雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

描かれた仏たち

2019-12-28 22:05:03 | つれづれに……

描かれた仏たち あや絵作家・川崎是空と
              日本画家・田中嘉三

  

   あや絵作家・川崎是空の作品
                            聖観音  

 

                                      四天王
  

                        

                           不動明王                  孔雀明王

     
      
                                    釈迦三尊
    

    「あや絵」(下記に説明文あり)という技法で製作された作品だが、
   写真ではとてもその美しさを伝えることはできない。
   粒子のように画面全体にきらきら光っている輝きは、
   過去に幾多の芸術家や仏師たちが求めてやまなかった後光の美しさを具現したような美しさを秘めている。
   この色彩感覚が見る人の心を捉えて離さない。
   華麗な輝きとそこから醸し出るやさしさに私は、
   「聖観音」や「不動明王」の作品の前から動くことができなかった。

  
 『川崎是空』の画像
 崎是空 (かわさき ぜくう 1922-2014) 着物染色作家の川崎是空(本名 一與四)は、
 大正11年、石川県に生まれた。
 京都西陣織図案見習いを経て昭和23年に上京し、着物染色の道を選んだ。
 東京在住の染色家たちによって現在の常総市坂手町に水海道染色村の設立が計画されると、
 昭和49年の先発隊12世帯の一人として移住し、以後この地で染色作家として創作活動を続けた。

 自身が考案した「あや絵」は、佐賀錦の白生地を図に従って染色し、
 それを裁断してパネルに貼り合わせて制作した絵画で、
 照明や見る角度によって様々な雰囲気を醸し出し、独特の立体感を表現する。
 染色の技術を発展させ、約30年にわたって自らが創作した「あや絵」の美を追求し続けた川崎は、
 平成26年7月、92歳の天寿を全うした。 (企画展パンフレットから引用)




日本画家 田中嘉三の作品
     
                              仏陀と弟子
          

                        憤怒像

 

                  大仏殿炎上


  下図はトリミングしたものです。左下、燃えさかる大仏仏殿に攻め入って来た
  武士の姿が見える。抜き身の刀を肩にかついで、大仏殿に駆けこもうとしてい 
  る。右側・半開きになった大扉の下に炎と黒煙に巻かれた大仏に対座している
  僧の姿が見える。おそらく大半の僧が阿鼻叫喚の中を逃げ去り、一番乗りで侵
  入する敵兵と僧以外に人の姿は見当たらない。
  渦巻く黒鉛と黒煙に巻かれた大仏に向かって、身じろぎもせず、読経する僧の
  姿が印象的である。
  また、二人の人物と大仏を描くことで、大仏の大きさ(偉大さ)と人間の卑小さ
  (愚かさ)さえ表しているように見える。

 

                              八部衆

 八部衆は仏法を守護する八神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に 帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。なじみの深いものは夜叉(鬼神)、阿修羅(戦闘神)などがある。残念ながらこの絵の中の八神を特定するだけの知識が私にはない。
 『田中嘉三』の画像 田中嘉三 (たなか かぞう 1909-1967)   日本画家・田中嘉三は、明治42年に現在の笠間市に生まれた。  幼少のころから絵に親しみ、14歳から同郷の日本美術院同人・木村武山に日本画を学び、  武山の逝去後は奥村土牛に師事。昭和4年の第14回日本美術院試作展、  同12年の再興第24回日本美術院展(院展)に初入選を果たしてからは院展を主な発表の場として活躍、  昭和23年の再興第33回院展に出品した「一字金輪仏」は院賞首席を受賞した。  そのひたむきな創作姿勢から生み出される作品は洗練された画面に穏やかな雰囲気を漂わせ、  多くの人に安らぎを与えた。しかし、さらなる円熟を期待される中、  昭和42年、春の院展に「胎蔵諸尊」を出品したのち、病により58歳でその生涯を閉じた。  (企画展パンフレットから引用)
  

 華麗な「あや絵」の川崎是空と、静かな清澄感漂う田中嘉三。
 どちらも茨城に関わりのある二人の作品に癒されたひと時でした。

(画像は企画展パンフレットより引用)

        (つれづれに…心もよう№99)

 

 

 

 

                                               

          

 

  

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読書案内 「闇の歯車」 藤沢周平著

2019-12-20 12:41:36 | 読書案内

読書案内「闇の歯車」藤沢周平著
      講談社文庫版 1996年8月刊 第31刷
  


「鬼平犯科帳」や「雲切仁左衛門」などの盗賊が活躍する小説やドラマでは、犯行の時は深夜、
人びとがぐっすりと眠る時間帯と相場が決まっている。
だが、「闇の歯車」の押し込み強盗の刻(とき)は違っていた。

「逢魔が刻」が、決行の時間だ。
頭領(とうりょう)に従うのはそれぞれに事情を抱えたあぶれ者4人。
年齢も職業もバラバラだ。
つまり、頭領によって声を掛けられた寄せ集めの素人集団だ。


