祈りつつ母国に帰ったパンダの健康を祈ります。

(昨日の風 今日の風№142)  (2024.10.3記)

 

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訪問介護が危ない

2024-08-18 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

訪問介護が危ない
 公的介護保険について
 
介護が必要な高齢者が少ない自己負担で介護サービスを得けられるよう、
 社会全体で高齢者の介護を支える制度のこと。
 40歳から加入が義務づけられ、その支払いは一生涯続きます。
 65人を歳以上の人を「第一号被保険者」、
 40歳~64歳の人を「2号被保険者」と区分しています。

介護保険の徴収方法と保険料
 「2号被保険者」の場合、会社員の場合は健康保険料と併せて給与から介護
 保険料を天引き、国民健康保険加入者は保険料と併せて徴収される。
 「1号被保険者」の場合 年金から天引きされる。
 保険料は「1号被保険者」の場合13段階の収入に応じて異なるが、
 平均保険料は年額74,115円になります。
 これだけの保険料を私たちは収入から生涯にわたって払い続けます。

訪問介護について
 上記のように介護保険制度のサービスは、
    国民からの介護保険料や公費を財源として、
 在宅介護の必要な人たちの生活を支えることになり、
 訪問介護は在宅介護に欠かせないサービスのひとつになります。


訪問介護の3つのサービス

生活援助 調理や洗濯、掃除などの家事援助
身体介護 要介護者の身体に直接触れて行う入浴や排泄、食事、更衣などの介助
通院等乗降介助 通院等を目的とした車両への乗車・降車の介助、移動介助、受診の手続きなど

以上のサービスがあり、それぞれのサービスにはヘルパーさんなどができることとできないことがあり、規定外のサービスはできません。
それぞれのサービスに細かいサービスの規定がありますが、
それを述べることは、この記事の本意ではないので割愛します。

ここからが本題です。

訪問介護の現実 
 在宅の高齢者が、自宅で生活できなくなる危機的状況が、
 地方の過疎化と共に進行しています。

 高齢者の生活を支える訪問介護事業所が休止や廃止に追い込まれ、
 サービスの空白地帯が広がっています。
 厚生労働省が公表した事業所一覧を参照すれば、

 事業所ゼロの自治体は97町村
 事業所が1つしかない自治体は277市町村
 これは訪問介護の危機的状況を示しています。
 大手事業所や都市部の事業所は比較的安定した運営を
 続けることができますが、
 山間部や過疎地などは介護者が点在する家を一軒一軒まわなければならず、
 非効率であり、訪問介護は距離換算方式を認めていないので、
 どんなに離れた過疎化を廻っても介護報酬は同じになり、
 赤字事業になってしまう。
 事業所の撤退などの増加は、人手不足、非効率、など小規模事業所などが、
 撤退や倒産に追い込まれています。
 さらに2024年4月から介護報酬が約2%値下げになっていることも、
 大きな要因です。

 要介護状態になっても住み慣れた地域で暮らせるように国は
 「地域包括ケアシステム」政策の一環として介護や医療、
  生活支援をバックアップしてきました。
 しかし、その中心を担う訪問介護が地方で成り立たず、
 システムが崩壊しつつあると専門家は告発しています。

村で唯一の訪問介護事業所が3年前から営業中止
 山形県○○村で、高齢者約1千二百人の暮らす村。
 雪深い村内の一部地域では冬になると隣接自治体の事業所も入れず、
 訪問介護の提供ができない。

高齢者7千人に事業所ゼロ
 茨城県○○町は高齢者人口7千人に対して訪問介護事業所がゼロです。
 全国平均はおおむね高齢者1千人に対して1事業所ですから、
 圧倒的に不足しいます。

長時間移動でも報酬増えず事業所が廃止に
 北海道○○町 昨年3月、たった一つあった訪問介護事業所が廃止した。
 この町は高齢者人口が3400人弱ですから、3事業所が必要なのですが、
 たった一つあった事業所が廃止してしまいました。
 訪問の移動時間が長く1日に何軒も回れず、
 どれだけ移動に時間がかかっても報酬は同じです。
 厚生労働省は介護職の待遇改善として、
 報酬の加算を増やしてきたと言いますが、
 単に報酬の加算だけでは解決できません。
 職場環境の改善や報酬の加算は抜本的な改善でしかない。
 大切な「やりがい感」があるかどうかが、
 キーポイントになるのではないだろうか。

