雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

どうなる川内原発 鹿児島県知事・三反園氏の動向(1)

2016-11-30 18:00:00 | 風の行方・原発

 どうなる川内原発
   鹿児島県知事・三反園氏の動向(1)

 
三反園氏の動向については、7/16日の当ブログ、
「どうなる川内原発 鹿児島知事選が終わって」で次のように述べた。

反原発運動の先駆けとなるか、期待を背負って当選した三反園だが、
当選記者会見を聞いてみると、期待が急速にしぼんでいきます。

「トイレなきマンション」の状態を解決する施策さえ見つからないまま
原発事故前の状態に「原発回帰」が進んでいくような不安感だけが残った選挙でした。

 
最近の三反園氏言動はこうした懸念が決して的外れではない、と思われる。
川内原発の一時停止を訴えて当選した三反園訓(みたぞのさとし)知事が、
有識者からなる県独自の「原子力問題検討委員会」の設置議案を県議会に提出した。

 「検討会の場で皆さんに安全かどうかはかって、結果を見て総合的に判断する」
ということだが、議案の採決は12月16日だ。
 
 しかし、定期検査で停止中の川内原発1号機が稼働するのは12月8日の予定だ。
これでは、運転再開に間に合わない。動いてしまった原発の安全を検討するよりも、
停止している原発の安全を検討する方が道理だろう。

 設置は9月議会でも提案できたはずなのに、なぜ12月なのか。

 原発を抱える道と県の大半が、自前で安全性を検証する専門家組織や制度を持つ。
しかし、九電の原発が立地する鹿児島と佐賀にはない。
「原子力問題検討委員会」で
「安全かどうかはかって、結果を見て総合的に判断する」というのなら、
なぜもっと早く議会の承認を得なかったのか。

  (つづく)             (2016.11.30記)

 

  


                                             

 
 

    
 

 

 

 

 

 

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読書案内「氷の轍」 桜木紫乃著

2016-11-26 19:47:59 | 読書案内

読書案内「氷の轍」桜木紫乃著
                  2016.10刊初版 小学館

 最近テレビ朝日系で放映されたドラマの原作本だが、脚本化された時点で物語は原作を離れ、一人歩きする。
ドラマは原作本のエッセンスである。従って、原作とドラマには大きな隔たりがある。ここでは、原作に沿って案内をします。

 舞台は北海道釧路と青森県八戸にまたがる。
まるで北欧のミステリーを読んでいるような臨場感がある。

 水平線に鮮やかな朱色の帯が走っていた。
 七月の街を覆う海霧のせいで、今日も一日太陽を拝んでいない。
 沖に横たわる陽の名残りはひどく遠かった。

 
冒頭、これから物語の舞台になる釧路の街の描写が読者を惹きつける。

 堅物で色気なしの女刑事・大門真由をはじめ登場人物の全てが、辛い人生の轍を踏んで生きている。
彼女は大門家の墓の前に捨てられていた元刑事大門史郎の愛人の子ども、
従って母・希代とは血のつながりがない。
夫が結婚2年目にして外の女に産ませた子を希代は自分の子どもとして育てる。
「誰が生んでも、うちの娘です。
そういう事を今後何かで知ったり耳に入れたりして、
妙な誤解が生まれるのを避けたいの」
希代は聡明で、強い女性だ。
真由は、高校に上がる時にその事実を知らされた。

釧路の海から上がった、身元不明の高齢男性の死体。
生前の被害者の生活の痕跡をたどれば辿るほど、
浮き上がってくるのは男の一人ぼっちの孤独な生活である。

やがてたどり着く一冊の古い北原白秋の詩集に、
この物語に登場する人物の孤独な轍が収斂されてくる。
それはまさに、歩いてきた足跡が凍り付くような寂しい、
孤独感に彩られた「氷の轍」を辿るような人生行路だった。

 他ト我    北原白秋
二人デ居タレドマダ淋シ、 一人ニナッタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬
(ヤルセ)ナシ、
シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。

