雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「逝きて還らぬ人」を詠う ② 悲しみは深爪に似て…

2019-02-28 08:30:00 | 人生を謳う

「逝きて還らぬ人」を詠う
     ② 悲しみは深爪に似て……

  大切な人が逝ってしまう。
  人の世の宿命とは言え、余りに辛い体験はいつまでたっても心が癒されない。
  悲しいことではあるけれど、
  人間(ひと)はいつかはこの試練を乗り越えて生きていかなければならない。
      死は予測された時間の中をゆっくり訪れる場合もあり、
  突然訪れる場合もある。

  
どちらの場合も、無常観と切り離すことはできない。 

 珍しく酸素マスクがない朝のあのおはようが最後の言葉 
                        
………交野市 杉尾文子 朝日歌壇2017.04.03
    最後の朝を迎えたのでしょう。
    「マスクをはずしましょう」と、これは主治医の優しさなのでしょうか。
    しばらくぶりの素顔で、「おはよう」と答えてくれた。
    「おはよう」は、逝く人の「ありがとう」であり「さようなら」だったのでしょう。
               
 死者のこゑ未だ瓦礫より冬すみれ                           
                        
………えびの市 川野一広 朝日俳壇2017.03.27
    あの震災から生かされて6年目を迎えた今でも、あなたの声が瓦礫の中から聞こえてきます。
    また、春が巡ってきました。あなたの居ない春は淋しいけれど、瓦礫の隅に春を待ちわびたように
    冬すみれが一輪顔をのぞかせています。

 苦しくないかと問う我に寒くはないかと答えて老母は旅だてり  
                          
………佐野市 阿部忠雄 朝日歌壇2017.03.06
    母はいくつになっても、母であり、「お母さん」、私はいくつになってもお母さんの子どもです。
    
  秋は湯のぬくもりにまたよみがえる雪崩で逝きし吾子の冷たさ 
                          
………千葉市 有村妙子 朝日歌壇2016.11.07
           湯のぬくもりにつかるたびに、思い出す。どうして親の私より先に逝ってしまったの。
 「ほら見て!」と言う相手亡きさみしさよ秋明菊が咲き始めたのに         
                                                                     
……京田辺市 藤田佳予子 朝日歌壇2016.11.13
    喪って初めて知るあなたの存在の大きさ。
    庭の片隅に咲いた「秋明菊」があなたの居なくなった秋の寂しさを深める。 
  悲しみは深爪に似て日に幾度触れては痛む失ひしもの                                                                           …………奈良市 山添聖子 朝日歌壇2016.09.26
    残された者のやりきれないの心の痛みが、深爪の痛みとなって蘇ってくる。
    何気ない日常の出来事の中に、いやされない悲しみが見事にとらえられていますね。

     
            私は6年前に14歳になる孫を亡くしました。
    突然の死でした。
    元気でいれば、今年は成人式の年でした。
    どんな青年に育っていたのだろうか。
    その妹が今年は大学受験を迎えると年になりました。
    
    哀しみは、「無常」感となって
    合わせ鏡の奥に
    今も当時のままの孫の14歳の姿を映しだしています。

  (2019.2.27記)      (人生を謳う)
                  ※ 参考ブログ 2018.11.04 「逝きて還らぬ人」
                            ① 永遠に座る人なき椅子ひとつ……

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二宮尊徳遺訓 ① 積小為大

2019-02-25 08:19:50 | つれづれ日記

二宮尊徳遺訓 ① 積小為大

  翁はこう言われた。
 大事をなそうと欲すれば、小さなことを怠らず勤めよ。
 小が積もって大となるものだからだ。
 およそ小人の常で、大きな事を欲して、
 小さなことを怠り、できがたい事を心配して、できやすい事を勤めない。
 それで、結局は大きなことができないのだ。
 大は小を積んで大になることを知らないからだ。
                     二宮翁夜話(14) 福住正兄(まさえ)著 児玉幸多訳

