雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

翔太郎哀歌(14) 空のむこう側

2015-12-28 15:47:25 | 翔の哀歌

空のむこう側

 早いもんで

 翔が逝ってから2年になる。

 12月初旬の寒い日の夕方

 翔の悲報が電話から流れてきた

 「翔が死んじゃったよ」

 電話のむこうで号泣する長男の声

 

 夜の高速道路を飛ばして5時間半

 すでに体温の低下した翔の頬を撫でながら

 あふれる涙をこらえることができなかった

 

 もの言わぬ14歳の孫の寝顔は

 安らかで、生前のやさしさと暖かさをたたえていた

 だが、迎える言葉もぬくもりもない

 

 昨日のことのようにように 鮮やかによみがえってくる

 翔への想いは時を経ても変わらない

 

 雪を抱いた常念岳をはじめ北アルプスの山並みが

 神が作った荘厳な壁のように連なっている安曇野の冬

 槍も穂高もお前が登りたかった山だ

 

 「旅人になりたい」と言っていた翔は

 今、北アルプスの雪で覆われた天空を

 「帰らぬ旅人」になって翔(とん)でいるのだろうか

 

 安曇野から300㌔も離れた茨城で

 落ちてゆく夕日が赤く染める西の空を眺めながら

 希望を果たせず早逝した翔のことを思うと

 目頭が熱くなってくる

 

 翔よ

 翔が舞う空のむこうには

 やすらぎはあるのだろうか

 

 旅人は時が経てば自分が生まれ育った故郷へ帰るという

 翔よ

 疲れて故郷が懐かしくなったら

 旅の翼をやすめに戻ってくるといい

 14歳の翔を

 お前を愛してやまなかった父や母が

 爺ちゃんや婆ちゃんが

 いつでも抱きしめてやるよ

 

 空の果てを仰ぎながら

 白髪がめっきり増え、急に歳をとった私は

 「翔よ」と毎日呼びかける

 

 

 

 

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イルミネーションとケーキのクリスマス

2015-12-25 11:05:45 | つれづれ日記

イルミネーションとケーキのクリスマス

 寂しい……

 街はクリスマスを迎え、葉を落とした街路樹に、化粧を施し、

 イルミネーションの瞬きで 急速に賑やかさを増してゆく。

 若い世代、恋人同士、幼児を連れた家族ずれたちが

 イルミネーションのトンネルや飾り立てたモミの木のツリーに集う

 

 人それぞれに、幸せの概念は異なるけれど、

 メディアはこの時期、一斉にこうした街の風景を報道する。

 

  クリスマスの賑やかな風景も悪くはないが、

  どこかに違和感があって 素直に喜べない自分がいることに気づく

 

  賑やかさの裏に潜んでいるある種の寂しさを

  敏感に感じとり、

  街路樹だって決して歓迎しているわけではないと思う

 

  夏には日陰をつくり 秋には木々の葉を落とし

  眠りに着こうとするこの時期、

  木々たちは安眠を妨げられ、

  かりそめの華やかさにうんざりしながらも

  黙って耐えている

 

  町の喧騒を離れ ひっそりと迎えるクリスマスがあってもいいはずだ

  高価なデコレーションケーキではなく

  ショートケーキのイチゴを食べながら、

  電気を消し、ろうそくの明かりに揺らぐ互いの存在が、

  かけがいのない存在だと思えれば

  これは極上のクリスマスだ。

  その時、

  シャンパングラスの中で揺れている灯りが

  どんなイルミネーションよりも輝いて見える

           (2015.12.25記)

 

 

 

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読書案内「火垂るの墓」(2) 少年と少女の命

2015-12-22 18:00:00 | 読書案内

 読書案内「火垂るの墓」(2) 少年と少女の命

「火垂るの墓」は原作がアニメになりヒットしたために、

多くの人に共感と感動を与え、戦争の悲劇を「少年と少女の哀しい死」を通して描いている。

 三宮駅構内の柱にもたれかかり清太は、

痩せこけ、尿と糞にまみれ、生きるエネルギーをすべて体内から吐き出したような状態で死ぬ。

 「野垂れ死に」である。

 終戦から一か月と六日後の、昭和二十年九月二十一日の深夜のことである。

 