 被害者を辿る捜索から浮かび上がってきた人々もまた、
 孤独な環境の中に身を置き、
 自力で這い上がり、
 心安らぐ日常を確保できるようになった。

 この人々にどんな過去があったのか。

 忘れてきた辛い過去の時間から、
 忘れたはずの過去が姿を現したとしたら……。

 親も子も姉妹も、
 その辛い過去故に名乗り合うこともなく、
 その存在すら認めようとしない。

 孤独の深淵(しんえん)に沈んでしまった人たちに、善意の行為は届くのだろうか。

 被害者を取りまく人たちの、
 過去を洗い、
 心の葛藤を見て来た刑事・大門真由は犯人逮捕に関わる供述書を作成する。

 供述書に書き込まれた無味乾燥な内容に、
 被害者、犯人、この事件に関わりを持ったすべての人たちの心の葛藤が、
 言葉では表現できないもどかしさを感じる。

 真由は思う。
 「事実が真実とは限らない」。
 供述書と同じように、報道も事件の事実を伝えるが、
 生きた人間の心の葛藤を伝えることはできない。

 善意が善意として受け止められれば、
 人の思いやりとして受け止めることができる。
 思い込みの善意は、時として迷惑であり、鬱陶しくもなる。

 堪えがたいひとりを生きているものにも明日はある。
 明日がある限り、
 朝は訪れる。
 朝が訪れるたび、
 ひとはいつもひとりを思い知る。
 そうして、
 堪えがたい真実を抱え続けるひとにも、
 律儀に次の季節は訪れる。

 
物語は終わる。
 真由は明日の空模様を祈りながら足を早める。
 真由の心に忍び寄った孤独を真由は、
 どう受け止めるのだろう。


 余話:
    犯人を追って過去にさかのぼっていく形式は、松本清
    張の「砂の器」にもあった。過去に生きた人間の生い 
    立ちや孤独が浮き彫りになり、物語に奥行をだす。 
    桜木紫乃の小説に直木賞を受賞した「ホテルローヤル」があるが、
    この小説もどこかに、淋しさや孤独の匂いのする小説だ。

    評価 ☆☆☆☆/5
             (読書紹介№91)   (2016.11.16記)

                    

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テレビ時代劇の衰退とテレビの行く末

2016-11-24 17:00:00 | つれづれに……

 テレビ時代劇の衰退とテレビの行く末

 テレビドラマが低視聴に陥って久しい。
 時代劇が次々とテレビから姿を消し、
 最後に残った時代劇がマンネリズムの極致を行く「水戸黄門」だった。
 越後のちりめん問屋の御隠居さんが、悪代官を懲らしめる。
 勧善懲悪、庶民の味方と言うテーマ―がドラマの根底を流れていて、
 この部分こそ、多くの視聴者を支えていた理由ではないか。
 ここぞというところでおなじみの「葵の紋の印籠」が登場する。
 平凡すぎる筋運びとパターン化したマンネリズムが、
 視聴者を安心させたのだ。
  
 BSでは、再放送ながら長年ファンをとりこにしてきた「鬼平犯科帳」が幕を閉じることになった。

 こちらは正統派時代劇で、池波正太郎の同名原作を丁寧に描くところに、
 本格とか正統という言葉にふさわしいドラマを作ることができたのだ。
 鬼平と密偵の関係に描かれる、信頼関係に結ばれた深い絆。
 部下の同心や密偵を束ね、悪に立ち向かう鬼平だが、情には厚い。
 好物の軍鶏鍋をつつくときには、身分の垣根を払い、和気あいあいと酒を呑む。

 時代背景を忠実にとらえ、現代にも通じる人間ドラマとしたところに、
 人気の秘密があったのだろう。
 登場人物にも味があり、作品に深みを与えている。

 こうした時代劇がテレビから消え、
 刑事ドラマが視聴率を稼げば、
 各局とも横並びでゴールデンタイムの時間枠に刑事ドラマをぶつけてくる。
 過当競争はやがて質の低下を招き、正統派刑事ドラマはやがて
 現実にはあり得ないような奇をてらったドラマの登場となる。

 お笑い芸人を司会に起用したバラエティー番組や健康志向番組も横並びで
 各局は競って制作している。

 むかし、それぞれのテレビ局が持っていた使命感やプライドはなくなり、
 その日暮らしの番組編成で、質の悪い番組を放映する。

 いったいテレビはどんな役割を担って、何処にたどり着くのだろうか。
                 
                          
(つれづれに……心もよう№45)

 


 
 

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妻へ また巡り会える日まで…

2016-11-23 11:00:00 | 逢えなくなった人たち

妻へ また巡り会える日まで
            
 (逢えなくなった人たち №2)

目を閉じれば、
気さくで、誠実な妻の明るい笑顔が浮かびます。

映画好きな妻はジャンルを問わずよく見ていました。
音楽は華原朋美やエグザイルを好んで聞いていた妻。
こよなく愛した宝塚歌劇団は特に水夏希のファンで、
幾度も劇場へ足を運んでは、
その美しい舞台に酔いしれていたものでした。