参考資料: しんぶん赤旗日曜版(8/18号)
      厚生労働省 訪問介護資料
訪問介護に関するWEBニュース
 (昨日の風 今日の風№141)          (2024.08.17記)

 

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追悼八代亜紀② 舟歌 映画「駅STATION」

2024-02-29 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

追悼八代亜紀② 舟唄 映画「駅STATION」
      1979年 舟唄発表、その2年後1981年映画「駅 ステーション」公開。
   高倉健が倍賞千恵子の経営する小さな居酒屋で酒を飲むシーン。
      「正月も、くにには帰らないのかい?」
      訪わずがたりの会話が続き、互いの孤独な人生が浮かんでくる。
      戸口の向こうはしんしんと降る雪。
      大晦日。
     うらぶれた港町の凍れる夜。
      カウンターに座る高倉。客は高倉一人。
       
 カウンターの先にあるテレビ。にぎやかな紅白歌合戦が移り、画面には「舟唄」を歌う八代亜紀。
 「この歌好なの わたし」と口ずさむ桐子。
    「お酒はぬるめの燗がいい/肴はあぶったイカがいい……」

北海道 増毛町の居酒屋「桐子」にふらりと入ってきた男。
流れるように、漂うようにゆらゆら揺れて、孤独な男と女が結ばれる。
一夜(ひとよ)かぎりの情けにすがり、ひとときの胸の灯をともす。
雪のように明日は解けて消えてしまう。
切ない夜だ。
  
灯りはぼんやり 灯(とも)りゃいい
  しみじみ飲めば しみじみと
  想い出だけが 行き過ぎる
  涙がポロリと こぼれたら
  歌いだすのさ 舟唄を   (作詞・阿久 悠)

 「歌はだれかの心を表現する代弁者だ」、
 生前八代亜紀は歌に託する思いをそう表現した。

 親しみやすい語り口は、コンサートに集う人を魅了し、
 彼女の優しさに触れ、ハスキーボイスに酔いしれた。

 あの笑顔と歌声はもう聞くことができない。
 涙がポロリとこぼれたら 歌いだすのさ 舟唄を

 どこかのうらぶれた居酒屋の片隅で、ままにならない人生の寂しさを
 歌に託し、今夜も、寂しい親父たちが唄っているかもしれない。
 

 哀悼 八代亜紀 安らかにご冥福を祈ります

『人生の贈りもの』 歌 八代亜紀    詞 吉元由美

   生きてみなくてはわからない
   乗り越えられない
   痛みはないの
   つらいときほど微笑んでいたら
   長い夜にも夜明けがくる

       (愛の歌でもなく、失恋の歌でもない)

【今日のことば】『高嶺の花』
   東京23区内のマンションの平均価格が1億1483万円に達した。
   日経平均株価は34年ぶりに史上最高高値を記録した。2日連続の記録更新である。
   バブル期絶頂期の1989年12月につけた終値の3万8915円を超えて、3万9233円71銭で取引を終了した。
   これは、景気高揚の先駆けになるのか。
   いずれにしても、物価高に日常生活を脅かされる庶民にとっては、高嶺の花の物語である。経済の
   同時に、富の分配が偏って経済の格差がますます進んでいくのではないかと、
   危惧する今日この頃である。
    2024年2月26日天声人語氏は次のように庶民の声を代弁する。
   多くの人にとって物価は上がれど実入りは増えず、チラシで見る1億円は遠いままだ。
   一方で、億ションは売れ続けている。
   この状況、やはりいびつである。     


 (昨日の風 今日の風№140)   (2024.02.28記)

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 追悼八代亜紀 ①八代亜紀さんお別れの会

2024-02-24 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

追悼八代亜紀 ①八代亜紀さんお別れの会 
   
昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため73歳で死去した歌手の八代亜紀さんのお別れ会が、
   3月26日東京・片柳アリーナで開催される。
         開催日   3月26日 午後5時  

         場 所   東京都大田区西蒲田5の23の22 片柳アリーナ
                 コンサート形式のお別れ会 入場無料
                 チケット(抽選)の申し込みは2月29日まで
                 詳細は八代亜紀さんの公式サイトで確認。

                 問い合わせは主催のミリオン企画 ☎03-5731-8463へ
           祭壇や献花台、展示スペースが設けられる。グッズ販売の利益の一部は、
           能登半島地震の被災地や動物保護団体・児童養護施設へ寄付いたします。
           なお、当日はどうぞ平服でご参列ください。