 たった一つの所持品のドロップの罐を駅員が清太の遺体のポケットから取り出し、放り投げる。

その衝撃で罐のふたがとれ、中からちいさい骨の欠片が転げ落ちた。

 

 白い骨は清太の妹、節子、八月二十二日西宮満池谷横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。

 

 生きて、4歳の妹の命を守るのには、少年には重すぎる役目だった。

野菜泥棒、空襲で無人になった家に忍び込み泥棒をする。

妹と二人生き延びるためには仕方のない生き方なのだろう。

 

 頼る者のいない、なさけをかけてくれる隣人のいない孤立無援の兄妹の防空壕の中の生活を、作者は淡々と描いていく。

 

  このような状態の中で、節子は栄養失調で衰弱死する。

清太が衰弱死する丁度一か月前のことだ。

 八月二十二日昼、清太が壕に戻ると、節子は死んでいた。

骨と皮にやせ衰え、その前二、三日は声も立てず、大きな蟻が顔にはいのぼっても払い落とすこともせず、ただ夜の、蛍の光を眼でおうらしく、「上いった下いったあっとまった」低くつぶやき

 節子は独りで死んでいった。

あどけない4歳の少女が衰弱していく過程は、無駄のない抑制された文章で描かれ、

少年は節子の命を守るため、父や母の役目を必死で担う。

夜には、蛍が飛び交い、二人にとってはささやかな命の灯がともるひとときでもあったのだろう。

 清太は壕の暗闇にうずくまり、節子の亡骸膝にのせ、うとうとねむっても、すぐ眼覚めて、その髪の毛を手でなでつけ、すでに冷え切った額に自分の頬おしつけ、涙は出ぬ。

 荼毘にふされ、燃えつきた白い骨が残り火の中にほのかに浮かび上がり、蛍の群れが飛び交い、

誰も居ない荼毘の場所で今は白い骨になった節子に話しかける。

「蛍といっしょに天国へいき」。

 最後の二行は、小説の冒頭の清太の描写になる。

 昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へ納められた。

 一切の感情を排除し、平凡すぎるほど平凡な終わり方が、少年と少女が生きられなかった切なさを、際立って浮かび上がらせている。

 最近の小説は、あまりにも読者に迎合しすぎ読後の余韻を楽しめない者が多い中で、

野坂氏の小説は想像力を働かせ、読後の余韻を味わうには十分な小説である。

 評価 ☆☆☆☆☆(5/5)         (2015.12.22記)

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「火垂るの墓」 (1)多彩な顔を持つ表現者

2015-12-21 22:40:21 | 読書案内

読書案内「火垂るの墓」野坂昭如著

  (1) 多彩な顔を持つ表現者・野坂昭如

12月9日、野坂昭如氏が死去した。2003年脳こうそくで倒れ、活動の範囲はかなり狭くなったが、新聞や雑誌などに寄稿された彼の文を読むことで、健在ぶりを知っていた。享年85歳。

 彼ほどたくさんの顔を持った表現者も稀だ。

 

 作家、編集者、作詞家、歌手等活動の範囲は多岐に渡っていた。

また、焼け跡闇市派、無頼派、黒メガネのプレイボーイを名乗り、

映画監督の大島渚の結婚30周年記念パーティーでは、

主催者の大島渚を殴り、殴り合いのけんかをした。

  金権政治を批判し、旧新潟三区から衆院選に立候補(落選)等、

話題には事欠かなかったが、「反戦」「反権力」の姿勢は、最後まで貫き通した。

 

 体表作でアニメにもなった「火垂るの墓」では、

終戦間際の戦争の中で必死に生き、死んでいった少女と少年の物語を描き、

「アメリカひじき」や「エロ事師たち」、「受胎旅行」、「骨我身峠死人葛」など句読点の少ない、

長いセンテンスの文章でユーモアとアイロニー、エロティックを盛り込んだ小説で、発表当時多くの読者を獲得した。

 写真は1968(昭和43)年刊行の本、当時780円だったが、現在5000円ほどの高値である。

   (明日へ続く)        (2015.12.21記)    

 

 

 

 

 

 

 

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はるかな道を歩いていけば

2015-12-18 13:50:46 | つれづれに……

歩いてきた道、歩いていく道   「いつも感謝の心で」さんのブログを読んで 

  歩いてきた道。いろいろ大変だったけど幸せに包まれていた。

  歩いていく道。ただ辛くて悲しいだけのイバラ道?