 「逢魔が刻」。江戸の夜は早い。現代と異なり灯りのないこの時代、陽が落ちると間もなく、
 闇の帳が降り、提灯なしでは歩けないほど闇が深くなる。陽が落ちて闇が下りてくる少し前、
 黄昏時。ほんのわずかな時間だ。家路へ急ぐ人、店じまいの支度にとりかかる店。
 「逢魔が刻」……やがて闇が訪れる。穏やかでない時が流れ、あやしげな物の怪の足音がたそがれ
 (誰そ彼)の 向こうから聞こえて来るような、江戸っ子の心を不安する。
 押し込みが決行され、頭領と4人の男たちの歯車が噛み合い、きしみながら闇の中へと回転してい
 く

 佐之助 …… 博打で身を崩し、闇の裏稼業に手を染め、正業に就かずその日暮らしをしている。
        佐助の女房・きえは「今に怖ろしいことになるのではないか」と佐助との将来に不安を覚え姿を
                 消してしまう。今はひょんなことから源助の女房・おくみと暮らすようになる。
        酒亭「おかめ」は、一日の終わりの安らぎのひと時である。
        先の見えない暮らしに佐助は押し込みの一味に加わることになるが、
        その矢先今度はおくみが姿を消してしまう。
      
 伊黒清十郎……浪人。3年前、人の妻である静江と三春藩城下を出奔する。
         そのときすでに静江は労咳(ろうがい)にかかり、症状は日々重くなっていく。
         追っ手を逃れ、穴に隠れひそむようにして暮らしている。
         静江の薬代に追われ、人目を忍ぶ逃亡生活に疲れた伊黒のひと時の安らぎは
         酒亭「おかめ」で一杯飲むことだった。

 弥十 ……  建具職人だったが、今は年を取り娘夫婦の世話になっている厄介者だ。
         若いころ博打の上の喧嘩で人を刺し、三十年も江戸払いになっていたが、
         五年前に帰ってきた。
         家に弥十の居場所はなく、酒亭「おかめ」にひと時の安堵を求めて飲みに来る。

 仙太郎 …… 大店の若旦那。情婦・おきぬは、
       「あたしは別れないよ。別れるなんて言ったら、あんたを殺してやるから」……。
        危険な女の一面を見せられ、許嫁のいる仙太郎は、おきぬに別れ話を言えずに、
        二人の女の間で苦しんでいる。賭場にも借金があり、
        酒亭「おかめ」が唯一気の休まる場所だった。

 伊兵衛 …… 十三年前、喧嘩で人を殺し島送りになるが、五年前に江戸に帰ってくる。
       商家の旦那ふうだが、実は闇家業の押し込みの頭領。
       酒亭「おかめ」の常連たち四人を言葉巧みに誘い、押し込みを計画する。

     五人が五人とも、人に語れないような過去を持つ男たちがそろった。
   頭領の伊兵衛以外は押し込みについては素人だ。
   もう一つの共通点は、彼がすでに過去の人生において、「逢魔が刻」を経験しているということだ。
   それが人殺しだったり、駆け落ちだったり、博打狂いだったりするが、
   いずれにしろ彼らが、これまで底辺の人生を生きてきたことに間違いはない。

   「逢魔が刻」の時が訪れ、五人の男たちは押し込みを決行した。
   見事、700両を奪うことに成功したのだが、 たった一つの思いがけない偶然が重なり、
   この押し込みはほころび始め、意外な結末を迎える。

   長寿社会を迎え、100年人生も珍しくなくなった現代。
   長い人生行路の中には、一つや二つ辛いことや、行くべき道を誤ってしまう時がある。
   「予期せぬ出来事」だったり、「取り返しのつかないこと」に巻き込まれることがある。
   「朝、元気に出勤した人が、物言わぬ遺体となって帰ってきた」、という話を聞く。
   魔がさした。などと言われるが、「逢魔が刻」に立たされたなどとも言う。

   さて、押し込みに成功した五人の男たちの人生は、どのように変わったのだろうか。
   二度の「逢魔が刻」に遭遇した男たちに三度目の「逢魔が刻」が訪れる。
   再び「闇の歯車」が軋みを立てて回り始め、男たちの運命が狂い始める。

   藤沢周平が描く、時代小説ミステリーだが、
   謎解きが主体ではなく、
   男たちの生きざまを「逢魔が刻」という視点でとらえた秀作です。

    (2019.12.20記)    (つれづれに…心もよう№98)

 

 

 

        

         

 

                 



 

 


 

 
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老いを見つめる ④ ひぐらしの声のかなたに母の声……

2019-12-13 15:34:40 | 人生を謳う

老いを見つめる ④ 
  ひぐらしの声のかなたに母の声……

 

 
風の盆みな過ぎてゆくものばかり
             …………長野市 鈴木しどみ 朝日俳壇2016.09.19
   夜も更けて、観光客もそれぞれの宿に帰っていった。夜のしじまの中を踊りの列が過ぎていく。
   過去も、現在もゆっくり流れていく。老いの一日もうすぐ終わろうとしている。胡弓の音が寂しい。
        

