海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ⑤ 通達文書に示された隠された疎開の理由
県から各学校や役場等に届いた『学童集団疎開準備に関する件』という
通達文書に示された集団疎開の目的として、
『戦時中といえども少国民の教育に差し支えないようにするため』という他に、
『県内食糧事情の調節を図るため』とあった。
つまり、急激に増員された10万人の兵隊の食料確保のために、
10万人の学童や学校関係者及び保護者を県外に疎開させるという、
帳尻合わせの学童疎開でもあった。
あまりに急な要求に、学校関係者や保護者達は戸惑うばかりで、
希望者はなかなか集まらなかった。
『残っているより行ったほうがよい、たとえ敵が上陸してこなくても、空襲はあるでしょう。
空襲されたら、那覇なんか吹っ飛んでしまうだろう』
さまざまな噂がささやかれたが、
『これは国策ですぞ』という一言に、学童疎開時の募集には、
有無を言わせない強制力が潜んでいた。
もう一つ隠された目的として、なるべく成績優秀な児童と引率の教師にも
優秀な者を選ぶという不文律がありました。
もし、沖縄が全滅したとしても、優秀な沖縄(日本)の血すじを残すという、
沖縄が激闘の戦場として民間人をも巻き込んでしまうことを暗に認めた事例です。
戦争とはかくも人を狂わし、ばかばかしい計画を作戦と称して大真面目に実践に移してしまう。
戦争という非日常の中で、人間の中に潜む『狂気』が、
無限に拡散され、無力の民が犠牲になっていく。
(つづく)
(語り継ぐ戦争の証言№29) (2023.07.29記)