たくさんの社会活動に取り組みました
 1973年に少年院の慰問を始めたのがきっかけで、老人ホームや福祉施設などの慰問が続けられた。
 1981年から始められた女子刑務所への慰問は、2000年には全国の女子刑務所慰問を達成した。
 2011年東北大震災の後、何度か被災地に訪れて様々な支援活動を行った。体育館で避難所暮らしをする
   被災者のために、数千枚の畳を石巻市や東松島市に寄贈した。
 2016年には熊本地震が発生。八代亜紀の故郷であった。
被災地での無料コンサートへの参加や義援金を渡す
   などの支援活動を行った。  (ウィキペディア参照)


トラック野郎 度胸一番星に出演
  
当時、電飾で飾られたトラックがはやり、八代亜紀はトラック野郎に絶大な人気がありました。

八代亜紀を詠う
 八代亜紀彼岸の春へ舟を漕ぐ        丸茂和志
 
 健さんが倍賞千恵子の居酒屋で聞いていた八代亜紀の「舟唄」  玉田一成 

 ぬる燗と炙った肴で真似てみるハスキーボイス沁みる冬の夜      佐藤仁志 

 舟歌を聴くしんしんと冬があり 新井高四郎

     『舟唄』は、1979(昭和54)に発売された、作詞・阿久悠 作曲・浜圭介による歌で、
    八代亜紀が歌い、映画『駅・STATION』の挿入歌にもなって大ヒットした。
    八代亜紀の新境地を開いた歌だが、阿久悠は当時スポーツ新聞に「作詞講座」を連載していた。
    その中で、阿久悠は自分だったら、こんな詞を美空ひばりに歌わせるといって書き下ろしたのが
    『舟唄』です。具体的な企画があって『舟唄』の詞を書いたわけでもなかった。
    たまたまレコード会社の音楽関係者の目にとまり、
    八代亜紀が歌うことになったエピソードがあります。
    美空ひばりをイメージしてに書いた『舟唄』でしたが、
    八代亜紀は見事に自分の歌にして歌い上げた。
    「彼女の歌には嘘がないんだよね。こぶしとか、小手先のことじゃない。
     自分の世界の中で歌ってくれ
るから、本当に詞が伝わってくるし、大衆はジーンとくる。
     そこに、他のアーティストとの違いがあ
る」            (朝日新聞1月14日インタビュー)

八代亜紀 享年73歳。2023年12月30日死す。
 ご冥福を祈ります。

    (昨日の風 今日の風№139)           (2024.02.03記)

 

 

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輸入依存の食料自給率38% ②コメ生産偏重の農業政策の改革ができない

2023-10-29 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

輸入依存の食料自給率38%
 ② コメ生産偏重の農業政策の改革をしないで
        自給率の低い食料を輸入に依存する過ち。

    主要国の食料自給率(カロリーベース食料自給率)(単位:パーセント)
     出典:農林水産省試算(カロリーベース)
        国名     1965年           2015 年       2020年                                        
    カナダ    152              255    221
   オーストラリア  199             214     173
   フランス            109              132           117    
           アメリカ            117              129             115
           ドイツ                 66                 93              84
           イタリア             88                 62              58
           日  本             73                 39              38(2022年度)

   〇 諸外国の⾷料⾃給率の試算値を⽐較すると、
   ① カロリーベースについては、
     国内の消費⼈⼝が⼩さく、カロリーベースに寄与する穀物、
     油糧種⼦等の⽣産量が多いカナダ、オーストラリア等の国が上位に位置づけられる⼀⽅、
   ② ⽣産額ベースについては、
     野菜・果実等の輸出量が多いイタリアがドイツ、イギリスを上回るなど、
     カロリーに⽐して価格の⾼い野菜・果実、畜産物の動向がより反映される
     傾向にあります。
  〇 我が国の⾷料⾃給率は、諸外国と⽐較すると、
                  カロリーベース、⽣産額ベースともに低い⽔準にあります。

                     カロリーベース(熱供給量ベース)とは、国民一人当たりの1日の摂取カロリー
                                 (熱量)のうち、国産費が占める割合を示したものを言う。
                           生産額ベースとは、国民に供給される食料の生産額に対する国内生産の割合
                                 を示している。(上の表ではカロリーベースの試算しか載せま
                                 せんでした)
  具体的に述べると、我が国の食料自給率は38パーセントです。
  つまり、不足分の62%は輸入に頼っているということです。国民の生命に関する食料が62%
  も外国に頼らなければ生活できないという危機的状況が日本の現在の状況です。