  (二宮尊徳翁)
 小さなことの積み重ねが、やがて大きなものになっていく。だから、大事をなそうとすれば、小さなことを怠らずに務めよ。と、二宮尊徳(二宮金次郎)は生前弟子たちに語った。
そうした遺訓が高弟たちの書いた本に残っている。

 高弟・富田高慶(たかよし)は尊徳の一生を『報徳記』として書き、明治天皇に献上した。
『報徳記』は勅版として刊行され、全国の知事に配布された。
後年、これがきっかけとなり、
金次郎は小学校の修身の教科書に「道徳の手本」として登場し、
全国の小学校に負薪読書の金次郎少年象が設置された。
    (負薪読書像・小田原三ノ丸小学校)

     
 福住正兄(まさえ)も尊徳の高弟の一人である。
福住は尊徳に仕えていたときに、
教訓を受けたり体験したことを『二宮翁夜話』として著した。


 「積小為大」も「二宮翁夜話」で紹介された逸話である。
「塵も積もれば山となる」とか「千里の道も一歩から」という意味になります。
この逸話は、次のように結ばれています。

    …万町歩の田を耕すのも、その作業は一鍬ずつの作業である。
  千里の道も一歩づつ歩んで到達する。
  山を作るのも一モッコの土からなることをよく知って、
  よく励んで小事を勤めたならば、大事も必ずなるだろう。
  小さい事をゆるがせにする者には、大きな事は決してできないものである。
                      二宮翁夜話(14) 福住正兄(まさえ)著 児玉幸多訳   

閑話休題 チリも積もれば メダル5000個
  
2020年東京五輪・パラリンピックのメダルを不要な家電製品を回収して作ろうと、
 大会組織委が「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」計画、
 まもなく2年目を迎えます。
 世界初の試みだそうです。

 目標⇒「金」「銀」「銅」のメダル5000個

 そのために回収した小型家電は5万トン、他に携帯電話500万台が集まった。

 どのくらいの金属が含まれているのか。
 携帯電話1台当たり 金0.05グラム
            銀0.26グラム
            銅12.6グラム
   1台のパソコンにはおおよそ携帯電話10台分の「金」が含まれているとのことです。 

 小事を一つ一つ為すことが、大事を為すための前提であると尊徳翁は言いました。
 
 結果を急ぎすぎる。
 便利さの追求のために、修理をおこたり、新しいものに買い替える。
 おカネ万能の世の中です。

 おカネは大切です。
 でも私たちは、この便利なおカネのために、
 目に見えない多くの物を喪ってきたような気がします。

 尊徳の思考の根幹には、
 「勤労」、「勤勉」があります。

 速さや便利さや快適さを求め続けた結果、
 私たちは尊徳翁の教えを
 どこかへ置き去りにしてきてしまったのかもしれませんね。
  (2019.2.24)       (つれづれ日記№77)
 
 



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繁栄の次に来るものは

2019-02-10 17:30:00 | 昨日の風 今日の風

繁栄の次に来るものは… 
地球が汚染されていく
  
   限られた地球資源を有効に利用しなければ、

 やがて資源は枯渇し、私たちが築いてきた社会は崩壊してしまう。
 特に、エネルギー政策をおろそかにすれば、
 経済は混乱し、国家の存続さえ脅かされてしまう。

 エネルギ問題を解決できず、崩壊してしまった国家や文明は多々あります。

 最初のエネルギーは、石で作った鏃(やじり)や石斧だった。
 獲物を捕らえ、調理するための道具であり、人間生活の便利度が飛躍的に発展した。
 特に、火の利用は、ヒトの生活を以前とは比べ物にならないほど、発展させた。
 前期旧石器時代、約150万年前の地層から私たちはその痕跡を見つけることができる。
 更に時代が下がって、中期旧石器時代にはネアンデルタール人が登場し、
 