     歩いていく道。老いの影がひたひた押し寄せ、健康にも自信がない。

     社会的役割も年ごとに減っていく。大切な人や親しい人が他界し、だんだん寂しくなってくる。

     こんなこと考えていると、人生、ちょっと辛くなります。

     でも、歳を重ねるということは大きなメリットがあります。

     「年輪をかさねる」ことは、ぶれない、許容範囲が広くなり、心に余裕も出てきます。

     他者を許すこともできるし、ふがいなく思う時の自分も許すことができます。

      

              老いの坂道はゆっくり登りましょう。

     下るのではなく、自分の歩調でゆっくり登れば

     老いの峠にもほのかな明かりが見えてくる筈です。

     今日生きられる喜びは、明日へとつながっていきます。

     「いつも感謝の心で」。

     素晴らしいこの気持ちを、大切に明日の扉を開けば

     きっと、歩いてきた道への接点が見えてくると思います。

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こんなことは絶対に許せない・所持品検査

2015-12-17 11:33:40 | 昨日の風 今日の風

 こんなことは絶対に許せない

   相模原市の児童相談所 少女8人を裸にし所持品検査

  各メディアが伝えるところは、おおむね次の通りです。

 相模原市の児童相談所は、

8月に女性職員が一時保護していた8~15歳の少女を全裸にして所持品検査をしていたと発表した。

所内にある意見箱に投入する用紙が一枚無くなったため少女8人を風呂場の脱衣所に連れていき、

バスタオルで体を隠しながらも全裸にして検査をした。

男子児童も男性職員の手によって、同様に検査をされた。

その結果、用紙は発見できなかった。

当日夜(後日という報道もある)、「裸にされて嫌だった」という少女の告白で、事件が明るみに出た。

 

 報道各社とも同じような報道であり、取材努力の跡が見えない。

 

 毎日新聞だけが事件の詳細を伝えている。

 

 なぜたった一枚の用紙が紛失したことがそんなに重大なことなのか。毎日新聞の記事を引用しよう

 

児相には複雑な事情を抱える子供のプライバシー保護の徹底が求められ、お互いの氏名を明かすことや連絡先を交換することが制限されている。

 同相談所では以前、一時保護中の少女が別の少女の携帯電話番号やツイッターのアカウントなどを記入した紙を下着の中に隠していた問題が発生したことがあった。

 そのため、普段から学習時間以外は子供たちにメモ用紙や筆記用具を渡さないようにしていた。職員は意見箱の用紙が「個人情報のやりとりに使われた可能性もある」として所持品検査をしたという

児相には複雑な事情を抱える子供のプライバシー保護の徹底が求められ、お互いの氏名を明かすことや連絡先を交換することが制限されている。

 同相談所では以前、一時保護中の少女が別の少女の携帯電話番号やツイッターのアカウントなどを記入した紙を下着の中に隠していた問題が発生したことがあった。

 そのため、普段から学習時間以外は子供たちにメモ用紙や筆記用具を渡さないようにしていた。職員は意見箱の用紙が「個人情報のやりとりに使われた可能性もある」として所持品検査をしたという

 

 「プライバシーの保護のために、児童間の情報交換を禁じる」ということだが、

子どもたちの人権を守らなければいけない機関が「プライバシー保護」の大義名分を振りかざして、

最も守らなければいけない児童の「人権」を侵してしまう行為は許されない。

 

なぜこのようなことが起こるのだろう。

 

 

 職員の姿勢には、児童を支える優しい姿勢が見えない。

児童を内面から支え、さまざまな理由から親と隔離され、

生活しなければならない児童たちの「辛い思い」を受け止める思いやりの心が欠落している。

保護された児童を上から目線で見ていないだろうか。

規則にのっとり、保護した児童を親元に返すのか、

児童養護施設に措置するのかということが、

優先するような児童相談所の体質があるとすれば、言語道断です。

 

 

 「検査は不適切で職員に人権意識がなかった」と、佐藤暁部長は謝罪している。

 

全裸にした20代の女性職員よ、

あなた方が犯した行為は、職業上の倫理綱領に反する重大な行為なのです。

検査については上司にあたる50代の女性副主幹の了解を得ていたということですが、

部下の逸脱した行為をどうして防ぐことができなかったのか、深く反省していただきたい。

 