   では、不足分の62%の食料は何処の国からの輸入しているのか。
  農林水産省の統計ではアメリカ(22%)、オーストラリア(11%)、カナダ(9%
)、ブラジル(5%)な
  どとなっています。

   小麦、大豆、トウモロコシなどは、ほとんど輸入に依存しています。小麦の輸入が希望ど
  うりににできなければ、パンやパスタ、うどんなどの生産に支障をきたします。
   同じように家畜飼料のトウモロコシの輸入がとどこおれば、酪農も牛豚肉生産や鶏肉・鶏
  卵生産は成り立たず生産者、消費者に大きな不安を与えることになってしまう。
   最近のように気候変動や戦争などにより、輸入価格の高騰があれば、
  同様に経済そのものがバランスを欠き、社会不安を起こしてしまいます。

農業基本法の制定(1961年・昭和36)

 高度経済成長に伴う農業と商工業との所得格差拡大問題を解決すると大きな目標をかかげ、
具体的には農業の生産性の引き上げと農家所得の増大を目的とした。
農業生産の選択的拡大と合理化
農業構造改善事業の着手
流通の合理化
などが進められ、生産性を飛躍的向上と農家の所得を増大の目的は果たせた。
農業の生産性はと商工業の所得格差はあるていど改善されました。
 しかし、同法第2条「農業生産の拡大と合理化」は
「需要が減少する農産物の生産の転換、外国産農産物と競争関係にある農産物の合理化等」
推奨しています。
 わかりやすく説明すると、
「需要が減少する農産物は作らなくてもよい、外国の大規模農業と価格競争でたちうちできないものは作らなくてもいい」ということです。

 米国からの輸入と競合する小麦や大豆生産から撤退することになり、
小麦の作付け面積は、61年を境に急激に減少。
大豆の生産量は急減しました。
 その結果酪農・畜産の飼料は、米国からの輸入飼料に依存し、
飼料自給率は大幅に下がることになり、
地球温暖化などの理由で価格高騰した小麦や大豆、トウモロコシなどの飼料価格は高騰し、
同時に選択的拡大で生産を拡大してきた
酪農・畜産・果樹産地を直撃したのが、
牛肉・オレンジの自由化などで、産地などでは一時離農が続出した時期もあった。
 
 所得格差は改善されたが、農家の兼業化や若年労働者の離農による担い手不足問題の引き金となり、食料自給率低下の要因となってしまったため、農業基本法は廃止された。
 
 食糧自給率の低下には、複数の要因が考えられます。
気候変動: 
 近年は、農作物は品種改良や生産技術の発展などにより、収穫量も増加しています。
しかし、農作物の生産高は気候に左右され、
なかなか安定した量を確保することが難しい。
輸入に依存すれば、価格高騰に影響され安定した経済を確保することが難しくなります。

ウクライナ危機:
 ウクライナ危機で穀物の国際相場が上昇し、
輸入食品の値段が上がって家計を圧迫した苦い経験を私たちは知っている。順調に食料が収穫できても、ウクライナ危機のように輸送手段が確保できなくなったり、輸出制限があったりすれば、その影響を私たちはたちどころに受けてしまいます。円安もマイナス材料です。
 どこかの国のように輸出や輸入を武器の代替え品として、
経済の抑止に使用するることは人道に反する行為です。
 国際相場の影響を和らげるためにも自給率を高めるべきでしょう。

  生産者中心の農業基本法に代わり、1999年の食料・農業・農村基本法が制定された。 
生産者と消費者、都市と農村の共生を目指し、食料の安定供給の確保、農村の多面的機能の発揮、農業の持続的発展など、農村の振興を実現していくことを基本理念としている。

 しかし、一度衰退してしまった生産体制を立て直し、
食料自給率を高めるのはたくさんの労力と、時間がかかります。

 食料自給率の目標(農林水産省)

令和12年(2030)年度までに、
カロリーベース総合食料自給率を45%、
生産額ベース総合食料自給率を75%に高める目標を掲げています。
また、飼料自給率と食料国産率についても併せて目標を設定しており、
飼料自給率と食料国産率の双方の向上を図りながら、
食料自給率の向上を図っていきます。
基本計画における食料自給率などの目標を示した図(農林水産省資料)
食料自給率等の目標は、
令和2年3月に閣議決定された食料・農業・農村基本法で定められています。