 
ひぐらしの声のかなたに母の声そのかなたにもひぐらしの声
                    
………館林市 阿部芳雄 朝日歌壇2016.10.03
    無限に流れる時間の帯。ひぐらしが鳴いている。その彼方から懐かしい母の声が聞こえてくる。
    時の流れと母の声が一体となり、ひぐらしの声が流れている晩夏。ひぐらしの声は母のいる遠い
    彼岸から聞こえてくる。


死ぬときの言葉を思う日向ぼこ

                ………(神奈川県寒川町)石原美枝子 朝日俳壇2016.02.08
   冬の日差しの中で日向ぼこ。長い人生だったが、可もなく不可もなく振り返ってみれば平凡だったが
    いい人生だった。「ありがとう」とひとり小さく呟いてみる。 


トイレまでわずか数歩の距離なれど肩にくい込む夫の両手哀し
                
…………(大阪市)三浦サユリ 朝日歌壇2016.02.14
   
お互いに歳を経て、子どもたちも巣立って行った。もうお前と二人。黄昏時の二人。トイレまでのこの短い距離を
    私の肩にあなたの手の指が食い込んでくる。めっきり衰えたあなたの脚。背中の夫に「あなた頑張りましょう」と
    ささやいている自分がいる。

 

貧しければ田の畔にまで豆植えて父は老いても花を育てず
                    
……佐世保市 近藤福代 朝日歌壇 2016.06.20
  
 狭い耕地は無駄なく作物を作る。畔(あぜ)には豆を植える。そうして代々受け継いてきた田畑を
   守ってきた。花を育てる。そんな余裕なんてどこにもなかった。苦しい農作業で、生きるのが精
   いっぱいの父だった。



今日も音沙汰がなかったガラケーの充電をして寝床に入る
                  
…………川崎市 小島 敦 朝日歌壇2016.09.05

   「老い」は身の回りからたくさんの者を奪っていく。父や母。友人。知人。大切なものがどんどん
   喪われていく。長い一日のなかで、会話さえなくなる。今日も一日ガラケーは鳴らなかった。
   明日はきっと…… ガラケーに小さな希望を託して一日が終わる。
 

      (人生を謳う)            (2019.12.06記)
   

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悪いものは悪い… 共感と受容

2019-12-06 06:00:00 | つれづれに……

 悪いものは悪い…… 共感と受容
  
 会津藩に、「什の掟」という六歳から九歳までの藩士の子どもたちに向けた教えがあります。

    一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
   一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
   一、嘘言を言ふことはなりませぬ
   一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
   一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
   一、戸外で物を食べてはなりませぬ
   一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
      ならぬことはならぬものです
 
  現代ではそぐわない教えもありますが、

  会津武士として成長していく子どもが守らなければならない「什の掟」です。
  「什」とは、地区ごとに集まる10人前後の子供たちの集まりという意味だそうです。
  「什」によって内容は少し違っていたようです。

  各教えは「なりませぬ」で統一され、最後は「ならぬことはならぬものです」と締めくくられています。

  「会津の武士の子どもはこうあるべきだ」というこの教えは、問答無用なのです。
  「ならぬものはならぬのです」と、掟の教えの絶対性を強調しているのでしょう。

  現実社会においては、
  「悪いものは悪い」という常識的一般論があります。
  法を犯すものに対しては、厳しい法による制裁が加えられます。
  大人の社会で通用する論理です。
  時によっては、問答無用で切り捨てなければならない事例もあります。
  この考え方の根底には、自己責任、
  つまり自分でしたことは自分で責任を取るという社会の責任があるからです。

  しかし、社会福祉の世界や、精神の発達途上ある児童に対しては、
  自己責任という意識が十分に発達していない段階にあるわけですから、
  一般論を押し付けても、自己満足に陥ってしまう場合が多いのです。

  常識的一般論で誰にでもできることです。
  対象とする事例を「一緒に解決しよう」という姿勢がなければ、閉ざされた心はなかなか開いてくれません。
  「相手の話をよく聞く」という「傾聴」という姿勢が必要となります。
  その上で、相手のあるがままの姿を認めることが必要になります。
  これを、「受容」といいます。
  社会福祉やカウンセラーに携わるひとに要求される基本姿勢です。

  私たちは人が好ましくない行動や行為をしたときに、その行動や行為を否定するところから
  相手へのコミュニケーションを試みようとしますが、
  否定するということは相手を否定することにつながってしまう場合もあります。
  
  心の問題を解決するとき、「なぜ」「とうして」という観点から相手の気持ちに沿うようにして、
  解決の糸口を一緒になって見つけられるよう進めなければなりません。
  ここに、「共感」という姿勢が生まれます。
  相手の痛みを自分の痛みとして感じ取れるような感性が必要になります。
  この感性の乏しい人は、社会福祉やカウンセリングが必要となる職業に
  就くことは望ましくありません。

  「共感」とは相手と同一視線に立つということです。
  上から目線や常識的一般論が通用し難い社会であることを忘れないでほしいと思います。
  
  今日一日元気で過ごすことができたなら、
  明日も元気に過ごせるという小さな希望が育つ社会であってほしいと思う。
  
    (2019.12.5記)  (つれづれに……心もよう№97)

 


 

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