火を使用した炉の痕跡も発見されている。
 約4万7600年前のことである。


 エネルギーの功罪

 
エネルギーは人間社会にたくさんの文明の恩恵をもたらしたが、
 一方では貧富の差を拡大していった。
 富める者はエネルギーをより多く獲得し、貧者はエネルギー確保の道具になってしまう。

 近代社会を迎え、火の持つエネルギーを熱に変換するする技術の発明発展は、
 人間社会の利便性を飛躍的に拡大していった。
 
 やがて、便利で快適な生活の果てに、
 私たちは公害問題に直面する。

 エネルギー政策をおろそかにした結果のツケが、
 公害問題の毒牙が私たちの健康を蝕み始めた。
 足尾鉱毒事件 水俣病 四日市公害 など私たちの生活環境は
 山も海も川も大気も汚染された。
 環境破壊はやがて地球温暖化や異常気象問題等地球規模で広がり始めている。

高みに達した私たちの社会が次に迎えるものは

   繁栄が高みに達すれば、やがて衰退が始まり
 文明社会のほころびが、大きな口をあけて待っている。
 目に見えずらい歪みは、人間の心の在り方に変化を及ぼすでしょう。

 戦争、難民を作り出してしまう国家の存在、影を潜めていた大国間の冷戦の火種がまた煙を上げ始めている。
 経済大国にのし上がりロシアとアメリカの間ですきを窺う中国。
 自国第一主義が蔓延していけば、世界の秩序は乱れ、平和は遠ざかっていきます。
 私たちが第二次世界大戦の教訓から作り上げて来た協調と平和の礎が
 今、とても脆くなっているように思います。 

 度重なる政治家や官僚の不祥事に始まり、
 社会的影響力を持った企業の不祥事等々社会の歯車がどこかで狂い始めているような気がしてなりません。


 子どもの社会も決して安心できるものではありません。
 児童虐待 いじめ 指導死など、局面する危機に、子どもたちが信用して相談できる機関や
 人間関係が希薄になってきているようです。
 
 子どもは私たちが築いてきた社会を受け継ぎ、
 住みよい社会を作る構成員として成長していけなければ
 未来社会に希望を見出すことはできません。

 今一番必要とし、やらなければいけないことは
 子どもたちが「健全育成」出来るような社会の仕組みやルールを作ることだと思います。
 こういうことを真剣に考え、行動している人が沢山いることも事実です。
 しかし、現実には我が子第一主義、我が家第一主義の若いお母さんたちが増えているような気がします。
 こうした人たちのDNAを受け継いで育った子どもたちはどんな大人になっていくのでしょう。

 高齢者問題も大きな憂慮すべき問題です。
 働く機会があれば、死ぬまで働かなければならない人も大勢存在する反面、
 今まで一生懸命働いてきたのだからそのご褒美として、今後はただただ老後を楽しく豊かに過ごしたい。
 と思う人も少なくはありません。
 そういう考え方を、悪いとは言いませんが、何の躊躇もなく受け入れるには抵抗があります。
 
 老後の生活環境が決して豊かで安心して過ごせる環境でないことは誰もが知っていることなのですが、
 私たちは、目をふさぎ、耳をふさいで自分を取りまく現実から逃げている場合も少なくありません。

 今と言う時代を生きるために、
 私たちは近未来社会を人任せにするのではなく、
 可能な限りは、自分の心で感じ、目で確かめて行動していかなければ
 好い社会の実現は難しくなるのではないでしょうか。

 狭い水槽の中で生きる金魚や、
 庭の餌箱に集う雀の群れになってはいけないと思います。
 
 昨夜降ったわずかばかりの雪が
 陽の光にさらされて溶けていきます。

 火の利用を知った人類には、火の周りで寛ぎ
 少ない言葉で語り合った、厳しい自然の中で共に生きる
 共生の時間があったはずです。
 希薄になっていく現代社会の中で、
 私たちは私たちの祖先が築いてきた豊かな精神世界を
 振り返ってみる必要があるのかもしれません。
                     (2019.2.10)      (昨日の風 今日の風№92)




















 
 
 

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