 
 これまでの農政は、コメ農家の立場から考えたものが中心でした。
コメが余っているので、
田んぼで小麦や大豆をつくるように補助金で促しているのはその典型です。

小麦も大豆も湿気に弱い作物なので、これでは国産比率はなかなか高まりません。

【令和5年度最新】飼料用米の補助金制度が見直しに! 変更点と今後の動向

出典 : masy/ PIXTA(ピクスタ)

 米余りの状況が続き、主食用米の価格が低迷する一方で、
飼料原料の輸入量が激減して価格が高騰し、国産飼料の増産が求められています。
 水田を活用して飼料用米を栽培することは、この2つの課題の解決につながる有効な対策として、国は交付金制度を設けて推進しています。

 自給率を高めるための、農業改革、不足している農作物耕作を奨励するために、
補助金制度を活用することは、悪いことではないが、
労働意欲をそぐような補助金の支給は考えなければなりません。
 転作農作物の生産の行方をはっきり見極め、
商業や産業のように創意工夫の努力が報われるような食料自給率の向上が望まれます。

 
 農業従事者ではなく、消費者として自給率に貢献できることはないのか。
ジュニア向けの広報がありました。

ほんの少し意識を変えるだけでも食料自給率を上げることができます!




資料:農林水産省「ジュニア農林水産白書2023年版」

   二回にわたり我が国の食料自給率についてアップしました。
   固い内容の記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
   最初は、自給率38%という現状だけを記事にしようと思ったのですが、
   調べるうちに、政府の農業政策に触れなければ、自給率の低下の問題は
   先が見えてこないと思い、長い記事になってしまいました。

参考文献  参考文献 NHKサクサク経済(10月15日号)  しんぶん赤旗日曜版 農林水産省白書他

(昨日の風 今日の風№138)  (2023..10.28記)

 

 

                                                       

 

 

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輸入依存の食料自給率38% ①自給率低下の現状

2023-10-22 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

輸入依存の食料自給率38%
 ① 自給率低下の現状

 「日本は資源がないので、外国から資源(材料))を輸入し、
それを加工し外国へ輸入する。こういう貿易を加工貿易というんだ」
遥か昔、今から六十数年前に私は小学校の社会の授業で教わりました。

大東亜戦争の愚かしい夢を敗戦という現実が訪れ、戦後復興を合言葉に
みんなが必死に働いた。
終戦直後、生産手段を持たない人たちは、食料確保に汲々した時代があった。
闇市が軒を並べ、闇物資が横行し、着物などを食料と交換した食料難時代が続いた。
コメは食糧管理法で管理され、配給制で自由には購入できず、
ヤミ屋が運ぶヤミ米購入しなければ多くの人は、食糧危機を乗り越えることができなかった。

やがて、食料危機がなくなると経済は安定し、
政府や人々の関心は、働いてお金を稼ぎ経済的な安定を求めるようになります。
社会の変容に伴う政策の転換及び人々の意識の変化は、
第一次産業の農業、林業、漁業、鉱業などの自然界に携わる産業の衰退を速めていくようになった。

 1965(昭和40)年、73%をピークに、2000年度以降は、40%前後で低迷しています。
38%というのは、2019年の実績で、2018年には過去最低の37%を記録しています。
 (農林水産省調べ)

 政府は、2030年度に食料自給率を45%まで引き上げるという目標を掲げましたが、
達成には程遠い状況です。

 コメや野菜については、自給率が高いが、大豆、小麦などの自給率が低いために全体の自給率を引き下げています。

 畜産物の自給率が低いのには訳があります。
国内で育てられた牛や鶏でも食べるエサが海外から輸入したものであれば、
その分は自給したとみなされません。
何故なのでしょう。
例えば、鶏の卵は96%が国産ですが、鶏のエサとなるトウモロコシなどは海外に依存しているため、12%まで下がってしまいます。同じように牛肉や豚肉などもその飼料のほとんどを外国産に頼っています。
 気候の変動で不作になったり、最近のように戦争によって輸入の道が閉ざされてしまえば、飼料の価格は高騰し、生産価格の高騰につながってしまうので、自給とみなすことができないのです。
大豆も小麦もトウモロコシも経済の行く末を確保する重要な資源なのです。