 その上で、このような体質を持つ児相の立て直しを真剣に考えてほしい。

 

 

 児童たちは、家庭という本来守ってくれるべき温かい場所を離れ、

先行きの見通しのない児相の「一時保護制度」に身をゆだねるほか、方法を知らないのです。

彼らは、何よりも優しさと暖かい心をあなた方に臨んでいるのです。

 

(昨日の風 今日の風 №37)             (2015.12.17記)

 

 

 

 

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教育の機会均等 北欧フィンランドの教育

2015-12-16 13:00:00 | 昨日の風 今日の風

 教育の機会均等 北欧フィンランド゛の教育

  •  面積は日本よりやや小さめ。  面 積     フィンランド 約33万㎢   日本 約37万㎢
  •                 人 口            約543万人      約1億2688万人   

                  人口密度            16人/1㎢      337人/1㎢

             ※ フィンランドの人口は、北海道の人口にほぼ近い。人口密度は日本の約1/21。

  教育水準:

国際学力比較調査(PISA): 世界の15歳児童を対象に学力(学習到達度)を測定 フィラ ンドは安定的に上位を占めている。2004年の「数学リテラシ―(知識の活用能力)」、「読解リテラシー」、「科学リテラシー」、「問題解決能力」など総合で1位。

  子どもが生まれると:

国からベビー服や布団、哺乳瓶や絵本などのセットが届き、17歳までの子ども全員に月1万3千円が支給される。大学はすべて国立で、通学手段、給食、教科書、学用品等すべて無償で提供される。

 「できる子を伸ばすよりも学習に困難を抱かえた子に手厚い指導をする」。競走するよりも学ぶことの意味を理解させることに重点を置いている。にもかかわらず、授業時間数は先進30か国の中では最も少ない。

 全ての子どもがわかるまでを基本に、学習に困難を生じている子供に対しては、特別支援教育によるケアが実施される。格差をなくし、どこでもいつでも学べる学校にして、学級内では学力差に応じて個別指導ができるようにし、その結果、国全体の学力差を最も小さくしながら国際的に学力を最も高くしている。

 一学級は24人以下の少人数で、実際には20人以下の学級が多い。

 なんともうらやましい、教育環境である。学力低下はゆとり教育にある、とか授業時間が少ないなどと、議論になるような日本の教育事情とは雲泥の差がある。教育委員会やPTAのご機嫌を取り、事なかれ主義に陥ってしまう校長(そうでない校長もいるが)。激務を抱え帰宅時間も遅い我が国の教師。一人一人の教師の努力は理解できるが、ゆとりのない教師に導かれる子どもたちは不幸だ。

  高福祉・高負担を支える公共の精神を育む教育方針。教員の社会的地位、信頼の高さは、教職を最も優秀な人がつく職業にしている。全ての教師を大学院で養成し修士号取得を要請している国は、ヨーロッパの中でもフィンランドのみである。

  教師の勤務時間は少なく、ほとんど授業時間のみなので、日本のように部活等授業時間以外に拘束される時間がないから、授業に多くの準備時間をさける。

 教育の衰退や不平等は、国家の未来を暗くする。低所得の家庭の子どもが、経済的理由で進学を断念しなければならない(現在の奨学金制度は問題が多く、教育の機会均等という観点からすれば改善の余地がある。)現実は何とか改め、新しい制度を作ることが肝要だ。成績重点主義の教育も方向の転換が必要だ。競争社会の入り口で、学習に落ちこぼれ、挫折感を味わう子どもたちが、やがてドロップアウトしていくのは、教育の責任と認識すべきではないか。

    出典:「学力世界一フィンランドの秘密」 「 2012年PISA 」「 競走が子どもの学力と幸せを奪う」

                              昨日の風 今日の風(№36)   (2015.12.14記)

