伝承 お伽羅哀話 (2)
名主は反対しましたが他に代わりがあろう筈もなく
とうとう賛成し人柱とすることが決まりました。
嫌がるお伽羅を
「皆の為村のために犠牲になってくれ」といい水中に投げ込んでしまいました。
お伽羅は哀しい悲鳴と共に濁流の中に身を没してゆきました。
やがて悲しい出来事も終わり村は水没することもなく
家屋財産田畑何ひとつ失うことなく人々は助かりましたが
一人として明るい表情を見せる人はいませんでした。
皆が罪の意思義にさいなまれ、
ある者は「川の中からお伽羅の泣き声が聞こえた」といい、
又、村に疫病が流行り始めると「お伽羅の祟りだ」と言って恐れました。
いつしか人柱にしたお伽羅の供養をしようということになり
村中こぞって鬼怒川辺りでお伽羅の霊を慰めました。
村落の菩提寺でもありこの地方の本寺でもある安楽寺に供養塔を建てて
お伽羅の菩提を弔いました。
疫病もおさまり平安な暮らしが戻るとお伽羅の供養のためとして
「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進し
永代に亘り供養がつとまるようにとの村人の願いからでした。
ここにまつられている石塔は村人の改心と
感謝の誠をあらわしたものと伝えられています。
やさしいお伽羅の哀しい一生を思い遣り
懺悔と慈悲の懇ろなる供養と末永き回向が勤められますことを念じつつ
南無阿弥陀仏 南無妙法一心観仏 合掌
天台宗別格本山正覚山蓮前院 厄除元三大師 安楽寺
以上が2回にわたって紹介した「伝承 お伽羅哀話」の全文です。
さて、「伝承」として紹介されているお話ですが、
果たして、この話に信憑性があるのか?
「お伽羅の供養のためとして「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進」
とあるので、この安楽寺に寄進された「伽羅免」が
現在でも残っているのか?
さっそく、安楽寺の住職さんに確認の電話を入れてみました。
「伽羅免」は残っていないが、
お伽羅が住んでいた場所(庄屋の家?)は特定できています。
つまり、伝説ではなく、伝承としてこの地域の村人のあいだに語り伝えられた
「お伽羅」哀話だということなのでしょう。
遠い昔におきたお伽羅の不幸な物語の「哀話」を、後の世に伝え、
供養塔には今も花が供えられています。
人間の身勝手な行為とお伽羅の霊を敬い供養する相反する気持ちでわありますが、
二面性を持つ人間の行動パターンとして認識することも大切なことと思います。
(つづく)
(2018.10.12記) (郷土の歴史等№7)
次回は番外編として、各地に伝わる「人柱」伝説について掲載します。