 自給率のアンバランスは日本の農業政策の失敗ではないか。

農地面積の減少
 1961(昭和36)年から2021年までに農地の減少面積は、
 東京都の総面積の7.9倍にもなります。
耕作放棄地の拡大
 東京都と大阪府を合わせた面積よりも多いと言われています。
農業従事者の減少と高齢化
 この20年間で約3分の1に減少。
 しかも、農業就業者の7割が65歳以上の高齢者です。さらに高齢化が進めば
 耕作放棄地になるか、委託農地になり、農業の先行きは不透明になります。

 食生活の多様化により、畜産物や加工食品などの消費が伸びる一方で、
コメなどの自給率の高い品目の消費が減っているため、
自給率のパーセンテージが低くなってしまいます。

 何故こんなことになってしまったのか。
                                                                                                    (つづく)


   (昨日の風 今日の風№137)      (2023.10.20記)

 

 

 

 

 

 

 

 

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阪神・淡路大震災から28年

2023-01-30 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

 2023年1月17日19時41分。 
 阪神淡路大震災の発生から28年になります。
 「もう28年」、「まだ28年」。
 人それぞれに、光陰矢の如しと28年を迎える人もいれば、
 あの日以来、時間が止まり年齢だけが空しく加算されていく苦しい現実に、
 震災の傷が癒されないままの人もいる。
 6434人の犠牲者と63万棟の住宅被害が起きた。
 数々の苦難を乗り越え震災の街は立派な復興を成し遂げ、立派に立ち直った。
 新しい復興計画のもと道路が建設され、ビルが建設され新しい街ができた。
 地震の震源地に近い、兵庫県淡路島の「北淡震災記念公園」では、17日朝、
 遺族や地元の人たちが、亡くなった人への追悼と復興への思いを一つに、
 「上を向いて歩こう」を合唱した。(NHK NEWS WEW)

 様々な理由で今も、震災の傷を抱え、途方に暮れる人もいる。
 当時五十代だった人は七十代になり、未だに先の見えない生活に苦しむ人もいる。

災害公営住宅(復興住宅)

        災害により住宅を失った被災者向で、
   自力ででの住宅再建が難しい住民のために自治体が設置する 公営住宅
 。
   復興公営住宅、災害復興住宅ともいう。
   地方自治体が借り上げや新築により整備を進め、
    被災者に対して安い家賃で貸し出すもので、
   低所得者にはさらに家賃を優遇するなどの措置も盛り込まれている。
   
   1995年(平成7)1月の 阪神 ・淡路大震災で兵庫県や神戸市などが国の支援をもとに
   大規模に復興住宅を整備したのが始まり。
   また、2011年(平成23)3月の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県では、
   仮設住宅 に住む住民向けに復興住宅を3万戸建設した。

 建設費の補助
  一般的な公営住宅………国からの補助1/2 地方自治体1/2
  災害公営住宅       〃     2/3         〃    1/3
           また、激甚災害に指定された場合は、国3/4 
地方自治体1/4


借り上げ復興住宅と問題点
 阪神淡路大震災の当時、仮設住宅等の建設用地やその費用などが計画通りに確保できず、
民間事業者などが所有するマンションなどを県や市が借り上げる形で、
住居を失った被災者に供給した。
 これを「借り上げ方式」といい、全国で初めて導入された。
 この「借り上げ方式」には大きな問題があった。
 賃貸期間20年という期限付き貸借という決まりです。
 この期限切れは2015年から始まり、今年、2023年には、全ての「借り上げ復興住宅」が
 期間満了ということになります。
 県や市は20年の貸借期間満了を迎えた住宅から順に、入居者の退去を勧告し、
 別の公営住宅への転居をあっせんしている。
 借り上げにかかる経費の負担を軽減したいという行政の思惑があるのでしょうか。

朝日新聞シリーズ記事『老いる復興住宅』から
 避難所と仮設住宅を経て、市営復興住宅で20年を暮らし今年87歳になるSさんは、
住み慣れた住宅を退去することになった。5年前のことだ。
兵庫県と6市は震災当時の住宅不足の時、民間や都市再生機構から約8千戸をかり、復興住宅とした。いわゆる、「借り上げ復興住宅」だ。家を失い、住むところのない被災者にとってはありがたい施策だった。

 だが、ここにきて20年契約の期間切れは、辛い。
住み慣れた場所は仮の住まいとはいえ、支えあってきた隣人が一人二人と姿を消していき、
寂しさや取り残され感をぬぐいようもない。
被災者の声が聞こえてくる。
「期限があるとは知らなかった」
「気力も体力もない。医者へ行くため生きているようなもんや」