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懐かしい安曇野の風景 今は悲しい風景

2015-12-15 11:05:06 | 翔の哀歌

アルプス公園北口から さわやかな風2 さんのブログから

   懐かしい安曇野の風景 いまはつらく悲しい

 「さわやかな風」さんの「アルプス公園北口」からの写真、懐かしく拝見しました。

  赤いお屋根の三角帽子は、県立こども病院。遊びたい盛りのたくさんの子どもたちが

  入院して闘病生活をしています。ある日、隣のベッドの子どもがいなくなり、白いシーツが

  目にまぶしい。

  ひとつ、小さな命が消えていった……

  命の火が消えたことを

  「電池が消えた…」と表現した子どもの感性が、なんとも切なく悲しく感じました。

  14歳で早逝した孫の家が近くにあり、常念岳が見える田んぼのあぜ道や、

  川のほとりを小さな手を握りながらよく散歩をしました。

 

    アルプス公園の写真とても懐かしく、拝見させていただきました。

    孫と遊んだ「夏の烏川渓谷」など、合わせて思いだすことができ感謝しています。

    今では、辛く悲しい思い出としてよみがえってきますが、

    遠く茨城に住む私にとっては、安曇野の現在の情報は、

    孫との接点になり、悲しいけれどとてもうれしいプレゼントになります。

    ありがとうございました。

       ※ 「さわやかな風 2」さんへ

            ココログ「さわやかな風」へのアクセス方法がわからないのでこのページ

            で、感謝を述べさせていただきました。

 

   

 

 

 

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教育格差 教育には機会均等の原則が適用されない

2015-12-14 15:00:00 | 昨日の風 今日の風

 教育格差と大学授業料

 富の分配 集められた富、蓄積された富は再分配され、貨幣経済は成立しています。

      だが、再分配が偏ってしまうと富の格差が生まれ、正常な社会を維持することができない。

      わかりやすく言えば、所得格差が大きくなればなるほど、社会には不満が充満し、

      やがて、所得格差は教育格差に転じ、貧困の連鎖へと進んでいく。

       このような現象をピケティ氏は次のように述べている。

       世代から世代へと悪循環が転回し、

      特定のところに蓄積された富もまた同じ世代から世代へと循環していく、と。

       貧乏人はいつまでも貧乏で、金持ちは次の世代にも富を継承していける。

 所得格差と教育格差

      4年制大学の進学率について見てみよう。

        親の年収:1千万円を超える家庭の進学率…………62%

             400万円以下の家庭の進学率…………31%

      にもかかわらず、国立大学の授業料が16年後には年93万円まで値上がりするかもしれないという

      試算が発表された。低所得者の子どもはますます教育の機会を奪われてしまう。

       教育の格差は、未来を担う子供たちの才能の目を摘むことになり

       国家的損失につながることになる。

       経済優先の社会の維持よりも、

      人材の育成に力を入れない国家はやがて衰退していく

          (次回は、北欧フィンランドの教育事情についてアップします)

                         昨日の風 今日の風(№35)

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長野・常念岳

2015-12-13 16:00:07 | 翔の哀歌

さわやかな風(2)」さま

  長野 常念は悲しい

 雪をかぶった常念岳の写真  懐かしく眺めました。

 2年前のあの日 悲しいお別れの日 

 安曇野から眺める常念は

 雪雲におおわれ  ついに姿を現してくれませんでした。

 

 彼は15の春を待たずに早逝してしまいました

 いくら叫んでも もの言わぬ姿になった私の孫は

 もう二度とその軽やかな声やキラキラ輝くひとみを

 見せてはくれません

 

 山が好きで いつか槍に登ってみたいといつも言っていた

 彼の夢は北アルプスの夢や  自転車で走ることでした

 「旅人になりたい」と言っていた彼は

 永遠に帰らぬ旅人になって 安曇野の空に 旅立って行ったのです

 

 2年が過ぎた今でも 突然彼が現れてくるような気がして

 安曇野の遠い空を 思いやる日も珍しくありません

 

 遠い茨城の空から、彼の生まれ育った安曇野の空を思い

 西の空にそびえる 常念岳やその奥の蝶が岳などを思い

 乗鞍は雪に埋もれているか 

 燕岳の岩々はすっぽりと雪に覆われているのだろうかと

 悲しい時を過ごすことも珍しくない

 

 「さわやかな風(2)」さま 

 常念の写真ありがとうございました。

 安曇野は 懐かしく 楽しい思い出のたくさん詰まった素晴らしいところです

 安曇野のどこかに 今でも彼がいるような気がして 仕方がありません

 どうか 機会がありましたら また長野 安曇野などの写真を

 アップしていただければ 幸いに存じます

              (雨あがり)

 

 

 

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