相撲も大好き、
野球も大好き。
国技館も、ナイターの球場へも何度も足を運びました。

何をするにも一生懸命。
決して手を抜かない。

感動すれば子どものように喜び、
怒りの対象があれば、歯に衣着せずにものが言える。

十一年間にも及んだ闘病生活。
生きたいという気持ちを人一倍強く持ち続けた妻は、
ひたむきに治療を重ねておりました。

決して、明るさを失わない。
裏を返せば、他人への思いやりである。
どんなに辛くても、胸の内に閉じ込め、
ひたすら、明るく振る舞う姿に
みんなが元気をもらった。

辛い闘病生活の合間を縫うように
旅行にも出かけた。
先の見えた生命(いのち)
の灯を燃やしながら、
現世の思い出をたくさん作り、
それはまた、
私や子どもたちへのお別れのプレゼントだったのかもしれない。

子煩悩で家族思いだった妻。
動物が好きで、
かつて共に暮らした愛犬のことをとても可愛がっていた妻は、
元気になったらまた犬を飼いたい……そう願っていたのですが、
それも叶わぬ夢となりました。

在りし日を偲べば、
訪れた別れに切なさは募りますが、
今はただ、妻の冥福を祈るばかりです。

 (会葬礼状のほぼ全文を掲載しました)


 K子は、53年の生涯を駆け抜けていった。
 余命宣告をされて、闘病を続けながら、仕事を続けた。
 K子が仕事を辞めたのは死の一週間前だった。

 「あなたの明るさと、働く姿勢が職場の良いお手本になる」から、
 休みながらでもいいから勤めてほしいという会社の要望にも応えた。
 放射線治療で、すっかり髪の毛が抜けてしまった頭部を、鮮やかな色のバンダナで包み
 職場に現れるK子には、闘病の辛さや、余命宣告された暗さなど何処にも感じられなかった。

 「臨終は静かに訪れた」、と夫のMから聞いている。
 Mの手を握り、安心したように目を閉じ、
 (おそらくは、痛み止めのモルヒネで意識がかすみ)
 臨終の言葉もなく、
 握った手のぬくもりが、
 語りつくせぬ思い出と、「ありがとう」の言葉に代えて、
 Mの手のひらには、1年半を過ぎた今でも妻・K子のぬくもりが残っているという。
                                                                                          合掌

 

 

 

 

     
     

 

 

 

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石仏の表情

2016-11-14 21:23:15 | 石仏・仏像・塑像‥

坂東市・延命寺の石仏

                  境内の片隅に忘れ去られたように鎮座する
                
   

     よくみると…… 威張っている
     

     
     鼻の下がかけているのに笑っている
     
       
        もっとふくよかに笑っている
    
    
                   少し首をかしげて
                          幸あれと物も言わずに
                     笑顔が語りかけている

      


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読書案内「その雪と血を」 ジョーネスポ著

2016-11-09 18:00:00 | 読書案内

読書案内「その雪と血を」
   ジョー・ネスポ著 ハヤカワミステリー 2016.10刊
 北欧ルノワール(暗黒)小説。
殺し屋と言ってもスナイパーのイメージではなく、麻薬業者のボスに雇われた殺し屋だ。
動機は簡単意味の解らないタイトルと次のような冒頭の文章に惹かれ読んでみた。
ミーハー的読書です。

 綿のような雪が街灯の光の中を舞っていた。
舞いあがるとも舞いおりるともつかずに、
オスロ・フィヨルドをおおう広大な闇から吹き込んでくる身を切るような寒風に、
あてどもなく身をゆだねている。
……乾いた雪は壁ぎわに吹き付けられ、
おれがいま胸と首を撃ったばかりの男の靴の周りに舞い降りた


 文字どおり、極寒の雪の中で展開する殺人。
最終章もまた雪の中の死をもって幕を閉じる。
不運の道を歩いてきた「殺し屋」の最初の殺人は、
飲んだくれで刑務所帰りの父を殺したことだった。
酔って帰ってきて、母に暴力を振るい、
夫婦の寝室では母の首を絞め、
その呻き声を聞きながらセックスをする。