 自治体の対応も分かれている。
宝塚市、伊丹市は全員の入居継続を認めたが、
神戸市と西宮市は期限を迎えた入居者計19世帯を提訴、
全員が退去を余儀なくされた。
「20年経ってなんでやと、納得できんかった」(敗訴した70代男性)

 神戸市が提訴したのは、「退去に応じた人との不公平を生じさせないため」と説明しているが、
何とも温かみのない紋切り型の説明だ。
明記された文言でけりをつけ、一件落着を計る姿勢に
行政の責任で被災者の「生きる道」を支えるという姿勢に欠けるのではないかと思う。
 健康な生活を営む条件は、住環境や人間関係がありコミュニティが存在することだ。
単に転居先が見つかればよいという問題ではない。
孤立した生活環境で暮らすことは、とくに高齢者にとっては辛い。

 今後、借り上げ復興住宅は
  能登半島地震(07年)で、石川県穴水町が12戸
  東日本大震災(11年)で宮城県石巻市が222戸を整備契約期間を迎えることになる。
  行政の温かい対応を期待したい。


(昨日の風 今日の風№136)         (2023.01.29記)

 

 

 

 

 

 

 


  



 
 
 
 
 

 

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日航機墜落事故 37年目の夏 ③ 慰霊の園・慰霊の塔

2022-08-31 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

日航機墜落事故 37年目の夏 ③ 慰霊の園・慰霊の塔


慰霊の園 慰霊の塔
 

                                                     (図3)                  (図4)

 慰霊の園には次のような案内板があります。全文を掲載します。
   
昭和60年8月12日夕刻、日航機JA8119号機が上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、
  五二〇名の尊い命が昇天されました。
   本来ご遺族の元に帰り供養されるべきご遭難者の遺体の一部が行方不明処置となり、
  上野村に骨壺の姿で残されることになりました。
   上野村々民は事故処理のお手伝いを通して、事故の凄まじさ、ご遺族の悲しみを目の
  あたりにし、このような事故が二度と起こらないように願い五二〇の御霊を祀ることが
  上野村々民に課せられた責務であると考えるに至りました。
  上野村は険しい山々に囲まれ平坦な土地のほとんどない所ではありますが
  この趣旨に賛同した村民有志が土地を供出し慰霊の園を建設することができ
  御巣鷹の尾根に向かって合掌した形の慰霊塔が末永く聖霊をお守りすることとなりました。
   ここ慰霊の園にご参拝いただく皆様と共々、末永くお御霊をお慰めし、
  交通安全を祈ってまいりたいと存じます。
                                     合掌

        平成元年
          財団法人 慰霊の園

 
 
             (図4)        (図5)
慰霊の塔(図3)(図4)の真後ろには123の壺に納められた身元識別不能として、
この地で荼毘に付された犠牲者の遺骨が納められています(図5)。
当時はまだDNA型判定技術が難しかった時代です。
バラバラになった身体の部分なかなか特定することが難しく、
遺族が面接してはっきり確認できた遺体は520の犠牲者のうちの60体のみだったという。
もっとも破壊された遺体は身体の部位すらわからない分離遺体(骨肉片)であった。


墜落遺体がいかに悲惨であったかわかります。
 最終的に身元の確認されたのは518名だが、
分離遺体の納められた101の棺はその年の12月20日に荼毘に付され、
慰霊の園の納骨堂(図5)へ納められた。
5カ月にわたる検屍会場となった市民体育館は、
遺体の腐敗臭が消えず解体され、現在は公民館になっている。

 身元確認作業が終了した12月18日までの延べ127日間で、
出動した医師、歯科医、看護師は2891名に及ぶ。
身体に食い込んだブローチ、アクセサリー、歯形、手術痕などを頼りに
バラバラになった身体の一つ一つに身元確認の手がかりを発見していった
遺体確認にたずさわった人たちに敬意を表したい。

