松本清張の「誤差」
原作からかけ離れてしまうドラマ化
最近、清張歿後25年特別企画としてテレビ東京で放映された、松本清張の『誤差』。
原作は1960(昭和35)年頃が舞台になっているミステリー短編。
従って、原作をそのままドラマに仕立てるのに無理があるから、
現代に話を置き換えて脚本を書くことになる。
携帯がない時代に、相手の連絡をただひたすらまちこがれる。
現代ならスマホがあるから容易に動向を知ることができる。
昭和35年頃から現代に時代設定変えることに大きな無理があるが、仕方のないことなのだろう。
原作では、鄙びた温泉宿に洗練された美貌の女が現れる。
冒頭の描写は女の容姿や旅館の状況など実に丁寧に書き込まれているのだが、
ドラマではサラリと流されてしまう。
やがて殺人現場となる舞台を清張は丁寧に書き込んでいる。
ドラマでは、原作にはない登場人物まで設定し、第2の殺人まで起きてしまう。
原作には登場しない犯人と思われる密会の宿に現れた男の妻まで登場させる。
原作は清張独特の暗くて重い雰囲気の漂う中で描かれているが、
ドラマは流行のサスペンスドラマ風に見どころを作り、
原作からどんどん離れていく。
この原作を2時間ドラマに仕立てようとするところに無理がある。
現場に到着した警察嘱託医と病院長の解剖所見には、
推定死亡時間に2時間の差がある。
この2時間の差が事件に決定的な影響を与えるのだが、
病院長は嘱託医の見解を『誤差』として処理してしまう。
捜査は『誤差』という見解の重大なミスを犯しまう。
病院長の見解の方が犯人を推定するのに捜査上に合理性があるように思えた。
事件は容疑者の自殺で幕を閉じたかに思われた。ところが…。
テレビドラマによくある傾向だが、
タイトルの頭に松本清張の「〇○○」と有名作家の名前を付けるやり方である。
松本清張や森村誠一の小説のドラマ化によく使用される手法である。
視聴率という枷を嵌められた製作者としてはやむを得ないことなのだろう。
しかし、小説の内容(原作)からあまりにかけ離れてしまうドラマだったら、
「原作」ではなく、「原案」とすべきではなかろうか。
松本清張の小説のドラマ化は原作から逸脱してしまうドラマが多く、
これは、原作者にとっても失礼なことではないか。
短編小説「誤差」は傑作短編集(六)・駅路に収録されています。新潮文庫刊行
昭和30年代に発表された10篇の短編が収められ、、高度成長期の昭和を彷彿とさせる作品です。
一読の価値があります。
(映画と小説 №6) (2017.5.15記)