父への憎しみが19歳の彼を、殺人者にしたのか。

 麻薬密売に絡む殺人の次に依頼された殺人は、
不貞を働いているらしいボス(殺人依頼者)の妻を始末することだった。

「殺し屋」に標的を選ぶ権利はない。
契約に基づき粛々と仕事を遂行するのみだ。
いつものように標的に向かって引き金を引くはずだった。
だが異変が起きた。

彼は標的に恋をしてしまったのだ。

ボスの女との逃避行が始まる。
殺し屋が助けたマリヤという聾唖の女も重要なカギを握るが、ネタばれになるので触れない。

「殺し屋」の純愛、という言葉が浮かんでくる最終章は、
またしても「雪と血」の場面だ。

 瀕死の重傷を負った男のポケットから女の前に手紙が舞い降りた。
「…きみみたいな人を幸せにできる方法が自分にはわからない…きみを愛している…」

彼女は泣いた。「わたしは幸せよ」彼女は言った。
俺はもう死んでもいい」男は静かに目を閉じる。

 雪と血にまみれた男の死んだ場所。
それは、「あまりに赤く、不思議なほどに美しかった」

 70年代の雪降りしきるノルウェーを舞台に、
凄惨な殺し合いの世界を描いた小説だが、後味は悪くない。

「雪」は純粋、けがれのないものの象徴、「血」は暴力と生命の象徴なのか。

     (2016.11.9記)          (読書案内№90)

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少し不機嫌な顔

2016-11-06 15:45:15 | 石仏・仏像・塑像‥

少し不機嫌な顔
        (石仏・仏像・塑像…№1)
高台から下を見ている後ろ姿 逞しい身体だ



前に回ってみると 何かを見ている。見下ろしているという感覚ではない。
(タイトル・なんて読むんだろう)


不機嫌な顔+憂い顔
突き出た下唇が印象的だ。

  スポーツで鍛えた体・下半身を使うスポーツかな
それにしても、表情と視線が気になり、しばし立ち止まって見とれていました。
(茨城県坂東市・旧猿島町に設置 野口政子氏制作・寄贈とあります)

 

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児童虐待・被害者が加害者になる

2016-11-04 18:00:00 | ことの葉散歩道

幼児虐待・被害者が加害者になる
                     (ことの葉散歩道 №32)

  子どもに暴力を振るう親に出会ってしまった子どもには、さまざまな問題が生じてきますが、そのひとつが攻撃性の問題です。親の攻撃性に直面しながら育った子どもは、「不安と怒りを調節する能力」の発達が悪くなりますから、当然攻撃的になります。これが「犠牲者が加害者になる道」といわれるものです。
  ※ アダルト・チルドレンと家族 斎藤 学著

欲しいおもちゃは、力ずくで奪う。
まるで、奪うことだけが目的のように、無理やり奪ったおもちゃはすぐに放り出してしまう。
力ずくで解決の糸口を見つけようとする。

 暴力にさらされた幼児は、なかなか信頼関係を築くことができない。
本来最も信頼でき、優しいはずの親に虐待を受けた子供は、
正常な人間関係を築くことができなくなってしまう。
親だけでなく、自分を取り巻く人間すべてに不安や不信感を持ってしまう。

やがてこの不安や不信感は、暴力性へと発展していく。
泣く、暴れる。
なかなか児童指導員や心理士に心を開かない。
あるいは、部屋にこもる、プレイルームの片隅で一人で遊ぶ姿をしばしば見かける。
人と接することそのものに不安を感じているのかもしれない。
自分の世界を作り、そこが一番安全な世界と思うのかもしれない。

攻撃することが、自分の感情表現の一つになってしまう。

の攻撃性は、他者に向かうとは限らず、自分自身に向かう場合もある。

女性の場合、リストカットなどの自傷行為や拒食症、過食症などで自分自身を痛めつけてしまう。
この繰り返しがストレスの原因になり、うつ病を発症し自殺行為にも発展しかねない。

一方男性の場合は他者への暴力行為に発展する。
成人し結婚してできた子供に再び、自分が幼児に体験したような暴力行為をしてしまう。

暴力の連環現象が起きてしまう。

児童虐待に走る親たちの多くが自分の児童期に親から虐待されていた子どもであったことが報告されており、
「被害者が加害者になる」ケースです。

虐待児童に救いの手を差し伸べることはできても、
親をケアすることはなかなか難しいようです。
だから親子分離して、子どもを施設で保護するケースが多いのです。

 親子関係の改善が最善の「ケア」なのです。
 親子が一緒に暮らし、その中から改善の糸口を見つけていく。
 そんな施設があればいいのですが、
 この方法だと人手も、お金も沢山必要になり、
 実現が難しい。

 憲法で第25条で保障されている、最低限の生活とは、
 親子が安心して一緒に生活できる環境を保証するということではないだろうか。

 
                     (2016.11.5記)

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