 群馬県上野村について
   航空機墜落事故の現場となった上野村。当時の人口は2122人634世帯の村全体の95%が山林の
  交通の不便な山峡の村だった。ちなみに37年経った現在の人口は1095人(令和4.8.1)。
  群馬県で一番人口の少ない村といわれている。裏を返せば、自然豊かで、ゆったり生きられる村で、
  移住支援やシングルマザー支援などにも力を入れていると言われています。
   村のホームページの『観光』のページを開いても、自然を謳う観光施設は出ているが、
  航空機墜落事故の現場であることには一切触れていない。
  これは、村の方針が「事故関連現場と施設は失われた御霊を慰霊する鎮魂の場」と
  位置付けるとしていることに由来する。
   だから、慰霊の園は国道から遠くない所にありながら、観光バスの乗り入れは禁止とされている。


 事故の責任はどうなったか
  1987(昭和62)年6月(事故から2年後)、
  運輸省航空事故調査委員会は事故の原因を、後部圧力隔壁の修理ミスと報告書をまとめた。
  捜査にあたった群馬県警は1988(昭和63)年、業務上過失致死の疑いで、
  日航とボーイングなどの関係者20人を書類送検した。
  しかし、前橋地検は1989(平成元)年、
  ボーイング社がミスを認めている(このことは拙ブログ「日航機墜落事故 37年目の夏 ①」でも触れた)
  にも関わらず全員を不起訴処分とした。

  

  1990(平成2)年8月12日、公訴時効が成立する。
  37年を迎える2022年にあっても、この事故は単独機の航空事故として犠牲者数が
  世界最多となっている。
                       (この項はBusiness Journalの兜森 衛氏の記事参照)                         
             (昨日の風 今日の風№135)    (2020.8.30記)

 

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日航機墜落事故 37年目の夏 ② 昇魂之碑

2022-08-27 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

日航機墜落事故 37年目の夏 ② 御巣鷹の尾根 昇魂之碑

    (図1)                  (図2)
   (図1) 昇魂之碑の前でシャボン玉を飛ばす遺族の皆さん。この碑の前は小さな広場になっているが
       ここは事故当時ヘリコプターの発着場所として開発されていた。
   (図2) 8月12日を前に毎年群馬県警の4月に入校した初任科生たちによって、
      昇魂之碑およびその周辺を清掃し、献花をしている。今年は12月8日に行なわれた。

     運命の時刻 1985年8月12日午後6時12分、
     日航123便は、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向かって離陸した。
     
伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の午後6時25分ごろ、
     「ドーン」という音とともに機体に異常事態が発生し、操縦不能になった。
     同56分、群馬県多野郡上野村山中に墜落した。
     
機内には、乗客509人と乗組員15人の計524人が搭乗していた。
     うち乳児12人を含む520人(乗客505人、乗組員15人)が死亡、
     乗客4人が重傷を負った。一家全員が亡くなったのは22世帯に上ると言われています。
     
日没を迎えたため墜落地点の特定に手間取り、
     場所がはっきり特定されたのは翌13日になってからだった。

      当時、メディアは墜落現場を「御巣鷹山」として報道したが、これは間違い。
     正確に言えば、墜落地点は群馬県・上野村高天原山の斜面(標高1565㍍)である(報告書による)。
     事故後、警察関係の報告書を作成するにあたって、正確な場所の名称を求められた当時の村長
     が、墜落地点を『御巣鷹の尾根』と命名した。
      
     事故直後は、登山口から沢づたいに2時間以上も歩かねばならなかったものの、
     地元、遺族らの努力で登山ルートの整備が行われ、
     現在では10台程度収容の駐車場が設置された登山口から、
     30分~40分程度、約180メートルの標高差を約1㌖登って、
     たどり着く事ができるようになった。
     真夏の暑い日、180㍍の標高差を上っていくのは多くのエネルギーを必要とする。
      事故から37年目の夏、遺族も歳をとり、子どもの代や孫の代になっている。
     コロナの影響もあり年々遺族の参加も減少している。

      昇魂之碑は、墜落現場にきずかれ、遺族にとっては個人を偲ぶ聖地として
     認知されている。
      一方この場所から『慰霊の園』までは、車で20㌖およそ1時間。520人の遺体は、
     損傷が激しく、検死総数は2065体におよびます。バラバラになった遺体の手や足や
     部位さえ判明しない肉片が一つの遺体として検死を待つ間2065体の遺体となったそうです。
     こうした遺体を『分離遺体』といいますが、最後まで誰の遺体か特定できないものが、
     101あり、これらは引き取り手のいない遺体として慰霊の園の納骨堂に埋葬されました。

      次回は「慰霊の里」・「慰霊の塔」について掲載します。

       (昨日の風 今日の風№134)         (2022.8.26)

 
 

   

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